290 先生と呼ばれる程には偉くなし
ハジメさんの拾いものの少年は、足が曲がっちゃいけない形になっていた。
っ、医療班ー!
は、いないからオレが頑張るしかないんだよ、畜生!
体験してみて初めてわかる、お尋ね者の肩身の狭さ。
逃げ隠れしている身だと医療機関に駆け込められない。
起きしな、トウヒさんが予備の翻訳機を嵌めろと慌てて提言するはずだ!
寝ぼけていた目が一気に覚める。
「『診察』をしたい。触ってもいいか?」
血と泥で、ソファー周りは大惨事だ。
不安にさせるな。見栄を張れ。
自信がなくても怯むなオレよ。相手は子どもで怪我人だ。
「大丈夫です!『痛覚遮断』が働いているので痛くないです!」
ハキハキ元気で大変よろしい。……んじゃねーわ!
『痛覚遮断』って戦闘種族でもあるホプさんたちの、虎の子じゃん。
命の危険がないと発動しないし、発動したらダメなやつー!
「これから魔力を通す。受け入れられるか?」
「はい!頑張ります!」
「よし、頑張らなくていい。楽にしろ。『洗浄』。『診断』」
魔力を通し、『診断』をする。
背中と右足の創傷は、長くはあったが浅かった。
太い血管は傷ついていない。
代わりに生え掛けの甲殻が、歪な形に割れている。打撲痕だ。
折れた右足の骨自体は真っ直ぐポッキリいってたので、整復しやすい。
この辺は慣れているやつ。しかしだ。
「『治癒』」
つい、眉が寄ってしまう。
安堵するにはまだ早い。
肋骨のヒビはまだしも、内臓にも打撲ダメージがある。
子どもの!
腹を殴るなよ!
繊細な腹ン中は、守備範囲外だとあれほど!
血管を修復し、血栓がつくられないよう魔力で解かす。
『治癒』で使う魔力回路は、『錬金』ツリーの『分解』や『造形』に似ている。
生体金属を扱う、あのあたりだ。
ただモノが生きている本体と繋がっている細胞を扱うせいか、『錬金』よりも『治癒』は魔力コストがべらぼうに重かったりするが、まあ他人の魔力を直接通すのだ。そんなもんだろう。
治す時に体内の脂肪や栄養を代価に引っ張ってくるので、『治癒』の使いすぎは体に却って良くないのだ。
一気に背が伸び、甲殻が作られる時期の少年は案の定、脂肪が少ない。
急速に治すと患部に熱が籠るので、肌に触れて様子を見ながら『治癒』を使う。
傷が治る工程はヒューマンとほぼ同じだった。蜥蜴の獣相が強い人種よりもむしろ灰汁はないくらいだ。
ただ点滴等、薬物を投与しての回復促進は専門医の領分。そちらは丸っきり範囲外なので手が出せない。
怪我人の体に蓄えてある栄養を、奪いすぎないよう気を付ける。
「……よし」
ホッとした。
割れた甲殻も、生体金属骨格の破損と同じ括りで治せそうだ。
手応えがあったことに安堵する。
甲殻には痛覚がないにしても、ホプさんたちは己の甲殻の手入れに時間を掛ける。それを思うと割れた姿は無残なものだ。
一度爪を割ると、歪んで生えてしまうこともある。
跡が残らず、綺麗に治ってくれるといいのだけど。
しかし甲殻の修復は後回し。内臓がまず優先だ。
その次、余裕があるなら内骨格。
子どもは体が小さいので、治療の途中で食べさせないとあっという間に飢餓に陥る。
「わあ、腹がぽかぽかします!」
くすぐったそうな笑い声。
『魔力循環』があるからなー。
他人の魔力を挿入されても、ゲポッとはならんはず。
………『痛覚遮断』って、魔力の感覚までは遮れないのか、そうか。気を付けよう。
よしよし、このまま泣かんでくれよ。
麻酔や強い鎮痛剤は、使えないから持ってない。
手持ちは市販の頭痛薬くらいだ。
なにせ『痛覚遮断』の働きがなければ、痛みに悶絶するような大怪我だ。
素直で人懐こい態度に勇気づけられる。
「次は足を整復する。折れた骨を正しい位置に戻すから、違和感があるかもしれない」
「はい」
『念動』で体を固定し、足を引っ張る。コツは躊躇わないことだ。
『診断』で正しい位置に戻ったら、足を『念動』でガチっと固定だ。
怪我人が痛みに暴れないと整復もスムーズに終わる。
「感覚がないし、動かないし。
痛くないから足はもう使えなくなるかなって思ったんですけど、治るんですか?」
しかし胆が太いなこの少年。
見慣れぬ異種族、異貌の相手によくケロリといられるものだ。
警戒心のなさが他人ごとながら心配になるが、今はそれがありがたい。
「治る。ただ、体の栄養が足りないので足の骨は仮止めになる。
テーピングもしておくが、あまり動かさないように」
「はい!……良かったぁ」
内臓が破裂まではいかなかったのが、不幸中の幸いだ。
『念動』で固定しているとはいえ、なにかの拍子に骨が曲がってつかないよう『診断』しながら慎重に治していく。
顔の打撲傷も後回しにしないといけないのが心苦しい。
仮止めが終わったら、生体金属で足に合わせた添え木を作り、ガチガチにテーピングだ。
このテーピングだけは部活でさんざんやってきたから自信がある。
咄嗟に10才ぐらいと判断したが、この子は幾つなんだろうか。
ステファニーちゃんやアレグリアくんはたつみお嬢さんより年下だけど、190センチは越えている。
島にここまで小さな留学生はいなかった。
オレより頭ひとつも小さな甲殻人と会うのは初めてになる。
子どもの怪我は、なんか無性に胸が痛む。
大人に暴力を振るわれた痕なら尚更に。
治療が一段落したので一時休憩だ。
「朝ごはん、できましたよー。沢山食べてくださいねー。
栄養つけていきましょー」
裏漉しポテトのポタージュに、茹でササミとキュウリのサンドイッチ。モリーの豆乳オレで朝食だ。
ついでにカルシウムのタブレットも出す。
「美味しそう!」
トウヒさんのパーフェクトモーニングに少年は目を輝かせた。
たんとお食べ。オレは疲れた。
つくづくお医者さんや看護士さんって尊敬する。
人の体を治すのは怖いよ、何度やっても変わらず慣れない。
『治癒』の処置で怖くはなかったのって、歯の小さな欠けの再生や、皮膚のシミを除去する美容医療とか後遺症が残らないやつくらいだ。
他はやっぱり緊張する。
きっと勉強が得意なだけではなく、覚悟がないと医療従事者は出来ない仕事なんだろうな。
金目当てでもそれはそれで、しっかり勉強したプロが稼ぐぞ!とやる気があるのは良いことだよな。
オレみたく無免だと麻酔を打てやしないので、骨折の処置をするにも普段は痛覚ありの野蛮なものになってしまう。
北方では治している相手が発熱と痛みに浮かされて【痛え!】と暴れ、正気に戻った後で平謝りされることも多かった。
今回はレアケースだ。
「足の治療はまだ途中だ。感覚がないからといって、あまり動かさないように」
「はい、先生」
先生じゃないんだわ。不安にさせるから言わんけどな!
「さて、わたしは篠宮流士。異界よりの流れ人だ。少年の名は?」
顔が可愛かったので凛々しい女の子かとも悩んだが、『診断』したら男の子だった。
いくら小さくても見知らぬ女の子を自宅に連れ込むのは人聞きが悪いのでセーフだ。
「 です!」
「 くん、漆、実、豊、このうちどの文字がお好きですかー?」
トウヒさんがサラサラと紙に文字を書き付ける。
「ええと、みのるは音が綺麗です。どうして?」
「甲殻の方の発声はマスターの耳には聞き取れませんので、和名の愛称をつけさせてくださいましー。
実くんとお呼びしてもよろしーでしょうか?」
「あ」
少年は右耳の翻訳機にハッと触れた。
反対の耳は『免疫』のアクセサリ。
ハジメさんが渡したらしきブツである。
冒険者博物館で出会った時、アレグリアくんが翻訳機を落としてウロウロしていたのを教訓にこれらの予備は幾つか作って持ち歩いている。そして妖精さんにも持たせてある。
翻訳機は出先で誰が壊しても困るので用心したい。
皆がそう思うらしく、この小さなイヤーカフはヨコハマギルドの売店ではコンスタントに売れる人気商品だ。
「こちらだと、みちる。果実がみのる。まこと、といった意味合いだな。
漆は樹木名、またはその樹脂を使った塗り物の名だ。
豊は多い、満ち足りている、作物がゆたかである。そのように使われる。
君はそんな名前なのか」
「はい、父さんがつけてくれました。
実、いいですね。この文字にします。字画がすっきりしていてクールです!」
紙に書かれた文字を指で辿る。実少年はニッコニコだ。
オレらも【一狩り行こうぜ!】やら【夫婦茶碗】そんなホープランプ文字入りTシャツを作って着ているぐらいだ。そして甲殻人に苦笑されている。
異界の文字って胸踊るよな。わかる。自分の名前なら尚更だろう。
「よいお父上なんだな」
「はい、昔は!
今は息子を殺そうとするDV野郎ですけどね!
先生の妖精に助けられなければ死んでいました。感謝します!
今はなにも出来ませんが、将来必ずお返ししますので助けてください!」
お、おう?……って!
「動くな。怪我が悪化する!」
やめろ、膝を付こうとするんじゃない!右足は仮止め状態なんだぞ!
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