288 牢屋にて
煽り耐性の低い赤甲殻のぼっちゃんは案の定、剣を振り下ろそうとした。
「 !」
が。
おもむろに自分の小指を切り落とし、主にそれを差し出す部下がひとり。
苦鳴も漏らさぬ、覚悟の決まった詫びの作法だ。
【さて。何故にオレの前でやるのか】
皮肉に傾いた思考は、とんだ三文芝居だなと評価を下す。
しかし効果はあったらしい。
剣は行き場を失い、しぶしぶ鞘に収められる。
「 ?」
「 っ !」
「 」
「……… 」
諫言だろう申し立てを鼻でせせら嗤った男は、受け取った指を無造作に床に落とした。
そして強く踏みにじる。
バキリ。
指だったものは砕けて潰れた。
周りの者は息を飲んだが、渦中の側近はそれでも深く頭を下げた姿勢を固持したままで崩さない。
「 」
興醒めしたとばかりに冷ややかな声音。
捨て台詞を残して背を向ける。
主が去ってから指を差し出した男とは、別の従者が大事そうに潰れたものを拾いあげた。
そこでこちらに物言いたげな視線も感じたが、目を瞑って無視すると悲しげなため息と共に牢屋から出て行く。
遠ざかっていく足音を、目を閉じたままに聞く。
うーん。腹立つわー。
ここの団体はカルトか、頭が中世か。どちらだ。
指つめして詫びる姿を見せられるとか、久々嫌な気分になった。
夢魔の元老衆が陰腹を切って会談に臨んだ時のことを思い出す。
人間は感情の生き物だ。一定の効き目があるのは認めよう。あの時はしてやられた。
自らの肉体の損傷でチップを上乗せしてくる交渉術、本当に嫌い。
はー。好感度だだ下がる。
甲殻人はお上品だったり気が良かったりするお人らしか接してこなかったから、まるで違う種族に感じてしまうぞ。
どこにでも悪さをする奴はいる。ってもだ。
てらいもなく手下の手打ちをしてくるボスと、それを苦い目で見る程度で許容している部下の組み合わせは世相にそぐわない違和感がある。
メンタルがすり減る戦場で、敵対していたわけじゃないんだぜ?
イリーガルな集団にしても、前時代的というかなんていうか。
日本式に判断するなら手打ち系DQNが公に憚ったのは、精々が戦国時代の終わりまでだ。
江戸時代の切り捨て御免のお達しって今となっては特権の授与に見えてしまうが、当時としては無法者な武士にお上が嵌めた枷である。
戦国も終わったことだし、これからは理由もなく人斬りしたら武士でも処罰するんだからね!
だから好き勝手するのは我慢しようね!
でないとオコだよ?
そんな感じの。
武士の深刻な蛮族過ぎ問題。
事実その程度のモラルすら【なかった】のが当時のお武家さまだ。
パンツの存在を知らなければ、当然すっぽんぽんである。
世間を知らない子どもの方が残酷なこともある。
高潔な武士もいただろうって?
それはそう。だけど、上澄みの下は大抵濁っているものだ。 悲しいことに。
まあ農民は農民で餓えと貧しさから、因習ってた啓蒙遠きご時世だ。
オレのご先祖も隠し田やどぶろくなんかを好き勝手に作ってたりで人のことは言えない。
戦国はちょっとお偉いさんが良さげなことをするだけで、後世の逸話に残るような面白可笑しい末法の世である。
豆知識を仕入れるのは変人奇人大集合で楽しいものだったが、こう擬似体験をしてみると萎えてしまう。
平和ボケって素敵な言葉だったよな。
現代に生んでくれたかーさんに感謝だ。
赤甲殻のぼっちゃんやその取り巻きからはどうも鯉口が軽いっていうか……そんな人斬りがまだ世に罷り通っているかのような時代の香りがする。
世襲による厳密な上下関係。失態を犯した部下は手打ちが当然。ボスの温厚さは欠点で、舐められたら終わり。そんな苛烈な空気感だ。
撹拌世界で上位貴族シナリオを体験していたプレイヤーなら、ああー、とわかってくれるだろう。
前世で血風吹きさす戦場を履修してなければ、ウブにビビり散らしていたところだ。
……って、やってしまったな。
反省だ。
お久しぶりの生首につい、こちらも戦場スイッチが入ってしまっていた。
ゲームといえど感覚がリアルなVR。
下手な経験が仇になった。
現代ダンマスにそーいう修羅びた負けん気はなくていい。
どころか周囲の油断を誘うべく、ぷるぷる怯えて涙のひとつも見せておくべきだった。臍を噛む。
……切りつけられたら正当防衛で一発ぶちかますチャンスだったのに、運のいい奴め。命拾いしたな。
そう惜む心もありはするが、落ち着こう。オレよ。クールになれ。
【やった悪さは、絶対バレます】
【私怨で攻撃スキルを使うのは止めましょう。封印監査に掛けられてしまいます】
【危険ですので、挑発してはいけません】
脳内『倫理』先生が生命の危機を感じないと、攻撃スキルは使っちゃダメって忠告してくる。
ういうい、了解。やりません。 今は。
『倫理』先生はオレがたつみお嬢さんの恩恵で『頑健』の上位互換の『堅牢』があることを把握してる。
派手に一発喰らってからじゃないと正当防衛は認めてくれないのだ。
オレの将来を心配するゆえの生真面目さで、少し厳しいお方である。
……まあ、頭を冷やせば、だ。
人に『サンダー』を打つものじゃないと言えばそうなんだよなあ。
攻撃魔法は物理で倒すには到底歯が立たない強大な魔物を相手どるのに、失ってきた仲間へ捧げた涙によって研鑽され、手渡し受け継がれてきた祈りのスキルだ。
こんな時に思い出すのは【先人の意志を汚すな】とアスターク教官に口を酸っぱく言われたこと。
……教官は強い熊なのに、本当に理知的だったなあ。
なまじ力があると、誘惑に負けて使いたくなってしまう。
『倫理』先生に心の手綱をぐっと引かれなければ危うかった。
アスターク教官は心胆の根元が太く、揺るがないところが爺さまに似ている。
連想すると少し塩っぱい。
自分がスッキリするためだけに、暴れようものなら【好き勝手やってお天道さまに顔向け出来ると思うんか】と、脳内イマジネーション爺さまにこっぴどく叱られてしまう。
他の………うん。
とーさん、かーさん、妹たちは【誘拐犯って人権あるのか?】【薬物はアウトね】【処す?処す?】【やっちゃえ、お兄!】とか騒ぎ立て、GOサインを出しそうだ。やはり家の良心は爺さまだな。
婆さま?
婆さまは爺さまの前では猫を被りたい人だから、取り敢えずは狼藉は慎むように嗜めながらも後でこっそり【やるんだったら足をつかせないよう巧くやりなさい】と耳打ちしてくると思われる。
そしてサリーは。
………。
あ。駄目だ。今すぐ脱出しないと。
サリーはちょっぴりオレに過保護で、おてんばだ。
クールに見えて心は熱いところがある。
反発心から騒ぎを起こしている暇なんてないぞ。
大人しくしていて正解だった!
完全に聞こえなくなった足音に、ガバリと起き上がる。
開くのは『体内倉庫』だ。
『体内倉庫』専用のお昼寝モードから起きて、【あれ、ここどこ?】とばかり目をぱちくりする妖精さんらに、唇に指を当てたシーの合図を送る。
魔王に連れ拐われる前にレベル100勇者とお付き合いしていた姫君ってこんな気分なんだろうか。
絶対に来てくれる信頼感と、来たらその手を汚させてしまうという焦り。
のほほん牢屋にいる場合じゃねえ!
サリーが来る前に逃げなければ!
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