88 田植え歌
35日目はよい天気に恵まれた。
ロケットを打ち上げるにはいい日和だったが、延期のニュースは昨日聞いた。
打ち上げ延期は、これで2度目だ。
どうも主宰地で、流行り病が猛威を振るっているらしい。
血液などから『免疫』らを上げてくれる成分を『抽出』できる飛竜素材は、よい災害見舞いになったそうだ。
「日焼けは体力を消耗しますから」
出かける前にサリーによって日焼け止めクリームをたっぷり叩き込むように塗り込められてしまう。
UVクリームくらい自分で塗れよと思うだろう、男子諸君。この手の品には、どうやら効果的な塗り方とかあるらしいよ?
オレの知らなかった世界だな。
だけど、サリー?
手順もそろそろ覚えたんで自分でやらせて………そうか、駄目か。
従者の仕事を取らないようにと、朝から言い聞かせられてしまった。
オレの顔や髪を弄るサリーが楽しそうなのは気のせいじゃないと思うから、ここは諦めることにする。
サリーがいない時は独りで身支度しているぞ?
ぐっとその突っ込みは呑み込んだ。
男って惚れた相手に弱いな。
サリーの姿なのにご機嫌な姿が可愛いのって、冷静に考えればおかしい気がする。
鋼のような肢体の玲瓏たる美青年とか、愛らしい要素ないのにどうも不思議だ。
四万八声。
一に太鼓、二に笛、三にささら、四拍子。
音頭取りのサンバイが歌った後に、早乙女たちが唱和する。
鳴り物や笛に乗せての田植歌。賑々しい響きの空の下、野働きするのは田植え綱を張る男衆に、揃った動きで苗を植える早乙女たち。
朝早くに出たつもりなのに、田植えは既に始まっていた。
ダンジョンの中では感じられない薫風に田苗が揺れている。
ひょっとして夜明け前からの作業だったのではなかろうか。
「ようこそいらっしゃいました。
あら、あら。こんな若さま、お嬢さまが参加してくれるのは嬉しいこと」
人足に食事を采配するオナリの女性が手を休めて出迎えてくれる。
「今日はよろしくお願いします」
代表として教官が挨拶する。
「はい、こちらこそ。では早速ですが、苗持ちからお願いしようかしら。
日除け帽に赤いリボンをつけている子は『体内倉庫』をもってないので、畔まで苗をお願いしますね。
それとそうね、その前に。皆さん、苗取りの経験は?」
オレが通った小学校では、水田授業があった。
だからリアルではあるけど、こちらではどうだろ。
「おかみさん、こいつら英雄症なんで一から説明してやってください。
それとリュアルテとエンフィ。こいつらはウィングブーツに『体内倉庫』持ちです」
「まあ!それは重畳、即戦力じゃありませんか。
それなら苗取りからがいいでしょうね。
綺麗なお召し物だから田には入れられないと思ったんですよ」
「いい服には間違いないんですが、こいつらのは蛮用でしてね。
なにせちょっと散歩に行かせたら世界宮子や飛竜、ユニコーンを引っかけるような奴らがいるもんで」
は?
ユニコーンはまだしも、誰だ世界宮子を転がしたの。
視線を飛ばすと笑顔が返るのがエンフィ、目を泳がすのがヨウル。
これはどっちだ?
「ま、頼もしい。やんちゃな若さまたちだこと!
皆さん、苗取りの手が増えましたよ!
教えてやって頂戴な」
冗談だと思ったのか、ころころ笑ったオナリさんは育苗箱から苗取りしている男集団に声を掛ける。
「おう、よう来た。ちびさんたち、こっち座れ」
「そこはターフからはみ出やしないか?」
「誰か、帽子もってきてやれ!」
「そっちの日除け、寄越せ、寄越せ」
「ぼっちゃんらはこの瓶ケースに座ってやるといいぞ」
「じゃ、おにい、私たちは早乙女さんになってくる」
「いってきますわね。お兄さま」
「また後で」
先に話を通していた弟妹は、長々靴姿も勇ましく颯爽と田んぼに出陣した。
田植えの基本は女衆の仕事で、男衆はその他全般が仕事らしい。
だけど、所持スキルによっては男でも田植えに参加しているらしい。
『体内倉庫』があれば、手ぶらで田植えやれるもんな。納得だ。
「それじゃ苗取り、やりまっしょ。
簡単だからね。育苗箱から苗を抜いて、こっちのトロ箱に方向を揃えて入れていくだけだから。
気を付けるのは、根のしっかり張ってない苗は避けておくくらいかな。
苗が足りなくなったら使うから一応はそっちもとっておいて。
こう……抜いたとき、みっしり根の詰まった長方形の苗になっているでしょ。こういうのがいい苗な」
老爺のしわしわの手によって、各々の頭に麦わら帽子が被せられる。
促されるままに苗をすぽっと抜くと、抜けていく触感が指に楽しい。
1マスに2、3粒ずつ種を撒かれて、それぞれの苗が小さな個室になっている育苗箱の、綺麗にそこだけが穴空きになる。
苗取りさんらの手元を見る。彼らは苗をかき分け下の方から横4列ほど手繰り寄せ、手のなかで1つずつ苗を抜いては全部揃えてトロ箱に移している。そんな彼らの足元は既に、ずっぽりと泥で汚れていた。
どうやらえぶり仕事終えて、休憩がてらの苗取りらしい。
「ウィングブーツに『体内倉庫』があれば田植えには即戦力と言われましたが、田んぼは他になにかしらのスキルも使いますか?」
「そうやねえ。うちの稲作は、田起こしや代かき、育苗箱の覆土には『地面操作』を使うんよ。
『種まき』『散水』『採取』『稲刈り』『乾燥』『脱穀』『精米』等々。
スキルを使う野良仕事は幾らでもあるなあ」
「『散水』や『採取』って何に使うんすかね?
田んぼには水が張ってあるし、『採取』と『稲刈り』は別のスキルっすよね」
ヨウルが疑問を口にする。
「『散水』は育苗の時に使うやね。毎朝たっぷり水やりするよ。
『採取』を使うは田んぼに生える草引きにな。腰を曲げんで済むんで人気やよ。
そこらのスキルがあると嫁や婿に困らんでええぞ」
「農業もやはり位階上げは重要ですか!」
「まあま、肉も食わせてやりたいしな。田植え『稲刈り』の時期はせんが、仲間内で組んでダンジョンにも詣でるよ。
安全第一で無理せん程度に」
この世界の人は神社の参拝のようにダンジョンを詣でる。
なにせダンジョンに神はいないが、行けば利益を与えてくれる霊験あらたかさだ。
特に人の手の入らないダンジョンは、容赦なく残酷な面を見せたりする。それは神仏のありように似ているかもしれない。
人にはどうしようもない自然を相手どる農家は今でも稲荷を祀るが、こちらの農民も一般街民よりもダンジョン詣でには熱心な傾向にある。
田んぼの基本は人力だけど、スキルの恩恵もあるから楽な部分も多いんだな。
農業系スキルはどうもこう、むずむずコンプリートしたい意欲が湧く。
正直、刺繍しているよりも『地面操作』でスギナの撲滅とか、畝上げをやりたい。今生じゃ持ってないからスキルを入れた後になるけど。
なんでかスキルあっても使わせてくれないんだよな。うちのオギ、っていうか農業部。あそこら辺、【素人にはまかせられないぜ】って圧がある。
きっと理由があるんだろうけど……いや、仕方ないか。邪魔なオーナーにはなりたくないので節制する。
どうしても農業したくなったら、まだ学生証のダンジョンキーホルダーのストックに余裕があるから、新しくプライベートダンジョン作ってそっちを開拓しよう。人待ち種なら眠る時間が長いオレでもなんとかなるし。
泥と水と草と、生き物の匂い。
太鼓、小太鼓、笛の音。
朝の田歌をBGMに苗取りをしているとしだいに無心になってくる。
オレらはこうして座り作業だが、音歌による振り付けには、腰を伸ばす仕草が取り入れられていた。
腰を折り、泥をかき分け歩く田植えは過酷だ。これは辛い、しんどそうだと思うのに、早乙女の歌声は朗らかで、不意に調子を外してはそこから明るい笑い声が弾ける。
女の人の笑い声がいいのはこんな時だ。
場の空気の彩度が上がる。
「おや、どうしたんですか皆さん、こんなところで」
そろそろ休憩になるだろうか、苗取りの手が慣れた頃に声を掛けられた。
誰?
ありふれた茶髪に、特徴のない顔立ち。
でも穏やかな物腰は好印象……って、そうだ!
この人、空軍さんじゃん!
制服着てないから分からなかった。ツナギ姿が違和感ないことときたら、プロ農家並みだ。
「今日は勉強させて貰っている。
卿こそ、その格好は?」
「こちらは実家でして、田植え休暇をとっての参加ですよ。
むしろ小官などは田働きの為に、空軍に入ることの後押しを受けたようなものでして。
そのような農家出身の同僚は多いですよ。15年奉職して、その先一生田植えが出来れば寄り道の元は存分にとれます」
「軍の備品を持ち出していいのか?」
それでいいのか現役軍人。
ウィングブーツって誇りじゃないの?
「ウィングブーツは軍の広報として、現役退役問わず田働きの使用は推奨されておりますよ。
米作りはサリアータの基幹ですから。
もちろん有資格者に限ってのことですがね」
へー。そうなのか。
うちのトップって、頭柔らかいんだな。
ご領主さまは、なんかもりもりと仕事をしている印象しかない。
「おや、知り合いかい。ミスト。丁度いいから教えておやり。
お前の分の苗はわしらが頑張って作るから」
「任せろじっさま。昼過ぎまでには終わらせてやるよ」
ミスト氏は身内用の話し言葉だと、農家の兄さんになるんだな。親近感ある。
「はは、そりゃあいい。女衆の耳目を浚っておいで」
軍人さんもとい農家の孝行息子が『体内倉庫』にトロ箱を仕舞っていく様子に習い、オレらも自分で苗取りした箱とかを入れておく。
「リュアルテさまお手を」
「ん」
靴に魔力を流して、魔力認証でロックする。
脛の部分が一度キツく締まって、丁度いいサイズで固定された。
サリーを支えに靴を履き替え、こちらも準備万端だ。
「いってらー」
ヨウルはピンヒール訓練が終わってないので留守番だ。
苗取りする感覚がツボったのか、熱心に作業をこなしている。
「まず最初に苗を植える深さとしては、2、3センチです。
浅いと転び苗になり、深すぎると分げつ、……いえ、収穫した時の米粒の数が減ります。
ウィングブーツの機能には『計測』がありますから、そちらを使うとよいでしょう。
後は『念動』で田植え綱のガイドを目安に植えていくだけです」
ミスト氏は空に浮かび、後ろ向きに進みつつ8列いっぺんに植えていく。
泥に足を取られないし、腰を曲げなくて済むし、これは早い。
下手したらリアル田植機より使い勝手がいいんじゃないか?
機械の入れない隅っこも人力だから問題ないし。
「まずはゆっくりやってみましょう。焦らなくていいですから」
ミスト氏はトロ箱を小脇に抱えていたが、オレは両手で持つことにする。
空に浮かび、ガイド通りに植えていくとオーケーが出た。
『計測』は田植えにも役立つんだな。
正直、ガイドがなくても植えられそう……いや、あったほうが楽だから、やっぱりいるか。
「はい、それでバッチリです。それではお互い頑張りましょう!
それとですが、農作業のコツは無理をしないことです。
疲れたと思ったら、周りを見ずに自分の体を労りましょうね」
すすすと離れたミスト氏が隣の田んぼで人間田植えマシーンと化してしまったので、その場に取り残されたオレらもぽちゃぽちゃ植えていく。
ウィングブーツ、バックで進むの初めてだ。
こんな機能あったんだな。
便利な家電、多機能過ぎて使いこなせない問題。
どうやらこの、ウィングブーツにも当てはまりそうだ。
そうしてオレらが2人で一反植えている間に、ミスト氏はその10倍以上の作業をしていた。
いや、オレらだって充分早いよ。泥に足を取られてないし、『体内倉庫』に苗があるから畔まで代え箱を取りに行かなくて済むし。
『体内倉庫』生物は入れるの良くないっていうけどさ、植物なら、種じゃなくても1時間くらいはへっちゃらだ。
だけどまあ、休憩に入った早乙女さんらがミスト氏に熱い視線を送っているのは順当だ。
仕事ができる男はモテるな。
早乙女さんは半分以上は元気なおばちゃんだが、うら若い乙女がいないわけでもない。
「若さまがたー!どうぞ休憩なさって下さいな。柏餅が届きましたよお」
柏餅とな。
リアルの季節は冬だから、半年ぶりの再会だ。
「ありがとう!この列が終わりしだい頂きたい!」
エンフィが返事をする。
そうだな。それがいい。
つい、ワーイと飛んでいくとこだったわ。失敬。
田植えが終ったのは遅い昼だ。
これで3か月後には、新米でついた餅が食べられる。
田植えの後はさなぶりが振る舞われたので遠慮なく相伴に預かった。
実をいうと田んぼの中を自分の足で歩いてみたかったんだが、そのうち機会もあるだろう。
なにせ年に3回米が取れる土地柄だ。
この辺はご都合主義のゲームっぽいな。
サリアータは常春。
夏は暑すぎないし、冬も寒くならない。なのに美味しい米が沢山とれる。
気温が不自然に安定していたり、植物が育ち易かったりするのは大崩落が起きるほどに野良ダンジョンが多いせいでもあるから、それらは一概にはいいことばかりじゃなかったりするのだけども。
サリアータは崩落さえ起きなければ古代の権力者が奪い合うような祝福された土地ではある。そう、崩落さえ起きなければ。
そーいやうちの爺さまの畑の野菜、旨いよな。育ちもいいしさ。
…あんまり育ちがいいもんで、冬にも庭の草刈りとかしなくちゃいけないのは、どうかと思うけど。
崩落注意地なだけはある。
祝いと呪いって字面が似てるよな?
嫌な符号だ。
いいね、評価、コメントありがとう御座います。
コメントは心の栄養ですね。潤います。
それと誤字報告、感謝してます。
もうちょっとなんとかしたいものですが、あんまり誤字が多すぎて、乾いた笑いしかでてきません。
いつも構ってくださって嬉しいです。