5 職員会議室は居酒屋で
「それでは皆さまお疲れでした!生徒たちの頑張りに乾っ杯!」
打ち付けられるゴブレット。ただし中味は麦茶とする。
食事処『豆々』のお通しは年がら年中豆押しで、今日もぷっくり膨らんだ枝豆が「うふん。ビールも冷えてるのよ?」と誘惑してるが、日も落ちきらぬ夕方5時半、新しく入ったお客さんはまだ我慢の様相だ。
「まずアタシに報告させて、クロフリャカちゃん、いい子だった…!」
総勢5人の担当者会議。
力瘤しのポーズも凛々しく立ち上がったのは、清楚なお嬢さんスタイルの女性だった。
あえて慎ましげに整えた身なりは、自らが色っぽい女であると意識あってのことだろう。
纏めた黒髪が艶やかで、母性溢れる胸元に引力がある。
「クロちゃんは6歳で英雄症が出て、現在12歳でしょう?
だから心が少し幼いんだけど健気でね。「お金稼いでお兄ちゃんとお姉ちゃんにオヤツを買ってあげたい」んですって!
聞けばお兄ちゃんたちもいい子で「クロちゃんは寝てばっかりで毎日ご飯を食べられないから」って、いつもオヤツをわけてくれるらしいのよ」
「意訳」
女性の熱弁に中年男が水を差す。
「クロフリャカ候補生は、善良なご両親に大事にされて育って、心身共に問題なし。
ただ本人の内面が育つまで、精神、生活両面から大人のフォローが必要ね。少人数制の女子寮、あそこに入れられるかしら。寮母さん、子育ての経験おありよね?
学習要項的には『精製』まで。
パーティー組ませて白玉狩りをさせたいから、条件合う子がいたら後でお話しましょ」
そいつは、凄い。
『精製』は『加工』のツリースキルで、滅多に出ないもんだと聞いた。
「英雄症が6つで発現なら、単純に計算しても心は7つかそこらか。親はよく手放したな」
ああ。なるほど、英雄症。
8日のうち、起きているのは2日か3日か。そのかわり、多彩なスキルを操ることを可能とする特異な才人か。
今どきサリアータでは珍しくもないし、冒険者としては大成しやすいそうだけど、幼い女の子がそうなんてのは、どうにも可哀想な話だ。
「親だからよ。身体は12の女の子。睡眠中、絶対起きない日が長い子よ?
村では誰もがそれを知っている。
今はまだいいけど、不幸があってからでは遅いわ。
ダンジョンマスターになってしまえば、眠っていても安心な部屋だけは手に入るから。
心配は杞憂でしたで終わるのが、一番素敵なことでしょう?」
「何処にも阿呆はいるからな。
悪心の芽は育てないに限るか」
頭を上げたのは乾杯の合図のあとも、書類仕事をしている男だ。
男性陣では年長組。働き盛りの悲しさよ。他者に任せられない重要な仕事を抱えているのか、いつも忙しそうである。
インク汚れの指先で眉間のあたりを揉み解す。
「次はオレのとこでいいか?
ヨウルは、空元気が得意そうな子だったよ。
常識の剥落は英雄症だからそうだが、当たり前のことを大人に尋ねるのが苦手…というより恥ずかしいみたいだ。早めに同じ境遇の仲間に合流させてやりたい。
身体的には健康で、狩らせるなら踊り子豆あたりが妥当だが、是非とも白玉狩り参加させてやってくれ。
あと、一度失敗したが『調律』までいった」
「おや、優秀。アリアンは『精製』まででした。
とても頑張り屋で、負けず嫌いでしたから。この子も特に見守る目がほしいですね。訓練中、魔力不足で倒れるのではないか心配で。外見はおっとりとした娘さんですが根性、努力、勝利。そんな言葉が似合いそうな子でしたよ」
まるで鈴を鳴らしたかのよう。
枯れた姿から出たとは思えぬ玲瓏たる美声だった。
ピンと伸びた背筋に、秋薔薇の香水。
襟高のドレスローブは魔女の証。
淑女然とした老女の報告に、皆それぞれに首肯した。
「アリアン嬢も女子寮案件で」
「異議なし」
「男子寮は後回しだな」
「校舎の建設すらまだだから、宿暮らしはいたしかたなし」
「次は俺から」
手を挙げたのは、冒険者装備の若者だ。
流石に得物は佩いてないが、赤揃えの拵えが凛々しくも頼もしい。
しかし見栄えする最年少の中身といえば当世風。軽さと若さとお馬鹿さを完備していて抜かりないことを場の全員が知っている。
ああ、青いな。こんなだったな。馬鹿な見栄ばっかり張ってたな。
そう、こなれた大人たちに在りし日を思いかえさせることで、懊悩と羞恥を覚えさせるのが得意技だ。
そして、それを知らぬは本人ばかりとくる。
「エンフィはなかなか凄いぞ、なんと『圧縮』までいった。もちろん雫石じゃなくて魔石でだけど、あれは正真正銘の才人だ。
本人は元気に「孤児です!」って申告してくれたけど、どこかやんごとなきお血筋のご落胤とかないよね?
なんかあの年で風格あるし」
「なにか問題が?」
「ない、ない!凄くいい子!
快活で好奇心旺盛で、しっかり者で!
得物の扱いなんて、どこで習ったか聞きたいぐらいよ?
俺、護衛じゃなくてまんま添乗員だったもん。
あの子だけなら、豆やキノコ、ピンク先生あたり通り抜けしてトレントあたりで危なげないよ。でも初心者用の魔物の習性とかダンジョンマスターの勉強も大事でしょ。白玉狩りコースには参加で。
エンフィがいいダンジョンマスターになれなかったら、こりゃ周りの大人が無能だなって、ちょっとブルっただけですーぅ!
…で、アスタークのオッサンとこはどうだったよ」
話を振られ、サイズの問題で特注の椅子を持ち込んでいる熊に視線が集まった。
「リュアルテは『調律』までだ」
何の共通認識か。
起こるどよめきに、熊はしたりと頷いている。
「しかも受け答えもちゃんとしていて、白玉も補助具を使いこなして一人で狩った。
クラスに混ぜるのはいいが、途中で休ませなくちゃならんだろう。調整頼む」
「なんてこと…!」
よろりと女性陣が口元押さえるが、熊は楽しげに追い討ちをかけた。
「ダンジョンでは、土仕事がしたいらしい。いい農家を探すよう上に頼まなくては」
「皆っ、今日は宴会ですよ!わたくしの奢りで!」
どんっ。
重い音が打ち鳴らされた。
誰より男らしく財布をテーブルに打ち付けたのは、取り纏め役の老婦人だ。
「試験勉強のノルマが終わってからな」
うん。そうね。
中年男の水差しに、一瞬、沸きかけた場の空気が鎮まった。
この5人、腕っぷし自慢の上に一芸にも秀でている。それが切羽詰まって仕事を回しているお偉いさんの目に留まり、土下座外交スカウトアタックに押し負けてしまった連中だ。
つまり根っからの御人好しの彼らは、専門分野なら一家言あっても、教員免許をもっていないと漏れ聞いた。
「子供たちを守れる引率が必要なんです」
「習い事みたいなものです」
「危急存亡の際なので」
そう無理を押したことで取り返しがつかない事態を起こす前に、処置をしておくのが賢い大人の処世術ということらしい。
そうして今日も彼らは資格取得のためのテキストを開く。
「…資格試験、俺キラーイ。スキルは数字で伸びてるのが直ぐわかるけど、試験はどれだけ勉強すれば受かるかわからんのがイヤ。
でも、どうやったのアスタークのオッサン。
俺さあリュアルテくんのハイ、イイエ以外の言葉、聞いたコトないんですけど。
やっぱ毛皮、毛皮なのか。
このモフが閉じた心を開かせたん?」
愚痴はこぼすが、テーブルの上を片付けてテキストを出してくるあたりが、青年が生暖かい目で見られがちな由縁だ。
「アスタークはモフというよりゴワだろ?」
「犬猫の獣人なら、人に寄り添うプロ種族だし、そこに居てくれるだけで癒し系の方もいるけど。
男の子は大きくて強いのが、格好いいってなるのかしら…?」
それはないぞ、お嬢さん。
居るだけで泣かせた子供は数知れず。
ガキの頃すら視線ひとつでなにも悪いことしてないオッサンを泣きわめかせ、ションベン漏らさせた常習犯だぞ、そいつ。
「わからん。俺らは『念動』でリュアルテの身体を動かすことで経験値を得させる算段だった」
老女の手元がペキリと鳴る。
「…医療班も心がない。いえ、これは失言ね」
思わず確認してしまった。その繊手は筆が握られているが、見間違いではなく先ほどとは違う万年筆を持っている。
…インクが飛び散らなくてよかったな。皆もが思っただろうが、なにも言わない。
位階が上のものほど力持ちだ。糸杉のような佳人とて、一騎当千の働きをする。稀に良くあることだった。
「どういうことかしら?」
「点滴うつのをいやがる子供がかわいそーだからやめさせるとか、命にかかわってくるよね普通にってコトじゃん?」
「…だから、失言だったと。ごめんなさいね、アスターク。医療の機微に乏しいおばあちゃんで恥ずかしいわ」
「『豪腕のエステル』もしくは『傷なしのエステル』。生涯医者要らずは相変わらずか」
「それは嘘です。流石にお産の時は面倒をみてもらいましたよ。もう何十年も前ですけど」
「え、歯医者とかも?」
「『洗浄』のツリーに『洗口』がありましてよ。若い頃に身につけて正解でした」
この人、奥歯を噛み締め過ぎて割ったこともないのか、羨ましい。
若者たちの沈黙は雄弁だ。
「俺たちに求められてんのは、その手の生きた知識なんだろうな」
「学識は専門の先生のほうが確かですもの」
「位階を上げれば天然物のスキルまで増えるよな。それとか便利そうなスキル石に飛びついて、メモリが足らなくなるあれそれとかの経験則?
失敗噺のストックなら、そりゃ売るほどあるけどさあ」
「スキル繋がりで聞きたいんだけど、英雄症の子って天然スキル多いって話じゃない?
クロちゃんはそうでもないからなんでかなあって」
「英雄症の発現は、大事なものを喪った時に出るのが通常だからな。
クロフリャカ嬢は違うだろ。それか発現する年齢が低すぎたか。
ヨウル、アリアン嬢は例の崩落で保護者のひとりが。
エンフィとリュアルテ。彼らは孤児院壊滅と、村全損の生き残りだ」
「いやな符号だこと。そう、クロちゃんは幸運な例外なわけね。
あーもう、この世はホント糞。
なんで普通の子が普通のまま幸せに成れないのかなあ!
記憶を失うなんて、酷いわよ。
お母さんの得意料理とか、初恋のあの子のこととか、周りの記憶がないから悲しくないね。英雄症なんて勝ち組じゃないのとか、そんなわけないじゃない。そんなの救済にならないわよ。
大人だったらいいってわけじゃないけど、子供の不幸は駄目。
あの子たちアタシの半分しか生きてないのに、なんでこんな目に合わないといけないの」
「こらこら麦茶で酔うんじゃない」
「酔ってないわよ!
英雄症の人って知り合いは大人ばかりだったから、苦労してるのはお互いさまねって済ませてきたのに。それが、子供だともうね。
…そう。これが年を取ったってことなのね」
「うら若い乙女がなにを言います。その台詞は子供を5人産んでからにしなさいませ」
「相手がいないわ」
「貴女なら、生活に問題はないですよね?
結婚しなくても、子宝は得ることができますよ」
「はい、そこの大刀自。妙齢の美女から結婚願望奪うのやめて。ほんと、やめて。それでなくてもスゲー男に女は群がるんだから」
「あら。女が家門を守るには、強い種が欲しいでしょう?」
「そこは男にやらせてやって、立つ瀬がないからー!」
ぱしん。
柏手ひとつ。
「今日のノルマは倫理と法律だ。
特にダンジョンマスターは利権が絡んでくるからな。法律を守った方が、人生楽だと納得させるのが重要になってくる。
お偉方が用意してくれた小難しい資料で俺たちは勉強だが、チビどもはな。
俺たちが教える初歩も初歩で、苦手意識が植わるのは困る。
まずはわかりやすさに重点をおくこと。法務から例題込みで話せるように事例集を借りてきたから、これを叩き台に勉強がてら、プリントも作るぞ。
出来物のチェックはプロに頼むから、早めに纏めてしまいたい」
「…うん、甲乙とか、耳慣れない単語から始まると、眠くなるよね。大人でも」
先生さんの卵たちは今日も賑々しい。
食事処『豆々』。店主は鍋を振るいながら目を細めた。
少しだけ獣が入ったこの耳は、聞くつもりがなくても噂話を集めてしまう。
都が半分も崩落した日。この世の最後と覚悟したが、有り難くも家族は無事で、こうして店には毎日へこたれずに頑張っているお客さんもきてくださる。
営業時間外に店を開ける手間などいかほどなものだ。
学舎が建つまでいつまでか。職員室がわりでも、会議室でも、好きに利用してもらいたい。
砂糖水がふつふつしたのを見計らい、落花生をザラリ流し込む。
隠す程度の塩はちょいっと。糖化して白い衣を纏った落花生はそれだけでも上等だが、今日はバターのよさそうのがあったから、キャラメリゼにしてしまう。
砂糖とバターが焦げる匂いは、毎日嗅いでも堪らない。
案の定、あの熊がこちらを向いた。
わかってる。お客さんにお出しするのは、冷めてカリっとしてからだが出来立て熱々も乙なもの。
鍋からトレイにぶちまけて、キャラメルが塊にならないよう箸でチョイチョイ落花生同士を離してやる。
ピンハネしたのを豆皿に取り分け運んでやれば、上がる歓声落ちるため息。
「大きな皿で欲しかった」
「お持ち帰り用の品なんだがねえ。これ以上は味が馴染んでからにしておくれよ。
そうだね。机の上のご用事がすんだころに運ぼうか。熊ちゃんの好きなベリーのお酒には合わんかな?」
飲み会はやることを全て済ませてから。
竹馬の熊のお仲間は、酒の美味しい飲み方をしっている。
それにしても、熊の奴。ぼちぼち皆さんを紹介してくれてもいいんだがねえ。
相変わらず気が利かない。
店主は内心ひとりごちる。
黒髪の姉さん、好みなんだが。