327 責任の在処
河西に辿り着いて、明けて翌日。
『今日の河のほとりは、まだ初夏だというのに、ぐんぐんと気温が上がっています。
いやあ、お暑い!
今年も新しく夏がやってきました。
まるでとろ火で熱した鉄鍋のようですね。
昼の休憩は終わりましたが、急遽予選の取り組みの進行は観客席整備のために一旦休止となっています』
冒険者ギルド内は空調が利いて涼しいが、どうやら外はカンカン照りのようだ。
ホープランプの初夏は、湿度が低い。だから気持ちよく、カラリとしている。
日差しこそ苛烈に降り注ぐが、その恵みを浴びて繁った木の陰に入れば、風は爽やかに吹き抜ける。
しかし、たまにはこんな暑いばかりの日もあるようだ。
ゼリー山脈の中腹は、雪が残る寒さだったのにな。
トンネルを抜けただけで、季節が反転してしまっていた。
モニターから流れてくる太鼓の音に、自然と耳目が吸い寄せられる。
冒険者ギルドホールには、特大モニターが設えられてあるのだ。
それは河西の今を映す。
『急な工事なんですね?』
『はい。只今開催されている本場所予選は、見物客も長丁場になります。
熱中症の予防に、急ぎ一般観客席にも屋根をつける工事が始まりました。
午後からの力士の卵の奮戦を楽しみにしていたファンの皆さまは、チャンネルはそのままお待ちください』
『雨が降らないだけ良かったですねえ』
『雨が降ったらお休みですよ!』
『本場所は屋内競技場が完成してから、そのこけら落としとして開催されます。雨天休止はこの夏の予選だけの記憶になりそうですね』
『ははあ。そう言われると、なにやら風情があるように感じます』
モニターに映る土俵はというと、会場設営の隙間時間を利用して、相撲の知識を啓蒙するべく、悪童太郎山と模範次郎海の両名による模範試合を行っている。
なので危うく吹き出しそうになった。
背中から逃げ出し掛けた猫を捕まえ、被り直す。
この愉快な力士たちときたら、ふたりとも紙袋を被った覆面姿だ。
甲殻人は甲殻に特徴があるので、わかる人には中の人がバレバレである。
やっつけ仕事ぶりが凄い。
その取り組みでは覆面力士の悪童太郎山がコミカルに相撲における反則技を繰り出しては、その都度、司会の行司に身振り手振りでダメ出しで注意されている。
『おーっと。片手で喉を掴むのは、のど輪といい、相撲の技のひとつとなります。しかし両手で相手の喉を絞めてはいけません。注意ですよ!
だからあのような場合も反則となります』
『悪童太郎山は、懲りませんねー』
『んん、なにやら呼出しが登場してきましたが』
『軍配を預かり、代わりにハリセンをソッと差し出しています。
ハハハ、やらかした悪童太郎山は行司にハリセンで尻を叩かれてますよ!
とうとう【カンニンフクロ】の緒が切れたようです。
公正な行司を怒らせるなんて、悪いヤツだな、悪童太郎山はー。
模範次郎海はドン引きしてます』
『なんてご褒美……いえいえ、なんでもありません!
明日の力士を目指す皆さんは、悪童太郎山のように行司を困らせることはやめましょうね!
放送席との約束ですよ!』
相撲にとっての禁じ手を解説さんらがざっくばらんに噛み砕いている。
寸劇の途中台詞が棒読みだったりするのがまた可笑しい。
またホプさんたちが、楽しそうなことをしてる。
後ろ髪を引かれるが、この後は予定がある。残念無念。直接見に行くのは自重しなきゃだ。
「ご無事の帰参、祝着に存じます」
河西冒険者ギルドの会議室で待っていた夏草少佐だ。
オレの姿を認めると、初めて会った日のように畏まって膝をつく。
あの日とは違うのは、もうお互いに、知らない相手ではないということだ。
「ありがとう」
負の感情を見せないバリアに、薄く微笑む。
少しずつ馴染んでいった相手に、こう改めて畏まられると、拒否の一線を引かれたような錯覚を覚える。
愉快な相撲ファイターたちの寸劇でぬるく緩んでいた気持ちの温度差で、心のグッピーが死にそうだ。
頑張れ、オレのグッピーたち。
「遅れて済まない。随分待たせてしまったようだ」
「はい、いいえ。お疲れだったのでしょう。無理をなさらず」
夏草少佐たちとの面会は、午前中に済ませるつもりが午後にずれ込んでいる。
理由はオレのうっかりだ。
昨夜から昭和世界は、シナリオの根本見直しのため、長期メンテに入っている。
当然配信もストップだ。
それをいいことに幸と下らないことで駄弁っていたら、いつの間にか寝落ちして起きたらすっかり昼だった。
自分でも吃驚するぐらいの、とんだ寝坊だ。
………ゲームをしないと夜更かしになるな!
でも、みんな。起こしてくれてもいいんだぞ?
特に幸。
朝早くから、日課のジョギングをこなす余裕があるなら放置せず、起こして誘えよ。
同じ部屋で、ごろ寝をしていたんだからさ!
健康なのに心労があるだろうからと配慮され、オレが起きるまで待たせてしまった事実が気まずい。
違うんだ。単に寝坊をしただけなんだ。
河西に流入している甲殻人は、プレイヤーだったり、そのゲーム配信を視聴したり、TRPGを嗜みつつルルブを読み込んで来たりで知識を仕入れて訪れている。
レベルが低い日本人は、同レベル帯でも甲殻人に比べたら、圧倒的に儚くはある。
一面の事実が広く浸透しているので、そういった常識に引き摺られているきらいだ。
でもさ。
レベルが上がっている奴はいっぱしのゴリラだ。そういった気遣いを、外してもいいなと思うのよ。
真実虚弱だったリュアルテくんと違い、病弱詐欺を働いているようで、居たたまれなくなる。
「あなたたちにも心配を掛けた。
話をしたい。そう畏まらず、皆も椅子に座ってくれ」
「はっ」
「では、お言葉に甘えまして」
場所の移動を促すと夏草少佐と民間人代表の淑女が部屋設えの卓につき、涼風少尉がその後ろに立つ。
会議室の円卓って、オレは好きだな。上座下座を考えなくて済む。
「まずは謝罪をさせてください。こちらの不手際で大変なご迷惑をお掛けしました。
この件で訴えがあるのなら、全面的に受け入れる用意があると上からの意向を預かっています」
固い声音だ。
夏草少佐や涼風少尉は襲撃事件当時、河西ダンジョンの10階エレベーターを敷く前の事前調査をしていた。
彼らは事件現場にはいなかったのだ。
それは事前からの段取りで、上のサインもある仕事だ。彼らになんの瑕疵があるわけでもない。
だけど夏草少佐は、両方の二の腕の甲殻を新しく金継ぎした隣の淑女さんよりも余程、憔悴しているようだった。
軍人と民間人じゃ、立ち位置が違うもんな。責任も。
「よい。あの襲撃に関しては東ホープランプ、諸都市の責に非ず。
狼藉には報復で返したくなるのが、この世の常だ。
己の顔に汚泥を塗られて、楽しいものがどこにいようか。
内なる憤懣を飲み込んで、会話から始めようとする貴方がたの忍耐に祝福あれかし。
まこと、力あるものは優しくなければならぬ。
わたしも、かくありたいと思っている。
……。
実行するのは、難しいと感じている分野だから尚更のこと」
力があるからって好き勝手に暴れられたらさ。気持ちいいけど、楽しいのはその時だけじゃん?
結局、我慢している一般人が一番偉いよな。
「しかし、そうだな。わたしが連れてきた者に関しては、いささかの配慮があると嬉しい」
この件で日ホプ同士の政府間協議は今後あるかも知れないが、オレは基本ノータッチだ。
でもまあ、漂流した邦人を保護してくれたまともな交渉先に噛みつくことはしないだろって慢心はしている。
「はい、しかと承りました。後の者に申し送りをしておきます」
【後の者】、ね。
卓の上で白手袋の指を組む。
「まだ小耳に挟んだだけだが、その件は本決まりになったのだろうか。
夏草少佐は、山中都市の襲撃の件で責任を取り、軍を辞すことになると聞いた。
わたしには理解しがたくある。
あなた方も被害者であるのに」
なんでも東ホープランプの軍人さんの間には、首切りや、減俸の嵐が吹いているんだってさ。
やーめーてー!
軍の人事なんて素人が余計な口出しをして、いいもんじゃないだろうけど!!
被害者側が責任取らされるとかさ。なんかダメ。
すごく辛い。
「はい。現場での責任を取るのも、本職の務めですから。
それに私ひとりの進退に限ったことではありません。
もっと上の位の将官も、引き継ぎが終わり次第、辞職となりますので」
なんてこったい。やめろ、やめて。
だんだん胃がキリキリしてくる。
遭難してからこのかた、リアルでは久しく飲んでいない牛乳が恋しい。
……現場で働く兵隊さんに責任を被せないで、上がケツ持ちするのは正しいけどさあ!
「ゼリー山脈に都市があると、長年に渡って気づけなかったことは我が軍の怠慢です。
だから、仕方ないのです。
軍法会議に掛けられないだけ温情ですね」
そこまで話して、ふと思い付いたように付け加える。
「……それに個人的には、ここで軍を辞すのは悪くないことでして。内緒ですが」
「それは?」
全くの強がりには聞こえなくて、続きを促す。
「私は現場働きこそ及第点と自負してますが、これより上の仕事をするには才覚と政治力が足りません。
そろそろ上に来いと引き上げようとしてくれる上役には落胆させてしまってましたが、使えない置物になるのはどうかと今後の迷いがありました。
軍の佐官ともなると本来は、実直にただ働けばいいわけではなく、政治もしなくてはいけません。それには一族郎党の盛り立てが必要になる類いのものです。
私の父母は覚悟の上の駆け落ち婚をしてしまい、親戚と断絶しました。
むしろ佐官まで昇れたのが、謎というか、不相応です」
軍人さんが政治をするの?
違和感があるようなないような。
ホープランプと日本は政治体制が違うと感じるのはこんな時だ。
「あら。お話中に割り込みを失礼しますね。
自力で貴族位を得ている殿方なんて、婚活女子垂涎の売り手市場ですよ。
当主として敢然と振る舞わなくてはいけないことが辛い時に、徳のある殿方が傍らで支えてくれたのなら、どれだけ頼もしいことか。
少佐ともし家族になれたら、と、焦がれる妹分がいる身としては、その卑下はあまり面白くはありませんね。
政治力が欲しい少佐にそれでもフラれてしまったなんて、私の大事な友人は、よほど魅力がないとでも?」
ヒュー!
若い女の子にモテていて、それを袖にするとか中年の夢じゃん。
サリーが居なきゃ、オレも嫉妬でぐぬぬとなってたとこだ。
オレを好いてくれる彼女が側にいるという、心の余裕とは素晴らしいな。
優れたオスを目のあたりにしても、鷹揚で居られる。
1年前なら即死だった…!
「勘弁してください。年が20も離れていれば犯罪ですよ。
私が15の若造だったら、大喜びしていたでしょうね。
ご友人には年の近い男を選べと忠言すべきです」
妙齢の女性にねっとりと詰られても、夏草少佐は慌てず捌いている。慣れた態度だ。
でも、妹分とやらの気持ちはわかるかな。
アホ丸出しの15の男と、夏草少佐ならオレだって後者を選ぶわ。
転生の苦労を厭わないなら、肉体年齢の差はどうにでもなる。
十代の男なんてスケベで変にプライドばかり高くてさ。他人のやることには文句タラタラなのに、世間に揉まれる前だから、苦労しらずで我慢強くないんだぞ?
まあ、全部オレのことだがな!
……言ってて悲しくなってきた。スケベ以外はそのうち、なんとかしたくある。
でも、そうじゃない男なんて少数派だろ。
同い年でも鹿山くんのような、心映えの立派なジェントルがいないわけじゃないけどさ。
「と、いうように少佐がわざと選んで出世コースから外れたのは、私のような口煩い外野からの【いい加減、結婚しろ】という余計なお世話が鬱陶しくてのことですよ。
他人に押し付けられた伴侶ほど、困る荷物はありませんものね?
ご心配なく、この方は見た目以上にしたたかです。
先輩や肉食系の友人たちにも狙われて、それでも切り抜けてきた実績もあります。
権謀術数が不得意なんてご謙遜を。
軍を辞めるのも、自分が納得しなければ上手くなんとかしましたよ、この方なら」
おおっと、役得。
チャーミングなつよつよ才女にウィンクされてしまったぞ。
親交のある夏草少佐が責任を取らされたことで、オレが多方面に悪い印象を抱かないよう注釈を入れてくれたのか、彼女は。
よく分からないホープランプ側の機微を解説してもらえるの、ありがたいな。
うん、それなら聞いて置きたい。
「すると辞めた後はもう予定が?」
「いえ。少しゆっくりしてから、冒険者でもやってみようかと。
十代の頃、都市の外に出る仕事をどうしてもしたくて、どちらにしようか迷ったんですよ。
私は転生を終えて、まだ2年も経っていません。早期リタイアを決め込むにも、体は充分に動きますので」
いいなあ。オレもダンマスを辞めた後は冒険者をやりたい。
普通は反対だろって突っ込みはナシだ。
「なるほど。それならば」
ダンマスの数がもっと増えるまではオレも頑張る。そのためにも。
「夏草少佐。わたしは貴方が欲しい」
連隊指揮官やっていた軍人上がりの冒険者とか、どこに出しても活躍するやつ。
ここは戦っても確保しなきゃ。
コメント、リアクション、評価、誤字報告等、感謝です。
軍人さんらはシリアスってたりしますが、その横で目新しい異邦の文化にキャッキャしているホプさんたちもいますよ。




