276 スネコスリ
本日ホープランプはカラッと快晴。季節を先取りしたような初夏の気候だ。
今日こそは延期になっていた遠足である。
人の住む地の外のこと。
深く険しき道なき森を歩く………なんてことはなく、河の手前まで道の舗装が終わっていた。
……すごく平らで、いい道ですね?
どゆこと?
道路工事をするにしたって、雨が降ったり止んだりしてたよな?
いつ工事したの。
HPは万能の免罪符じゃないんだぞ。
感冒から守ってくれるわけではなし、足元も視界も悪かったろうに……工兵さんたちはもっと自分の体を大事にしようぜ。
工兵のブラックぶりに戦慄しつつも、道のおかげで快適だった。
走ればレベル90帯のスピードが乗る。
正直、楽しい。
真新しい軍用道路をサカサカ走り、河に到着だ。
妖精運輸しないかと尋ねられたが、この心浮き立つ春の陽気だ。選べるなら走るよな。
こういった高速道路で走る時の注意点は、車間距離ならぬ人間距離をあけること。
ランナーが転倒して巻き込みを起こす都市間の主幹道路事故は、ホープランプの社会問題である。
……うん。事故った甲殻人同士はHPが足りて無事でも、舗装は普通に傷つくからなー。
路面が破損すると事故る人が増える悪循環だ。
道路を大切にね!
絶対に重要なのは、ランニングシューズをきちんと履くこと。
生身でガツガツ走ろうものなら、道路を削るのが彼らの足というものだ。
道を労る素敵な靴は、ホープランプ紳士淑女の嗜みである。
大河を見渡せる高台で、妖精運輸されてきた船の準備が整うまで小休憩だ。
河面を吹き抜ける風が、汗した額に心地よい。
崖上からの眺めは絶景かな。
遠く河向こうの岸辺まで、見渡せる。
河の流れは黄土色。生命豊かな色合いだ。
見下ろした岸辺は、マングローブのように水中から生える樹群が、曲がりくねった根を晒す奇景だ。
映像で見た、熱帯の河に少し似ている。
大森林を横断する血涙河には、ピラニアはいないがワニは棲むのだ。
河に近付くにつれ、姿をちらほら見受けられるようになった。
野生のワニがカラスかなにかのようにそこら辺をノソノソしてるとか、こんなんビビるわー。
どうやらホープランプのワニたちは地球産のよりも、陸上行動にも明るい様子。
その分ぎゅっと小柄な印象だ。
最大サイズでも1メートルそこらだ。
捕食者の余裕だろうか。
道中、なにをトチ狂ったか道のド真ん中で【これはよいスペース】と、うっとり甲羅干しなんてしているものだから。哀れ、更に苛烈な捕食者に粛々と平らげられることになる。
ワニも道路で寝てなければ狩られまいに。
普段から未開の辺境へ赴き、ダンジョンの手入れをしている軍人さんは、地産地消に躊躇いがない。
甲殻人って丸1日食わないと覿面に弱るせいなのか、サバイバル訓練にも熱心だ。
「今晩は楽しみにしていて下さいね」
待機時間をいいことにワニをじっくり『鑑定』して、ひとつ頷いたのは涼風少尉。
彼はなにやら自信ありげだ。
旨いのか、ワニ肉。
遠征部隊にお手伝いとして派遣された妖精さんらが、血抜きが終わったワニたちをいそいそと小異界に回収している。
「『解体』は頼んでも?」
「合点承知なのですぞー!」
妖精さんは働き者ダナー。
「ヨコハマより西は人住まぬ森。
ダンジョン守りや、隠居して森暮らしをしている趣味人もこちら側には居ないのだろう?
それにしては立派な道だったな」
時間があるならお喋りしましょ、と話題を振る。
高台からはオレらが走ってきた道が望めた。
その道脇には、抜かれた切り株や丸太が山と積まれて置いてある。
森を切り裂き造られた道が、平らで真っ直ぐなことに大陸のスケールを感じる。
そして道以外は人工物がない。
まるで海峡のような河幅といい、慣れぬ形の動植物といい、オレたちは異郷の地に確かにいるのだと突きつけられたかのようだ。
心細くもあるが、未踏の地に踏み入るワクワク感もあり。
そんな心の二律背反。
人って矛盾を抱えた生き物だなあ。如何ともしがたい。
素朴な疑問を挟んだオレに涼風少尉が笑みを溢す。
粗野な男とは思えないような美貌が眩しい。
オレが男の子で良かったな、涼風少尉!でなければハニトラを疑われてたぞ!
「はい。都市から西は未開の野でしたので。
今、通ってきた軍用道路は将来、国道工事をするための脇道になりますね。
野良ダンジョンを監視する辺境警備の守り手たちは、ネモフィラ手前が最西でした」
あー。
ネモフィラ=ヨコハマ間の道も、細めの道を造ってから少し離れた隣にでかい基幹道路の工事を始めたとかなんとか。
……えっ。マジか。まさかあの大道を血涙河まで繋げるの?
「通る者は少ないだろうに、いいのだろうか」
人も住んでいないのに、公が無駄な道を造っているって有権者から怒られない?
「はい、いいえ。
我らは人が増えても新天地への入植は失敗が続きました。その先行きの見えない不安から、緊縮財源が長く続いていましたから。
大規模な公共工事群は経済のカンフルになると、大衆に期待されておりますよ」
そういや新天地に入植を試みると畑を小型魔物に食い荒らされるって話は聞いた。
草食の魔物の根絶が難しくて、外での大規模農業が出来なくなったから、果皮に毒のあるナッツ農業に移行した、うんちゃらうんぬん。
地下街でのビル農業は魔石を使い潰して運営するから、管理ダンジョン抜きに新都造営は困難だとも。
いざとなれば野良ダンジョンへ通えばいい頭があるから追い詰められてはいないにしろ、人間だ。一度快適さを知ると、生活水準を下げられないのわかる。
魔石大量消費型の彼らの社会をエコではないと批難出来ない。
オレらだっていずれ尽きるとわかっていながら石油を使ってきたもんな。
どころか魔石の大量消費は、星の健康寿命的には大勝利だ。
世界宮子から芽が出る環境を造らせないために、地脈から魔力を吸い上げさせるのは正しい。
「皆さま方、三千世界より新たな友を迎えたこと。
VRでの文化交流もさることながら、管理ダンジョンの増加に、妖精の復活、新たな転生神殿建立と、立て続けに明るいニュースが続きましたこと。
これらを踏まえてダンジョンタワー建造に向けて、国も本腰を入れておりますよ。
道造りは大陸の西側に大規模な調査団を派遣する取り組みの一環ですね。
ネモフィラから東側や南北は海岸線に出るまでに都市が幾つかありますので、枯らしてもいい巨大地脈を探すならやはり西方探訪になるものかと。
……諸事の恩恵で私共の野良ダンジョン清掃も随分楽になりそうです」
あっ。はい。
オレたちの頑張りが実っていたのは嬉しいですね?
政治関連の折衝は、政府ちゃんに投げっぱだ。
古代や中世ならいざ知らず。
プツンとキレさせたらヤバいダンマスを、毀誉褒貶が著しい政治の場に出すのはありえない。
だから親方日の丸に仕事の指示はもらっても政治面はノータッチだったが……なんだか想像以上に密な交渉をしてくれてるっぽい?
ホープランプの本気の欠片が、これらの立派な道路というわけか。
「そうか。しかし、一般人の通行はネモフィラダンジョンが西の限度だろうに」
そうだよな?
検疫の問題のアレソレ的に。
2メートル級のヒトガタ戦車以外の働く車が通るわけではなし、軍用道路としては立派すぎやしないだろうか。
「はい」
今度は近くの山霧少尉が肯定する。
「しかしダンジョンタワーを建立することになれば、ヨコハマダンジョンはそれに繋がるハブ駅になるでしょう。予め道は造っておくに限ります。
如才なく、小回りの効く冒険者は西に興味津々ですよ。
ありがたいことです。
それでなくても、そうですね……身近な例だと学校の宿泊学習でネモフィラまで行ったと、拙宅の娘がはしゃいでました。
高速道路を走るのが楽しかった。沢山レベルが上がったと。それはもう満喫したみたいで。
女はまだ優先されますけど、本国じゃダンジョン詣での予約を取るのは戦争です。
ネモフィラへの観光客は本国も絞っていますが、それでも現在常時5万人を突破していますよ。
ヨコハマダンジョンが解放されるのを見越した動きをしないと、むしろ政府は民意に叩かれます」
いや、いやいや。
周辺の拡張整備はやれるようネモフィラの水源は大きくとってあるけれどさ、仕立ててある産業ダンジョンの数的にも5万人は人余りするだろ。
君らそんなに、なにしに来てるの?
ネモフィラ観光?
そろそろ花も終わりでない?
しかし、ううむ。確かに巨大地脈を見つけたらオレはそっちの調略に専念する。
ヨコハマダンジョンの管理はホープランプ政府さんに丸投げして、引っ越すことになるだろう。
今でも名ばかりの大家だから、それらの手続きも問題ない。
……そうか。来年再来年ぐらいしか考えてないオレと違って、ホープランプの政府さんは百年後の将来のことを考えているから、幹線道路要地は太いのを予め確保しておいてあるのか。
今、目から鱗が落ちた!
行政の目線だと、道を通したい位置に建物建てられると立ち退き交渉が大変だもんな。
成田空港とか用地の買収が、地元の反対にあって困ったって聞いたことある。
篠宮に生まれたわけでもない爺さまだって、婆さまの化粧領だからと畑を耕して50年。今ではすっかり地元者だ。
土地に人が根付けば愛着が湧く。
無理に奪えば闘争だろう。騒動の種は植えないに限る。
「ホープランプでも宿泊学習があるんだな。…ネモフィラで?」
ホプさんたちにも歩け歩け遠足で、山の家に宿まるみたいな学校行事があるのだろうか。
チビッ子がはしゃぐ姿を想像するとホッコリするな。
「山霧少尉のお嬢さんは優秀ですよね。
よほど品行方正にしている優等生でもないと、学生ではネモフィラ参拝許可を得るのはまだ難しかったでしょう」
へえ。いるとは聞いていたが子どもは娘さんだったんだな。山霧少尉。
山霧少尉は伝令役として新たに紹介された、女性尉官だ。
子育てがある程度終わり、爵位持ちの義務として軍に復帰したところを、独身時代に同期だった夏草少佐に捕獲されたらしい。
そんな山霧少尉は桔梗色の優雅な女性甲殻と合わせた紫の口紅がよく似合う、単身赴任中の人妻である。
……彼女、属性が多いな?
「いや、そうでもないさ涼風少尉。娘はネモフィラ行きにあたって【阿呆なことはしない】とそんな誓約書を書かされたそうだぞ。
学校に信用されていないと憤っていたが、さもありなん。
甲殻は生え揃っても心は未熟。
成人したての若者ほど、無鉄砲なものはないからな。
そして考えも浅い。実際においたをやらかした同学年生徒がいたのに私は関係ないと他人事だ」
ダメ出しする言葉なのに、口調はクールになりきれないあたりに親の愛が滲む。
おお、翻訳システムのアップデートが凄い。
「おや、民間人ならそんなものでしょう。
尊家のご当主になるにはどうせ軍の教導を受けるのです。
性根を叩き直される前の柔らかさで、稚なく可愛いものじゃありませんか。
懐かしさすら感じますね」
一等優しく微笑む涼風少尉。
なんの思い出の共有か、他の軍人さんらの酢を飲んだような顔とは温度差がある。
最近分かってきたけど涼風少尉、優しげなのは顔だけで心はタフだろ。
「それは聞いてもいい話だろうか」
自分の知らんところで話のネタにされて、娘さんに怒られない?
「お耳汚しを。いえ、初めての都市間旅行ではしゃいだ若者が夜の森に姿を眩ますのは通例行事なものですから」
ここで華やかな夜の町じゃなくて、暗い森に脱走するのが甲殻人のパリピなんだな。
熊がいるのにアグレッシブだ。肝試しなら、廃墟探索ぐらいにしとけば良さそうなものを。
「子どもが元気なのは良いことだ。保護者としては心配だろうが」
思春期は無意味な全能感に支配されるもの。
甲殻人にも中二病があると思えば共感が湧く。
お互いに黒歴史の量産は仕方ないよな!
ネモフィラ近郊は、2号基のテリトリーだ。
そして成人した甲殻人はステータスを入れる。
ステータスさえ入っていれば、迷子はGMのセンサーに引っ掛かるだろう。
行方不明者は探しやすくてよろしげだ。
マザーの本体たちに使われている精石は『圧縮』も『融合』もなされていない汎オールドシステム。
効率の悪さを膨大な石の量でカバーしている、シンプルで伝統的な設えだ。
彼女の専用ボディは必要に応じて巨大化する都合、都市内での業務は十全に事足りるが、都市外まで通信網をカバーするのは如何せん出力が足りなかったりする。
甲殻人、足が達者だから浮かれ調子でウロつくといつの間にか通信範囲外に出てしまう罠。
……オレが『マップ』のスキル石を量産出来ればいいんだが、そこまで手が伸ばせないのがなあ。
なんならゲームで覚えて欲しい。昭和世界の功績ポイントの景品にスキル石があったはずだ。
『マップ』の記録は『体内倉庫』の【大事なもの】IN精石の情報媒体に蓄えられる。
その都合、アクセサリをつけ外ししようものなら位置情報がエラーを吐くのだ。
アクセでの単体運用は到底、お勧め出来ないんだよ『マップ』って。
そうでなければドル箱の輸出品になっただろうに残念だ。
『マップ』ってGPSの普及した現代日本では、エレベーターのない野良ダンジョンに深く潜る時に先行部隊しか使わんような特殊技能と思っていた。
慢心だった。めっちゃ役立つよ。『マップ』!
無駄なスキルなんてなかったな。
ちなみにうちのGMは技術の刷新が起きてからの型番なので『精製』、『融合』、『圧縮』のコンボでコンパクトに効率化している。
中継ポイントを置いてきたとはいえ、界外通信をこなせるくらいに高性能だ。
それぐらい情報伝達に優れてなければ、情報量のしこたま多いVRゲームの運営なんてやれないだろうって?
それはそう。
でも本人的には【ゼリー山脈には、ジャマーされているんですよねー】と不満げだ。完全無敵ではなかったな。
「おまっとう。桟橋にお船の用意ができましたのじゃ。褒めろ下さいなのじゃ」
ぬろりぬろり。
妖精さんも個性の時代だ。
椅子に座った脛を8の字に擦りつけ、しきりに撫でれとボディアピール。
うーん。あざとい。
「ああ、助かった」
骨の感覚のない柔らかな背中を撫でると、丸い尻尾がシビビと揺れた。
白い猫のような、犬のような。
まん丸な体に、丸い顔。短い手足。ボディに描かれたカラフルな菊花模様。
お地蔵さまのような細目が福々しいこの妖精さんは、赤い前掛けをした【スネコスリ】がモチーフだ。
魔道工学によって宇宙を駆けた、先史文明の枝葉を継承している甲殻人は、近世以前、文明の起こりの経歴がない。
だから三千世界のあちこちで真しやかに語られてきた【不思議な隣人たち】、【伝説の生き物】。魔道工学の強い光は、そんなあやふやで豊かなものを駆逐してしまう。
科学の子どもである甲殻人は、神々や架空生物の伝承を自ら生むことはなかった。その必要がなかったともいえる。
辛うじて都市伝説の類いがある程度だ。
なので【古く語られてきたもの】に興味があるのか、若しくは単純に妖精さんの趣味なのか。外回りの派遣組は、こうして妖怪リスペクトの筐体を選んできた。
スープーシャンやヌリカベなんかもマスコット的に愛らしくフワッフワにデフォルメされて西方調査団に付いてきている。
四不象は妖怪じゃないよ。お隣の国の絶滅危惧種か、聖獣だよって突っ込みはナシだ。
甲殻人、まだまだ日本どころか西洋、東洋の満遍なく、区別がついてないと思われる。
文化交流は始まったばかりだ。
あまりに手触りがいいものだからスネコスリな妖精さんの、丸い体を抱き上げてしまう。
こやつ、抱くとつき立てのモチのように、むにっとしておるぞ。むにむに。
「行こうか。実はホープランプの船に乗るのを、ずっと楽しみにしていた」
こちらの船はまず宇宙船ありき。
水上の船も密閉型の流線型だ。
とっても異文化ですね。ありがとう御座います。
そんな船に乗れるとか、それだけでテンション上がるんだよなあ…!
コメント、いいね、評価、誤字報告等、感謝です。
すねこすり。日本さん家の妖精さんを見て、オレらに足りないものは可愛げだったと Σ(゜ω゜)としたホープランプ妖精さんの迷走がこちらになります。