318 再開と傷
「リュー!」
呆然としていると、斜め後ろからタックルされた。
そのまま地面に倒れ込む。
「油断大敵だな!」
軽やかな笑い声、肩に回された強い腕。
視界いっぱいに広がるのは、太陽を映したような髪と瞳だ。それらは記憶にあるものよりも、彩度をずっと明るくしている。
だが生気に満ちたこの声と、斟酌無用の振る舞いは間違いない。
「……幸?」
なんで、お前が河西に。
「ああ、私だ!」
頭の天辺から足の爪先まで、まじまじと見詰め。
そして大きく息を吸う。
「この馬鹿が!指をどこに落としてきた!」
大声を察し、咄嗟に耳に被せる両手。
そのうちの右手をぐっと掴む。
嵌めていた白い手袋を強奪する。
ああ、やっぱり。
小指と薬指、中指までもが欠けている。
鋭いもので切り落とされてしまった痕。
利き手の指だ。これでは剣どころか、箸もろくに使えない。
「漂流した近くの浜辺でな!生きていたからまあ、許せ!」
無事の左手が宥めるように、肩を叩く。
どこで落としたとは確かに言ったが、咎めただけで場所を聞いたわけじゃないんだわ。
怒鳴り付けてもケロリとしたこの態度だ。腹立つわ、こいつ。
少しは殊勝に出来んかな!
「それに心配したのはこちらの方だぞ。
異界撹拌に巻き込まれた当時より、リューが行方不明になったことの方がよっぽど恐ろしかった。
もしお前になにかありでもしたら。私は妹御たちに二度と顔向けできないところだった」
ほうほう。
意識して唇の端を持ち上げる。
「そうか。お前の負傷は、ルートに告げ口すればいいんだな?」
民間第一世代、十数人ほどのダンマスたちは、家族間の風通しがいいものばかりだ。
家族でなくても恋人、友人。
困った時にまず相談する、悪さをすれば厳しく叱られる。そんな関わりの深い相手がいる者が選ばれている。
なんてことはない。ダンマスの悪魔化対策だ。
いつもならいいけれど、ふと道に迷った時なんかは、灯台のあるなしは大きいもの。
もちろんこいつも例外じゃない。身内はウィークポイントだ。
ダンマスとして純粋な才能だけなら、もっと優れた奴もいたんだろうなと時折、思う。
「ハハハ!勘弁してくれ!うちの弟は怒ると怖い!」
口振りは笑っているが、目はガチだ。
ルートくんは理想の弟というか、可愛い姿しか見てないけど。そうか、あれで怖いのか。
うちの千枝と一緒だな。
「だからだろう。お前は本気で叱られろ。…………しかし。無理をさせたな。済まなかった」
幸がアップダウンの過酷な山脈、魔物ひしめく渓谷を強引に突破して、合流してきたのはどう考えてもオレの誘拐が原因だ。
「いいや。焦ったお陰だな。私たちもようやくのことで、踏ん切りがついた!
数を絞り、強行軍で踏破するだけなら早くに目処は立っていた。
ただ、本拠地周りからに峡谷に掛けては、どうにも厄介な魔境でな。
各地に落ちた塔も放棄するしかなかったくらいだ。
民間の育成と本拠地を守るだけで精一杯の現状では、転々と駅を通しても直ぐに放棄しなくてはならなくなるのは目に見えている。必然、二の足を踏んでいた」
駅の稼働は地脈のエネルギーを使う。そんな要地は魔物も居心地のいい場所だ。
先住者には申し訳ないが、魔物と共存するのは難しい。避けるか排除するしかないわけだ。
そんなホットスポットに駅を通すなら、維持していくのは人手がいる。
卵が先か鶏が先か。撹拌世界でも魔物に襲撃されるような村は概ね駅のある場所だ。
必然、駅が通ると便利な要所でも、人手のない場所には駅は敷けないことになる。
駅の使い捨ては流石にな。…えっ。
「まさか駅を使い捨てにして来たのか?」
「流石にしていない!
帰り道でリューとホープランプ諸兄を本拠地に連れて戻りながら、駅を通して行く腹づもりだ!
本拠地の残留メンバーが大人しく立て込もっていられるうち、駅の新設と警護の協力を願いたい!
その準備をしている内に、GMのデータリンクもやっておきたいな!
河西ダンジョンのGMには、既に話を通してこちらのデータは渡してある!」
あ。良かった。ほっとした。
全員で移動してきたわけじゃないのか。
だよな。病院の被験者グループやその保護者たちとかもいるもんな、そっち。
駅を正式に通すとなると、そっちのダンジョンも撤収じゃなくて維持の方針なんだな。りょ。
まあ、ダンジョンタワー予定地を探すなら土地の魔物が濃い方角へ向かう決め打ちでいいか。
「お前ら、公衆の前だぞ。普段通りにイチャイチャするのはよそうぜ。
ズ太いにもほどがあるだろうが。
俺らだけならいいけどよ、甲殻人のギャラリーや、お客人らも困惑してるだろ。
時と場合を考えろよ」
太陽を背にした影が差す。
上から声を細めたお小言を降らせたのは、麝香氏だ。
この実家のような安心感よ。
彼が幸へのツッコミを担ってくれるの、とても助かる。
そして麝香氏の後ろはというと、確かにギャラリーでザワザワしていた。
幸が通ってきたらしきところだけ、ポッカリと人波が割れている。
オレの視線に気付いて、遠くで手を振るのは日本人グループ。そちらには片手を上げることで帰ってきたよと挨拶を返す。
幸のお付きの護衛さんらはというと、生ぬるい顔だ。
猫好きの民が【遠くで見るだけなら犬も可愛いくないこともないよな】ってドックランの外で見守るようなそんなノリ。
そしてホープランプの群衆には、穴が空きそうな勢いで見られている。
流石にこれだけの視線を浴びると圧があるわー。
えーと。ただいま?
『只今、篠宮流士さま、ご帰還の報せがありました。
ご来場の皆さまは、その場待機。強い自重をお願いします。
繰り返します。篠宮流士さま、ご帰還です』
青空広場には速報で、場内アナウンスがリピートされている。
だから人前なのはそうだけどさ。
でも、確かに抱きつかれはしたけれど、幸のはラグビー選手のようなキレのあるタックルだったぞ。
食らうと転ばずにはいられないやつ。
それでイチャイチャは違わなくない?
HPが減るぐらいには、勢いよくふっ飛びましたけど?
幸もエルブルト系列だから、骨格が重くて体重が乗るんだぞ?
お前さ、他の奴には手加減しろよ?
「そうだな!リューの客人なら、私の客だ。
お相手はしばし引き継ごう!壱号!リューを頼む!」
「かしこまりー」
トウヒさんと同じ顔のカラー違い。ノーマル妖精さんが、トトトと寄る。
え。壱号って。
小さな手に引かれて招かれた、妖精の庭は勝手知ったるものだった。
作り覚えのある家。玄関前の庭。
妖精さんの出入り口は、郵便ポストを模した茸のオブジェだ。
その横ではまだ背の低い月桂樹が根付いている。
ゴトン。
彼女が抱えていた洗濯かごが地面に落ちる。
驚き、見開く青い瞳と目が合った。
白いシャツの左袖が妙に薄い。
無意識に近寄って掴もうとしたその袖は、まるで水中の魚のようだ。
ヒラリ、と逃げられ手が空を切る。
「サリー!なんで!」
その足捌きは、片腕を失ったバランスの悪さが感じられない。
……いったい、いつからその腕だった?
届くサリーの言伝ては、こちらを気遣うことばかり。
痛いとも苦しいとも、そんな言葉はひとつもなかった!
「駄目です!そこは見られたら恥ずかしいので!ご容赦を!」
慌て顔が可愛いのが、いっそ腹立たしい。
胸のうちがふつふつ煮える。
「もっと恥ずかしいところは見てるのに?!」
「いえ!
いえ、その。……傷が、断面が食いちぎられていて、お見苦しいので。
私的にはこちらの方が恥ずかしいです。
腕が生え揃うまで、こちらの腕を見るのは許してください。自分でも引くぐらい気持ち悪くなっています。
流士さん、グロはお好きじゃないでしょう?」
食いち……?!サリーの腕が?
一瞬、気が遠くなるそんな錯覚。ぐっと奥歯を噛んで立て直す。
幸といい、お前たちは本当にもう!
なんでオレに教えてくれないんだよ!
水臭いだろ。心配ぐらいはさせろよな!
「グロを嗜む趣味はないけど、リュアルテの前世はセイランの男だぞ。
オレの医療スキルの源流はそいつだ。戦傷を見るのは慣れている。
……サリーが傷痕を晒したくない気持ちもわかるから見るなと言われれば我慢するけど、とても気になる。痛くはない?
不自由じゃないか?」
リュアルテくんの怪我痕も、大概酷いものだった。
他人さまに過度に心配を掛けてしまう痕があると、隠したいし見せたくはない。それは我が身に染みている。
でも本音は、自分の目で見て確かめたかった。
サリーのことだ。当然だ。
「戦闘能力は笑うしかないぐらいに落ちましたね。でも生活は『念動』が便利で、見かけほど困りませんよ。
傷も今は痛くありません。
漂流して落ちた場所がハードでしたから。
私たちの全員が五体満足というわけにはいきませんでしたが、そこそこ上手くやれたと思います。
褒めてください」
サリーはエヘンと胸を張る。
職業意識が高いのは、とてもえらいことだけど。
「………。よくやってくれた。わたしはお前が誇らしい」
「はい。流士さんに褒めてもらおうと思って頑張りました。
……。
その。ごめんなさい。泣かないで」
サリーのバーカ!泣くわ、こんなん!
違う、馬鹿はオレだ。
「サリーは強いから安心してた。絶対にひどい目には遭ってないって」
胸が苦しい。
『治癒』持ちの業で酷い怪我は散々見慣れさせられたのに、それが身内だと情緒が狂う。冷静ではいられなかった。
命に別状はない腕一本。転生を重ねればいずれは治る欠損だと自分に言い聞かせても、焦慮が募る。
サリーもオレも、生き物の命を頂戴して生きている。
人より強い魔物なんて珍しくもない。
酷い事故はあるものと、承知していたはずなのに。
駄目だな、オレは。
今日死んでもいいようにと、潔くは生きられない。
「信頼を裏切ってしまって、すみません。怪我は民間人を助けたゆえの負傷です。
無茶なことはしましたが、油断からの事故ではなかったと、せめて言い訳をさせてくださいませんか」
「民間人?」
「小さな女の子が助けてと叫んだ時、きちんと助けられる大人になったんだな。と。
私もたいしたものじゃないかと、内心満更じゃなかったんですが、いけませんね。
貴方が誘拐されたと知って、ようやく己の失態を悟りました。
咄嗟に外に出ようとしたら、同僚に取り囲まれてロープでぐるぐる巻きにされてしまいましたよ。
逃げるだけならイケると高を括っていたのですが、体が上手く動かなくて。
甘かったです。想像より弱体化してました」
サリーはションボリと肩を落とす。
医療目的でレベル上げしていたチビッ子たちが、東京グループに交じっているのは知っている。
リアルでも恋泥棒したの、サリー。
こんなイケメンお姉さんに助けられてしまったら、幼いロマンスが始まってしまう。
そして飛び出そうとして拘束されたのか。
同僚さんたち、激しくグッジョブだ。
サリーは無謀をやめろください。
「サリー。単独行動は控えて欲しい。ここは日本ではないんだから。
誘拐されたオレのせいだから言い辛いけど、本当に」
「いいえ。制限されてなにかと億劫でしたでしょうに護衛を無闇に遠ざけず、身辺警護に協力していただいていたのです。
貴方が誘拐されたのは私たちの過失です。
申し訳ありませんでした」
律儀に謝られると困ってしまう。
あんなの空から隕石が堕ちてきたようなものだ。
知っていたら防ぎようはあるだろうけど、それでなければ難しい。
日本の山深くに、未だ行政の恩恵を受けない平家の隠れ里があるようなものだろ?
東ホープランプとしてみたら、【ふあっ?!】ってなるしかないじゃん。
袖口で目元を擦ると、いい香りのする白いハンカチで触れられる。
「うん。でも、広崎さんたちのせいじゃないよな。あんなの誰も想像できない。
……ところで他の皆は?」
面会をするまでに情報を仕入れて、腹の内を括っておきたい。
「まだベッドの住人です。怪我は塞いでも失われた血は補填できませんから。
リカさんと真紀さんの2名は退院出来る状態だったのですが、治療中も救助に行くと息巻いていまして、広崎さんの判断で今は睡眠薬を打たれています。彼女たちも骨折を治したばかりですので」
あああああ。やっぱりかなりの重傷なんじゃん……!
生きてます。後遺症が残る怪我はありませんって、嘘ではなかったかもしれないけれど!
「しかし甲殻人は力が強くて、しぶといですね。そして素早い。相手どるなら、片腕を使えないのは厄介です。
これからはいつでも動けるように、なるべく怪我をしないようにします」
「戦ったの?!なんで??」
サリー、SUMOUしちゃったの?!
「河西までの道中、西の連中に襲われたので捕虜にしました。
そいつらは東の方々に引き渡しましたよ。
甲殻人も色々ですね。私たちと一緒です」
柳眉のひそめ具合からして、あまりお行儀のよろしくのない輩との出会いだったようだ。
河から西は山中都市のテリトリー。バッタリ遭遇したんだな。お互いに運のない。
幸のスタッフは武闘派そろいだ。
専守防衛を旨とするこちらの護衛チームとは微妙にカラーが違っている。
幸のところの道場は、現役警察官のお弟子さんが多めだ。彼らは暴徒鎮圧の訓練も熱心に取り組んでいると聞く。
冒険者が暴れた時に取り押さえるのはやはり身近なお巡りさんだ。
ぐう有能。
将来に起きかねない事件を想定して訓練してきたその成果を、充分に発揮しちゃったのか。
と。そうだ。大事なことを忘れてた。
「サリー」
両手を広げるとおずおずと近寄ってきてくれたので、抱き締める。
恒例の接触嫌悪緩和チャレンジに託けたハグだ。
ハンカチと同じ香りが鼻腔を擽る。
少し時間が空いたから緊張感が戻ってしまっているのではないかと一瞬だけ心配したが、サリーの無意識からの本能に拒まれている様子はない。
良かった。
「会いたかった」
「……私もです」
背にサリーの右手が回る。
「先程も言いましたが『念動』は便利なので、皆が心配してくれるほど困りませんでしたけど……。こんな時、貴方に触れられる手が減るのは、少し、勿体無かったですね」
耳に触れる囁きに、呼吸が苦しくなった。
目の周りが、じわじわ熱い。
酷い女だな、サリー。
本格的に泣かされてしまう。
コメント、リアクション、評価、誤字報告等、感謝です。
そんなわけでお久しぶりなメンバーです。
行方不明者がしでかす前にサリーさんが五体満足だったなら、単身山越えしてたんじゃないですかね。壱号さんもいることですし。
彼らの騒動を他山の石に、無鉄砲を我慢をしてきたサリーさんは、語り手に沢山褒めてもらうといいと思いますヨ。