319 概念的赤十字
辛い目にあったのは、オレではなくサリーや他のメンバーだ。
なのに泣くしか術のない子どものようにビービーと、情けない。
好いた女には頼れる男と惚れられたいのに、やってしまった。
なんたる無様な。
一大事の時、側に居られなかったのは悔しかった。
無謀を咎めてしまいたい。
自分を大事にしないことが心配だ。
隠されていたのは、信用されてないようで無性に寂しい。
身勝手な言葉ばかりが口から漏れてしまいそうで、それをグっと飲み込んだら、代わりに涙が出てしまって止まらなかった。
恥ずかしいったら、ありゃしない。
稀に例外はあるとはいえ、魔物と人類は敵対している。
それでの怪我なら、生存闘争。お互いに真剣勝負の生きるか死ぬかだ。
大怪我をしても、命はきちんと拾ってくれたんだ。
頑張ったサリーや役人パーティはとてもえらい。それだけで花丸満点だ。
誰を責めるのも、恨むのも筋違い。ああ、オレだって弁えている。
なのに本心は我が儘だ。
今度は掴ませてくれたサリーの左袖が空っぽで、また泣ける。
オレが泣きべそかいても仕方ないだろ。
己をそう叱咤しても、止まらないから困る。すっかり涙腺が壊れてしまった。
遠地の報せを額面通りに受け取って、あっちも頑張っているようだなと、呑気にしていた自分に呆れる。
「私のために泣いてくれる彼氏がいるのはいいものですね」
サリーがくすぐったいように微笑んで、固く抱きついた肩を湿らせるのを許してくれなかったら羞恥のあまり逃げ出していた。
年上の彼女って、素敵だよな。
感情の氾濫が収まるまで、少し時間が掛かった。
なんか泣くのって体力を使う。
サリーに甘やかされるまま、この先5年分くらい、べそべそ泣いてしまった。
お陰で目が腫れぼったい。
「目がウサギさんになってしまいましたね」
サリーが『造水』で作ってくれた濡れタオルで目元を冷やしてから、自力で『治癒』も掛けておく。
「ん」
まだ離れがたくて、無事な右手を絡めて引く。
開き直って甘えついでだ。庭先の涼み台に並んで座ることを仕草でねだる。
サリーは快適なパーソナルスペースが広いタイプだ。
そして自分の方から触るのは平気でも、相手から触られるのはかなり苦手。
こちらから指を絡めても嫌がらず、隣に座る素直さに、許されている喜びがある。
「大きな怪我をした時ぐらい、隠さず心配をさせて欲しかった」
散々迷ったというのに結局は、拗ねた言葉が口を突く。
「そりゃ、サリーの左腕のことを知ったならオレもきっと荒れただろうし。自重を投げ捨てて、合流しようとしただろうけど。
幸と共謀しての隠しごとなんて、嫉妬するぞ?」
黙秘されたのは当然だ。
内心にそう囁く声がある。
オレの我が儘は通りやすい立場だ。
軽率な振る舞いをすれば、他人を巻き込み全体の危機を招いたことだろう。
サリーたちの判断は、悔しいが理知的だ。
「すみません。その。この片腕を貴方に知られるのは、無性に恥ずかしくて。
皆さんに口止めを頼み込んだのは私です。申し訳ありませんでした」
サリーは気まずそうに目をそらす。
恥ずかしい?
「なんで?」
誰かを助けるための怪我なら、名誉の負傷だ。
公務員グループの怪我を指差す者がいたら、むしろそっちが白い目で見られるだろうに。
「なんででしょうね。
自己分析をしようものなら鬱りそうなので、深く考えて来ませんでしたが………貴方には誰よりも頼ってもらいたかったんだと思います。
私は強くてタフだという幻想を守りたかったのかもしれません」
あー。……それはわかる。
オレだってサリーには少し無理しても、良いところを見せたくなるし、頼られたい。
好きな女相手には、特別に見栄を張りたいのが男心だ。
それが上手いこといかなくて、理想とは反しがちなのが現実だけどさ。
「片腕がないことで足手纏いになることを、私は恐れていたのでしょうね。
流士さんはどんな危険があるかもわからない野良ダンジョンに潜らなくてはいけないのに、片腕の側近は置いていかれても仕方ありません。
合流するのが難しいことを良いことに、いつか出てくる問題から目を反らしていました」
「サリーには、どちらかというと秘書の仕事で助けてほしいけど、駄目だった?」
管理ダンジョン造りには報連相がとても大事。
先々への根回しから、作成済みダンジョンの経過レポート。一応は連絡しときますみたいな、周辺施設の成果報告までオレのところに報告が届く。
それらを捌くのだけで一苦労だ。
細々と事務仕事を助けてくれるトウヒさんがいなかったら、予定の半分もこなせていない。
そんなお役立ちの妖精さんだけどAI的なモットーで、人間のGOサインを取るべきラインも存在する。
適切に場の切り盛りをしてくれる舵取り役が居ないと、ドンドコ書類の波に流されてアップアップだ。
秘書室チームのありがたさというものを、離れている間に実感した。
「はい、そうですよね。秘書としてなら今の私でも、役に立てました。
どちらにせよ壱号とふたりで山と渓谷を踏破するのは困難でしたので、こちらと合流するのは民間冒険者たちが最低限のレベリングを済ませてからの行動になったでしょうけど。
……言い訳ですね。
お恥ずかしいですが、私にも乙女心があったようです。
流士さんの前ではいつも綺麗にしていたかったとか、そんな風に」
今、とても可愛いことを聞いた。
マ?
不意打ちだ。そんなこと言われたらドキドキしてしまう。
「流士さんが誘拐されたと知って、ろくに動けない今、下らない理由で合流に怯んでいたことを後悔しました。
傍にいれば、剣にはなれずとも、盾のひとつにはなれたのに」
サリーは秘書だが、オレの護衛の最終ラインだ。
職務上仕方ないけど、サリーや女性護衛官に守られてしまうとモヤる。
レベルを上げれば女も強い。
仕事として、鍛えている人なら尚更だ。
なのに女の人には守られていて欲しいと、軽率に願ってしまう。
踏み固められた、土の地面に目を落とす。
こういった考えは古くて女性蔑視なのかなあ。だったら悲しい。
「そっちは野生の魔物が多くて大変だったんだろう?
足並みを揃えて底上げする方針は、遠回りでも固かったよな。
その怪我は遭難してから直ぐに?」
サリーの経歴と腕っぷしなら、一番危険な最前線に回されただろう。
「この腕は、各地に散らばっていた民間人を集める時に、少し無茶をしないといけないことがありまして。
初見の魔物は怖いですね。
不意を突かれて負傷したのは、私だけじゃありません。
流士さんが転生神殿を開いたと、公報が流れてからです。民間人の雰囲気も、ようやく晴れたものになりました」
「ん。皆が神殿を利用してくれたら、オレも嬉しい。
救助された側にしてみれば、助けてくれたヒーローたちの怪我だもんな」
広崎さんらは、オレを庇って負傷した。同じような経験をした、彼らの気持ちはよく分かる。
悪いことをしてなくたって、他人さまに傷を残す原因になったら、凹むし鬱るよ。
「ふふ、ヒーローといえば、壱号ですよ。あの子には、随分と助けられました。
宇波と壱号がいなければ、私たちはもっと苦労したでしょうし、間に合わなかったでしょう。色々と」
その小さなヒーローの片割れは、いつの間にか消えている。
彼は空気を読める妖精さんだ。
よし。
「……本当に、サリーが生きていてくれて良かった」
サリーの唇にチュっとする。
去年の年末あたりからサリーはオレが触れても鳥肌をたてなくなっていたけれど、離れている間に元に戻っていなくて良かった。
ふわっと目尻を赤くしてくれるのが、妙に嬉しい。 こっちまで照れる。
やったのはオレだが、恥ずかしくなってきた。
久々のサリーは、刺激が強いな!
「私も流士さんの顔を見て、死ななくて良かったなと実感しました。
やはりこの先、伊東さんのような盾を目指すべきでしょうか」
確かに伊東さんはカチカチで頼りになるけどさ。
苦笑する。
サリー、いまいちズレてるよな。
まずは療養して、腕を生やすのが先じゃない?
「繰り返すけど。公の立場でのサリーは、ガードマンより秘書として側に居てほしいかな。切実に。
仕事の段取りとかボロボロだ。
ひとつに集中すると魔力ハイになって、他のことがすっぽり抜ける」
書類が多いのはまだしも、肝心の石作り作業でガントチャートの書き忘れミスとかやった時は焦った。納期前に気が付いたんで間に合ったけど、うっかりし過ぎだ。
オレの所で作業が止まると、工事関係が全部止まるって。あああああ。
「おや。秘書の現地採用をしなかったんですか?」
「サリーが采配するのに、相性の悪い人間が混じったらやり辛いだろ。
そちらの募集も仕切って欲しい」
オレの人を見る目はガバだからな?
人生経験の足りなさで、人の向き不向きを見抜く観察眼がお粗末だ。
「それにオレが声を掛けてしまうと、相手が嫌でも断れなさそうな雰囲気があって、それがどうにも」
無理強いしてしまうのは、ヤバいよなあ。
それを押しても引き抜きたくなるようや魅力ある人物は、大抵が責任のある立場のお人だ。
当事者だけではなく多方面に影響が出そうで二の足を踏む。
冒険者活動している淑女の皆さんとかも、リクルート勧誘したかったけど、あそこら辺はいいとこの跡取り娘だ。
天塩にかけて育てられた次期当主らを、気軽にスカウトしていいものか常識がわからないっていうか、ホープランプの階級社会のニュアンスをいまいち把握しきれてない。
こちらの歴史の講座は取っているけど、貴族名鑑のあたりまではとてもとてもだ。
「そうなんです?」
「こっちの人たちのダンマスは、皆揃って、命が短かったから。
なんかオレまで特別視されてる」
ため息をつきたくなってしまう。
命掛けで人に尽くした往時のダンマスは立派だけど、オレはそこまで清廉になれない。
至極丁重な扱いに戸惑いがあるのはだからだろうな。
ふと思いついて、サリーが落としたままの洗濯籠を回収しにベンチを立つ。
オレが籠を拾いあげると、ピンク色の備長炭みたいな素材らが列をなして宙を飛んだ。ストトトトンと、籠に収まる。
サリーが操る『念動』だ。
「………言われてみれば、こちらでのダンジョンマスターの立場は撹拌世界準拠か、それよりも重いように感じましたね。
流士さんが自重を求める要望を出しましたでしょう?
あれで相撲興行に反発する意見が急に萎みましたから」
少し考えるようにしていたサリーは、なにかしら思い当たる節があったのか納得したように頷いた。
その言葉にハタとなる。
再会のインパクトで忘れてた。
「そう言えば、相撲。あれはなに?」
「情報を集める手段の一種ですかね?
東ホープランプとゼリー山脈の街では都市条約が結ばれてないどころか、交流すらなかった場所です。
ろくな情報はありませんし、当然貨幣も違います。
なので捕虜をひとり解放して、特使を出しました。
他の捕虜の解放は、相撲で決着をつけようと。
力士として本選にひとり出るにつき、ひとりの捕虜を解放する。お互いに【話す機会】を生むことが目論見です」
都市の面子的に、捕まえた捕虜をただで解放するわけにはいかないのはわかる。
「でもなんで相撲?」
強制的に東西交流を図るにしても、なんで?
卑劣な感じに喧嘩を売られたのに【お前、強いな!よっしゃ、それならSUMOUしようぜ!】ってゆーモードに突入する、彼らの心境がさっぱりとわからん。
でもちょっと面白そうというか、これから紛争が起こりそうだと注目されていたところでお祭り騒ぎをしてれば、どの種族にもいる物見高いお調子者と、捕虜の家族は釣れそうではある。
【敵は河西ぞ】と河向こうの都市群と殴り合う意気込みをしていたはずの保守派の面々も、梯子を外されて戸惑ってそう。
シリアスクラッシャーにも程がある。
いや、本当になんでSUMOU……?
宇宙猫る。
「……なんででしょうねえ。ただ捕虜の弁によれば【東の連中は戦わずに敗けを認めると皆殺しにしてくる】とのこと。
【力は示さねばならぬ。でなくば都市は焼かれ、女子どもは虐殺される】と、そんな共通認識が襲撃者にはあるようです」
「ふぇっ?」
いかん、変な声が出た。
「それを聞いて東ホープランプの方々は頭を抱えていましたよ。
【先祖の業が尾を引いている】と。
相撲はそれを払拭する試みのようです。
ルールが簡単かつ勝負の結果が明快で、人死にが出にくいですから」
ええと………そういや、力を見せなければ皆殺し云々は、ご隠居も似たようなことを言っていた。
あの時、詳しく聞き出すべきだったかも。
戦わずして敗けを認める云々っていうのは、多分アレだと思い当たるフシがなくもない。
覿面、しょっぱい気分だ。
【その都市に暮らすものは、皆殺しをせねばならぬ】
苛烈な処置が行われるまで経緯には、もちろん相応のフラグがある。
件の都市は一向衆よろしく、死ねば極楽という思想に染まったインテリ武装テロ集団の本拠地だったと言われれば、納得してくれる人もいるんじゃなかろうか。
【世の中は絶望しかないじゃない!みんなー!可哀想だから殺してあげるね!ねっ♡死んで幸せになろ?】
そんなメンヘラな親切はノーサンキュー。
表向きは敵対してない都市をひとつ滅ぼしておいて、当時は自勢力どころか他敵対勢力すら、この辺を非難せずにスルーしているのが実にアンタッチャブルだ。 これだけでも相応にヤベー集団だったことが伺える。
口先では降伏したと言っていても、それでしれっと全方位にテロ活動・支援してたら、【テメーらだけで勝手に死ね。巻き込むな】ってなるわな。
戦争に思想や宗教を利用すると事態が更におかしくなるのは、オレらの歴史にもよくあることだ。
戦中の頭おかしいエピソードには事欠かないのが地球人類史だ。
人間同士の戦争や、先鋭化する思想の厄介さ。
引きこもりをしていて、戦場の悪徳の味を知らない山中都市が、起きた結果の一面だけを大きく噛り取ってしまったのは、仕方ないことに思えてしまう。
起きたことが目を疑う大量殺人。それまでは概念すらなかった毒薬散布による都市殲滅だ。
例えやるしかないことでも、まともな人間なら正気じゃやれない。
東ホープランプが血に酔っている中、山中都市はひとり素面だったわけだ。
同朋の織り成す狂乱に、彼らが受けた衝撃はどれほどか。
【ウフフ♡いったん敗けたフリして、内側から侵食しちゃおうっと。みんなを苦しみから助けるために、私たちが頑張らないとねっ!】
況してや善意の狂気でそーゆーテロ活動をする同朋がいるなんて、スパイ活動の限界か、山中都市側はいまいち理解しきれてなさそうだ。
現に降伏したのに皆殺し云々が、テロ活都市の狂気を上回って、ピックアップされている。
国家再生のため理性的に巨悪をなした羅刹さんの方が、まだ彼らにとって分かりやすかったのかな。
どうもそう思えてならない。
現代東ホープランプ体制の基礎は、なんだかんだで羅刹王が描いたブループリントにある。
【オレらはあいつに影響なんか、されてねーから!】
なんてことは苦し紛れでも言えっこないし、一部分だけ強調されているとはいえ曲解された事実じゃない。
関係者は頭を抱えてそうだ。
「うーん。それならボクシングとかは?」
プロレスは善悪のストーリーも楽しむもの。
レスラーはプロのエンターティナーでもあるから除外として、ボクシングあたりもルールが明確だ。
興行して人を招き寄せたいなら、アリなのでは?
甲殻人ボクサーの拳は迫力ありそう。
「試したそうですが、ダウンするまで殴り合えるボクシングは熱くなりすぎて危険だそうです。ラウンドギリギリまで戦えば、絶対やりすぎると」
やりすぎちゃうのか。
「それに相撲は神事でもあるというのが丁度いいそうで」
「?」
「企業スポンサーの幟を見ましたでしょう?
あの幟には全て三つ目紋が装飾されています。
三つ目の紋を掲げたからには、恥ずべき行いは慎む。
それらは甲殻人共通の文化だそうです」
……つまり三つ目紋は、赤十字みたいなもの?
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