258 狼の目
まぐ、とお茶請けに摘まむのはブッチーベーコンと菜の花のキッシュだ。
魔鶏が卵を産み始めたので、ヨコハマダンジョンは空前の卵ブームだ。
ブッチーベーコンは脂が甘い。薫製肉の旨味を含んだ青くほろ苦い花の蕾が、黄色い卵で一纏めにされている。
コレ、旨いなあ。トウヒさん、腕を上げた。
素晴らしきかな、卵のある生活よ。
卵は前庭の散歩を、誰にも誘われなかった悲しみを癒してくれる。
作業のお供に動画を立ち上げ、スキル石をチマチマ補充しながら皆の帰りを待つ。
ヨコハマダンジョンに根を張ってくれる住人は『免疫』をスキル石で入れさせたいもの。
スキルの構築は人生設計に関わるので、1、2年の駐留だったら発動体でフォローするのもいいだろうけど、住人になるなら話は別だ。
ネモフィラダンジョンは検疫所があるのでお医者さまが駐留している。しかしヨコハマダンジョンはホプさん的にも無医村だ。いても軍医さんしかいない。
住人のセルフメディケーションが問われる環境なのだ。今のところは。
いずれはダンジョンタワーを建てるのだ。
このまま都市から地方へ、人が流れる道を作るべく、迂遠だが『免疫』の石作りもこの一環だ。
オレら由来の病気が出回ると、イメージが悪くなるのでこちらも必死だ。
階下のざわつき。
作業をしているうち、冒険者たちが戻ってきた。
確認した時刻は6時と半分にやや足らず。
寄り道を楽しんできたようで、大荷物のお帰りだ。
ダンジョン評価がダイレクトに聞けるこの瞬間は、いつもそわつく。
使用される魔物ありきの、産業ダンジョンにはなかった感覚だ。
「ただいまー!ウサちゃん!」
「ザリガニ、見て!大きいの!」
「リヤカーか猫車が欲しくなるー。帰り道、荷物重いー。手が痛いよー」
「やめて。道は狭いし、ガタガタな坂ばかりだから危ないでしょ」
「夜になると森って暗いな」
「だな。危ないから、岩間ルートを通るのは昼だけにしといた方がいいかも」
「俺はまずゴミ捨てに行ってくる。買い出しは頼んだ」
「おう、準備終えたら2周目は焚き火で料理な!」
「マシュマロも焼こうぜ!スモアやろう!」
ウフフ、アハハ。
ダンジョンから出てくる冒険者は、誰もがピカピカの笑顔である。
なんか、想像したより満喫してる?
うーん?
……基礎レベルの足りていないヨコハマダンジョンの民間人は、【ちょっとした気晴らしの散歩】に飢えていたのかも?
郭内は地下工事中で通行禁止、そしてその外部環境は原生林だもんなあ。
あー。一般人のフォローをしつつ外に出れるようなランクの冒険者もいるけど、そういう面子はオレのお守りで常に一定数が割かれているから、少しばかり後ろめたさを感じてしまうかな。
いや。他人さまの仕事にケチつけるほど、お偉くないから黙ってるけど。
VR昭和でフラストレーションの発散をしているから、それほど大きなストレス源になってなかったと思いたい。
その後もポツポツと仕事終わりの面々が前庭に吸い込まれては帰ってくる。
ぷつり。
ながら作業で流していた動画を、きりのいいところで止めた。
ゲームの有線で流れてくる、昭和のアイドルソングは耳に馴染むと好きになった。
特に、ライブ動画はいい。
人力で動かしているステージセットのわけわからん豪華さと、ファンクラブの野太い掛け声がエネルギッシュで癖になる。
「今日はもうあがられますか?」
広崎さんの声に、オレの足元で待機中だった太郎丸がシタッ!と足を踏みしめた。
【いい子で待ててた!】とばかりに黒い尻尾を盛大に振る。
その背中をワシワシ撫でしてから、散らかしていたテーブルの上を片付ける。
「ああ、そうしようか」
午後7時を回ったので、オレもそろそろ撤収だ。
今日は適当にサボるつもりだったのに、がっつり作業をしてしまった。
手癖で済む簡単な作業は、人がザワザワしている環境の方が捗ってしまう。
「今日は夕方からだから下見だけだったけど、明日は本格的に沢遊びしようね!」
「ねえ、長々靴のレシピ、誰か持ってるー?!」
「ダンジョンはビール禁止なの、辛あ」
耳に飛び込んでくるのは、浮き立つように溌剌とした声の連なりだ。
…………。
手塩をかけて造り込んだ1Fよりも好評なのが、なんか悔しい。
ぐぬぬ。
人間ちゃんは複雑ね!
道なりには魔物が出ないので、下手すれば本当に散歩コースなのになぁー?
若葉の迷宮・前庭のフィールド気温は22度から30度。
小川の流れる、初夏の森だ。
かろうじて出口付近の広場は、焚き火台と丸太の椅子を備え付けている。
こちらは小松さんというキャンプファイヤーをやりたい勢力がいたので、意見を取り入れた形だ。
清掃のため入れるダンジョンリセットは夜の12時。1日1回。
現在の前庭は魔物部屋に寄り道をしなければ、全長2キロ足らずの山林コースである。
ダンジョンオブジェクトはうちの近所からサンプルを拾ったんで、データに特筆する個性はない。景観は日本の低山そのものだ。
なのに、非番のホプさんとかもやけに充ち足りた顔で出てくるけど、どゆこと?
物足りなくない?
川遊びがお好きなの?
「お帰り。どうだった?
荷物はないみたいだが」
ダンジョンを踏破して帰ってきた人影の中に、彩月ちゃんが居たので2階席から降りたついでに声を掛ける。
「私は体力ないから、1周目はお試しに道の確認だけしてきたよ。
あのねっ、街歩きは嫌いじゃないけれど、運動場でぐるぐる歩いたり、ただ走るのって私しんどくて辛くてさ。
でも皆で『ライト』つけて森を歩くの、童話の世界みたいで少し怖くて綺麗で楽しかったー!
夜の入りの森の中だからかな、初夏でも爽やかで涼しいくらいだったし!」
彩月ちゃんは息を弾ませ、ほっぺを赤くして報告してくる。
そうか、楽しめたのならなによりだ。
「管理ダンジョンの外は基本、出歩かないもんな、俺ら。
お役人ちゃんに混じるには力不足だから仕方ないけどさ」
途中で一緒になったのか、その後ろに居たのは浅沼さんだ。
赤壁3人衆は小野寺ファミリーに手厚く看護されていた件から、特に年若い彩月ちゃんをちょこちょこと気に掛けている。
「そしてマスターさんには、お土産です」
「ありがとう?」
浅沼さんに木の串に刺して焼かれた鮎を渡される。
きちんと化粧塩をされていて、旨そうだな?
「早速、鮎を焼きましたので初回ロットはいつも忙しくしている功労者に一尾献上です。
焚き火をやっている奴らと相談して、一番旨そうに焼けたのを選んできました。
えーっと、いいですよね?」
「はい」
問われた広崎さんが笑顔で頷く。
オレが食べるものは全部『鑑定』が入るのは有名事実だ。
食中毒も防げるから、範囲の合う『鑑定』持ちは練習を兼ねて毎回使うんでそんなもんだ。
日本人の医者はいないし、自衛は大事。
「そうか。嬉しい」
ホント嬉しい。
忙しいと思われているから誘われなかっだけで、一般冒険者にスルーされている悲しいダンジョンマスターなんていなかったな!
遠火でこんがり焼けたスグリ鮎は夏に旬を迎える魔物だ。この季節、彼女たちは胴部にスグリの花のような白い斑点をつける。
この斑点こそ卵をパンパンに抱えた雌の証だ。
雄は赤い斑に染まる。両者合わせての名前の由来だ。
鮎ならばやはり、人気は香り高い若魚だろう。
しかしスグリ鮎の天祐は、みっしり詰まった卵にある。
腹をちょいと開いて炙ったホクホクプチプチな魚卵は、魚の卵ならではの味わいだ。
本来スグリ鮎の居る川に入ろうものなら、雄が身重の雌を守ろうと体をひとつの槍と化し【俺はやるぜ!】と我が身を厭わず襲いくるものだが、今回招来したのは手掴みで取れてしまうほど動きの鈍い雌だけである。
子持ちの雌ばかりを狙いうちにする、人のサガの邪悪さよ。
でも魚卵は旨いから仕方ないよな?
冷めないうちに『体内倉庫』に仕舞っておこう。そしてありがたく夜食に食べよう。
ちなみにだが、琥珀蛍は雄のみがポップするフィールド設定だ。雌は光らないので入れていない。
ご安心めされ。ダンジョンマスターの悪行は、常に男女平等だ。
「そういや話は戻るけど、浅沼さん。
魔物じゃなくても外の森は狼の群れが生息しているって注意されたし、私は正直『マップ』なしに戻ってこれる自信ないよ?」
森には狼だけじゃなく、他の大型肉食獣。虎やワニっぽいナニカもいましたぞー。
地球の狼。撹拌世界の狼。ホープランプの狼。
どれも進化の過程が違うから、遺伝子的には別物だけど、姿形は似てるやつだ。
生物の収斂は面白いよな。
そして黒シマに緑色の虎や、茶色迷彩のワニは、目視で見つけるのが難関だ。
『探索』さんが【ここでーす!】と教えてくれなければ見過ごすところだった。森に溶けとる。
「狼?」
確認にこちらを見られたので頷いた。
「いた。大きかったぞ」
身体能力もレベルも低めな彩月ちゃんと病み上がりだった浅沼さんはホームダンジョンを移動する時、妖精運送されていた。
だから狼の群れと遭遇した際も、実物は目撃してなかったもんな。
んん、言ってもなかったっけ?
証拠の画像をアドレスに送っておく。
『録画』を使いっぱなしにしておくと、シャッターチャンスを逃さなくていい。
「精悍なワンコー」
いや、狼だって。
「おおお、野生っ!」
こちらは手放しで大喜び。浅沼さんはモフリストか。
「魔物ではなくともホープランプの狼たちは、ブッチーの2、3頭くらいなら余裕で狩るそうだ」
小柄な日本狼じゃなくてユーコンオオカミタイプ。
ガタイが良くてフサフサでワイルドだ。
飼い犬とは目付きが違ったな。
冷然としていて、狩れる獲物かそうでないかを線引きし、見極める青い目だった。
『転変』したサリーのほうがずっと大きいしイケメンだけど、少し似ていた。
「でも、あいつらだって大きな群れになりますよね?」
「ブッチーは時報に合わせて集団になるが、それまでの奴らは自由に行動をする」
昼間はエサを探すのに分散して、夕方長距離移動する時に合流するっぽい。
肉食獣の闊歩する夜の森で、一匹豚にならないための知恵だろうか。
「へー!」
「魔物は倒さなくちゃいけないけど、自然の動物なら襲われる前にこっちが逃げるべきだよね?
高レベルになってもそんな逃げ足を作れる自信はないなあ
スポーツテスト50メートル13秒だった女だよ。私」
彩月ちゃんはため息をつく。
「マジ?!」
「マジだよ。流石に今は人並み普通になってるけど。
レベルアップって凄いよね。
こんな私でも少しは頑張ろうって気になっちゃう」
「……サッキーは生産職になるべくしてなったわけだな」
「ハイスペックなアバターを与えられても使いこなせないだろうって、運営の配慮が光ってたよね!」
「サッキー?」
「あ、撹拌世界のアバター名だよ。
浅沼さんはお客さんとして店に来てくれたことがあるんだって」
彩月ちゃんや七式くんは未成年。全年齢システムにおけるβテスターだ。
GMによれば未成年のβテスターはそれなりの数がいたそうだが、ある意味ジャスミンよりも運のない2人である。
「店と客は一方的な顔見知りになるよな」
「ごめんね、全然覚えてなかったよ!」
そんな彩月ちゃんは、店員の時だけ敬語の女子だ。普段はユルい。
彼女が在籍しているアコギ部は歴史があって、自由な創作活動の妨げになるから部訓で先輩への忖度は全面禁止だそうな。
オレなんか中学時代の部活は、礼儀作法は一通り仕込まれたもんだが、土地が違えば校風も変わるものだ。
彩月ちゃんの話を聞くに上下関係の風通しのいい部活も、なかなか楽しそうではある。
……どっちが大変かって言うと、断然うちの先輩たちだったな……。
ヤバい。連帯責任で、毎回迷惑かけた記憶ばかりががが。
なのに同じ大学行くから、また後輩だなって喜んでくれた加納先輩とかってさ、菩薩の化身だったんじゃなかろうか。
オレとたった1年2年の差で、要より年下なのに心が広いよ。今でも頭があがらない。
オレが猫かぶりを覚える前、中学剣道部時代の先輩たちは、きっと一生大好きだ。末長く仲良くして欲しい。
家族環境のアレコレで人より空気の読める彩月ちゃんが、元の学校に通えてない今でも部活のモットーを守るくらいだ。
オレの先輩らと同じくらい、部活の縁が心のお守りになる。そんな仲間が彼女にも居たんだろう。
オレは鈍いから彩月ちゃんはいつも朗らかで元気そうに見える。
そんなわけがあるか。
彩月ちゃんは中学生。下の妹と1年も年が離れていない年齢だ。
………中学校の卒業式には間に合わんよな。
胸が痛い。
いや、よそう。
急ぎたい気持ちを人のせいにしたら不味い。
今は土台を築く時だ。
頭では納得したフリで、すぐ逸りたくなる。
オレはせっかちで困るな。ホント。
なにが困るってオレが焦りから盛大な失敗をやらかした時、それを誰かのせいにしたくなったら困る。
インフラを一手に担っている今の環境だと、傍迷惑なパワハラだ。
オレにも下手なことをやらかして、幻滅をされたら嫌な人がいる。気をつけないと。
群れのアルファ。冷ややかで警戒した、狼の目を思い出す。
敵か獲物かを問うような。
サリーにあんな目では見られたくはないかなあ。
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