33 鬼ヶ島は天国たりえるか
「ああ、そんなに身構えないでくれ。今回の僕はまだ綺麗な体だ」
アスターク教官が前に立ち、凛々しい老婦人が突如として現れ、女子2人を軽々と抱え込んで後退した。
「僕だ。ゲルガンだ。
忘れてくれてはいないよな?
【悪霊よけ】が施行されて以来、会いに行けるやつが減りつつあるから、本命のお前を探し出すのは間に合ってよかった」
その男の視線はエンフィを捉えている。
怖い。そしてキモい。
ぞっと鳥肌が立つ。
だからなんで転生して姿形名前生い立ち全て別人になっているのに解るわけ?
特にエンフィはお嬢さましていたはずじゃん。なんで気付くの?
「そのゲルガンが私になんのようだ?」
「うん?
【悪霊よけ】にお前が気がついたら、2度と会えなくなるだろうから話に来ただけだ。
下手に彷徨かず、ギルドを見張っていて正解だった。
本当は殺したり殺されたりしたかったが、お前が育ってないのが残念だ。
なあ、なんでお前、転生したんだ?
お前みたいに、強くてきらきらしたのそうはいなかったのに」
ヨウルが口を押さえる。わかる。気持ち悪いよな、こいつ。
淡々とした口調が、底無し沼から伸びる手のようでホラーだ。
「さて。話をしたいというなら私も聞こう。何故、君は人を殺す?
そして何故わざわざ私の前で事をなそうとする?」
エンフィ、なんて不憫な。
「鳥は空を飛ぶのを許されるのに、
魚は泳ぐのを許されるのに、
僕は人を殺すのが許されなかった。
人として産まれたのだから当然だ。僕にも理性や常識はある。
それがどうしても苦しくて辛くて。思い詰めて自殺を試みたこともある。僕の行動を不審に思った親に見つかってしまったが。
こんな人間を育ててしまったことだけは知られたくはなかったが、父は言ったよ「自殺はやめろ。どうしても人を殺さなくては生きられないなら、俺から殺せ」と。母は言った「父さんの次は母さんであなたは最後。それでお仕舞いよ。約束してね」と。
僕には出来すぎた両親だ。
なんであの2人からこんな悪魔が産まれてしまったのかわからない。
安易な道を行くなと咎められて、カウンセリングも通ったよ。どの先生も親身になってくれた。
なのに俺は変われなかった。真っ当な人間になれなかった。
そんな時にここを知った。
天啓だと思ったよ。
ここに降りて初めてまともに息をつけた。
だからこの世界には感謝している。
僕は人を殺したくてしょうがないだけの屑だから、出来れば僕を殺しにかかるようなやつだけ相手にしたかった。
だけどそんな底辺はそう見つかるものじゃなかった。それだけ残念だ。
だから次に目を付けたのは英霊だ。殺してもそのまま甦ってはくれないが、精神だけは転生するからな。中には僕を殺してくれるような強者も混じっているのがとてもいい。
産まれは現地の者と同じでも、英霊が入る体はほぼ死体のようなのだろう?
精神は何度でも転生する。死体ならもう一度殺しても、生きている者を襲うよりマシじゃないか?
なるべく選んで殺してきたが、時々どうしても、こんな俺が生きているのが許されてしまうのか。やはり死んだほうがいいのではと自問することがある。
そんな時は、1度誰かに殺して貰ってリセットすることにしている。
断罪されるなら強くて、真っ当に生きている人がいい。
…お前は僕を捉えても、1度も殺してくれなかったが」
耳が滑る。うっわ、聞きたくない。
エンフィ、話を振ったこと後悔しているだろうな。
でも時間稼ぎだから仕方ない。
何しろ昼間のギルド前だ。
避難する人、装備を固める冒険者、盾を構える警備の制服、それぞれに流れが渦を巻いている。場を固めるまでは我慢だな。
「死亡したら、甦ってしまうからな!
苦労して捕まえたのだから、刑期を全うしてくれてもいいと思う!」
「それは駄目だ。耐えきれない。刑務所にいたら刑を償っている最中の輩を、誰彼構わず殺してしまう。
刑務官のほうは、罪人ではないからまだ我慢できるが、僕はこんなに苦しんでいるのに同じ屑が大きい顔をしていると、恨めしくて八つ当たりをしてしまう」
なるほど。刑務所で皆殺ししたから、ゲルガンの名前がなまはげ化したのか。
「お話し中失礼。つまりあなたは殺されることに拒否感はないのですね?」
サリー?
「僕が殺したいのに、相手は駄目だってことはないだろう?」
妙に公平だなこのPK。
政府ちゃんがデスペナ重くしてるのってゲルガンみたいなのとか、やたら血の気が多い鎌倉武士みたいなのが出てきて欲しくないなあってなことなのかも。
VRで人命が軽いことに慣れたら、あまりよくないタイプの人間もいるんだろうと想像には難くないし。
「了解です。それなら【鬼ヶ島】に居を移されたらどうでしょう」
「なんだと?」
「【鬼ヶ島】は殺人鬼が落ちる場所です。人は木の股から産まれ、外に出るにはひたすら徳を積み重ねるほかは救いがありません。
最低限の物資調達システムはあるようですが、住民は人に仇なした悪人ばかり。衣食住を揃えるのにも手間がかかるでしょうね。
でもあなたには丁度いいのでは?」
つまりスーパーハードモード『異界撹拌』?
そんなのがあるのか。
「なるほど、僕に相応しい。悪種は取り除くに限る」
「千の子供を食らった鬼女が、改心した例もあります。
だけど、今は無理なんですよね?」
「そうだな。睡眠欲と食欲の次に殺人欲がくる状態だ。
性欲ならばパイプカットするなり対処があるのにな」
だからいちいち気持ち悪いな!
「契約書をよくお読みになった上で同意してください。
そうしたら【鬼ヶ島】への門を開きます」
なんのスキルに依るものだろうか。
サリーは燐光放つ巻物を、1巻き空に出現させた。
ゲルガンの前にざっと広がる。
「襲ってきた相手を撃退するのなら正当防衛です。
可能な限りいい子でいることをお勧めしますよ。
この巻き物は蜘蛛の糸。
貯めた徳によっては魔石で買い物が出来ます。
強制的に【鬼ヶ島】送りされるとつかない特典ですから少しだけお得ですね」
ゲルガンはじっと巻き物に目を通している。外装アバターは無視するとして、雰囲気は何処にでもいる普通の男だ。
むしろ真面目できちんとした、そんな印象しかない。
「なるほど、これは孫悟空に嵌める禁箍児なのか。いいだろう」
やがて親指をがりりと噛んで、巻き物に血印を押した。
そこでゲルガンが寸鉄帯びない、全くの無手であることに気付く。
ゲルガンは常に大振りの刃物を持った男だという話だったが。
今生では殺しはしていないというのは、あながち嘘ではないかもしれない。
……その空いた時間でエンフィを探していたのか。うわあ。
巻き物が光のリングになってゲルガンの頭部を捉える。
「僕は質問に答えたぞ。なあ、お前が転生したのは僕のせいか?」
「自惚れるな。ただの殺人鬼が人の行動を左右できると思うなよ。
君が生まれた場所で大切にされたのは、君がどんなに苦しんでいてもそちらの道に走らなかったからだ。ここでは違う」
「そうか。お前に消えない傷をつけてみたかったんだが、ああ、残念だ…」
ゲルガンの姿が陰に飲み込まれる。
その一瞬。
バン!と打ち出されたソレを教官が掌打で弾き飛ばした。
銀色のなにかがひしゃげて地面に落ちる。
「釦?」
そんなものであの威力か。
アスターク教官が庇ってくれたので、無傷でしてよ。ざまあみろ(震え)。
指弾なんて、リアルでやるやつ初めて見たわ。
「なんで、わたしが狙われたのですか?」
「今生ではエンフィと兄弟だと誤解したんじゃないか?
同じエルブルト系でパッと見似ている」
教官はゲルガンのもう消えた影を睨んでいる。その逆立った毛並みをぽふぽふする。
「ありがとう御座いました。おかげで無事です。
サリーもお疲れ。格好よかった。なんだケルベロス系だったのか?」
冥府の番犬や神さまは黒い犬の印象だ。
サリーは白いからそうだとしても亜種なんだろう。
「それが、鱗と、犬、木人が入っているのは確定ですがよくわからなくて。
あっても役に立たないと放置していたスキルに出番があると困惑しますね。
……。
送り先は【鬼ヶ島】という名前ですけど、やはり地獄の事でしょうか。
まあ、マスターにちょっかい出された従者としては、順当だったと言うことで」
いざという時しか役に立たないスキルってあるよな。その癖取ろうとすると何故かコストが重いヤツ。
さて、と。
「エンフィ、大丈夫か?」
聞くなり、がばりと抱きつかれた。
そしてぎゅうぎゅう絞められる。
「あいつ!気持ち!悪い!」
お、おう。
「生来の気質には同情しよう!しかしだ!
なんで私や身の周りにちょっかいをかけるんだ!
もう、もう、やだ、2度と会いたくない…」
肩に額がグリグリされる。よーしよしよし。
目一杯気丈に振る舞っていたけど、あの濃厚なエネルギーを向けられたらきっついよな。
「気持ち悪いのはサリーがナイナイしたからもう安心だぞ。
サリー、あいつ出てくるのにどれだけ時間がかかるかわかるか?」
サリーはステータスを確認して呻く。
「最速でも千年で出てこれたら………ああ、凄く早いんじゃないですかね。
あれ、どれだけカルマ貯めたんですか」
「サリー、そのスキル他の悪霊にも使えるのか?」
「私が発動させる場合は、条件が厳しいので、どうでしょうか。
まず英霊でなくては、必要ありませんよね?
大勢の人を殺したり、苦しめた人でなくては門は反応しませんし、沢山人を殺すようなことをしても、人に支持されている人も駄目です。群れのリーダーは時に非情な決断を強いられるからでしょうかね、これは。
……難しいでしょう?」
「まったくないって言いきれないのか嫌だな」
「おっしゃる通りで。伝家の宝刀は抜かないに限ります。
まあ、あの方には向いている場所ではないでしょうか。
他の異界とも一方通行で繋がっているので狭い世界ではなさそうですよ」
地獄は外国とも繋がっているのか。グローバルだな。
えらい変態を出荷してしまった。
いや、世界は広いから案外小粒な感じで紛れるのかも。…イベントでもそんな場所には行きたくないな。もしあったら欠席しよう。
「……サリー怒ってる?」
なんか難しい顔をしている。
「そうですね。地獄行きは喜んで受け入れるのに、後足を濁す真似をするとか、余程エンフィ殿に執着しているようで、ちょっとエグいな、と」
「ああ、あの気色悪い、覚えていてねアピールか」
「そこの主従、余計なこと言わない!エンフィ泣いちゃうでしょうが?!」
いいこと言うな、ヨウル。
「よし、エンフィ念のために【悪霊よけ】もしておこうか。あの粘着具合からして、何かの間違いでうっかり里帰りする機会があったら「きちゃった♡」される可能性もある」
そっと、ありそうな展開を吹き込んでおく。
この際、エンフィには泣くほど反省して貰うことにしよう。そうしよう。