287 赤い甲殻の男
誘拐中なう。
眠い。激しく揺れる。胴が締め付けられて苦しい。
そして喉の奥に絡むのは、甘い香り。
ガクン、と。
オレを小脇に抱える走者が障害物を乗り越えたのか、腹が押される衝撃で目が覚めた。
それも一時。
眠りを誘う芳香が、瞼を閉じさせようと促してくる。
視界は布で遮られていた。
まるでハロウィンのお化けよろしく布をすっぽり被らされ、抱えて運ばれているようだ。
前を走る者が踏み砕いた地面の欠片が、布越しにピシピシ当たる。
不味いのは眠気だけではなく、体の痺れがあることだ。
スキル由来の『麻痺』や『睡眠』なら、高魔力保有者は滅法強い。蜘蛛の糸を払うような強引なことも出来ただろう。
しかし使われたそれが、薬毒由来の品でなければの話だ。
そも、魔物は魔力をよく使うから魔物である。因って彼らがよく使う魔力毒とは違い、自然界由来の手術の麻酔や風邪薬の類いは利かなくなっては困るものだ。
怪我をよくする冒険者なら、薬毒の耐性は伸びないようにあえてOFFにしてある者ばかりだ。
おかげで意識を保つのも難しい。
人の敵はやはり人だ。人の弱点を突いてくる。
誘拐犯らも思い切りがいいことだ。
単独犯ならいざしらずこれほど悪辣なルール違反をしてくる集団がいるとは、誰しも思慮の外だろう。
やってくれる。
細菌兵器の使用及び、特定種類の毒物散布。
それらはこちらの国法だと、未成年でも極刑に値しうる大罪だ。
【現代ホープランプの歩き方・初級コース】
小学生も受けられる、そんな全3回の講習後、ミニテストでも出題されたような常識問題だ。
空想科学小説の宇宙に浮かぶコロニーのように、密集して地下都市で暮らすのが甲殻人の流儀だ。
空気を汚す無差別兵器たちは、戦国の代に非道働きをしすぎた結果、禁忌になった。
それを語ったのは、ホープランプ史の特別講師。
若い頃は軍人だった先生は年を食ったぶんだけ固さが抜けた軽妙洒脱な人柄だったが、非道な史実を授業で扱うその時だけはカチリと襟を正して見せて、生意気盛りの生徒たちを傾注させた。
甲殻人にとってこれらの兵器は、おそらく日本人が核爆弾に感じるおぞましさと同列のものだ。
種族的トラウマ、そういう類いの。
だから正直、オレひとりを拐かすのに広域に毒を撒き散らす禁じ手まで使ってくる団体のことまで警戒してなかった。
広崎さんたちもそうだろう。
常識的に考えて、全方位に喧嘩を売るようなことは普通はやらない。
はみ出し者はどの社会でもいる。
だとしても、オレが同行していたのは正規軍だ。
規律正しく見えても彼らは一級の暴力装置。
お互いに礼節あってこその穏やかさだ。
駄目だ。わけわからん。
眠くて思考がとっ散らかる。
これだけガクンガクン揺らされるのに、眠気が勝つのはどういうことだ。
煙草の他になにが混ぜられていたのやら。
毒も薬と紙一重。
煙草の成分をごくごく薄めれば、甲殻人も地球人の愛煙家が好む覚醒効果やストレス緩和効果もあるとは聞く。
ただし副作用のリスクが高すぎるとも。
煙草は肺活量が多く高性能な、甲殻人の呼吸器を苦しめる。
少し動いただけで、強壮な甲殻人が成す術もなくバタバタと意識を失うその異質さは。聞いてはいたが、あれは経験してみなければわからない恐怖だった。
繰り返すが、煙草を加えた毒のカクテルは老若男女を無差別に、命を奪いすぎた歴史がある。
なので特定の研究機関以外の栽培自体、現法で禁止されているはず。
地球産の煙草はホープランプ産の物よりまだ毒性が低いというが、オノゴロ島が完全禁煙なのは伊達ではないのだ。
悪辣な歴史が過去になった今、現代を生きる彼らが煙草の匂いを知らなかったのは皮肉なことだ。
……いいや、無理を言った。未成年でも副流煙で煙草の薫りくらいは知っているオレも火災の煙に紛れてその匂いには気付けなかった。
まともに判別出来たのは元愛煙家で獣人の気がある小松さんだけのありさまだ。
そんなあるかなきかの煙程度で一網打尽をやれるなら、ご禁制の品になるというもの。
ああ、これがテロというものか。なるほど、なるほど。
ぐつぐつ腹が煮えくり返る。
オレだってそうなのだから、報告を受けた本国の怒りはあまり想像したくない。
現状、ヨコハマの日本人はこれから国交の架け橋になるお客さまとして扱われている。
それを目の前、不当な手段でかっ拐われたら大国の威信に黒泥をべっとり塗られたもの。
甲殻人なら首謀者の正気を疑うセンセーショナルな手段を使ったということは、むしろ狙いはそれだろうか。
やばい。
その言葉だけがリピートしてしまう。
頭が回らない。
思考が散る。
眠い。すごく。
「 !」
「 」
小脇に抱えられた状態でぐらんぐらんシェイクされているというのに、意識が途切れ途切れになる。
道なき道を走っているのか、酷い揺れだ。HPがなければ口の中が傷だらけになっていた。
コレ、ヤバい薬じゃなかろうな?
不安だ。
包まれている布に染みた甘い薫りに、脳が痺れる。
注射もしてないのにこの効果だ。相当に怖い代物のようで危機感がある。
困ったことに指1本たりとも動かせない。
魔力回路まで痺れているのか、スキルの発動が霧散する。
あ、駄目だ。起きてられ、な。
うつらうつら時折半覚醒しながら運ばれて、身の危険を感じたのは数度ほど。
身動きが取れないまま魔物の襲撃があって、空中に投げ出された時。
そそりたつ崖を誘拐犯に小脇に抱えられたままフリーウォールで登っていた最中、頭を岩肌にぶつけて起きた時。
そして、今だ。
地面に落とされた衝撃で目覚めた。
同時に誘拐犯の素っ首が、毬のようにてんてん、ころり……と、至近距離に転がってきたこの時である。
ひゅっと息を呑む。
びしゃり。
一瞬、遅れて血糊を浴びる。
心は跳ね起きたし悲鳴を上げたが、体は喉すら動かせないありさまだ。まばたきをするだけで一苦労。目を開けるのがとても辛い、眠気的に。
寝起き生首とか、勘弁だ。
絶望したような暗い目と、目が合ってしまう。夢に見そうだ。
ふざけるな。
全年齢でふわっふわに甘やかされた精神舐めるなよ!
みっともなく、ギャン泣きするぞ!
「 」
誘拐犯を一刀の元に切り捨てた男は、見るからに偉そうだった。
傲岸不遜。
赤い甲殻には魔石ひとつつけてない。
些事はすべて他の者が調える、権力者の出で立ちだ。
………。
若くて威張ってんのって、お偉いさんのボンボンだろ。やだー!
目がいっちゃってる甲殻人って恐いわー。
戦場ではよくいるタイプと、その取り巻きだ。
なにこいつら、戦国脳なの?
「 」
「 !!」
誘拐の実行犯たちは、仲間が手打ちにされたというのに拝跪の姿勢を崩さない。
そして言葉がわからない。
……乱暴に運ばれているうち、耳の翻訳機を落としたようだ。
そういやいつの間にか、布が剥がされているな。
ねむい。
そして気が付けば牢屋だった。お寒うございましてよ。
石の床に直寝は冷える。土埃と湿気でカビ臭い。
体温が石に奪われて、さぶさぶだ。
ひとまず、あるかなきかの小声でワードを解放する。
「『洗浄』」
……………???
は?
スキルを使えるんだが、なんなのさ。
脱獄するぞ?
近くの通路には、見張りらしき気配がある。
しかし我、ダンジョンマスターぞ?
スキル封印もなく、ダンマスをフリーハンドにするとか誘拐犯の自覚はあるのか。
ええー?
ダンジョンマスター技能目当てで拉致されたんだよな、オレってば?
違うのか?
ただ、護衛がいて目立ってたからつれ拐われただけ?
転がったまま視線を動かす。
まだ体が動かんのでそこはしゃーない。
手枷、足枷はお約束。
鉄格子の嵌まった湿気って寒くカビ臭い、岩…じゃなくて、コンクリの部屋だ。
頬や服にべっとり血糊をつけたままの状態なわけだな?
オーケー。把握。
畳ひとつもなく転がされてるってことは、間違っても客人対応じゃないってことでいいわけだ。
誘拐されたが助けられたという路線を考えるには、頭ハッピーフラワーが過ぎるというもの。
第一、赤甲殻のあのぼっちゃんは今まで見てきた甲殻人の常識を照らし合わせると、どう足掻いてもまともじゃなかった。
戦時中の敵でもないのに人を、部下を殺せるか?
例え大罪人であろうとも、裁判に掛けるのが法治国家というものだ。
……とんでもないところに連れ拐われた予感がしてきたぞ。
捕虜の心を折るために拷問を仕掛けてくるモラルだとヤバいな。
あー。でもまだ体が痺れている。
骨折を整復手術したときの麻酔か、転生したてのように体が動かん。
薬が抜けるまで、しばらく待とう。そしてまだ眠い。
頭に霞が掛かっている。感覚も鈍い。
胸の甲殻を割られていた山霧少尉や、広崎さんらは無事だろうか。
甲殻人が煙毒に倒れてからは伊東さんが随分粘ってくれたが、多勢に無勢だったから。
オレもいつの間にか眠っていたし。
………あいつら、許さん。
思念操作でステータスを立ち上げると、深夜2時を過ぎたとこだ。
そして通信システムがグレーアウトしている。
何故に?
不審から『マップ』をすぐさま開く。
拉致られた足跡を残す地図は現在、ゼリー山脈の北側の、5合目付近を示している。
うん?
ゼリー山脈。それでの通信障害か。
動き難い指を這わせ、岩を模したコンクリート床と壁に『錬金』で変形を試みる。
すると魔力がパチンと弾かれた。完全拒否だ。
他のご同輩の運営する、ダンジョンオブジェクトにちょっかいを掛けた時の反応に似ている。
すると野良ダンジョンにいるわけか?
それにしては魔力濃度が低いような。って……んんん?
ちょっと待て。
ゼリー山脈に拠点があるということは。
誘拐犯って都外の人間だったんだ?!
肩を蹴られて目が覚めた。
夜中起きたのは数分だけで、あれからまたすぐ寝落ちたようだ。
「 」
………やあ、昨日ぶりだな。
赤甲殻のぼっちゃんじゃん。
だからナニを言ってるかわからんよ。
顎先に突きつけられるのは抜き身の剣。
古の蔵人よろしく黒塗りし、甲殻の色を隠していた実行犯とは違って素の色を晒しているとか自信満々であるな貴様。
ほうほう、なるほど。顔を晒すとか、生きて返すつもりがないと?
「 」
……ぼっちゃんてさー。甲殻人のクセ、人に剣を突き付けてないとお話できないチキンなクチ?
よし、敵だな。分りやすい。
ここに来て味方ヅラされたらどうしようかと思ったぞ。
やる気が出てきた。
「控えよ。下郎と話す舌はない」
ボクちゃん誘拐犯の暫定ボスと気軽にお喋りする気はないでプ。
体の中で魔力を練る。
薬も大分抜けたから起きれそうだが、寝転んだまま口の端を上げて挑発する。
おう、その剣を使ってみろよ。
1発目は無抵抗で受けてやるぞ、ありがたく思え。
その後は全力で『サンダー』だけどな!
目にものを見せてくれるわ!
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