317 青空国技館
環状トンネルは私道だった隠し通路とは違い、いつか甲殻人に贈られる公道だ。
なので浮遊対象者対応の加速装置等は、組み込まれていない。
代わりに清掃システムや物品に保存をかける機能が働いているようで、トンネルの空気は爽やかかつ、月日を感じさせない施設類の新しさだ。
さて、そんなわけでトンネル走破は人力となる。
冒険者のスタミナを生かす時だ。
優に2時間を掛けて、ゴールまで走ってきた。
信号機のない道路を走るのって、快適だ。
東ホープランプでは都市間を繋ぐ高速道路もあるそうだけど、魔物による飛び出し事故被害もあると聞く。
ここまでスピードを出してもいい道は、きっと他にないだろう。
いや、オレも始めは用心して、ゆっくり目に走ってたよ。
だけど道路の特殊さに気づいてからは、全力を出した。
なんと、この笹の葉式道路。走る足あたりは踏み固められた土の柔らかさなのに、走った跡は自動で補修されるといった超技術マテリアルで造られていた。
出来るパッパは、子どものことを熟知して、喜ぶプレゼントを用意するもの。
脱帽だ。
日本もそろそろ冒険者用高速道路について議論してもいい頃合いなので、今この情報を知れたのは良かったな。
現段階なら【こーいうのがあったよー】と報告しても、【もう工事始めちゃったよ?!】ってことにはならないと思われる。
「お疲れ。お前さん、足が速いな」
走った後はクールダウンだ。
ストレッチをしていると、奥に引っ込んでいたご隠居が、サンダルを突っ掛けて外に出てきた。
なにかとチートな石人だけど、鈍足という宿痾持ちだ。
だからご隠居は走るのは潔くパスして、トウヒさんの庭に退避していた。
トンネルゴールの出口前スペース。門の解放・封印はご隠居頼りだ。
折よく到着に出て来たのは、トウヒさんが庭内に居るハジメさんに一報を入れたのだろう。
そのトウヒさんは『念動』でオレに掴まってもらい、マラソンに同行していた。
庭内に残ったメンバーはハジメさん、ご隠居、兄妹となる。
「ああ、山裾トンネルは素晴らしいな。
舗装が自動で修復されるのが、殊に白眉だ」
この東出口トンネル内広場から河西ダンジョンまでは、直線距離だと10キロを切る。
ゴールまで目と鼻の先だ。
山中都市と河西ダンジョンは、トンネルだと近く感じる。
いいや、近くないか。
首を振って思い直すと、汗が鼻先を滴り落ちる。
今『マップ』を確認したら、軽く100キロは離れていた。
走って2時間100キロって、冒険者すごい。
洗い立てのタオルに顔を押し付ける。
汗が地面に落ちるほど走ると、頭が空っぽになるようで気持ちいい。
オレはレベリング中なので、なるべく毎日走るようにしている。体力錬成には走るのが一番だ。
素が貧弱な地球人のレベリング時のアドは、便利なスキルが楽しくて使い込んでしまう精神性と、体の鍛え方のアプローチを詳しく学問していることだ。
適切な負荷を掛けること。そんな地道な努力を怠らなければ、レベルアップは応えてくれる。
やるとやらないとでは、ステータスの伸び方が格段に違う。
この辺を上手いこと利用して、身体能力も伸ばしておきたい。
山中都市の甲殻人は、やたら足が速かった。目指す目標はあのあたりだ。
……いいんだよ!目標は高い方が!
『スピードスター』やらを持ってないような相手に、素で速さで負けた事実が悔しい。
なんなのあいつら。忍の隠れ里に住んでいる甲殻忍者部隊だったりするわけ?
「褒めてくれて、ありがとよ。
この辺の研究は、笹の葉のも苦心してたからよ。
成果を他所さまに褒められちゃあ、喜んだだろう」
「笹の葉の君はマテリアル研究もされていたんだな」
素材系の研究は、ご隠居っていう助手がいたら捗りそうだ。万象を解く『千里眼』が強すぎる。
「ああ。自動修復がついた道は、笹の葉ののが甲殻人向けに生み出した技術だな。
天蓋じゃごく当たり前に基幹道路で使われてるぜ」
「この道の舗装にも世界樹素材が?」
ふと、疑問が沸く。
地産地消で世界樹素材を使っているなら、技術をコピーするのに難度が上がりそう。
「いや、魔物避けで壁には使っているが、舗装自体には入ってねえな。
道の舗装に使う素材は、安価で手に入りやすいものじゃねえといけねえんだとかでよ」
「そうなのか。朗報だな」
走るのは好きだけど、勢い余って舗装をしばしば破損させるのが甲殻人だ。
これからはいつも綺麗な道を走れますよってことになったら、大喜びで歓迎しそう。
こうしてトリビアを聞くと、思ってしまうことがある。
笹の葉の君たち的にはさ、東西合流の妨げになっていた自分たちの死後は、双方の甲殻人たちはなんの問題なく関係を構築し直すと考えていたんだろうな。
山中都市で使うだけの技術なら、世界樹素材で賄ってもいいんだから。
いくら世界樹が巨大でもホープランプ全土の道路に使うには足りなくなる。
入手手段の限られる素材を、道路部分に使ってないのはそういうことだろ?
ままならないな。
偉大な魔法使いもやはり人間だ。未来のことは読めやしない。
甲殻人同士が争うことを、きっと彼らは考えてなかった。
「マスターさん、お水をどうぞー」
一旦庭に引っ込んだトウヒさんが戻ってきて水のタンブラーを渡してくれる。
そしてパタパタと直ぐに引っ込む。忙しない。
「しかしお前さん、随分な汗だな。平気なのかよ?」
ご隠居は物珍しそうにこちらを見る。
ああ。汗腺のない石人はもちろん、甲殻人もこんなには汗を掻いたりしないもんな。
獣人系や鱗族もそういうタイプが多いから、ご隠居の出身はそういった人たちが主流派なのかも。
馬系の人たちは普通人種より汗っ掻きだから、この辺は種族によってケースバイケースだ。
「わたしたちの種族だと運動による排熱は、主に汗による気化熱で賄われる。これが普通だ。
そうだな。語彙での【汗を掻く】は、【働いた】と同様に扱われるぐらいだ」
「へえ、種族特有の慣用句はやっぱりよ。違いがあって面白えな。
石人で言うところの汗は、結露が出る湿度を示す言葉だぜ。
しかし気化熱が必要になるくらい、体に熱を籠らせるって辛くねえのか?
内臓が煮えたりしねえかよ?」
怖いこというなし。
「長めに走ってスッキリした。やはり安全だからと籠るばかりは良くないな。
それと内臓が煮えて動けるほどに、わたしたちの種族は丈夫ではない。だから無理もしてない」
このところ日課をサボっていたから、吹き出す汗が爽快だ。
レモン水が体に染みる。
「そうかよ、ならいいんだが。……まあ、あの道は走るのが好きな奴は楽しいかもな」
ご隠居の口振りは、分かりやすくゲンナリしている。
「ああ、とても楽しかった」
トンネルを走れば、白い天井や壁上部には映像が映し出された。
それは、先史文明人が旅してきた星の旅路だ。
走っていると惑星が近づいたり、遠ざかる。まるで自分が天駆ける宇宙船になったかのようだった。
あれはランナーだけではなく、天文ファンにも喜ばれるに違いない。
ひとつの航路の合間には、外が見えないトンネル内でもランナーが走線移動で迷わないよう、施設内地図の標識が表示される。
地図によれば、トンネルの正門は【米】型の先端の8箇所。
ゼリー山脈の裾野一帯が、幾つもの街として発展してたら、非常に便利だったろう。
このタイムカプセルが、早く見つかるといいのだけど。
ぶっちゃけ長命種のご隠居にサプライズを託けるなら、人数カウンターだけではなく、時間制限もつけておくべきだったんじゃなかろうか。
悪気どころか、好意しかなくても石人特有のタイムスケールで【成就するいつか】をこうして気長に待たれてしまう。
笹の葉の君、草葉の陰であちゃーと苦笑してそう。まさか軽く6、700年も見つからないままとか、想像してなかったに違いない。
ハリウッド等のお約束だと人造生物は、造物主に対して反乱を起こす。
それに比べて甲殻人は先史文明人のことをやたら好きだなって思ってたけど、これだけいつも大事にされていたら愛されている自信になるし、好きにもなるわ。
人造生物という生まれに、彼らが肯定感マシマシで捻たりしない理由がわかる。
「甲殻人たちといい、お前さんらのその気持ちだけはわかんねえなァ。
手足を動かせるのはなにかと便利だが、動かすのが気持ちいいって感覚はよ。
まあしかし。足が達者なのはいいことだ」
うんにゃ、日本人は走るの嫌いな人もいるよ。
近所のみっちゃんなんて、強制参加型のマラソン大会は滅びよ派閥の極左だった。
ほんわか優しいお姉さんにあそこまでロックに嫌われるなんて、マラソン大会氏はいったいなにをやらかしたんだろうか。
「逃げ足は鍛えるようにしている」
「ハ、そいつは周りの奴らも助かるだろうよ」
「ところでだが、ご尊老。一応は聞きておきたい。
皆はしばらく、わたしの預かりでいいだろうか」
当面の後ろ盾はオレでいい?
ご隠居の立場なら、要らん世話な気もするけど。
「おうよ、頼まあ。しかし実と萌の学校通いは、あちらの様子をもっと知ってから考えたい。
しばらく待ってもらっていいか?」
「承知した」
子どもは素直なだけに残酷だ。そして大人の真似をやりたがる。
保護者としては苛められないか心配だよな。その辺は。
そんなわけでトンネルを抜け、数日ぶりに河西ダンジョンに戻ってきた。ら。
ラララ。
ダンジョン周りの環境は、すっかり様変わりをしていた。
遮蔽物になる森は大きく切り開かれて、平らに整地されている。
それはいい。それはいいがそのほかだ。
広く取られたスペースには、立派な土俵が造られていた。
色鮮やかな立て札に、書かれているのは取組表だ。
『結界』の魔道具の横には、ズラリと企業の幟が風に棚引く。
見物客が携えているのは、パンフレットとソース焼きそば。
ビタミンカラーのテントの群れには、しめ縄飾りが掛けられているミスマッチだ。
まわしの代わりに華やかなベルト飾りを締めた力士たちも準備万端。
肩に羽織ったマントを脱ぎ捨て、名を呼ばれるのを今か今かと待っている。
『勝者、雅唐山。決まり手は寄り切り、寄り切りとなります』
『いやあ、今回も力の入る取り組みになりました!』
『両者一歩も譲らず、真っ向からのパワー勝負になりましたね。
勝利力士の雅唐山は、芋農家の三代目。地道な農作業で鍛えた足腰が光りました』
『そこは兼業冒険者だからじゃないんですね?』
『年季の入った『リフト』が、やはり勝負の決め手だったと。素晴らしい粘り腰でした』
『おおー、なるほど!そういうことですか!』
熱気渦巻く会場に、楽しげなアナウンスが流れる。
その間に入るのは土俵の修理だ。
力士たちの熱戦に土のリングは耐えきれず、大破している。
『次の取り組みの前に、行司による土俵の修復が入ります。
皆さま、しばらくお待ちください』
『力戦でしたからねえ』
空に浮かぶ行司が数人集まり、空を切るよう一斉に軍配を振るう。
すると、するすると土俵が再形成されていく。
土が突き締められ、あるべきものがあるべき姿に形が整う。
土俵の修繕は華やかな行司装束と相俟って、それらは実に儀式らしくて見栄えがした。
って、なにやってんの檀さん?!
太ましい体に直垂や烏帽子は、貫禄あってよく似合うけどさ!!
『さて、次の取り組みですが片方は、西ホープランプからの挑戦者となります。
なんと転生ナシの御齢72歳!
しかし老いても益々盛ん!
見よ、あの重装甲姿は歴戦の証!
現役で野良ダンジョン清掃のお仕事をされています!』
『西ホープランプの方なんですよね?』
『捕虜の祖父殿であるそうです。礼儀正しくも独り丸腰で訪ねられて来られましたので、参加して頂きました!
ここで、皆さま、重要なおさらいです。
西ホープランプの力士が予選を5勝し、本戦にひとり出場となれば、捕虜をひとり解放となる恩赦が出ます!』
『礼には礼を。勇士には栄誉と褒賞をということですね。
子や孫を思う、親、祖父母の愛はいずこも同じ。
注目の一戦となりましょう』
『ちなみに東ホープランプの力士が本戦出場となりますと、新規ダンジョン近郊への優先入居権が贈られます』
『いやー、そちらは素直に羨ましいし、妬ましい!
実況、解説の私共は既に5敗の黒星で、本戦参加の篩からは落とされています!』
『皆、やる気は充分ですから。
悔しい負け犬の同士たちよ、ここでメゲずに次期場所の開催まで練習をしながら待ちましょう!
相撲は蹲踞に始まります。これは対戦相手へ敬意を表す儀礼とのこと。
我らも力士に相応しい行いを、普段から心掛けたいものですね。
さあ、話しているうちに土俵の準備も整いました!』
八卦良ぉい。
のこった、のこった!
力士の激突で甲殻間に飛び散る火花。
ムゥン!と渾身の張り手パワー!
人が天高く打ち上げられたが、空中で華麗な2回転。そしてズドンと足からの着地。
熱を帯びる技の掛け合いに土俵が割れる。
なにこの青空国技館。カオスってもんじゃねーぞ。
コメント、リアクション、評価、誤字報告等、感謝です。
引きこもりを、外に強制オープンさせるなら、戸の隙間から(/ω・\)チラッ と覗きような祭りをやるべし。そう古事記に書かれていますし。




