35 今日の温泉、炭酸泉
9日目朝は【ノベルの台所】に銭湯の箱を造る予定だ。
昨日はあれから0レベルダンジョンの沸き潰し行脚をして、雫石を集めてきたのでなんとか数も足りそうである。
数が足りなくなりそうになったのはヨウルが温泉の雫石をいくつか持ってたから、手持ちの2つと温泉の1つ換算でトレードして貰ったせいだ。
折角の銭湯だ。温泉がいいだろう?
ラムネのようにシュワシュワ弾ける二酸化炭素泉は、やや温めの心臓の湯。
アルカリ性単純温泉は、ボイラー要らずの美人の湯。
取り敢えずこの2つを目玉に男女日替わりで運用していきたいが、さてはてどうなるか。
温泉があまり流行らなかったら、従業員用の福祉施設にしてもいいかもしれない。
畑エリアを設定したら仕事終わりにひとっ風呂とかやりたいだろうし。
シャワー用の水源は、軟水の源泉の雫石がいくつかあるので、それを沸かして洗い場を造る予定。
他の雫石は残念ながら泉質チェックに引っ掛かったので、いつかやりたい拡張の際に素材にしてしまうことにする。
後は各々にパウダールームと脱衣場をつけて、共用の休憩所と洗濯室を造った。
銭湯は裸足で歩けるように、沓脱ぎ、靴専用ロッカースペースをつけるので3階出入り口は広々と取ってある。
それとだが、階段を造るとかなりのデッドスペースが生まれてしまう。
1、2階間はスタッフオンリーの標識をつけて従業員の休憩所を作ったが、2、3階間は食用品以外の倉庫予定だ。
いずれにしろオレの仕事は建築士さんの設計通りに箱を造って繋げるだけ。あとの内装は大工にお任せだ。
排水のチェックだけは念入りにして今日のところは終了になる。
あっという間に雫石が尽きてしまったのだから仕方ない。畑の準備はまた今度だ。
待機していたオルレアに報告する。
「浴場の床と湯船だけは造ってある。あとは頼む。
ダンジョンオブジェクトの汚れは一定期間で綺麗になる。その機能を浴室だけはいれてきた。
1日置きっぱなしの無機物は消去されるから気をつけて欲しい。
もちろん景趣用に植樹する場所だけは、その範囲から外してあるが」
床のタイルは濡れてもすぐ乾くダンジョン仕様。
白を基調に水色と薄い黄色を散らした菱形のタイルと、角を丸めた石の湯船は指定通りに造れたと思う。
タイルだけなら甘メルヘンな印象だが、壁によっては変わるだろう。
炭酸泉の大理石のほうは竹を、単純泉の御影石のほうは紅葉を植えるらしいから乞うご期待だ。
「畏まりました。折角ですので一番風呂と湯上がりのジェラートを召し上がっていかれませんか?」
ジェラートは持ち帰り用の硬いアイスとはまた違った滑らかさですよ。
そう誘惑されれば、否と答える筈がない。
「いいな、両方試す時間はないから、サリーはどっちがいい?
いまなら祖の姿でじゃばじゃばしても大丈夫だぞ。
わたしは炭酸泉にする」
「では、単純泉の方ではしゃいできます。教官殿はどうなされます?」
うん。手分けして使用感のチェックな。よろしくだ。
「入りたいのは山々だが、書き物の消化が終わってねえからな。休憩所になるところで仕事をしている」
「では、飲み物でも用意しましょう。
マスターと、サリーさまには、湯着とタオル、湯上り着等のモニターになっていただいてもよろしいでしょうか?」
そういうことで温泉だ。
忘れてたけど全年齢に引っ掛かるから、オレは誰かと一緒に風呂って入れないのでは?
モラルの装備なしだと人と会えないぐらいだし。
最初から別行動しかなかったじゃん。
空は春の花曇り。
こちら側は炭酸泉のぬるさに合わせて、気温もそれほど低くない。
あちら側は冷涼な秋の気候で熱めの湯だ。
かけ流しの炭酸泉は浸かっていると、泡がぷちぷち肌に付着して面白かった。
寝椅子フロアも、椅子にもなる湯船の足置きも滑りや引っ掛かりやらはなし。
こちらはなんちゃって大理石だが、サリーが行ったほうは黒灰斑の御影石擬きだ。色は違っても形は一緒だから、こちらが問題なければあちらも大丈夫だろう。
ダンジョンオブジェクトのいいところはメンテナンスいらずということだ。
朝の6時にリセットされて毎日新品の湯船に、源泉かけ流しの湯が味わえる。
炭酸泉の効果か、湯上がりの肌がさらっとする。
湯上り着にと渡された甚平擬きには、流水紋に青いトンボが泳いでいた。
それを着て休憩所を覗く。
すると待ち構えていたのは、既に身支度を整え終わったサリーだった。あれよあれよと捕まって色々とされてしまう。
化粧水と乳液と日焼け止めくらいならオレにもわかる。体に塗るのはボディクリームだっていうのもわかる。
でも、ほかのはなに?
大事なものなの?
マッサージは気持ちいいけど、手に塗るクリームと踵に塗るのって同じじゃ駄目なん?
おかげで、爪の先まで艶々だ。なんか爪の表面をヤスリにかけられて、鹿革で磨かれたんだけど、女子の手みたいになってしまった。
中の人の性別は教えてないけど、リュアルテくん男の子なんだけどな?
「ここまでする必要あります?」
「俺は純血の熊族だから、人の身支度はよくわからん。…まあ、ブラッシングは重要だな」
そんなものか。
諦めてなすがまま、丁寧に髪を櫛削られる。やることないのでステータスを確認していると『美髪』スキルの数字がにょろりと伸びているのに気付いた。
効果覿面ですと数字に告げられてしまった。
あっ、はい。ナマ言いました。サーセン。
「主が綺麗にしていると、達成感があっていいですね。
人に従属する犬族の喜びなんて、今までピンとこなかったんですけど、これが本能か!となりました」
ブラシ片手にサリーの満足気なことったらない。
「サリーがしたいのなら、いいが。
それなら女の子に仕えようとか思わなかったのか?
女性なら色々着飾れてもっと楽しかったろうに」
おや、サリーの眉間にしわが。
「出会って直ぐの人間にコナをかけるような方を主にするのは嫌です。
私もそれなりに癖がありまして、自分から触れるのは平気ですけど、他人から触れられるのが……かなり苦手なので」
「お前さん、モテるもんなあ。若い男が女遊びイヤがるなんてよっぽどだろ」
「教官殿の奥方のような慎ましいレディとだったらご一緒するのは嬉しいですよ。
積極的すぎて問題を起こす方々が嫌いなだけです」
「はぁ?!お前さん熊でもいいのか?!」
教官こそ奥さん言い寄られていいの?
「可愛らしい方じゃないですか。料理上手で奥ゆかしくて。貞淑な人妻はいきなり服を脱ごうとしないので、ありがたいです」
あ、違う。これ友達として安心なやつだ。
「サリーはそんなにモテるのですか?」
「モテるな。この顔、この位階だ。種族もいい塩梅に混じっている。
祖の姿はお前さんも見たろ。
転変した姿が整合して美しいのは獣人にとっての何よりのステータスだ。
もちろん転変できるまで位階を上げた男というのもポイントでもある。
サリーならダンジョンマスターの側に侍っても、文句のつけようもなかろうよ。
リュアルテ、お前さんラッキーだったぞ」
「そうなんですか?」
「お前さんらの年上クラスは、サリーと顔見せの段階で随分色めき立ったそうだ。なのでサリーのほうからお断りしたらしい」
「わあ」
そこまでかサリー。人の苦労は見えないものだな。
「清らかでいとけないマスターに仕えるのは良いものですね」
うーん?
確かにオレの場合、全年齢が仕事しているから、人の魅力を感じるセンサーにフィルターが掛かっているのかも。
それが気安いってならなによりだ。
ああ、そういえば。
「人に触れられるのが嫌なら、昨日サリーを寝椅子にしてしまっただろう?
辛くはなかったか?」
「いえ、それが。多分貴方が眠られていたからでしょうね。
幼い主の眠りを守る番犬の務めを堪能させて頂きました。
私にも父性愛らしきものがあったかと驚きましたが……思春期以来、接触嫌悪の気が出てしまって難儀をしていたので。
私でも大丈夫なケースがあると知れて幸いでした。
いずれ、少しずつでも解消していきたい問題ですので」
そうか。前向きなのは良いことだな。
「苦手なのは相手から触れられる時だけなのなら。
慣らしに握手でもしてみるか?」
「では」
オレのほうから手を握る。
シェイクハンドだ。1秒、2秒。
そこでザワリと鳥肌が立つ。
なるほどこれは厄介だ。
サリーの弱点克服には、暫く時間が要りそうだな。
【ノベルの台所】オープン時間前にはダンジョンを出る。
ダンジョンモニュメントの外側もベンチや花壇が整備されて、昨日はギリギリ間に合わなかった看板も掲げられていた。
朝はダンジョンの前で、ノボリを立てたワゴン販売の弁当売りが、唐揚げ串やら出来立ての豆乳やらお握りやらを売り捌いている。
長い行列こそないが、客の途切れもない様子。
ダンジョン内で調理すれば、オーブン施設等にかかる魔力はタダだから、なかなか商売逞しい。
ダンジョン内部の植樹なども、もう既に終わっている。このスピードなら、きっと風呂の設営もあっという間だろう。
そう予測が立ったので、都合が良ければ寝ている間に湯屋はオープンしてしまっても構わないとオルレアに告げておいた。
明日からはこちらの世界換算で5日ほど起きない予定だ。
なにせオープンしたてのダンジョンはどこもかしこも大盛況らしい。
手ぶらで行けて、ちょっとしたお小遣いになってストレス解消になるのが良いらしい。
勿論それもあるのだろうが、大穴の傍で暮らすとなると、何かしないと不安だというのもあるのだろう。
いつもならダンジョンにはいかない層の時事的なニーズに嵌まっただけな気がする。
オルレアが銭湯やらを持ち出したのは、一時人気だけで終わらせないという戦略だと見た。
ここでサリーとは別行動だ。
サリーはスキルの講習を受けに、オレは位階上げにダンジョンへ行く。
なんてことはない。ビリビリ棒に使う魔石が足りなくなったので、必要にかられてのトレント狩りだ。
適正レベルには位階が少し足りないが安心安定の壁、熊教官の存在と、トレントは『サンダー』がよく効くことから許可が出た。
荷運び要員としては、犬族の中でも『体内倉庫』を育てているメイドさんたちが付いてきてくれる。
これって時間外労働なのでは?
そう聞いたら笑顔でレジャーです!との言葉。
たぶん雀撃ちほどは楽しくないぞ?
そのうち、本当に何とかしよう。ボーナスとかで。
【駅】を乗り継ぎ辿り着いたのは『材木ダンジョン』。凄くわかりやすくていい名前だと思う。
これも官営ダンジョンだ。
ダンジョンマスターが居なくなっても、整備されたダンジョンが残ってくれるのはいいよな。
きちんと予約を入れたので、大きめだというダンジョンフロアに通して貰えた。
1歩、扉から出ると前方には森が広がる。
ダンジョンはゲートを要にした扇の形状だ。
見渡す限りの緑の海。これが、全部トレントなのだからたいしたものだ。
腕がいいダンジョンマスターだったんだろうな。雀のも、木材のも。
「この森って、どこまでなら削っても良いのですか?」
「『体内倉庫』が埋まるぶんだけだな」
「どのぐらい入る?」
メイドさんらに一応伺いを立てて見る。
「サイズには自信あります!」
「トレント材を市場に流すです!」
「おかわり要員もすぐ都合がつきます!」
「マスターのちょっといいとこ見てみたい!」
誰だ飲み会っぽいノリのやつが1人いたぞ?
うん。いいとこ見たいとコールされたから、力を尽くすとしようか。
トレントは丈夫で腐食に強く、木目美しい建材になる。
前世、王都の復興イベントでトレントには大変お世話になった。今世でもお世話になるだろう。
パリパリと放電するとトレントがざわめく。
そう、こちらに来るといい。
誘うように手を差し伸べる。
『チャクラ』を回すのも慣れてきた。『魔力の心得』も動いている。2つの歯車が噛み合って、体の中を魔力が巡る。
大出力は必要ない。
適切に使う分だけ、細く広く網を編む。
髪の毛が雷光に染まる。
さあ、一網打尽だ。
「『サンダー』」