273 鏡開き
パン、パン!
灰鼠の空に、煙の花火が打ち上げる。
ギリギリ天気が持ってくれて良かった。
「それでは本日より、皆さまよろしくお願いします!」
「「「よろしくお願いします!」」
工房長の音頭で、ずらり並んだスタッフが唱和する。
曇天だってなんのその。客商売で鍛えた彼らの挙措は、溌剌として朗らかだ。
場の空気も明るくなるよう。
現在のヨコハマダンジョンでは子どもの養育施設がない。
従って民間人で入居してくるのは、子育ての終わった世代ばかりだ。
彼らはアラフォーどころか、シルバーも多い。
しかしそれにしてはフレッシュ過ぎやしないだろうか。
……甲殻人の年齢ってわっかんないなー?
ううむ。彼らはレジャーで管理ダンジョンを詣でてるから、いつまでも動作が若々しいんだろうか。
一時はそう思ったが種明かしだ。
なんでもヨコハマダンジョンに来るような彼らは、誰もが早々に転生神殿をキメるのがスタンダードだとか。
パン工房のスタッフさんらも、現在はレベル5程度のバブちゃんだ。
ワーオ。お爺ちゃんたち、行動力ある。
しかし転生出来るってことは、レベル100だったということでもある。
肉体の維持やスキルを育てるのに、経験値は日々消費されていくもの。レベルの全盛期を維持するのはそれなり以上に手間が掛かるものだ。
そんなレベル100のおっちゃんが街で普通にパン屋の店員しているとか、狂気なのでは?
一般人だぞ。おかしくなぁい?
ホープランプ民間人の平均レベルが気になってきた。
「新たな友たる日本では鏡は円満を、開くは末広がりを意味しているとお聞きました。
末広がりは成功と繁栄が続く、まこと縁起のいい形だそうです。
我々の工房が円満に運営されるよう、 そして歓迎してくださる皆さまに 末広がりの運が開けますよう、鏡開きを行います!」
工房長がカンペで確認しながらも、粛々と儀式を進行する。
今日のこの度、目出たくもパン工房とその連枝のフードショップがヨコハマダンジョンに根付くことと相成った。
これで一先ず安心だ。
そもそもヨコハマダンジョンの拡充は、最初から取り決められていた路線だ。
住人を増やしていくなら、パン屋は早めに建てたいもの。
「それでは皆さまわたくしが、【そーれ】と言ったら【よいしょ】の発声をお願いします。
あ、そーれ!」
「「「よいしょ!」」」
発声とともに酒樽の蓋に木槌が振り下ろされる様式美。
樽に入っていたのは赤い液体。米酒ならぬ葡萄酒だ。
パンと葡萄酵母は切っても切れぬ関係なので、あえてのチョイス。
飲酒ができない年齢のオレは、鏡開きを離れた場所から見守る形だ。
予てよりパン工房スタッフは事前研修で特別に、昭和世界のプレイヤーとして招かれている。
些少ながら日本慣れも済ませてきたと報告を受けた。
……いや、些少じゃなくない?
本気で勉強してきている。
鏡開きとか、どのタイミングで覚えてきたんだろう彼ら。
ホープランプは大陸国家だが、甲殻人は単独民族だ。
内ゲバはあっても外国との摩擦は未経験なので、マザーのフォローも慎重と見た。
現代ホープランプ人は温厚だが、歴史的には悪鬼羅刹バーバリアンをしていた時代もある。
願わくば彼らのそんな別の顔と、対峙する機会はないようにしたいものだ。
ケチョンケチョンにされてしまう。
「振る舞いものがされているうちに席を立ちましょう」
斜め後ろに立っていた那須さんが小声で移動を促してくる。
「分かった。…ところで、転生したてで酒を飲んでも彼らは平気なものだろうか?
転生すると味蕾も若返るので、最初のうちは苦いものやアルコールに違和感を覚えると聞いたことがある」
情報源は蟒蛇らしいサリーの弁だ。
オレも転生はしたけど、元から抹茶もミルク仕立ての方が好きな子ども舌だ。
そう変わりはなかったけど。……あ。辛さには少し弱くなった気がするかな?
うどんに少し一味を振ったら、辛さが鮮烈で驚いたっけか。完食はしたけど。
「人種の違いがありますからね、どうでしょうか。そちらは後で訊いておきます。
転生神殿は造りかけですが、盛況なようですね。
先日は招かれて、広崎たちと視察をされてきたのでしょう?」
「ああ」
そういや視察の時は、那須さんは休みでいなかったっけ。
神殿。
神殿の進捗は、なー。
最奥の本殿は外装を済ませ、細やかな内装に入っていた。
一の郭。庭の造園は本道のみ。正門、手水舎、社務所、外殿などはまだ手付かずだ。
造りかけの神殿は、なんていうか……うん。ホープランプの美意識の粋を見せつけられた。
甲殻人は色盲が多いが、それだけに【与えられた者】が、色彩に掛ける情熱は並外れているようだ。
夕暮れの空を見てその美しさに見惚れるような自然とは真逆。細部まで統制された人工美の調和だ。
「美しかったぞ。完成したら素晴らしいものになりそうだ」
転生神殿の一貫したモチーフは世界樹だ。
創生、発展、破壊、回帰。世界は円環の理を顕す。
建築様式は違えども、偉大なるスルタンの宮殿か、もしくは一神教の大聖堂か。
コスト度外視。惜しげもなく投入される一流の職人の手練の御技に目が溺れそうになった。
彫金、彫刻、硝子細工。嵌め込まれた宝石のモザイク。踏むのを躊躇う手織りの絨毯。
本道に何気なく置かれた外置きの椅子ですら、丹念に細工が施されており美術品の貫禄だ。
なんて壮麗。目も眩むような奢侈である。
うん。
神殿の保全管理は、ホプさんの采配でホント良かった…!
なにかがあっても責任とれん。
とんでもない店子が入ってしまって、今さらながらに頭を抱えたくなる。怖あ。
これで造りかけとか、ミニマムに生きてきた島国育ちのオレのポンポンがペインでマッハである。
……大陸国家の本気って怖いね?
スケールが違うんだよなあ。
【取り急ぎ、小ぢんまりとした神殿で恐縮ですが】って、本国の神殿はどうなってんだろ。
ホープランプ本国では現在、VR観光用のデータ収集をしているって話だからこちらは純粋に楽しみだ。
日本での転生神殿がラボの一室だったように、壮麗な神殿自体は贅肉とも言える。
だから神殿の運営は、造りかけの見きり発車でも始まっていた。
そう、最初はそこだけは立派な転生の間しかなかったのだ。
ちょっと見ない間になんたること。
現在、神殿のメインターゲットになっている軍人さんは転生後の養生を受け入れる宿舎があるので、参拝が済んだらそのまま商業ダンジョンで適度にレベリングしてから本国へ帰っていただく手順だ。
機能的な問題はなしってことしか知らんかったぞ、視察をするまでは!
いや、神殿が立派でオレが困ることなんてないけれど!
以前、打診を受けていた邸宅建造を断って正解だった。
御殿に住むには才能がいる。オレは落ち着かないのでご勘弁を。
この手の素敵な建造物は、無責任な観光客として眺めるに限るんだよなあ!
「パン屋が出来れば、ギルドの売店も品切れて困ることは少なくなるだろうか」
説明を受けた手順通り移動したのは、工房モニュメントの階段前だ。そのまま合図を待つ。
冒険者ギルドの売店も流通や妖精さんが増えたことで、最近はお握りの類やホットスナックを売り始めた。
イートインが出来るコンビニ並みに充実してきている。
しかし焼き立てパンに困らない環境はこちらとしてもありがたい。
マンガで見たような購買戦争こそないものの、弁当の補充が間に合わずガラガラの陳列棚は物寂しいのだ。
……仕事に加えダン活もとなると、毎日料理するのはしんどいからなあ。
「このところどんどん住人が増えてますから。
新たに第2養鶏場を建てるそうですよね」
問われれば頷く。
「鶏卵は人気があった」
セレモニーの後、オレの予定には養鶏場とその飼料用ダンジョンの増設がある。
卵需要は正直舐めていた。
ヨコハマダンジョンで生産されている魔鶏卵は、売り切れ御免。
まさに飛ぶように売れている。
たぶん本国のお人らにはヨコハマダンジョン = ああ、養鶏場ねって思われているに違いない。
わかる。卵、旨いよな。
ホプさんたちも美食は目がない。
ホープランプに定着している食文化は先史文明の嫡流だ。非常に洗練されている。
そして先史文明人にデザインされた甲殻人と地球人種は、嗅覚と味覚がとても近い。
これは分かる気がする。
宇宙船に畑を造り、穀物を安定したカロリー源にしてきたのなら、糖や油を旨く感じる。
これらの収斂進化は三千世界を越えて起きていても納得がいく。
しかしそれはこちらとしては幸運なことだ。
頂き物の贈答品はもちろん、売店にはチープな袋菓子も入荷しているが、どれを食べても外れがなかった。
毎日の食事にストレスがないのは助かる。
甲殻人が1日に必要とするカロリーは、成人ひとりにつき1万計算から。
そして体が資本の軍人さんは、その倍の量を軽く食べる。甲殻人ボディは高燃費だ。
料理のバリエーションを増やす卵が歓迎されないわけがなかったな。
美味しいは社会を動かす力なのだ。
「ですよね。ネモフィラ=ヨコハマ間は既にエッグロードと呼ばれ始めているようですよ。
……。
話は変わりますが、これで神殿までの参道は苗木を植えられただけの場所というのも卒業ですね」
那須さんは気配り屋だ。
オレが真面目くさって黙りこくっていると、一部周りを緊張させてしまう。
別に深読みされても、なにも出てきはしないんだがな?
砕けた態度をアピールしておけと、内容の薄い世間話を小声でダラダラと続けている。
人が集まれば耳のいいのがいるもので、毒にも薬にもならん話題ばかりだ。
ちなみに天気の話とかの鉄板は、もう済ませている。
そういや、天気と言えば。
「参道に店があれば、わたしたちも太陽を浴びる時間が増えるだろうか」
ダンジョン内は女性陣の強い要望から紫外線カットしている。籠りっぱなしも良くないよな。
それに人通りのない道は、立派なものほど空しいものだ。
ヨコハマダンジョン正門から転生神殿に繋がる参道は、いわば顔だ。
大工衆も気合いが違う。
水鳥の形の消火栓に、敷かれたタイルはアラベスクに似て美しい。
これから道を通る人々の気持ちを明るく浮き立たせてくれるだろう。
中枢となる本殿こそダンジョン内に封入されているが、神殿公園を含む外殿及び正門群は観光資源になるからと一の郭と二の郭に跨がって建立される予定である。
大きなダンジョンに複数箇所の出入り口がない状態は、不健全なので丁度良かった。
公的機関はゲートで繋ぐのが、撹拌世界流の地脈安全対策だ。
………うん。
サリアータはね。本当に特殊な例だから。
あれだけ対策してたのに、べりっと崩落する方がおかしかったから。
自然に本気を出されたら、そりゃ負けてしまう。手に負えないから、やめて欲しい。
奴らは人の思惑を気軽に越える。
ともあれ一の郭の大門と転生神殿をつなぐ参道の一等地がようやくひとつ、これで埋まった。
ヨコハマダンジョンの安保に、今後もご近所の野良ダンジョンはプチプチ潰していく予定がある。
そうしたら地脈の水位が上がってしまうのが困りものだ。
この辺は地脈を吸い上げる工場やビルの数を増やしながら、地道に調整してかないといけなかったりする。
地脈はやや枯れているくらいで丁度いい。
スタンピードの原因を造ってしまうのは勘弁だ。
柄杓によって汲み取られたワインが次々見物客に配られていく。
大樽の酒が足りずに慌てて予備を持ち出したあたり、想定よりも見物客が多かったらしい。期待されるのは良いことだ。
オレが呼ばれるまでもう少し時間があるかな?
たかが5分か10分そこら。なのに待っている時間は長く感じる。
そろそろ視線が痛いんだが。
動物園のパンダの気分だ。オレが気弱な娘さんだったら空気に怯えているところだぞ。訴訟。
流石にこの状況で、端末を弄って寛ぐほどのクソ度胸はない。暇潰しにパン工房のモニュメントを眺める。
妖精さん運輸で運ばれてきたゲートは2階建て、中規模タイプだ。
硝子と瀟洒な鉄骨で、組まれた三角屋根の覆い付き。
壁面には段々と鉢が掛けられ、白い小花を零れさせるのが硝子越しに見える。
パン屋じゃなくてブーランジェリー。
そんな風に気取って呼ばなくちゃいけないようなモニュメントだ。
車社会の日本なら敷地に駐車場があるところだが、『体内倉庫』ありきのホープランプではそのあたりは省かれてる。
代わりに大きくとられているのは、晴れていれば春の光が降り注ぐだろうオープンテラスだ。
その片隅にはパンを買った客が寛げるように紙コップタイプの自販機が、ずんぐりむっくりと鎮座している。
赤くて四角い姿はまるで郵便ポストだ。
この『保冷』、『保温』、『鑑定』付の自販機は、ホープランプの街角でよく見掛けられるものなのだそう。
オーナーは有志の一般人。申請すれば誰でも気軽に、自家製ジュースのスタンドを開けるんだってさ。
うちのハジメさんもこの自販機を買って、味噌汁スタンドとしてギルド売店に置いている。
閑話休題。
一等地に相応しい、つんと気取った店構えではないだろうか。
なのに工房の看板は【粉モノ天国】だったりするのだ。違和感あるわあ。
GMの翻訳家としてのセンスには、時々疑問を抱かざる得ない。
なんか、こう。
直訳じゃなくてさ、雰囲気に合わせていい具合に意訳してくれてもいいのにな。
タカタカ太鼓を叩く陽気な食い倒れ人形が、頭をチラついてしまうんだが。
それともホープランプ的に面白枠なのだろうか、このパン工房って。
プァー、パパパ!
金管楽器の合図で、ハッとなる。
ぼんやりしてたがようやく出番だ。
『体内倉庫』から雫石のケースを取り出し、硝子越しの観客の視線を横顔にモニュメントの側面階段をゆっくり上がる。
手元に戻ったこの石はホープランプ本国へ里子に出していたものだ。
工房と店舗をその身に蓄え、立派になって帰ってきた。
プレートに手を置き、魔力認証。
手順通り雫石の挿入口を開いていく。
特に広大なフロアを形成するようなダンジョンではフィールドの中央の要に、雫石を納める【社】を建てる。
撹拌世界の妖精郷とかはこのタイプだ。
しかし駅や中サイズまで、3レベルまでのゲートの作りはもっと簡素だ。
出入り口のモニュメントそのものが、社を兼任するケースも多い。
オレが手掛けているのは全部このパターンだ。
くっ、と挿入口に雫石を押し込む。
そして『加工』を使い、雫石と地脈を結びつけた。
ガチリと嵌まった硬い手応え。
小さく足下から地鳴りが響く。
わっ!
「乾杯!」
「祝いあれ!」
「おめでとう!」
新たな店舗の落成に、見守っていた見物客が杯を掲げる。
祝福のコールと共に、酒が一気に飲み干される。
皆、ワインを一気するのか。酒豪だな。
口笛や歓声が浴びせられるので、腰の位置で手を振って応える。
アーチ中央。魔力紋による認証ロック。
卍に、雫石を守るガードがゆっくりと閉まる。
ホープランプ製のゲート保安ギミックは、一際メカメカしくて好ましい。
先史文明人とは趣味が合いそうだ。
宇宙船の機密ロックに使っていた技術だと教えられると、俄然テンション上がってしまう。
その後は、ざざざと割れた人波に見送られて退場だ。
オレの仕事はこれで終了。
優雅ぶりっこしてゆっくりやっても正味3分の作業だが、セレモニーなんてそんなものだ。
これから落成の賑々しいミニイベント入るので、オレは引っ込む。
ゲームのモチ撒きにインスパイアされて、急遽パン撒きイベントをやるそうだ。
「お疲れさまでした」
那須さんが労ってくれる。
複音声で【残念でしたね】、そう聞こえてきそうなしたり顔だ。
那須さんはこれだから。オレが精一杯のぶりっこで猫をにゃんにゃん被ってるのに、内心を見透かされている。
「オノゴロ島で小学生を嗜んでいるゲーマーが、パン屋に居るのは確定したかな」
そりゃパン撒きとか、ちょっと参加したかったけどさー。
甲殻人って、ダンマスが近くにいると砕けた態度を自重してしまうじゃん?
「あるいは準備をして、味をしめた方かもしれませんよ?
喜んでもらえたなら、またやろうという気になります」
「違いない」
見物客に混じっている日本人たちはまるで【頑張ってるねえ…】と、園児の発表会を見守っているかのよう、微笑ましげな顔をしているのに、甲殻人には一杯献上の綻びもなく、ビシッとした整列で見送られる。
温度差が激しい。
しかしだ。
公園に椅子を持ち出して小学生メンタル全開の超ケツ圧フルーツバスケットや、スタイリッシュポーズ縛りの達磨さんが転んだ。
そんな上げられていく動画の数々が証明している。
いくら表面は硬派にしていても、君ら、相当愉快なヤツばかりだってオレも知っているんだからな!
……彼らオレだけじゃなく、おばちゃま相手にも丁重だもんなー。
諦めるしかない。
今のところは。
まあ、馴染むのは長期戦でいくことに決めた。そのうち、そのうち。
それに出しゃばりで長っ尻なお偉いさんは、ありがた迷惑というもの。
うちの高校の校長先生の挨拶は、ぎゅっと短く纏めてくれて素敵だった。
わかってらっしゃる。
オレもああいう大人になりたい。
コメント、いいね、評価、誤字報告等、感謝です。
ホプさんたちが硬派なのは見掛けだけですって?
いやいや、普通に真面目なオッサンとかもいますよー。タブンネ。