9 篠宮さんちの三兄妹
休日なのに雨だ。
晴れたら庭の草刈りの家庭内バイトがあったんだが、いきなり予定が狂ってしまった。
「おはよ、おにい。おむすびさんの焼き鮭少し余ったけど食べる?」
台所で髪を緩くお団子に纏めた妹が、菜箸片手に聴いてくる。
千枝謹製、鮭のお握りは、ゴマと生姜が入っていて絶品だ。
「おはよう、食べる。昨日の豚汁も欲しいけどある?」
「あるよー。豚汁は2日目が本番」
「それな。かーさんは?」
親父殿は出張中なので今日はいない。
「朝市に行くって。いつもは売り子さんだけど、今日はお客さんだーって」
かーさんほんと朝市好きな。
「千枝も出掛ける予定が?」
ラップに包んだおむすびがダイニングテーブルの上にゴロゴロと転がっている。これは昼御飯と見た。
「ううん。冷めて海苔がしんなりしたおむすびさんが恋しかっただけ」
「なんだ昼間、外に出るならお使い頼もうかと」
そこそこ田舎な我が家は、駅前に出るにも時間がかかる。
男子高校生の脚力で、自転車片道30分だ。
夜に出掛ける用事はあるが、そのころ目的の店は閉まっている。
「残念!行っても近くのスーパーどまりですう!」
「…おねえの声、おっきい。なんで朝から元気なの…」
もそもそと階段を降りてきたのは末っ子の万里だ。
ふわふわのネコ毛が爆発している。
「おはよう。万里、部活はいいのか?」
「おはよ。雨の日の陸上部ほど悲しいものはないんだよ、おにい?
廊下で走るのは禁止されたし、体育館争奪戦にはいつも負けるし。練習が休みならふて寝するしかなくない?」
お、おう。そうか。陸上部も大変だな。
その点、中学時代の剣道部は恵まれていたな、武道館あったし。
「まーちゃん、ご飯はー?」
「おねえの玉子焼きの気分」
かーさんの玉子焼きは甘いのに、千枝の玉子焼きはだし巻き風。どっちも旨い。
「たらこの買い置きがあったよな?」
「いいよー入れとく。焼いている間にお風呂とトイレ掃除お願いね」
千枝のつまみ食い常習犯たちのあしらいは年々巧くなっている。
仕事を与えられた体で追い払われた上下2人。
「どっちがいい?」
「トイレいきたいからトイレ」
あ、はい。気がつかないふりをさせていただきます。
リアルで『洗浄』使えたらなあ、風呂掃除なんてすぐなのに。
水抜きする時間で浴室の鏡の鱗を擦っておく。あとは洗剤をスプレーして流してしまえば終了だ。
うちの親父殿は煮詰まると水回りの掃除に励む癖がある(そしてかーさんに誉めてもらうべく報告するまで1セット)ので、あまり掃除をするところがない。
たいした手間でもないのに面倒なのは便利すぎるVRの弊害か。いや違うか。
「ルンバちゃんがトイレ掃除もしてくれればいいのに」
「同意しかない」
真ん中抜いた兄妹が単に面倒くさがりなだけだ。
「終わったー?熱々のうちに食べよう?」
休日の朝に兄妹が揃ったのは、久しぶりかもしれない。
「頂きます」
やっぱり米は最高だ。毎日食べても明日も食べたい。
テレビをつけると朝のニュースが流れる。
「あ、おにいのやっているゲーム」
どうやら国内老舗のチョコレート会社が、『異界撹拌』に参入するらしい。
お国が運営のゲームだけあって時事ニュースに事欠かない。
「応募券10枚で、ゲーム機があたるキャンペーンかぁ。…あ、残念賞のお菓子缶かわいい」
「応募してみる?」
「万が一当たっちゃったら、1年は我慢しなきゃいけないのに?」
「18禁の壁ぇ。
おにい、今までのアバターは隠居させて、新しいアバターにしたんでしょ。たのしい?」
「おー。功績ポイントが貯まったから、円満隠居だ。
ゲームは。そうだな、なんか別のゲームしてる感じが凄い。前のアバターは登場人物がばたばた消えていく冒険活劇伝奇風だったけど、今のはほのぼの食い倒れ細腕繁盛記みたいな…?」
「わけが判んないよ?」
モグモグ、ごくん。
玉子に巻かれた半生のたらこがたまらない。
玉子同士の組み合わせって、なんでこんなに旨いんだろう。命を頂いている罪の味だ。
「前のアバターなら間違ってもお前らとプレイしたくないけど、今のは現状の路線のままなら一緒に遊んでも問題なさそう。現状のままなら」
大切なことなので2回言う。
「おにい、どんな修羅の国にいたの」
お寒い北国で御座いました。
「温厚な国でも侵略されたら戦争だよな?」
「あー……日本は早めに終わったらしーけど、お他所の国じゃ戦乱イベント拡大しているらしいね」
ニュースはちょうどその話題だ。
大きな国はイベントの規模も大きいのか、収拾がつかず泥沼化している。
「システムは同じでも、他の国は日本サーバーと界が違う設定だし。
国それぞれ別シナリオらしいからなあ。そっち側はオレはなんとも」
「大元のシステムは共通なのに?」
「そうそ。冒険者ギルドとか、変に個性出そうとしないで共通のでも良かったのにな」
「知ってる!Sランクが俺ツエーハーレム勇者で、Eランクが隠れた実力者で追放したけどもう遅いんだよね!」
家系的に乱読、書痴の気がある自覚はあるが。万里、お前そっちの方面も触手を伸ばしているのか。
さて、自信満々のところ申し訳ない。
「残念。日本サーバーのギルドランクは冠位十二階だ」
「なんで聖徳太子!」
千枝はルールブック読み込んでいたから笑っているが、万里は狙いどおりの反応をしてくれる。
「そして血筋で上のランクに昇れはしないが、昇殿ランクから学科試験がついてくる」
やんごとないところのクエストは昇殿資格がないと受けられない仕様でござる。
「つまりは科挙?」
「偉大だよな昔の中国。詩文や音楽とかは流石になかったぞ。あったのは倫理テストや刑法やテーブルマナーとかだ」
社会人になったら、微妙に役立ちそうではある。
「おにい、ファンタジーさんどこ消えたん?」
「オレも知りたい」
「なんかニュースでゲーマーさんたちが運営さんを政府ちゃんって呼んでいたのなんでかな思ったこともあったけど。これは政府ちゃんだよねえ。どうしたんだろ、うちのお上は真面目でお固いのが身上じゃなかったのかしらん」
「おねえ、真面目なことは真面目じゃん?迷走はしてるけど。いいなあ、なんか面白そう。あと3年は長いよう」
「やるとしたら全年齢の縛りを入れるといいぞー。現地のヒトが親切だ」
「おねえ!おにいが意地悪する!」
「いや、あー。待ち遠しいで意地悪か。気がつけなかったな。悪い。ただ、成人向けの方はお薦めできないっていうのが強くて。
そうだな。…BLってあるだろ?
オレがお前らにその手の本貸してーって言うとしよう。そしたらどうする?」
茶碗と箸を置かれてしまう。妹よ。真顔は怖いぞ。
「…おにいが本気で読みたいなら貸すことも吝かではないけど、あたしの趣味に合わせてくれようとするだけなら、無理はして欲しくはないかな。あたしが楽しく読めても、アレルギー反応起こすヒトも多いよねってジャンルだし。そうだと分かっていても非難されたら反発しちゃうし」
「住み分けは大事。美味しいものは沢山あるから無理して食べる必要なし」
了解だから圧をかけるな2人して。
「オレが今までやってた『異界撹拌』はそんな感じ。万人受けしなそうでお薦めするのが難しいって点が。
いや、ゲームの流れとしてはありそうな展開だったんだが、五感の鮮明さが売りのVRゲームだと、オレが踏んだシナリオは結構キツかったから。
なんか他所は愉快そうなのに、なんか別のゲームしてないかってずっと不思議だったし。
全年齢で始めたら、チュートリアルは親切だし、いきなり地下道スタート追っ手がかかっている状態じゃないし、宿は清潔で飯は旨いし、カロリーバーと角砂糖と焚き火で焼いたキノコが主食ってわけじゃなかったし、なによりこの3日間、周りに死人が出なかったし!
やるんだったら、そっちがいいぞーって気持ちが溢れて」
「おにい、ハードなシナリオ引いちゃったんだね」
「ん、非凡な人生はいつも生き残れないから、やるなら全年齢にしとく。3年待てばゲーム機安くなるかもだし」
「あ、時間があるならTRPGのほうの『異界撹拌』でさ、シナリオ組んだから試験をかねて遊んでくれる?
今度GM回ってくるんだ」
TRPGはダイスとルールブックで遊ぶ、成りきりごっこゲームだ。
千枝の所属する文芸部の流行りが、家庭に持ち込まれてはや1年。
色々種類があるようだが、千枝のグループは主にクトゥルフを嗜んでいる。
会話がメインのゲームで遊んでいるから、年頃の兄妹にしては壁が薄いんじゃなかろうか。
「おねえとソレやると怖い神様に追い回されたり、人間として生きられなくなったりするからイヤ」
万里は地雷に躊躇わず踏み込むから。
「『異界撹拌』は冒涜的な神様はいらっしゃらないから平気よ?」
ジャン!と持ち出したルールブックの分厚さよ。
最近熱心に家の手伝いをしていたのは、これの購入資金の為だったことを兄は知っている。
「嘘だ!おねえに騙されてホイホイついていくと、邪教セミナーの潜入捜査に付き合わされた挙げ句、世界を救わされるハメに陥って、手を尽くしても力およばず世界ごとロストするんだ。そうだよね、おにい?」
そうだな。なんどお前の巻き込み事故に付き合わされたんだろうな。いあいあ。
「そういうゲームだ。ルールゆえ仕方なし。でも、たまにはハッピーエンドがオレも見たい」
「大丈夫!よっぽどトンチキなことをしなければ。剣と魔法の世界だし。
まーちゃんが遊んでくれるなら、お姉ちゃん、張り切ってマドレーヌ焼いちゃう!」
「おねえのマドレーヌ…」
普段から体を動かしている万里よりも運動量の少ない千枝は、おやつ類を節制している。そんな千枝のマドレーヌはうちのみんなの好物だ。
特別な材料はなにも使わず卵と小麦粉とバターと砂糖、それだけのマドレーヌ。
スポンジの木目が荒くて、どっしりとした噛み応えは、市販品にはない家庭の味だ。
「夜に教習所入れてあるから、それまでに終わるか?」
「予定は未定。こっちの支度が終わるまでテキストでもやっていていいよ。
免許取れたら車のせてね?」
バスの噛み合わせが悪い塾から帰りは、車が便利だ。
「軽トラで迎えに行ってやるよ」
ASV車は若葉マークの味方だ。
「おねえがキャベツと一緒に出荷されてしまう…!」
「素敵なヒトが買ってくれるといいな?」
「連れ帰るために車だすのに、なんで出荷しなきゃならん?
せめて貰われるなら志津子ばーちゃん並みに大事にしてくれる旦那にしてくれ」
志津子ばーちゃんはうちの爺さまの姉さんだ。
近所に住んでいて小さい頃から面倒みて貰ってたんで、うちの兄妹からしたら実質3人目のばーちゃんだ。
初婚は娘18花の盛り。
それから40年仲睦まじく連れ添って、旦那に先立たれてから5年後の去年。プロポーズかましてきた相手の家族に泣き落とされて嫁に行った。
うちの家系で2度も乞われて玉の輿にのったのは志津子ばーちゃんだけである。
「それは無理。性格のいい超絶美人がおにいに惚れて押し掛け女房になった上、美麗な布を織って貢いでくれる可能性よりまだ低い」
「結局、逃げられて終わるだろそれ」
「おや?」
把握した。
「今度のシナリオは異種婚姻譚ものか」
「『異界撹拌』の夢魔さんのビジュアル美しすぎて、つい魔が差して。日本サーバーじゃ戦争が終わったことだし。
たくさん背景素材描けたの楽しかった。ファンタジーっていいねえ」
文芸部にて千枝は主にお絵描き担当だ。本人曰く漫研とも美術部とも少し属性が違うらしい。
「…個人としては立派な人も多かったが、最初のヒャッハー組は殴りたい意思しかないんだが?」
「安心と安定の ボーイ ミーツ ガール ものです!
プレイヤーは周囲の便利なモブ役だけど!」
「え、だってあいつら両性具有」
「勇敢で心優しい少女と、運の悪い臆病ものの少年。
ダンジョンの攻略中、事故に巻き込まれた、2人は出会ってしまう。
生き残りをかけるダンジョン探索のなか2人は拗れてしまった種族間の壁を越えて友情を築くか、それとも恋に落ちるのか。みたいな?」
「王道だ!」
「ありきたりなテーマって、やっぱり好きなのよね」
ゲーム中、普通にありそうだなその手のシナリオ。
好きなテーマで遊べるのがTRPGのよいところだ。
この後やったプレイリザルト。
VRでやられたら、泣くしかないダンジョンからはNPC、プレイヤー合わせて4名、全員揃って生還し、勝鬨を上げた。
死地から生還したことで細やかながら名誉を得て、財貨を稼ぎ、新しいスキルも手に入れた。
「毎回こういうのならいいな!」
生き延びたぞ万歳と、万里も文句なしのめでたしめでたし。
しかし千枝が演じるNPCの少女がおっぱいのついたイケメンだったので、夢魔の少年は少女のところに思い切りよく嫁にきてしまった。解せぬ。
夢魔くんもなまじよい子だったから、隔意ある場所で生きることもあるまいと、下手に仲良くならないように、あれこれ正論パンチでいびってやったというのに!
「えっあれ、現役プレイヤーの視点から懇切丁寧にこれから起きる問題を潰してくれたんじゃなかったの?
お陰で新世界に飛び込む勇気を夢魔くんに与えてくれたんだけど!
………ハッピーエンドに持ち込めたから、文芸部のリプレイ集にプレイデータ寄稿してもいい?」
とは千枝の弁。
TRPG。ダイスは狙った数字を出してくれない。