274 シュガースライム
パン工房の落成セレモニーが終わった後は、ギルドの会議室で紙仕事だ。
とはいえ細々とした書類は、ステータスから直接決済で済む。
例えばギルドの貸し店舗に歯医者さんが入居したこと。
オレの名前で開業祝いに花を贈った、その認可の人付き合いも含まれる。
【この貸し店舗のスペースに店が入ったら花のひとつも贈りたいな】
ダンジョンフロアの作成時にオレが何気なく溢した話を、ギルマスは律儀に覚えていてくれたらしい。
その後こちらからはなしの礫だったので、確認を兼ねての報告だった。
やっちまった。当方はすっかり忘れていたので、やや気まずいことでもある。
広崎さんらは護衛任務が主軸だから、事細やかな秘書業務までは頼れない。
社会経験の薄さが仇だ。やりたかったこと、やらなくちゃいけないことがポロポロ抜ける。
助けてサリー。
離れて染みる存在の大きさ。
ヤバイな。馬脚を現してしまう。
「件の院長先生は蘭の花がお好きとお聞きします。なのでそちらの鉢を届けてまいりました。
今後もギルドの貸し店舗に店が入りましたら、祝に花籠を贈るということでよろしいでしょうか」
ハリネズミのギルマスが鼻をピスピス鳴らしながらフォローの報告をしてくれる。
ああああ、お手数をお掛けしております!
「任せた。中々こちらの手が回らないので助かる」
ダンジョンの家賃の管理等は冒険者ギルドに任せてあるので、次からの花代は自動でそこから出すように書類に要望を書き入れてレスを返しておく。
しかし地獄耳だな。妖精さんの小ネタ、ネットワーク。
顔も知らなかったはずの、店子の好きな花くらいならいいけどさ。
こうも情報集めが得意だと、本来は洒落にならんかったのじゃなかろうか。
妖精さんの思考ルーティンがふんわり善性に寄ってなければ、【おしゃべり好きな妖精さん】は邪悪なものとして扱われただろう。
誰だって後ろめたいことはあるものだ。
「篠宮さまはお忙しくていらっしゃいますから。
花をもらって嫌がるものなどいませんが、他ならぬ篠宮さまの名義の祝いの贈り物です。殊更喜ばれたそうですよ。
……その、世間話を真に受けて余計な出しゃばりをしてしまったかと不安でしたので許可を頂けて安心しました」
だから、口約束だけで忘れててゴメンて。
良心が痛む。
「この辺境の地に赴任してくれる医者だ。大事にしたいものだな」
ヨコハマはホプさんにしてみれば最果ての西だ。
都会を離れて定住するには覚悟がいったことだろう。
生活に困らないお医者さまが、よくまあギルドの勧誘に応えてくれたものだ。
「はい。専門医の中でも特に歯医者の開業は、要望が高く御座いました」
なんでもHPが減っている時にうっかり気張ると奥歯を砕く者が多いので、甲殻人と歯医者は切っても切れぬ仲だそうな。
ぱらり。
ギルマスがいるうちに確認してしまおうと、次は紙の書類を開く。
2つ折の台紙に遊び紙のついたの立派なものだ。
「と、次は砂糖工場の件か。もう本決まりになったんだな」
早くね?
内容をもう一度読んでから、丁寧にサインを認める。
オレの文字はリュアルテくんの薫陶を受けている。そこそこ恥ずかしくない文字が書けるようになってて良かったな。
署名をするたびそう思ってしまう。なにが役立つかわからんもんだ。
そう。日々の雑事はペーパーレスだとしても、許可証あたりの重要書類は紙で来る。
電子書類は便利だが、紙の書類は千年ものだ。
地球より一足早くペーパーレス社会に突入しているホープランプでも、最低限のアナログ資料の作成は広く推奨している。
膨大な史科が災害で一度に喪われるとか怖いもんな。後世に渡すバックアップは大事だ。
「ホープランプではお砂糖が安いですよね。嬉しいです」
女性らしく意見を述べるのは狭間さんだ。
これから手掛ける店子タスクの中で、予てより打診されていた砂糖工場の入居は禍福と両合わせの案件だ。
冒険者ギルドを介した依頼には、燦然と日ホプ両国の連名がなされていた。
この書類は冒険者ギルドで保管され、コピーデータが両国に送られることになる。
「甘い砂糖は誰もが大好きですから。
私もこの体になってから、すっかり虜になってしまいました。
1日の締めくくりには、角砂糖。
その幸せを知らないなんて、妖精生の損でした」
ギルマスは思い返したように、うっとり目を細める。
「ああ。二台目の筐体も、好調のようでなによりだ」
ギルマスの初代ボディは戦乱の世に露と消えている。
愛らしいこのハリネズミの姿は、二台目の筐体だ。
そしてこの新型は旧型には搭載されていない、味覚センサーが備わっている。ギルマスが述懐するのはその恩恵だ。
波乱の過去傷はそれはそれ。トラウマもなく楽しそうに働いているのを見るにつけ、妖精さんってホント図太いし、根気がある。そう感心してしまう。
この大らかさは範としたい。
「おかげさまで古い妖精にはよく、羨ましがられます」
自慢気に揺れる髭に、苦笑する。
300年物の古い妖精筐体はロケット積載の異世界産。今となっては国宝指定だ。
まあ安易に乗り移るわけにもな。
……しかし、シュガースライムねえ。
砂糖が安価に大量生産される。
とても喜ばしいことなのに、よろしくない厄介ごとも噴出してしまうのが人間社会の悲しさだ。
魔物素材の非可食部分をモリモリ食べて、砂糖に変生してくれるシュガースライムは便利過ぎてアンタッチャブルだ。
あちらのGMは、政府ちゃんとの【年月を共にしてきた仲良し度】がまだ足りていないので、シュガースライムの魔石の提供はまだなされてないそうだ。
スケベ触手より管理基準が高く設定されているとかどれだけヤバいんだ、シュガースライム。
……他所の世界がよほど酷いことになったのかもな。勘繰ってしまうぞ。
今の状態でもホープランプと繋がった暁には、地球の砂糖農家が干上がってしまう。その想像は難くない。
シュガースライムは一度流出してしまったら最後、どこの国でも欲しがるような品だ。
盗まれてしらばっくれられるよりは、恩に着せて技術供与するが賢いというもの。
政府ちゃんがあんまり悪どいことをすると、その国のGMが落ちるからお互いにお行儀よくしてくれるはずだ。だといいな。
しかし農家にとっては代々丹精して作ってきた自慢の作物が急に売れなくなるとか、恐怖でしかない。
オレが二の足を踏むどころか、ビビり散らかしているのは当然だろう。
なのに日本政府ちゃんから、時間を掛けずGOが下りてしまったなんて。
やめろ正気か!
正気だった。
追加の資料がステータスに届いていたので大人しく読む。
なんでも魔力回復には魔物素材が適しているので、幅広く使えるシュガースライムはトクホ扱い。タバコ税や酒税のように、シュガースライム税を導入することでカバーする提案を世界に向けてするそうな。
これからの先々シュガースライム原料の砂糖は、普通の砂糖の3割増しからの価格で提供となるらしい。
既存勢力とは共存共栄しましょう、だとさ。
くっ。すまんな、地球世界の皆の衆。
余計な税制度を増やしちゃったぜ…!
あああああ。そりゃあ生産者の保護は大事だけど!
痛恨!
この先右肩上がりに冒険者が増えていけば、甘味食糧が奪い合いになる。
いたずらに高騰されるよりはマシだという苦渋の判断なんだとの弁。
確かにだ。魔力使った後の甘いものって、【足りてないものが補われた】ってそんな切実さを伴う充足感がある。
それらのデータを政府ちゃんも把握してるので、試算をしたらこの先砂糖の需要は増大の一途を辿るそう。
つるかめつるかめ。
……もらった資料の行間から、なにを敵に回してもうちの子は飢えさせないという、黄金の意志を感じるんだが。
耕作放棄地を再度田んぼとして甦らせる計画といい、うちの政府ちゃん、食べ物のことになると本気を出すな……?
この調子だと日ホプが繋がる前に、砂糖が足りないってことになったら、あちらのGMから種魔石の提供を交渉して、あまつさえ成功しそうだ。
そしてホプさんたち的には【命の水です!】ってラムを作る気満々。陽気なものだ。
渡された見取り図には砂糖工場に隣接して、しっかりと酒造工場が併設されている。
気疲れする書類仕事を片付けたら、実働だ。
シュガースライムを招聘する種の魔石は、書類や専門ゲートと同便でこちらの手元に届いている。
となれば、箱は早め早めに建ててしまう。それに限るというもの。
別に急かされてないとわかっていても、他の人の仕事がどうにも早くて、オレのとこで止まるのが嫌だ。
出入り口で肝心なのは動線だ。工場は人の出入りが多いもの。
なので砂糖工場になる箱は、順当にスライムエリアに挿入した。
スライムエリアは既にターミナルを建ててある。
砂糖工場はヨコハマのメイン水玉工場のお隣だ。
先に水玉工場が稼働しているのでスライムターミナルからは、冒険者ギルドや三の郭の東西南北の出口と、駅を通してある。
自営ダンジョンの強みで、多くのゴミは転移罠で移動させるが、外回りから持ち帰ってきたりで人が直接荷物を運び込むことも多くなるのが水玉工場だ。
なので水玉工場周りは利便性がいいように造るように心掛けている。
設計図に沿って水回りや集荷用ワープ罠、飼育部屋などを繋いでいく。
それとスライムが変質してしまった時の用心に、補充用の召喚部屋も設置する。
魔物の召喚は、ダンジョンマスターの面目躍如だ。
や、テイマーが管理してくれればいいだけなんだが。……設計図に赤文字で【重要】と召喚部屋が載っているってことは、それも難しいのかもな。
そういやうちの桃子だって、なんの前触れもなく吸血種に変化してたっけ。
シュガースライムがダンジョン案件になったのは、高魔力環境下はスライムを増やしやすいというわけだけではなく、案外召喚部屋が目当てでスライムの変質がピーキーなのかもだ。
ホープランプでもスライム研究は盛んである。
それを聞いた時からスライム系の工場は、増えていきそうな予感はあった。
最初から専門エリアとしてターミナル化していたのは正解だった。後から追加工事するのはちょっと億劫だ。
スライム亜種の使用例はオレの持ち込みの種だけでも食品や肥料、化繊に建材、染料と薬剤その他諸々。石油並みの幅広さだ。
分類を考えるのは面倒なので毒を出さないスライム系統種は、全部ターミナルに収納したい。
だけどもし危険物の生産工場を造るとしたら、ナノハナ研よろしく生活拠点とは分けるべきだ。きっちり隔離できる新規のダンジョンを建てなくては。
……薬毒禁止。この辺はスライムターミナルの特記に大きく書いておこう。サリーがいない今はオレのウッカリが怖い。
エロスライムとか、水銀のように金を取り込み抽出に使われる集金スライムとか、役に立つけど断然ヤベー奴らもわんさかいるのがスライム種界隈だ。
工場内の転移罠と水回り、召喚部屋だけは確認のため稼働させておく。
精糖工場や倉庫なんかは、いつもと同じくカラ箱仕様。あとはヨロシクお任せだ。
きっと罠のシステムや機械弄りが好きなダンマスだと、工場のカラクリを考えるのも造るのも楽しいんだろうな。
幼児期の教育番組。ピタゴラ装置的アトモスフィア群は眺めて、ホヘーとなるだけで、作ってみようとする才気煥発なお子さんじゃなかったんだよな、オレ。
誰か使いやすい技術テンプレートを作って登録してくれないだろうか。そしたら買うのに。
本日のダンジョン案件は、もう2つだ。
この調子でガンガン行くぜ!
同じ地脈の上にあるネモフィラがサブならヨコハマは本命。
ヨコハマが地脈の流れを自動で集めるようになるサイズのダンジョンに育つまでは、この調子でフロアを拡張したい。そのつもりだ。
地脈を擬人化するのならば、大きなダンジョンほどあいつらは好き。
自営ダンジョンが育つほど、自然と周辺魔力が流れ込むことになる。
それは他から魔力を奪うこと。
ダンジョンは地脈を支配下に置く、一種、ダムのようなものだ。
そうなればしめたもので、細い支流は枯れて潰れてくれる。
正にハゲ鷹の所業なわけだな!
ダンジョンウォーと【戦争】の名前を冠しているのは伊達じゃない。
野良ダンジョンが川の難所と思えば、時折決壊するのも納得してもらえると思う。
そういうわけでセレモニー中に駄弁っていた、件の養鶏場の拡充もする。
早速呑気な案件だが、これも戦略。
魔物が卵を産もうとすると外気魔力をよく吸うのだ。外気魔力が低くなればダンジョンが地脈から魔力を吸いあげる循環が働く。
こっちはサクッとコピペで2号館を増やす。
自営ダンジョン内なので護衛メンバーも日本人だけで楽だ。
アイドルって偉いよ。束ねた視線ってプレッシャーだ。見られるのは体力使う。
「ずいぶん時間を短縮したね。……2号館って楽なのかい?」
「コピペだから楽ですよ?」
広崎さん。なにを今更。
1号館の段階から、リュアルテくんが試行錯誤した結果を引っ張ってきてますがなにか?
1号館はそれでも甲殻人向けにちょこちょこ設定を弄ったし、リアルで造るのは初めてだからそれなり時間を掛けたけど、2号館は完全にコピペだ。
「オレ、テンプレートって好きです」
『CAD』の保存機能、とても助かる。
「流士くんは、だろうねえ」
養鶏場はこの先も増えていく予感がするのに、コピペも出来ず、1から同じ物を造れと要望されたら心で泣いていた。
いやさ、牢屋の構築って煩雑だ。繰り返し何度も組みたくはないよなって。
コメント、いいね、評価、誤字報告等、感謝です。
素敵な角砂糖は妖精の嗜み。