295 三貴漆の杜
昼間だけど、夜逃げの準備だ。
甲殻人の種族スキルにゃ『ピット』も『エコー』もあるからして、彼らは天然の狩人だ。
スキルを使って気の張る夜より、視力に頼りがちな昼の方が逃亡するのは狙い目なんだと。
そう聞けば、日のあるうちに外に出たくなるというものだ。
「その……妖精の庭が使えるなら、一族の形見に苗木らを持っていきたいです」
実少年のおねだりで、ご隠居の庵近くの杜から三貴漆の木の拝借を目論む。
私有地の突き当たりで、杜に人気がないからやれる暴挙だ。
現状、実少年が生きていることは極力バラしたくはない。
だから家にあるような思い出の品は全て置いていく。その代わりだ。
里心ついた時、よすがになる物のひとつやふたつはあっていいよな?
一度山中都市の外に出たら、いつ帰れるかわからないなら尚更だ。
「こんなに立派な木を持ち出してしまって、いいのだろうか」
花泥棒には罪がない。そう笑って赦されるのは精々が梅の花一枝程度だ。
樹木丸ごと持ち出しは妙な罪悪感ある。
杜は少し荒れていたが、狙いはたわわな実を付けた麗しの果樹だ。
農業バイト経験者としては、猪にハクビシン、時にはニンゲンどもといった作物泥棒は絶許だ。
絶許だが……これが密漁者や野菜泥棒の気分……!
いけないことはスリルがあって楽しいもの。
背徳感は、蜜の味だ。
癖になったら大変困る。ここは形見という大義名分を大事にしたい。
木のオーナーは実少年ということで許されたし。
果樹を根こそぎ拝借した穴は『地面操作』でならしておく。
「いいです。この杜の広さです。
悔しいですけど、維持も俺と妹だけじゃとても手が回らなかったんですよね。
摘果も間に合わず、果実もただ生らせっぱなしで恥ずかしいです」
鈴なりの果実を見て、実少年が溜め息をつく。
「木のお世話するの、楽しみもし!」
実少年の膝から降りたハジメさんは、フンスと鼻息荒い。
掘り起こされた木々を、己の小異界にいそいそ仕舞う張り切りようだ。
仕事が増える気配を察し、ご機嫌である。
やることがいっぱいだと幸福メーターがギュンギュンが上がる。それが妖精さんというものだ。
一方トウヒさんはというと、療養中のロボ男さんの代わりにご隠居の荷造り補助に活躍している。
樹木泥棒はその隙間時間の犯行だ。
「果実が採れる杜を、失くしてしまうのは惜しいな」
この杜が地上げ対象なんだよな?
人口増加からマンションを建てるにしても勿体ない。
「本当ですよ。入植した時に移植した記念樹は大事なものだから最低でも抜かれやしないと思いたいですけど………最悪なのは杜の価値を落とすためにこの杜を、煙草畑にしようとする奴らの思惑です。
真っ当な人間なら、杜跡地のマンションに住むなんて後ろ指を指されることは避けます。
でも一旦煙草畑になってしまえば【煙草畑にしとくよりはマンションはマシか】って気分になります。
父さんの親戚、血筋はいいヤクザなんで始末におえないんですよね!」
血筋のいいヤクザって地元の権力者じゃないですか。やだー!
実少年は熊が爪で掻いたような三本線の残る樹皮を撫でる。
「王族たちは3番目の目。ホープランプを額に育てますでしょう?
だから王族たちは3という数字を雅号や印、素晴らしい贈り物の意味としても使ってきました。
三貴漆の名前に、数字が入る由来もそれです」
「目の形が元だという伝統的な装飾は、確かに良く見掛ける印象だ」
意匠化されているので、詳しく解説されなきゃわからんやつ。
「叱られる時はモチーフの下に立たされて【目の紋の前に立ち、あなたは恥ずかしくない行いをしましたか?】そう反省させられるやつですね!」
実少年はハハハと笑う。
さては常習犯だな、きみ?
「この三貴漆の樹脂は、士爵たちが黒塗りをする塗料の素材でもあるんですよ。
春一番に咲く花、初夏に実る果実、油の取れる種子、氷張る冬に取る樹脂。どこにも毒がなくて美味しいんで、虫や魔物によく狙われるんです。
三貴漆は地中都市でないと育てるの難しいのに、あいつら、っとろくなことをしない」
ああ、劇でもやってたな。蔵人の黒塗りは。
襲撃された時に黒塗りしてたのは覆面代わりかと判断したけど、違ったのか。
……っていうと、彼らのアイデンティティからして美味しいお米が取れる田んぼを、埋め立てるようなものでは?
自分で自分の首を絞めてない?大丈夫?
「ひとつ聞きたい。地下都市で煙草を育てても平気なのか?」
煙草は襲撃でも使われた。
甲殻人に煙草は危険な印象ばかりがある。
あえて栽培しようとするのなら、山中都市では毒も薬とするなんらかの手段が確立されてるということだろうか。
煙草は山中都市では合法なん?
戸惑うぞ。
だとしても、地下都市は閉鎖空間だ。
万一に火災が起きでもしたらおヤバくない?
「平気じゃないです。あんな危険なもの!
煙草自体は世界樹ダンジョンで、沢山出てくる蛇の駆除に使われます。
だから野良ダンジョン掃除に樹海歩きをする人たちにとって煙草摘みは、道すがらの利幅の高い採取バイトでもあるんです。それは確かですけどね。
ですが換金性が高くても、真っ当な農家なら煙草栽培なんて二の足を踏みます!」
んんん?
山中都市で煙草は魔物駆除薬として頻繁に使われているってこと?
そういやサバイバル教本で煙草は蛇の忌避剤になるって読んだことある。
「では、どうしてその栽培を?」
実少年は唇を噛む。
「………杜が杜のままであるならば、その存続に民意が集まります。
例えご領主の一族の強権ですら【待った】が掛かりました。そう証明されてしまいましたから。
人口増加で住居が足りなくて困る。だから余剰の杜を減らしたい、そこまでは仕方ないかなと俺も思わなくはないんです。
都市の外で暮らしていこうとするには、余程の覚悟が必要ですから。
でも一族を取り纏め、責任のある立場の祖母や母は、俺とはまた違った意見がありました。
山中都市が拓かれた際にご先祖さんが、王族から特に守るように頼まれたのがこの三貴漆の杜です」
「伝来の土地なのだな」
先史文明人関連というと、実くん家はいわば神職みたいなものか。
地元に密着したお寺さんは地域コミュの一角を担うイメージだ。
「はい。ですが、少し特殊な地権があるとはいえ家は所詮、農家です。
母さんの親戚衆は杜の切り売りを反骨精神バリバリに逆らったんで、俺みたいな子どもを残して族滅ですよ。
……。
でもだって、売れと言われても困ります。母さんたちの立場ならNOと言うしかありません。杜は俺らが世話をさせてもらっているだけで、本来は王族の農園です。
俺らのものじゃないのに、金で渡せと言われて渡せるわけないじゃないですか」
「なるほど」
名だたる御神木の杜を切り売りしろと言われたら、それはそう。
代々の管理人としては激オコだろう。
「あの日、親戚の伝手で見逃された父さん以外の成人で、助かったのは家を出ている男だけです。
あっという間のことでした。
逆らっても無駄になるかもしれない。強引に接収されるかもな。そんな不穏な気配は感じていました。
でも、濡れ衣を着せてまで族滅させられるとは俺らも想像出来なくて」
「なんと」
なんて?
「あまりに非道働きが過ぎると、保守派勢力の中の穏健派からもそれは待ったと監視がはいったので、現在のところ土地の接収は凍結状態になっています。
そうした最中、権力者にビビって俺から進んで杜を寄進させようとする父さんと、父さんを使って保守派に阿り甘い汁を吸いたい父方親戚衆の構造となります。
煙草栽培の話が出たのは、杜を潰すのに管理人に濡れ衣を着せて土地を奪おうとした手段が汚すぎて、民意の非難が集まったので、搦め手です」
「は?」
いかん。低い声が出てしまった。
鈴鳴る声質の甲殻人は、トーンの低い声に慣れてない。あまり低い声を出すと何事かと驚かせてしまう。
しかし嘘だろ。女から殺すってマジ?
なにかの慣用句の表記揺れじゃなくて、本気の本気で?
天を仰ぎたくなる。
そこまで苛烈な家の取り潰しとか、時代劇そのままじゃん。
ホープランプの家長制度は、荒事から女を守るための家督相続。そのはずだ。
甲殻人に男気あるゆえの体制なのに本末転倒だろうが。
「首謀者は誰だ?」
「首謀者…かどうかはわかりませんが、実行したのは領主の息子と、その取り巻きの愚連隊です。
現領主には跡取りのご令嬢が居ますので、あの輩はいざという時の代理ですね。
領主一族に生まれた男が家に残るのには、余程の手柄か才覚が必要です。
なので代々、領主一族の正嫡の女は安定を司り、男は革新を担う権限を持つんです。
だけども今代の保守派はやたら過激で。
【犯行は部下が勝手にやったことだ】そんなん嘘だって、子どものオレでもわかります。
なのに行動が派手で荒っぽいから、腕っぷし自慢で頭の軽いのには人気があるんですよね。あの方。
全員纏めて死ねばいいのに」
実少年は吐き捨てる。
行動が過激な保守派ね。字面に違和感だ。
あの赤い甲殻の坊っちゃんは、確かに暴力が好きな男には人気ありそうだ。
社会が淀み停滞すると、エッジの効いたカリスマが出てきたりする。
暴力も力であることには否めない。
だからこそ刀は鞘に納められていなきゃいかんのに、抜き身の刃はハッと目を引く。
歴史によくある人間社会の愚かさだな。
「やるなよ?」
2階相当の家の中、明かり取りの窓からご隠居の苦言が降ってくる。やだ、ご隠居ったら地獄耳。
ご隠居は家具の回収作業中だ。フラっと雲隠れするようなそんな時でも本だけは残していかないのが石人クオリティだ。
「やだなー、ご隠居。俺程度でどうにかなる程度の武力集団なら、一族をメタメタにされてないよ。
ご隠居やロボ男、妹がいなくて俺独りだったら、父さんの親戚衆に面従腹背して1チャン復讐を狙ったかもだけどさ!」
朗らかだけど、本気の匂いだ。
この利発な少年ならやり遂げそうで末恐ろしい。
「…… めが。まともな男だと思ったのによ」
「俺も信じていたよ。今はショックでああなってるけど、心を尽くせばどうにかなるって、そんな風に。
まさか、うちの父さんがなあ」
「置いていっていいのか。このままだとろくな死にかたしないぞ、あいつ」
「覚悟が鈍るからやめてくれよ。ご隠居。
……うん。馬鹿みたいだけどさ、俺は父さんを嫌いになれない。
でもさ、やっぱり妹の側に居て欲しくない。あの人に本物の子殺しをさせたくないかな。
あれでも母さんの夫で、俺と妹の父さんだった人だ。
っ。
どうしてああなっちゃったんだろう……」
最後の呟きは溢すつもりのない嘆きだったのか、実少年は拳で口元を押さえる。
こんな時は人生経験の足りなさが浮き彫りになる。掛けてやれる言葉なんて出てきやしない。
頭を乱暴に撫でてやるにも怪我人だ。
代わりに椅子に座ったままの肩に、そっと手を置く。
「そういえば、件の彼はどうしたんだ。実を目の前で拐ったのだろう?」
どうよ、ハジメさん?
「お酒で酩酊してたから、そのまま放置しちゃったもし。幻覚を見たか、きっと子拐い妖怪の仕業もし。怖いもしね。ぷるぷる」
ハジメさんのせいで、おかげだよ?
「あー。俺を衝動的に殺しかけたなんてバレたら身の破滅なんで、父さんは今頃オロオロしてます。
コツコツやることは得意だったけど、咄嗟の瞬発力はない人なんで。
その挙動の不審さから、俺を殺して埋めたなコイツって周りには思われるんじゃないかなーと。
目の前でかき消えたとか、本当のことは凄く嘘っぽいですし」
………。
人気のない杜の一角が生々しく掘り返されて整地した跡があるって、濡れ衣が捗りそう。
「夕方になって実が帰ってこないと発覚するまでは、時間があると見ていいか」
「ですね。
父さんがあれで正気にかえって自白したなら、直ぐにご隠居のところにも誰かしら人が来ていたはずです。だから黙っているのかなって」
「正気なら探すか」
怪我人だもん。
「はい。だから早ければ今夜にでも、遅ければ学舎を休んで2日か3日か。周囲に不審に思われるのはそのあたりになりそうです。
俺と妹が居なくなったら、役所の捜査が入ります。
そしてご隠居は時々、書き置きだけを残してふらりと旅に出るようなことをしています。
【一言くらい出かけると言ってくれたらいいのに水臭い】と、母さんはことあるごとに拗ねてました。母さんと仲のいい人たちはご隠居が雲隠れする度に、茶飲み話での愚痴を聞いてもらってたはずです。
だから住居に居なくても、いつものアレかと思われるだけでそう簡単には疑われないと思うんです。
その…動機もありませんし。
誰がどう見ても第1容疑者は父さんです」
「冤罪だがいいのか」
暴行は冤罪じゃないけどさ。
「むしろ官憲の取り調べと牢屋が父さんを守ってくれそうで嬉しいです。
いっちゃなんですけど父さんの親戚は、父さんに利用価値がなくなったら離れる下衆揃いです。
それとですが、俺が成人する前に死んだら土地家屋を領主のご令嬢に献上するかわりに、妹の後見をしてもらう嘆願書を家から独立した従兄弟ちゃんらに念のため預けてあるんですよ。
あいつらが下衆過ぎたんで、そちらを警戒していたんですが前もって準備はしておくものですね。
なにせ正当な次期当主である妹の土地を、実の兄が好き勝手するのは最高の醜聞ですので!
その原因はなんだと、お喋り好きな都雀に深く追及されるはずです。
一族殲滅に続いて俺の仕出かしで更に注目が集まるでしょうから、杜への手出しは更にアンタッチャブルになりますよ」
内出血で痛々しいが実少年は【ザマあ見ろ、転んでもただじゃ起きないぜ】そんな殺る気溢れるいい笑顔だ。
つまり母親の資産は配偶者ではなく子ども、特に娘に残されるんだな。OK。
……やめろよー。子どもが覚悟決めすぎだろ。
山中都市の暮らしレベル自体は日本とそう変わりはなさそうだけど、気風や制度は封建的というかなんていうか。
黒船が訪れて騒がしい、夜明け前の幕末っぽさがある。
時代が大きく変わるとき、敏に前に出てくるのは向こう見ずで若い才人だ。
吉田松陰の享年とか若くてビビる。
それにしたって。
「実、きみは幾つになる?」
「今年で10になります!」
10歳でこの胆力か。嘘だろ?
「きみたちは早熟だな。知らなかったが甲殻人は皆そうなのだろうか。
わたしの種族だと10の子は、きみほどにしっかりしていない」
その頃のオレなんて幼馴染みたちとアホなことしかしてなかったぞ。
怒られないあたりでも、オレの考えた一番格好いい戦闘ポーズ選手権とか。倒立耐久チャレンジとか。
女子の仲間がいればマシだったのかもだが、男ばっかりだったから。そりゃアホだった。
難しいことは考えてなくて、それこそ反射で生きていた。
これが知能指数と環境の差……!
「お前は口から生まれたと学舎の仲間には言われます。
成績はフツーでした!」
普通なのか。ええー……?
甲殻人。15で成人は早いと感じていたけど、順当な気がしてきた。
コメント、リアクション、評価、誤字報告、感謝です。
今年の春は花粉に負けています。
最近、春と夏が妙に手強くて困りますよね?
せめて週1更新はキープしたいと思ってますヨ。ヨヨヨ。