32 転変
8日目だ。
もふもふの中からご機嫌よう。
いや、ホントなにがあった?
ぱちり。
背もたれになっていてくれた彼と目が合う。濃い藍色の、星が散ったようなまだらの瞳だ。
白く輝く毛は猫のように細く柔らかなのに、シルエットは精悍な狼。
胸元の毛並みがふっさりとゴージャスで、脇腹のあたりに木蓮の花びらの形の白銀の鱗が生えている。
とても美しい四つ足の獣だ。
「おはよう。サリー」
うん。サリーだよな。このもふもふ。
吃驚だ。
でかいなあ。ポニーくらいあるんじゃないか?
「…エンフィ、お前の友達、動じねえな」
おや。ロープはほどかれたのかジャスミン。
「おはよう。観念したのか?」
「暗殺者みてえな真似はしねえって」
「正々堂々と挑んでもエンフィの責任になるぞ。君の主なんだから」
「……………だから、しねえって」
「だ、そうだぞ、サリー?」
太い前足をジャスミンの上に乗せていたサリーが身震いする。
すると、数瞬、姿がボヤける。
「なんだ、転変してしまうのか。とても綺麗だったのに」
もっと見ていたかったのに、サリーは獣から人の姿に形を変えてしまった。勿体ない。
「獣の挨拶を貴方にするわけにはいかないでしょう。おはよう御座います」
「ああ、いい朝だな」
ダンジョンの天気は変わらないけど、素敵な尻尾がタオルケットだったんでよい寝起きだ。
いつもの『洗浄』をかけて軽く身支度は終了だ。
「おはよう!ジャスミンが済まないな!」
「おはよう。いつの間にか寝落ちしてしまった。話の続きはどうなった?」
「私も渡り廊下が崩れ、地下室が露呈したところから覚えてない」
「残念だったなー。隠し部屋の壁に飾られた、贅を尽くした宝剣の玉飾りが雫石だったところなんて凄く盛り上がったのに」
アリアン嬢、TRPGより冒険していていやしないか。
「リュアルテ、よく寝てたわね。
長時間縛ると血行が止まって良くないからってエンフィのとこのお兄さんが縄を解かれたさい、逃げられてもこの姿なら制圧しやすいからって転変してたわよ犬のお兄さん」
それでジャスミンの背中にサリーの前足が乗っていたのか。
ジャスミンのムキムキは伊達じゃあなさそうだし、サリー、容姿だけなら繊細な美青年なのに豪腕だな。
祖の姿に転変までする位階にあるのだから、そりゃあ弱くはないにしても。
「わたしがサリーに寄りかかって寝ていたのは?」
「熊教官が面白がって置いた。お前生きてる毛皮好きなのな。サリーさんの尻尾とかで撫でられると寝ているのにスッゲー幸せそうだったもん」
お恥ずかしい。
いやでも、賢くて大人しいもふもふに包まれて眠るとか、リアルでは叶わぬ夢のひとつだし。
得難い経験をさせて貰った。
「それは…サリー、寝ている間に掴んだり引っ張ったりしなかっただろうか」
「いえ、あまりに静かに寝ておいででしたので、つい尻尾で呼吸の確認をしてしまったのは私ですから」
うわ、すまない!
やらかしていたってことだよな?
「悪かった、痛い思いをさせてしまったんじゃないか?」
「いいえ私は丈夫ですから。撫でられてくすぐったかったくらいですよ」
頭痛い。無意識時のセクハラって有罪?無罪?
「俺はお前の足、重かったんですけどぉ?このデブ!」
サリー自体は締まった体つきだし、獣体のことならデブじゃなくてあれは毛皮が素晴らしくもっふもふなだけだ。
「貴方は我慢しなさい」
「ひでえ!」
仲良いな?
「ジャスミン、友達ができて良かったな!」
エンフィなんて生暖かい目でジャスミン見てるし。
「はぁ?友達ぐらい沢山いるわ?!」
うん。そうだろうな?
そんなに力一杯主張しなくてもいいのでは。
「そうか。社会人になると疎遠になると聞く。いまある縁を大切にな!」
「なんでお前は俺さまの話を聞かないんだ」
エンフィは聞いた上でちゃんと自分の意見を言っているぞ。ただジャスミンの望む振る舞いはしないだけで。
そういうところがお好きなんでしょ。
まあ、いいや。昨日の日記を付けて、ステータスチェックしておこっと。
「…………なんかさ、一晩芝生で寝たら『チャクラ』生えた。
なんか自然との触れ合いが少なかったっぽい?」
同じく自動書記をしていたヨウルが報告する。
「おお、おめでとう!」
「おめ」
「ちゃくら?」
「効能は?」
「魔力回復、効率強化。体育スキルの習得補助。ただし現在ごく微量」
「どうやったの?」
「マッサージ士の愉快な爺さまの施術受けて話聞いたら生えたな。サービス券貰ったがいるか?」
「男の先生は、ちょっと恥ずかしいな。女の先生もいらっしゃるかしら。話を伺ってみたいから、券は貰っちゃっていい?
あ、お礼にかりん糖あげる。ここの美味しいから食べてね。ショップカードもいれとくから」
「クロはビーフジャーキーね。お父さんの作るのぜっぴんよ」
「朝から賑やかだな、お前さんら。おはよう」
「「「「「おはよう御座います」」」」」
「よし、夜更かししたわりに元気そうだな。なによりだ。
多少健康に悪いことは、心を健やかにしてくれるからな。昨日だけは特別だ。
さて、エンフィ」
「はい!」
「確認がとれた。サリアータでは初めてだが、【悪霊よけ】は他所では既に施行されていた。実績もある。今のところ問題は見つけられなかった。
だから急遽準備を整えてきた。
飯食ったらギルドに行くぞ」
「冷奴、美味しかった。私お豆腐をお代わりしたいと思ったの初めて」
朝御飯は若布とお麩の味噌汁にお握り2種、漬物と冷奴の小鉢の和食セットが出てきた。
豆腐の風味をえぐみに感じる人なんだろうなアリアン嬢。味蕾が若くて敏感だから。
踊り子豆は人に生産させて増えるタイプのプロキャバ嬢系魔物だからその辺の対策バッチリだ。
人の好みを的確に抉って、ファンを増やす手口の巧みなことときたらもうお手上げだ。あいつら賢い。
うちのダンジョンは、そのうち踊り子豆に制圧されてしまう気がする。
エンフィの仲間登録すればゲルガンを【悪霊よけ】できるので、すでに登録してあるジャスミン以外は皆揃ってギルドに移動だ。
ダンジョンは今日の昼12時に正式オープンなのに、経営にほぼ携わらないオーナーで申し訳ない。「オーナーの安全には変えられませんから」と快く送り出してくれたスタッフには福利厚生で返さないと。
なにか考えとこう。
雨上がりのサリアータは心なしか空気が澄んでいるような気がする。
地面を転がる水玉にブチ猫がちょっかいをかけては、一緒に転がる長閑さだ。
光差し常春のサリアータは、すべて世はこともなし。そんなナレーションが聞こえてきそうである。
「よかった。間に合った」
焦げ茶色の髪をひとつに括った男が親しげに声をかけてくるその時迄は。




