277 船乗る人たち
河底を見れる丸い覗き窓に、黒々とした魚影が映る。
水が濁って見えにくいが、黒いものはかなり大きい。小柄な女性ぐらいありそうだ。
「あの魚は魔物ではないんだな?」
窓越しに蠢くもの。その数の多さにたじろぐが、彼らが泳ぐ姿は飄々としている。こちらを警戒して避ける様子や、襲おうとする気配もない。
【なんか大きい仲間がおるな?しらんけど】
それぐらい、淡々とした無関心さだ。
「はい、九九墨魚といいます。
魔物ではありません。しかし泥臭くて生臭くて、食えたものではないんですよ。
毒はありませんけどね」
山霧少尉が教えてくれる。
……オレって生き物は食べられるかそうでないかで判断していると思われてるんだろーか?
「九九墨魚ですか。形状は鯉に似てますね。
技術のある料理人が手を掛ければ、鯉も悪くもありませんが。素人が手を出すのは難しそうです」
「泥臭いのなら、綺麗な水でエサ止めをしたらマシになりませんかね?」
「川魚は寄生虫が怖いですよね。料理するなら甘露煮あたりですか」
違った。オレだけじゃなく日本人全般が食いっ気が強いって思われてるな。これ。
ちょっと話を振っただけで、現地の人が不味いって言ってる魚の解決策で盛り上がる識者が出てくるのなんでだろーな。
「皆さんお詳しいですね」
ほらー。山霧少尉も困惑してるじゃん。
「似た魚の。鯉食文化は縄文の…いえ、古い時代からありましたから。
管理ダンジョン産の魔物食が盛んだと、美味しく食べるには少し手間の掛かる在来生物を食す文化が伸びにくいのかもしれませんね」
塩振って焼いただけで旨いらしい、ワニは行き掛けの駄賃に狩ってたもんな。
「わかります。面倒なことは省かれますよ。
日本でも安定した家畜が流通するようになったことで、ジビエ文化は下火になったと聞きましたから」
悩ましく溜め息をつくのは、実家が山持ちの平賀さんだ。
冬は狩猟の季節なのに期待の新星が異世界トリップしてしまうとか、地元の方々もついてない。
平賀さんは猟友会のメンバーではぶっちぎりで若いので、女孫のように可愛がられているそうだ。
なので家族と取り合う連絡だと、仲のいい爺ちゃんたちがサークル紅一点の漂流にそりゃもうエキサイトしているらしい。揃って冒険者免許を取ろうとしているとかで、平賀さんは頭を抱えていた。
いい話ダナー。ってほっこり流し掛けたが、爺ちゃんらって80の坂を越えたお達者な方もいるそうだ。
年寄りの冷や水!
山歩きが趣味の年寄りはこれだから。
そら平賀さんもやきもきする。
「日々を楽に生きるために発達するのがカルチャーというものですよね。
当地の食文化が花開かないうちロケットが到着した三千世界では、保存食が作られなくなるそうですから。
やはり『体内倉庫』がとても強い」
うん『体内倉庫』は便利だよ。なかった時代には戻れない。
「ああ、確かに。当方でも今に代表される乾物のレシピは、ロケット到来以前のものが多いですね」
夏草少佐は思い当たるふしがあるといった様子。
「保存食もですが、料理全般もそのきらいはありますね。制限されていたぶんだけ創意工夫に富んでいたというか。
特に王族伝来レシピは改めて考えるとよくこれを食べようと思ったと、不思議になるものも多いのですよ。
いえ、美味しいんですけどね?」
わかる。日本でもコンニャクとか、納豆とか、烏賊の塩辛とか、最初に作った人はなにがどうしてコレを食べようとしたのか謎の食品って多いもんな。
どの世界にもチャレンジャーな人っているもんだ。
ホープランプと日本が共通している食文化のひとつに、麹を使い米を酒にすることがある。
だけどそれも割合、変態加工だ。
麹の外見って白くて綺麗ではあるけど、まんまカビなのにな?
なんで食べようと思えたのか、そこが謎。
そんなホープランプではパンもふっくら香ばしくある。発酵と上手くお付き合いしている文化なわけだ。
醤油を知って、この発想はなかった!って目から鱗の顔をしてたけど甲殻人も大概だ。
麹は味噌や醤油や米酢にしないで、みんな酒にしちゃっただけだろ君ら。
「話は変わりますけど、この船は揺れませんね」
平賀さんが首を傾げる。
言われてみればそうかも?
百人からの大所帯ではあるが、船は精々フェリー程度。
タンカーのような超大型船でもないのに、ゆらんゆろんとする感覚がない。
血涙河の流れがいくら雄大で穏やかだからといって、ここまで揺れないのはおかしかったか。
あまり船に乗る機会がないから、オレは違和感を感じなかった。
「船が揺れたら不具合じゃありませんか?」
おっと?
「……ほう、それは興味深い。
私どもにとりましては船は揺れるものの印象が強く。
この船の由来をお聞きしても?」
那須さんが身を乗り出す。
「動力源の問題がなければ、これでも一応は空を飛ぶ船そのものですので制御装置がありますから。
近年になり、ようやくです。遺失科学のごく一部を再現することに成功しました。
この小型航空宇宙船はレプリカですね」
ふあー!
マジでか?!
船体に飛行機みたいな翼がなかったってことは、重力制御やバリアー機能が搭載されていたりする?
「問題とは?」
前のめりですまん。でも宇宙船とか気になるじゃん?
「魔石で空を飛ばすには、船の燃費が悪すぎまして。水に浮かべるのが精々という、航空宇宙船にしてはお粗末すぎることです。
王族たちは世界樹の種子からエネルギーを取り出す永久機関を、船に載せておりましたが生憎の手元不如意が現状です」
「雫石ではなく?」
高出力のエネルギー体ならオレは雫石の方が親しみあるんで少し意外だ。
世界宮子との出会いは時の運だけど、雫石は野良ダンジョンに潜れば拾えるものだしさ。
わくわくする。オレが生まれるずっと前に人類は月に行っているらしいけど、それでも宇宙はオレにとって異世界より遠い場所だ。
冷たい船の窓枠に手を這わせ、ふと夢想してしまう。
先史文明人は世界樹の侵食で崩壊しかけたような惑星から、種子を収集していたりしたんだろうか。
そうだとしたら、宇宙を股にかける種族ならではだ。
世界宮子って強くて儲かって移動しないから、集団でボコるべく人が集まり、お祭りになるタイプのレイド戦だ。
おっとりとした印象があった先史文明人たちも、案外どうして冒険野郎な気がしてきたぞ?
……そうだな。宇宙探査船に乗って、まだ見ぬ空を飛ぶ人たちだもんな。
理知的なだけではなく、勇敢な人たちでもあったんだろう。
「はい。彼の方々はロケットの来訪を受けていない種族でした。
系統立ったスキルの概念はなかったので、雫石の『加工』は歯が立たないものだったらしく」
ああ、確かに。
未『精製』の雫石は、野良ダンジョンを再生してしまう。時間と競争の危険物だ。
『加工』ツリーのうち『精製』が一番前に来るのは【野良ダンジョン生み出す雫石を安全な物質に変生させる技術】、これが一番最初に産まれたからだ。
『精製』はGMのパパ上さまが、天才の生涯をかけて作り上げた精華である。
その技術が便利すぎて魔石の処理に二次利用されたり、基幹技術の一部が『錬金』に組み込まれたりしたのは後世のことだ。
滅びゆく故郷をなんとかしようと必死になって、結果も出せたのに、間に合わなかった。
パパ上の絶望を思うと本当つら。
それでも泥臭く最後まで生き足掻き、ロケットを打ち上げる心境に至ったとかさ。
どうしても感銘を受けちゃうよな。
見習いたい、そのガッツ。
時代が下がるにつれ、『精製』で処理はしたものの産廃のままだった雫石を上手いこと再利用が出来ないものかと試行錯誤を始めたので、『調律』までを含む今のツリースキルになるまでには実にロケット飛来何十世代分の積み重ねがあったりする。
ロケットに歴史ありだ。
『体内倉庫』や『洗浄』、『治癒』といった多彩なスキル。ジョブ。GMや妖精さんたちのサポート。
当代の冒険者たちは歴史を編んできた彼らの、祈りと希望で創られているのだ。
「……先史文明人は本物の、叡知深き魔法使いであられたのだな」
それら一切合切の補助なしで、魔法文明を築くとかハードル高いぞ。
超天才魔法使いなパパ上でさえ【こんなんチマチマとやってられるか!】とスキルを生み出して自動化したのに。
プログラムでオートになっている部分を全部マニュアルでこなしていたって……とんでもないな、先史文明人。なんてマジカル。
スキルごとに封入されている魔道AIの補助は、云わばファンタジー小説における【知恵ある魔法使いの杖】のようなものだ。
それらの補助輪抜きで魔法文明を起こし、あまつさえ宇宙駆ける船や、甲殻人を生み出したとか、わけわからんよ?
「世界樹の種子!」
「世界宮子、アレが永久機関になるんです?!」
広崎さんや伊東さん。機械弄りが趣味のメンバーがソワついている。
「はい。世界樹の種子の胚には魔力を集める機能がありますので。
常にそのエネルギーを奪い、成長させないことで大型船の動力として利用していたそうです。
王族たちの船の破損は、この胚の管理になんらかのトラブルがあったとされます。
いえ、ご安心を。今乗っている小型船はバッテリー式で魔石で動いておりますよ」
100人乗れる船でも小型船扱いなのか。ホープランプ基準の大型船って大きそうだ。
……船が水に浮かべるものじゃなくて、宇宙を駆けるものならそうなるのか。
「なるほど、こちらのことだが腑に落ちた。おそらくだが撹拌世界の大都市では、インフラに世界宮子が使われていたのだろう。
わたしはそこまでシナリオを進められてなかった」
世界宮子、倒すと換金がウマウマヒャッホイ!オークション開催!なのって魔力炉素材だったんかい。
永久機関の魔力炉があるとか、都市部が栄えるわけだ。
「私も知りませんでした」
「あー。聞いたことあります」
ここら辺の知識の違いは、地方格差かな?
サリアータのインフラが少しレトロってても世界宮子が使われなかったのは、栄養過多で世界樹が成長したら困るからだな。こりゃ。
崩落した時、近くに生きた種子があったら更に悲惨なことになっていた。
世界の滅亡がマッハじゃん。
知れば知るほどご領主さまの英断が光る。
地脈が常に枯れてる大都市じゃないと、持ち込んだらダメなやつだ。
「ところで宇宙空間って魔力ないんですか?」
「極端に薄い宙域もあるそうですが、概ねあると聞いておりますよ」
おっと、地球さんは薄そうな印象。
「だったら世界宮子を船に載せるのは危険では?
船壁の外は空気のない地獄でしょうに」
「世界樹の種子は大気がないと発芽しないので、むしろ宇宙で扱いたい素材らしいですよ。私も歴史で習っただけで真偽は確かではありませんが」
なる。
世界【樹】だもんなー。
そうして喋っているとあっという間だ。
河岸に到着したので妖精さんに収納されて船から河岸に渡る。
西の河岸にはまだ、桟橋がないのだ。
オレは忖度されてしまったが他の随行員は、たったっ、ぴょーん!と大ジャンプで船を蹴って疑似マングローブに飛び移り、対岸に渡る。
素晴らしい。
宇宙船素材な甲板は、甲殻人の蹴りにも負けない強い子だ。
船はこのまま任務続行で、河川を下る調査があるのでお別れである。
背を伸ばしたくなる解放感よ。
内装が真実のラグジュアリーだったので肩が凝った!
…貴族文化が残る社会は一味違うね……。
伝統工芸品のある生活は安らぐかもしれないが、気合いの入った伝統美術品は緊張するもの。ゼロ距離で触れあうのではなく、解説付きで美術館でお会いしたかった。
勉強家のサリーが居たら楽しめたかもなー。サリーが楽しそうだと、こっちまで嬉しくなるし。
オレや護衛メンバーだとお互い極力触らんでおこうなって目配せし合うだけだ。その点、気が合うよなオレら。
野良猫たちに小判にゃーん。
それはさておき。
さあ、やってきたぞ。河向こう。
ダンジョンウォーだ!
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レプリカはなんといっても、お船のAIの調製が難しかった模様。
ホプさんたちに相談されて、潜界船ならまだしも宇宙は範囲外のマザー困惑。
大気圏から飛び立つって???
なんでそれをなんでやれると思ったの。そして、やれてしまったの。
いぶかしみながらも頑張りました。