30 殺人鬼ゲルガン
12日目夕方、拠点にて。
「もし、そこのお方。当家になにかご用事ですの?」
槙の生け垣に身を潜めていたイチメ笠の人影は、掛けられた声にはっと振り向く。
「前の雨の日もそうやっていらしたようですけど、同じ方、ですわよね?
当家は此方に越したばかりですけど、ひょっとして、前に住まいの方にご用事ですの?
……それとも、ご用は私でしょうか?」
まだ黄昏時というのに、空は暗く、手燭を持った乙女の周りだけほの明るい。
明かりに浮かぶ白い顔。頬に落ちる黒髪の艶やかさ。切れ長の瞼に掛かる睫毛の影すら作り物めいて美しい少女だ。
紅を塗ったわけではないのに赤い唇が、蠱惑的に弧を描くのを人影は呆然と見つめる。
「先日、恋文を頂きましたの。あのような情熱的なお手紙、私、初めてで」
乙女はそっと胸元を撫でる。
そこに恋文を仕舞ってありますとでも言いたげに。
「文をしたためた方にお会いしたかったのです」
一歩詰める足袋の動きのなよやかなこと。
黒い瞳と目が合えば、呼吸すら儘ならない。
羞じらうように袂で唇を隠す、無辜の媚態のいとけなさときたら!
「はしたないと思わないでくださいましね。お返事はどなたに返したらいいか、あなたはご存知?」
「あっ、ああ!ワシだ、ワシが書いた!」
乙女はいっとう優しく微笑む。
「私が美しいから、時を止めたいのですよね?」
「そのとおりだ!き、君は綺麗だ!醜くなる前に、ああ、止めなくては」
懐から刃物を取り出した、その瞬間だった。
「御用である!」
屋敷の影に潜んでいたジュッテ持ちらが、イチメ笠の…初老の男を取り押さえた。
飛ばされた笠が地面に落ちると、虫のタレギヌに隠されていた、その風貌が晒される。
「婦女子暴行未遂現行犯逮捕、及び連続殺人鬼、通称【橋鬼】!その嫌疑がその方に掛かっている!神妙にいたせ!」
「ええ、なんかあっさり」
「【橋鬼】こいつレベル20だぞ。暴れさせていいのか?」
「ひえっ、お役人さん、サイコー!きゃー格好いいー!」
「つまり自力で捕らえるのはムリゲーだったと?」
なんてこったい。
位階上げに励んだのに空振りか。
「ああ、冒険者に成り立てがよくある【俺だって少しは強くなった】その鼻を折る為のシナリオだからな。ブギョウショを素直に頼ってくれたお陰で、キャラロストが防げたな、いや、良かった。
お前さんらが慎重で俺は嬉しい。
現実でもその心配りを忘れずに動いてくれ」
「………そう言えば最初からブギョウショに駆け込むまでがゴールって言ってたわね。
なんか犯人は囲んでボコらないといけないような気がしてたけど」
それな。
TRPGの『異界撹拌』、戦闘してもいいけど、しなくてもいい。そういうスタンスのゲームなのかも。
まさかボス戦スキップ2回目とか(戦ったら死ぬ)は想定外だ。
「おいおい、過剰防衛はお上に注意されてしまうぞ」
「そんなあ」
アリアン嬢が世知辛さに唸る。
美少年美少女を狙う殺人鬼ってあたりでサブイボ立ててたからな。
「GM、【橋鬼】は単独犯でしたか?
何故、目撃情報がなかったのでしょう!」
「単独犯だ。こいつ、加齢とサボりでレベルダウンしているが、元は位階40を越えた猛者だ。
ダイスで判明した通り良いとこの次男以下で、若い頃はブイブイいわせてたが年増の商売女にいいようにされてから、女性不信を拗らせて結婚せずに今にいたる。
ゲンゴロウやタカアキラが狙われたら完全にダンショクになった設定で出てきたな。
レベルは下がっても、スキルは持ったままなんで、つまり、その手のスキルを持っている。
あまりにも証人が見つからないんで、警察もそれを前提に動いていた」
突っ込みどころ満載のキャラ設定が開示されてしまった。
推理ものとは違うから【謎の中国人】的なノックスの十戒には引っ掛からないにしてもこれは酷い。
「うわ、警察強い」
「凶悪犯相手だから、強いのを用意したんだ。
ただのストーカーとして届け出てたらダイス次第では善良なお巡りさんが恋敵と勘違いされて可哀想なことになったかもしれん。
でもこれはシナリオ上の話なんで、脅迫状やストーカーらしき影があったら即、相談するように。
この手の問題は黙って我慢が一番悪い」
「あ」
なんだ、その「あ」は。
ええい、もう我慢ならん!
「エンフィ。わたしは『探索』があるんだが、お前、なんか不味いことになってないか?」
エンフィは暫く黙考した。
やがて、仕方ないと吐息をつく。
「…なにも証拠のない話をして構わないだろうか」
「むしろ知らないと怖いんだが。今お前の話を聞かないと、わたしを含めこの内の誰かがやばそうな気がする」
『探知』先生がゆんゆんしている。
ここに!イベントが!埋まって!ます!
言語化するならそんな感じ。
「教官、私たちが違う人の記憶を持つ者もいると言うことはご存知でしょうか」
ちょ、お前、いきなりなんだ。
中の人の話題は現地の人には御法度だろ?!
「ああ、いるな。この中じゃエンフィとリュアルテはそうだろう。いくらなんでもスキルの数が多すぎる。
死者の記憶を持つのは苦痛と思って問わなかったが、前世に関係する話か?」
あ、そっちね。さーせん。
「はい。前世で私は殺人鬼のターゲットになったことがあります」
「は?!」
ヨウル、立つな。ステイ。
腕を掴んで座らせる。冒険者にはよくあることだ。
「殺人鬼は巷で言うところの英雄症でした。官権に捕まると自殺して49日後に別人になって戻ってくるタイプです。
今、それがサリアータにいます。
前は腕っぷし自慢だったので、切り抜けられましたが現在襲われると助からないでしょう。
今までお世話になりました」
お世話になりました。じゃない、ちょっと待て。
秘密を打ち明けてすっきりした顔をするな。腹が立つなこいつ。
「今のお前が前世のそれだとバレているのか?」
エンフィの両肩に手を置いて顔を覗き込む。
まず、それが重要だ。
「私が今、死んでいないからまだバレてはいないと思う。でも時間の問題だな。多分私を追いかけてきたんだろうし」
うわ、悪質プレイヤーの追っかけか。エンフィも災難だ。
「どこの誰だ、そいつは?!」
アスターク教官がグルルと唸る。全身の毛を逆立てた臨戦態勢だ。
ほらエンフィ、お前の為に教官怒ってくれてんじゃん。反省しろ。
「わかりません。前世で功績ポイントを積んで誂えた天敵レーダーが反応してたので。これは同じ都市にいると教えてくれるだけで、特定はしてくれません」
「そいつ通称はあるのか?」
「【ゲルガン】と」
「大物じゃない?!」
その名前にトト教官の目の色が変わり、
「よりにもよって厄介な」
アスターク教官が舌打ちする。
「リュアルテ、知ってる?」
「わたしは一部地域しか知らないからよくわからない。【ゲルガン】はナマハゲの亜種だと思っていた」
『異界撹拌』での妖怪とか、都市伝説みたいな。花子さんとか、テケテケとかのそのあたり。実在の人物とは思わなんだ。
「なまはげ」
「確かに刃物を持って、追いかけられはしたが。なまはげ」
「エンフィ、暫くお前はホテルに缶詰だ。他所に逃がす準備が出来次第」
エンフィは教官の言葉を手の動きで遮った。
「多分、相手も天敵レーダー持っています。やつは私の命を狙いましたが、捕まえてギルドに付き出したことがあるので、使用条件に当てはまるかと。
私が使えるなら相手も使えると考えるべきです」
「くそがっ!」
「それに、現状サリアータ近辺が平穏なら、やつはまだ観察はしても手は出していない状況です。生まれ変わってなんの罪もない状態でしょう?
私がいると主張しているだけで物証がひとつもありません」
だから黙っていたと、この困ったちゃんが!
報告!連絡!相談!
ホウレンソウは大事だって後で復唱させておこう。
『探知』なかったらまず気がつかないんだからな?!
「教官、【ゲルガン】とはどんな人物ですか?」
不安そうなクロフリャカ嬢の手をアリアン嬢が握る。
「ここ数年で、有名になった悪霊だ。英雄症が出た人物に取り付き、必ず破滅させる。
その過程で他の英雄症の者を好んで殺戮するから【英雄】殺しの2つ名が付いているな。
それとだな、ゲルガンのような悪霊化した英霊はギルドから呪いが掛けられる。
英雄症のやつらが強いのは、なんといっても豊富なスキルの数にあるからな。
それを踏まえて、攻撃スキルの封印だ。この封印は魂に刻まれているので、徳を詰まないと解けない………んだが、ゲルガンみたいに攻撃スキルがなくても強い英雄症のバグはいる」
このゲーム、デスペナはロストだが、やらかした犯人は更にペナルティが重い。
捕まったらゲーム内刑務所行きだし、自殺してもゲーム時間内49日、禊として新キャラが製作できなくなる。
攻撃スキルが封印されるのは、アスターク教官の弁の通りだ。
なのにPK、出てくるんだよ。不思議と。
人間の業は深い。
「オレみたいなのに攻撃スキルなかったらヨワヨワじゃん?!
あ、『エンチャント』武器で補っていたとか?!」
「魂に封印を刻まれた英霊は、攻撃スキルを『エンチャント』した道具は一切つかえん」
「ぐえっ」
ぐえ?
離れたところで、ジャスミンがサリーに転がされている。そしてテキパキと拘束されている。
なにやってるのサリー?!
「なにやら決心した顔で、気配を殺して出ていこうとしたので、少し強引でしたが止めさせて頂きました」
あ、これは褒めなきゃいけないやつだ。
ビッと親指を立てると、控えめにはにかむその笑顔はプライスレス。
しかし、サリー強くない?
多分高位の犬の人より位階が上かなって思うけど…オレの従者してていいんだろうか?
ゲームの楽しみかたは人それぞれだけどさ。
「ありがたい!今の私では、こいつを力ずくでは大人しくさせてやることができんからな!」
「ふざけんな、俺がお前を見つけるのどれだけ大変だったと思うんだ!
お前を簡単に殺させてなんかやるものかよ!」
ジャスミンは元気にビタンビタンしている。
…あれ、リアルの知り合いじゃなかったん?
「え、ストーカー?」
シナリオクリア?したてだから、ヨウルが聞きたくなる気持ちはわかる。
アリアン嬢もそこはかとなく引いていたし。
「違え!前世からの従者だ!」
「従者だったかは置いといて、親しい間柄だったとは思っている!」
なんだ、ジャスミンは無罪か。冤罪イクナイ。
そうだよな、友人が質の悪いのに狙われたら怒って心配になるよな。
そこで打ち合わせもなく探し出せちゃうあたりが有能すぎてうすら寒いけど。
「差し出がましいのですが、ひとつ御提案が」
「んだよ?」
目付き悪いなジャスミン。
ちょっとエンフィー。お前の友達ヤクザなんですけどー。
うちのサリーに絡むの止めて貰えますぅ?
いや、足蹴にした上、縄でぎゅっぎゅと絞めているのはサリーだから妥当ではあるけれど心情的に。
「ギルドで最新のストーカー防止措置を手続きしましょう。
所謂【悪霊よけ】です。此方から関われなくなりますが、相手も関われなくなります。天敵判定が出ているなら、仲間判定したグループも効果範囲に含まれますよ。
相手が殺人鬼なら、さぞかしカルマを溜め込んでいるでしょうし行動範囲が縛られるのは其方のみになるんではないでしょうか」
「……そんなのあったか?」
教官が記憶を探るように目を細める。
「最近、施行されました。
【ゲルガン】だけではなく、有名人をしつこく狙う悪霊は一定数いますから。
それに嫌気がさした者の転生が続いたり、世界に降りることを止めた層がいるらしいので、ギルドの呪い師たちが血反吐を吐きながらシステムを組んだと聞きました。
カルマ値に反応するらしく、低い方の行動を優先させる作りのようで。
お行儀のいい紳士淑女が使う分にはさして問題はありませんかと」
「サリー、耳敏いな」
「界隈では待ち望まれていましたから。
北国の王子殿下やフラットーネの炎の君、砲撃のドゥルウダ。数々の英霊がサリアータの人柱に志願したのは、しつこいストーカーが気持ち悪かったのでは…?
そんな疑惑がありまして」
うん、オレの前世の人も崩落しつつあるサリアータを支える人柱として、長い眠りに就いている…ことになっている。
人柱っても死んでないからノーカンだ。
「英霊の高貴な振る舞いに余分な疑念を抱かせるのは勘弁してくれ。
真剣に感謝している人もいるんだぞ?」
「理由がどうあれ、素晴らしい行いに変わりはないので我慢して下さい」
ヒュー。サリーさんってばクール。
「なるほど。今すぐ処置に伺うのは、ギルドに迷惑でしょうか!」
おっ。エンフィ元気になったかな。
「…明日の10時過ぎがいいだろうな。案件がスムーズに行われるように連絡だけは入れておく」
教官同士でアイコンタクト。トト教官がするりと出ていく。
情報収集に出たと見た。情報の裏付けをとるのも大事だものな。
「なあ、サリーさんや。そろそろ縄を解いてくれんかな」
そこでエンフィが待ったを掛ける。
「駄目だな!措置を終えるまでは、拘束を頼みたい!
ジャスミンが悪霊狩りをして悪霊になっても困る!」
「おまっ、俺を信じられんのかよ!」
「お前は情に厚い男だ。お前の義と勇は、あれを目の前にして放置できるのか?
出来ないだろうと信じている。
だから行動を封じさせて貰う」
「………っ」
ジャスミンは目をかっ開いて、絶句した。
うわあ、卑怯だなエンフィ。これは卑怯だ。この猛獣使いめ。