296 ゲーミング雨蛙
実少年の妹ちゃんは、ぷっくりほっぺに明るい栗毛の子リスちゃんだった。
眉間ではなく額にだが、インドのお人がよくしている赤いビンディのような楕円の印を描いている。かわゆい。
見るからに怪我人のお兄ちゃんにはしがみつけないので、ご隠居さんの長い足の後ろに隠れて顔だけ出している。
ドーモ、異貌の不審者デス。
妹ちゃん、こちらをじーっと見てマスネー!
視線の強さに穴が空きそう。
彼女にしてみたら宇宙人にアブダクションされたようなものだ。ギャン泣きされないだけ御の字である。
学校帰りに家に誰もいなくてフテ寝して、寝惚けていたところを問答無用だ。妖精さん運輸で連れ去りしたので、当たり前だが警戒されている。
犯行の一味にはお兄ちゃんとご隠居が加わっているから、とりあえず全力で騒ぐのは保留しておいてやろうという態度だ。賢そう。
「萌。しっかりと聞いてくれ。
見ての通り兄ちゃんは、父さんと大喧嘩した。もう家に戻れないから都市の外に出て行く。
兄ちゃんはお前が好きだから一緒にいたいけど、お前はどうしたい?」
「……。だからお外に詳しいお爺ちゃまと一緒なのね。
お兄ちゃんのお怪我は。……パパがやっぱりお兄ちゃんをいじめたの?」
少女はやや長く考えてから、唇をきゅっと噛む。
オレにも妹がいるからわかる。敏い子どもはいるものだ。
特に女の子は親のことをよく見ている。
心当たりがあったのだろう。
父親の暴挙を聞いたというのに、少女は嘘だと喚き立てることも泣くこともしなかった。
ただ、なにかを諦めたような水の気配を滲ませている。
「俺って生意気で口煩いからなあ。つい殴りたくなるんだろ。
ホラ、父さんも余裕のあるタイプじゃないし?」
対する実少年の口ぶりはなんてことないさ、と、いっそ明るく軽やかだ。
だけど売り言葉に買い言葉。一発張り手が出てしまったくらいなら、いくら子どもに弱いハジメさんでも即座に介入を試みはしない。
ハジメさんが間に合わなかったら……そんなもしもに冷や汗を掻いたような大怪我だ。
けして実少年の言葉通りに、軽く流せるものじゃなかった。
体もだが、心配なのは心の傷だ。
これくらいの年の子どもなら、親なんて生きる世界そのものだろう。
それに手酷く突き放されて、平気なわけがあるものか。
彼らの精神の支柱になってくれる、ご隠居が居てくれて良かった。
空元気でも元気は元気だ。
少年のいじらしさにモヤモヤする。
軽薄な態度は、誰のためのものかは言わずもがな。だから口をつぐむけどさ。
腹立つわー。
ろくな事情も知らないのに、つい悪口が出てしまいそうだ。黙っとこう。
「あのね。萌は、例えいけない人だとしても萌にやさしかったパパが好きよ。でもお兄ちゃんも好き。
そう、自分でえらばなくちゃいけないのね」
「いや。お前が嫌がって泣いても連れてくけどさ」
「………もう、お兄ちゃん。それがお兄ちゃんのダメなとこよ?
そんな勝手なワガママ、萌じゃなかったら許さないんだからね?」
「知ってるー!」
めっと小さな妹に叱られて、少年はケラケラ笑う。
「聡明な子だな」
自分に自信がある女の子って小さくても貫禄がある。内心タジタジだ。
「自慢の妹ですので!
萌。この方は危ないところを助けてくれた妖精の主で、俺の怪我を手当てしてくれた恩人だ。ご挨拶できるな?」
「妖精の……?
ええと、萌です。7さいです。宮の杜女学院初等科生です。兄がおせわになりました。ありがとうございます」
そこまで酷いことをされたのか。と、一瞬表情を曇らせた少女だったがハッとして、緩く握った右の拳を左肩にあてた。
左手はスカートを淑やかに摘まむ。
「ご丁寧に痛み入る。わたしは篠宮流士。18歳だ」
年齢的には小学の1、2生ってとこか。
物怖じせず、きちんと挨拶できて偉い。
この歳で、いつも誠実な微笑みを絶やさないホープランプ淑女の片鱗があるとか、末恐ろしいな。
こちらも負けてはいられない。礼法スキルさん仕込みの立礼を返しておく。
それでなくても彼女らにとって、オレは異貌だ。初対面の印象は大事。
「お前さん、そんなに若かったのかよ」
「辛うじて、国では成人している」
まあ一応。
アラサウザンドな石人からしてみれば、10歳の小学生どころか100歳の爺でもバブの誤差よ。
と、そこで来客を報せる玄関のカエルが【お帰りなさい】とケロケロ鳴く。
玄関守として鎮座する緑のカエルの置物は、人感センサーと『洗浄』、『ライト』らが仕込んである。
正に科学と魔道工学の合の子なキメラだ。魔工学ラボ謹製、和製魔道具の試作品だ。
ドアが外側から開けられると全自動。ゲーミングに光り、歌って踊る。あまつさえ『洗浄』のシャワーを浴びせようと待ち構えている、そんなカエルの置物はアレだ。
油断していたご隠居を、【こいつ、生きていやがるぞ?!】と、無意味にビビり散らさせたブツでもある。
生きてません。
ゲーミング蛙を玄関で出迎えさせてしまったせいで、日本文化が間違って理解されてしまった気がする。
ご隠居の住まいは美しい田舎暮らし風でセンスあったよな。 反省。
ちなみに実少年は少年らしく、【スゲー!ナニコレ意味わかんない!】と大爆笑でウケてくれた。
やはり子どもは年寄りに比べ、反応に弾性がある。
玄関の蛙は妖精さんたちもお気に入りだ。
ユーザーの感想としては正直なところ、いらん機能はバッサリ省き、もっとシンプルに使いたい。
玄関に置くにしても、任意で使える『洗浄』だけでよくない?
なぜ七色にピカピカ光らせ、歌って踊らせたんだろう。
謎だ。
いや、基礎研究ってそんなもんかもしれんけど。
研究施設を優先して付与石を卸していた関係で、そーゆー迷走している試作品を【これからもよろしくゲヘヘ】とちょくちょく付け届けされたりしてたのだ。株主優待みたいなものかな。
「ご歓談中失礼するもし。偵察してきた裏門は破落戸さんに占拠されているもし。
そして、喫緊のご報告もし。ご隠居さんのお宅に押し入り強盗があったもし」
外に放流していたハジメさんが、任務を果たしててててーと戻ってきた。
「想像よりも動きが早かったな」
うっわ。呑気にしてたけど、ギリギリセーフ。
妹ちゃんを迎えに行くのと、入れ違いだったのか。危なー!
話を聞きに来るんじゃなくて、押し入り強盗ってあたりがどうも不穏だ。
いざとなればそう、乗員が消えた姿で海に漂流していたメアリー・セレスト号よろしく、あちこちに暮らしの気配を残したままドロンする目算はあった。
しかしやらないで済むならその方がありがたい。
実少年の神隠し失踪事件に続き、新たな都市伝説を作ってしまうところだった。
「映像を出すもし」
いつもは映画を見ている居間のスクリーンに、ハジメさんが撮ってきた洞窟住居付近の様子が映る。
大きく映された玄関のドアは一旦枠ごと外されて、無理矢理嵌め込まれた跡があった。
舞台物コントかな?
似たやつを昭和世界のテレビで見たぞ。
しかし甲殻人は、ドアになんの怨みがあるんだろうか。
溢れるパワーが抑え切れない成長途中のお子さんたちは、ドアノブを破壊しながら育つとは聴いている。
だから学校のドアは横戸で、ドアの修理は皆が皆、得意になるんだとか云々。
ええい、他人さまの家で故意に重機働きをやるんじゃない!
思わず吹きそうになっただろうが!
「そういや玄関の鎧戸で、硬化処理を試したっけな。おう、まずまずの出来じゃねえか」
ご隠居、ご隠居。変に満足げだけどさ。
壊されたドア枠の感想が、それでいいわけ?
自宅を荒らされた被害者の自覚ある?
実少年のご先祖たちに、代々うっかりで玄関を粉砕されてきたのかなあ……。
室内の荒らされた状況を映した何枚かの静止画の後には、改めて動画が流れる。
そちらは裏門の様子だった。
壁に偽装された門の前。かったるそうに地座りをし、水煙草みたいなものを喫している者が5人ほど。
映像で見る限り、扉がある座標はただの壁だ。
山中都市の壁は魔力を弾くし、スキルもろくに通らない。
そこに扉があることなんて、教えられても気付けんぞ、コレ。
『暇だなあ』
『上の奴らは頭が沸いてる。いくら石の翁の伝手があっても、すぐさま外に逃げ出せるわけがねえよ』
『まあ、なあ。あそこは置き薬もないだろうしな。怪我人が逃げ込むなら病院か、家を出た従兄弟んとこか、農協か、商店街の奴らあたりンとこだろ』
『ったく知恵を使えってんだ!』
『あん?文句あんならお前が言ってこい』
『やだよ。あいつらおっかねし』
山中都市にも農協ってあるのか。
待ち伏せ。……にしては緊張感ないな、奴ら。
水パイプを吹かす姿は優雅なものだ。
甲殻人に煙草は毒性が強すぎるから、ソレではないとしてもナニ吸ってるんだろ。
楽しくなっちゃうお薬だろうか。
ううむ。偏見があるので、ダーティな想像ばかりをしてしまう。
「あら…パパの親戚のおじさまと、その取り巻きたちね」
おじさまだったのか。下手な軽口を叩かんで良かった。
例え相手が破落戸でも父親や血縁の悪口はアウトだ。子どもに聞かせるものじゃない。
しかし同じアウトローでも、常識の違いが出るものだ。
真っ当に働いている甲殻人は仕事道具のゴツい魔道具で、外歩き姿はいつもジャラジャラ飾り物をしている。
まだ子どもな実少年や萌ちゃんですら、学用キットでジャラっているぐらいだ。
いい大人がこれほど魔道具を身につけていないのって、休日の家の中くらいじゃなかろうか。
……いや。東西文化の違いのセンもある。色眼鏡はよくなかった。
オレもアクセサリは実用以上につけてはいない。
第一、怪しさ勝負では異界人のこちらが勝つ。石を投げればブーメラン軌道だ。
「東の甲殻人は平常、魔道具を多く身に付けていた。こちらの文化は違うのだろうか?」
彼らは薬中だったりするの?
なんてこと、少年少女の前では聞き辛い。
オレが山中都市の風俗に疎いだけで、彼らにとっては合法で一般的な……そうチューインガムみたいな嗜好品なのかもしれんしな!
「あー。あいつら基本、輩なんですよね。まともな仕事を任せられないから、捨扶持もらって暇してるんでろくなことをしないんですよ。
試験を受けて任官しているような士爵たちはオフィシャルで黒揃えにしているものですが、奴らは素の色のままでしょう?
あいつらも出身だけは、都市誕生以来の名家なんです。
魔道具すらろくに身に付けてない、婆娑羅者なあの姿でも一応は。
今でも世間さまには人気のある先祖たちの勲功で、領主家も家を取り潰しすることも出来ずに目こぼししているという都市の汚物です。
生きていて恥ずかしくないんですかね?」
おっと、辛辣だな。少年。
これはストレス溜まってる。
「仕方ねえな。大分遠回りになっちまうが、外には陵墓の隠し通路から出るかよ」
隠し通路とな。なにその心踊るキーワード。
わくわくしますよ?
コメント、リアクション、評価、誤字報告等、感謝です。
週一どころかいつもの時間にすら間に合いませんでしたが、日付は守れましたよ。ゲフンゲフン。