61 『増幅』
21日目。
今日も樵だ。
黒柿のトレントって、リアルでいうところの黒檀なんだって。
厳密には違うけど、同じように美しい縞模様が入る木材は、建材、家具材、楽器や武具の柄としても人気があるとか。
ちなみに『建材ダンジョン』の柿トレントは渋柿だ。
セットで魔蜂も巣くっている。
「蜂凄いですね」
雲霞の如く飛ぶ蜂は、空を黒く染めている。
なんのパニック映画かな?
これは、安全地帯から出たくない。
マスターのいないダンジョンは、管理が行き届かないとすぐ荒れる。
ミチミチに煮詰まったダンジョンが多いなと感じていたが、今回のは飛びっきりだ。
「繁殖しちまってるなあ」
参ったなと目をすがめた教官は、それでも怯んだ様子はない。
この余裕がある態度からして、狩りは決行なんですね。はい。
「蜂対策にエンフィに『減熱』の装具を発注したんですけど、どうしましょうか。『サンダー』だと、トレントがチェーンしますよね?」
今日のオレは杖持ちだ。
杖の名前は【氷鈴杖】。
水が凍るぐらいまでは気温が下がると、エンフィが太鼓判を押してくれたブツである。
蜂とトレントは分断して片付けたいところだ。乱戦は避けたい。
「そうだな。これだけの数なら打ち漏らしが出る。やめておけ。
冷気で鈍らせるほうがいいな」
教官が撤退を指示しないということは、手持ちのスキルで攻略は可能ということだろう。
冷気で鈍らせて、各個撃破。
堅実にいくならそれだが、数が数だ。
もう少し効率がいい方法はないものか。
「まず蜂の数を減らさないことにはなにも始まらないですね。
『減熱』を掛けます」
「その前にコートを着とけ。皆もだ」
おっと、そうだった。
『体内倉庫』から制服のコートを取り出して着込む。
フードがついたAラインの白いコートだ。手触りが滑らかで、軽くて暖かい。
上の学年になると、これがインバネスタイプのコートになるそう。
うん、バサバサしたデザインを着るには、ある程度身長が欲しいからね。
メイドさんらは襟のあるマントで、喉元に大きなリボンが付いたお揃いのやつ。
サリーはイケメンパワーましましのトレンチコート風。
そして教官は自前である。つよい。
教官が着ているお洒落なマントは、弱冷房が掛けられた暑さ対策なものなのだそう。だからむしろ1枚脱ぐ。
「リュアルテさま『増幅』を掛けましょうか?」
サリーが聞く。
「いいですか?」
「他人にバフを貰うのも経験だ」
「では、頼むサリー。
攻撃判定を食らわないよう、手近な巣の大気からゆっくり冷やしていく。皆もフォローを頼む」
「「「「「「はい!」」」」」」
『減熱』は『加熱』と対のスキルだ。
粒子の活動を緩やかにしていくイメージで発動させるといい。そうエンフィが教えてくれた。
ゆっくり、ゆっくり大気を眠らせていく。
サリーに掛けられたバフが、魔力の子守唄をより響かせ渦を巻く。
起点は蜂の巣周辺なのに、離れたここまで冷気が伝わり、吐く息が白くなる。
一番寒い冬の朝。霜柱が立ち、水盆が凍る。体の芯が固まり、強ばるような。
そんな寒さを構築する。
エンフィの『減熱』は星3ランク。それを付与した杖を道標に、蜂の羽ばたきを静かにしていく。
「もう一歩踏み込んで、下げられるか?」
教官の指示。
これよりもか?
目を閉じる。
慣れないスキルを吟味するのに、あえて切っていた『チャクラ』を回す。
サリーのバフに後押しされて、魔力の炉が赤く燃える。
体は魔力が巡って暖かいのに、それに反して気温が下がる。
1度2度。3、4、…5……6。
「もう、いいぞ。終わった」
ほっと、息を吐く。
深く集中するのに閉じていた目を開くと、夥しい数の蜂が、地面に落ちている。
ぞっとするような光景だ。
「さむーい!」
「凍ってる!カチカチ!」
メイドさんたちが楽しそうに拾ってくれているのが救いだ。
「エンフィのスキル、えげつない」
飛んでいる蜂ならまだわかる。しかし巨大蜜蜂の巣をまるごといけてしまうなんて恐ろしい威力だ。
『エンチャント』は掛けた本人の半分ほどの力を出せれば極上品。
それがこれだ。
『減熱』は冷蔵、冷凍庫やクーラーを作るスキルじゃなかったのか。
「やったのはお前さんだがな。
まあ、エンフィはダンジョンマスターじゃなければ冒険者でも軍人でも望むだけの地位にいける人材だからなあ」
あ、教官の目から見ても逸材なのかエンフィ。
「蜂の巣って、中まで凍りました?」
「お前さんが範囲指定かけたやつは、中に生体反応はない。
……柿のはちみつか。いいな」
「渋柿なのに渋くないんですか?」
そこは気になる。生の渋柿を口にするとうええってなるし。
「はちみつはこっくりして渋くねえ。ただ蜂は渋が溜まって食えたもんじゃねえな。蜂の子は甘くて旨い」
「……虫は、蜂の子は食べる勇気が足りなくて」
虫食には親しんでこなかったから、ハードルが高い。
「蜘蛛は平気だったのに意外だな。無理することはないさ。蜂の子なら食べたい口はいくらでもある」
メイドさんらも嬉しそうだから、そうなんだろうな。
でも今回はパスさせて。
だってあの蜘蛛はカニだったから。
5メートル越えると、昆虫っぽくないしさ。
蜘蛛は昆虫じゃないけれど。うにゃうにゃ。
蜂のスクショをパシャリ。
どう見ても大きい蜜蜂だ。単品でみるなら、胸元にファーがついていて可愛い印象。全長42.3センチ。体重1.2キロ。
あ、針の部分が生体金属だ。
「針は何かに使えますか?」
「魔蜂の針は『貫通』効果がある。武具に仕立てると中々いいぞ。鉄パイプ型の吸血剣なんかで、馬鹿でかい相手を失血させるのに使われるな。生産だったら布団針や千枚通しとかだ」
「なるほど。
あと、バフって凄いんですね。
ここまで温度が下げられるなんて、バフの力でしょう?」
オレは動きを鈍らせるまでが仕事かなって思っていた。
「サリーは腕がいいからな。今、星幾つだ?」
「『増幅』なら7です」
7なら達人クラスだ。お弟子さんが取れるレベル。
蜂は数が多いし空も飛ぶから、サリーも教官と同じく側で護衛してくれている。
「そろそろ人外に突入だな。リュアルテも借り物のスキルでよくまあやるが、バフのありがたみはわかったろ?」
「覚えた方がいいですか?」
「今日のところはサリーに掛けて貰って感覚を掴め。
お前さんは魔力が強いから、なんかの拍子に覚えるかもしれん」
「わかりました。よろしく、サリー」
「はい」
そうしている間にも巨大蜂の巣は撤去されて、地面が埋まるほど落ちていた蜂が回収されていく。
今日の予定は木材の確保なんでメイドさんの数ももりもりだ。
人海戦術はお家芸。でもこの時点で『体内倉庫』が埋まった子が出てくるのってどういうことなんだろ。
まだ木の1本も伐ってないのに。
『体内倉庫』格差があるからってのもあるけどさ。
「お前さんはレベル幾つになった?」
「19です。あと少しで20ですね」
「……これだけやっても19か。ダンジョンマスターが育たんわけだ」
「経験値は『魔石加工』に吸われてますから」
スキルの習熟度を磨くのにも経験値がいる。
「………ちょっと、待て。ここで今、『調律』は可能か?」
なにか不審な点でもおありで?
「『精製』まで終えた雫石の在庫は、レベル1のしかないので、床に座ってやりたいのですけど」
椅子に座るとひっくり返る危険がなきにしもあらず。
1.4以上の大きさになると、かなりきつい。
「よし、座れ」
どっかり胡座をかいた膝の上を叩かれる。
ええ?
助けを求めてサリーを見るが、はんなりとした笑顔。これは止めてくれない顔だ。
「あの、寒くないですか」
地面、かっちかちに凍ってますよ?
「オレは寒さには滅法強い。いいから座れ」
灰色熊だもんな!
「…はい」
なにこの羞恥プレイ。
仕方ないので膝に座る。とっとと終わらせよう、そうしよう。
『精製』済みの雫石を取り出す。
雫石のカラーは様々で、規則性があるようなないようなあやふやさだ。
今取り出した雫石は濃い青だが、高山エリアのものだったりする。
「『調律』」
ん?んんん?
なんか、いつもよりは楽だぞ?
いや、負荷はあるけど、こなせるレベル。
いつもが全力疾走なら、今回のはマラソンくらい?
胸が苦しくなる前に、するすると『調律』が終わる。
何事か。
確かめても雫石のクラスは1.41。いつもなら疲労困憊で倒れそうなレベルだ。
「終わりました?」
「レベルは幾つだ」
よっこらと立ち上がってステータスを見る。
「19ですが、0.5くらい消費してます」
「………『調律』がきついわけだ。ほぼ毎日レベルダウンしてるじゃねーか!」
そうですよ?
「いや………なんてことだ、お前さん。ほぼレベル0の時も『調律』させていたよな?」
教官が頭を抱えてしまう。
あー…なんか体力ない理由わかったかもだ。妹と比べても非力過ぎたもんな。
色々吸われてたんだなあ。
「つまり経験値を稼ぐと力がつくようになるってことですね。
良かったです」
「良くはねーんだが、くそっ!
知ってりゃやりようがあったってーのに」
「やってみなくちゃ判らないことってありますよね。
次代グループの時には、経験値をプールさせてからダンジョン潰しに行くこと。その教訓を得たと思えば」
そっか。『調律』がキツかったのは、スキルを使用している最中にレベルダウンが起きているせいだったのか。
最初から難しかったから、そういうものだと思い込んでた。
「すまなかった。リュアルテ、俺たちの失態だ」
「はい。その謝罪は受けとりました。許します。
だから頭を上げてください。
大人は絶対失敗しないなんて、思い込むほどもう子供ではないですよ?」
リュアルテくんも怒ってないし、いいっしょ。知らなかったもんはしゃーない。次に生かしてこーぜ。
「リュアルテさま。健康の為にも、経験値吸っておきましょうか」
くいっとサリーが蜂の群を指す。
怒ってます?
雰囲気が怖い。
けど、辺りに当たらないのがサリーの品良いところだな。
誰が悪いって話じゃないし。
「そうだな。またバフを掛けて貰えるか?」
これから『精製』だけはすぐやって、『調律』はレベル上げの最中でってなるのかな。
いくらなんでも、接待プじゃね?
蜂を狩るだけで、ほぼ午前中は埋まってしまった。
合間合間で安全地帯に撤退して『調律』をしたから、それに時間を食われたというのもある。
おかげで『精製』止まりで貯めていた雫石の『専有化』は殆んど終わった。
あとレベルが20になった。
初心者卒業レベルだけど、体力が雑魚なので実感が湧かない。
帰りしな柿トレントに『サンダー』をぶちこんで、メイドさんに濁った立つ跡を任せる。
今日は大入り袋の他に林檎ジャムもつけて、恐縮する班長に纏めて渡しておいた。ご賞味あれ。
この袋の中身も補充しないとな。
食べ物ばかりだと飽きるから、他にいい案はないものか。
午後は、明日からまた眠る期間に入るので、野良ダンジョンの沸き潰しをした。
「『調律』までだと、数をこなせますね」
途中で別れたサリーは帰りが遅くなるというので、ホテルの部屋で教官と一緒に夕餉を囲む。
その後は魔石の『精製』タイムだ。
じゃらじゃらしていると、小豆の炊けるいい匂いがしてきた。
妹らの仕業だ。水に浸していた状態の豆を買ったのだと、食事中に言っていた。
今日は市場も覗いたらしい。
おかげで結構な量の生鮮食品を預かっている。
「ノベル村のぼた餅はさらし餡なんだって。レシピ貰ったから、今日はそっちも作るってよ」
気になるって態度に出たのか、マリーが教えてくれる。
うちの婆さまのぼた餅はつぶ餡だ。
餡は市販品より甘くなくて、さっぱりとしている。
「ノベル村の出の方に『裏漉し』の付与品を頂いてしまいましたの。
母の遺品だけど、俺は料理が出来ないからって。あとレシピも少々。
礼状はわたくしが書きますので、お兄さまも署名していただけるかしら」
「ああ。ノベル村のレシピを募集の掲示を見てくれた人がいたのか」
「オルレアさまが仰るには、かなりの反応があったとか。
お礼の品はその時々で渡されるそうですけど、きっとレシピを一番使うのはわたくしですもの。お礼を申し上げたくて」
「わかった。やろう。
それとノベル村のレシピが溜まったら、本にしないか?
書店に伝手がある」
そう。マルフクの食い倒れ帖は、出版が決まった。
スポンサーにはなったけど、書店の反応も敏だったので、なくても出ていたような気がする。そちらも今から楽しみだ。
「いいですわね。1通り料理を作って、挿し絵も入れて。レシピを頂いた方にどのような時に作るものかも伺わなくては」
「おねえ、味見は任せて。『裏漉し』くらいなら手伝うから」
マリーは新しいオモチャに興味津々だ。
「そう言えば、マリーは『ライト』は覚えたか。覚えたなら次のを出すが」
「覚えた!次は『解体』が欲しい!」
うちの女性陣は逞しいな。
『洗浄』と『念動』があれば、『解体』は楽になるけど、匂い、グロさはそのままなのに。
「お兄さま、わたくしは『魔力の心得』を覚えたいですわ。
代金はなにを作ったらいいかしら?」
「餃子が食べたい。ストックしたいから出来るだけ欲しい」
うちの餃子は大蒜ニラ抜きで、生姜たっぷり。肉は鳥だったり、豚だったり。野菜もキャベツや白菜や紫蘇といった季節のものを入れている。
羽はないが底がカリッとしていて旨い。
つけダレは醤油とラー油と酢と胡麻油を混ぜた物がレギュラーで、後は薬味が入ったり入らなかったりだ。
市販の皮も使うが、手作りの皮のも妹は作る。
店のようにレシピの厳密さなんてまるでなし。ありもので作る家庭の味だ。
「一番シンプルなものなら作れますわね。
お兄さま、まーちゃん。キャベツでみじん切りの練習します?
餃子なら、包んでしまえば中は見えませんわよ。
余ればお好み焼にしてしまいますし」
「魔力が半分切ったら参加する」
預かっていたキャベツと生姜、卵に猪鹿のミンチを出す。後の材料はパントリーだ。
「生姜は全部出すのは多いか?」
20キロの箱のは流石に使いきれないだろ。
「んー。生姜は刻んでオイル漬けにしてしまいますから、300ccの瓶を作って頂けますかしら?」
オーケー。目玉焼きご飯のお供のやつだな。
「瓶は余分に作るから、クラスメイトに配る分も頼む」
料理は初心者だから、他で役に立っとこう。
瓶をにゅるにゅる『造形』していく。
「おにいのクラスの皆食べ物押し付けあってるの、なんで?」
マリーはキャベツを刻む。
手は遅いが丁寧な仕事だ。
チェルは粉を捏ねている。
時折小豆鍋の面倒を見るのも忘れない。『念動』は手が汚れている時に便利だ。
「食事の量が増えるからだな。お前たちも今は少ないが、魔力が増えると沢山食べるようになる」
「それは楽しみですわね!ふふ、稼ぎませんと」
「そういや、次から踊り子豆を相手してもいいって。
私たち、芝生エリアでメイドさん先生に棒術の取り扱いを習ってるじゃない?
白玉狩りの順番待ちしてる子も、一緒に習いたいって群がられたよ」
「親御さんの同意を貰ってからって、今日は帰されましたが次に行ったらカルチャースクールになってそうですわ。
ここの子たち、バイタリティーありますわね。
自分でお金を貯めて習い事をする姿勢は、見習わなくてはなりません。
きちんと形式が整ったら、わたくしどももそちらの1生徒になろうかと」
「いいんじゃないか。仲のいい友達が出来たら、サリアータのあれこれを詳しく聞いてみてくれ。
わたしは箱入りにならざるを得ないから、下町の事情には疎い」
「チェルエット、マリエール。
お前さんらが気に入らない相手が、リュアルテらを紹介しろと言い出したら俺が駄目だと言っていたと断れ。
反対にこれはと思う相手がいたらオルレアを通せ。
自分と家族を守ることを意識するようにな。
お前さんらの兄はダンジョンマスターなのだから」
「おにいは、えらいの?」
「未成年だから叙勲待ちだが、すでに男爵位相当だ。お前さんらのお父上、ノベル男爵と同位だな。
英雄症の上、なにかと多忙なダンジョンマスターだから宮廷行事の参列は免除されてはいるが、行きたいなら歓迎される身分でもある。行きたいか?」
ハハッ。ご冗談を。
「勉学中の身ですので。常識知らずが泳げる水槽とも思えませんし」
瓶は終わったので、次は妹ら用の『エンチャント』装具だ。
レシピ、子供むけも豊富なんだよ。
大きなガラス球のついた髪飾りなんて、一定の年の子までの限定の品だし。
『魔力の心得』や『解体』は、手を触れずとも発動出来るように、肌に生体金属部分か石のどちらかが触れる形がいいからペンダントにしよう。
『魔力の心得』はボールを抱えて丸まる猫の意匠。
『解体』は捻りの入ったハートに魔石を留める形だ。
「チェル、マリー。新しいのだ」
ヨウルのようにいい金属は使わない。庶民でもひとつは持つような年相応のものだ。
「わ!可愛よ!」
「…この年でもないと身に付けられないデザインですわね?」
うん。大きめのハートは魔法少女っぽさがあるな。
「大人になるまでにスキルを身に付けろと兄からの激励だな」
生活スキルの装具までなら、オレの奢りでもいいよな。
戦闘や生産は自分で試行錯誤したほうが楽しいから、乞われるまで手出しはしないとしても。
「ありがとう御座います、お兄さま。精一杯努めますわ」
「ありがと、おにい。つけてつけて!」
は?
リアルじゃ、んなことしないだろ?
チェルは『礼法』スキルからしてバリバリだけど。
可愛い末っ子。甘ったれ。
マリー、お前もアバターの影響強くないか?




