252 血涙河
布に映されるぼんやりとした影絵は主人公の【視界】を共有する演出だ。
彼は目が悪いので聴覚が視覚の代用をしていますよ、と観客へ告げている。
『結婚ですか…?』
『姫も15。美しゅうなった。
雪芽の宮殿をすっかり待たせてしまったが……なに、女を待つのも男の甲斐性よな』
ぱちり。影が優雅に扇を閉じる。
場所は夜露の方の住まわれる夜露殿だ。
王族の女性は館を構えて婿を取る。
夜露の方とは、夜露殿に住まわれる女性の意味合いだ。
当時、未婚王族女性の名前は親兄弟でもない限り、軽々しく呼ぶものではなかった。従って住居の名前で呼ぶのがエチケットとのこと。
滔々と講談師は語る。
『だって、おとうさま。わたくし、笹の葉の君が』
『忘れなさい。…いや、思い出にしなさい。
仲のいい幼馴染みは大変結構。
しかし姫の夫は雪芽の宮殿と、生まれた時から決められている。そう、教えてきたであろうて。
今に生きる我らは、百年後の子孫のことを考えねばならぬ』
『何故なのです。
たかが五十か、百年か。それぐらいの違いでしょう?
その頃には、全員親族になるではないですか!
私たちは、いつか滅びを選ぶというのに!』
『百万が一の奇跡が起きて、彼方よりの迎えが来なければそうなるであろうな。
しかし姫、我が吾子よ。
我らの先祖を逃がして宇宙に散った同胞たちの願いを、あまり疎かにしてくれるな。
彼らが残した航宙図こそ種族の宝ぞ。
これを同胞に届けるその日まで、我らは血を繋ぐことを足掻かねばならぬ。
たとえ無駄な努力であってもだ。
それが空に戻る術を失った我らが最後になすべき務めである』
『おとうさまはいつもそう!
昔ばかりを見て生きてらっしゃる…!
今を生きる私たちが幸せになってはいけませんの?!』
『堪えよ。我らがここにいるのは、信じて託されたものがあるからだ。
姫よ、ゆめ忘れるな。
どれほど言い繕うとも、我らの手は生まれながらに汚れているのだ」
『……甲殻の人は、私、好きです。
美しく、強く、義理堅い。
脆弱な我らには、過ぎたるものの後裔ではありませんか』
『嗚呼、我も好いている。
だからこそ苦しい。
出藍の誉よと、眩しくも誇りに思うのは確かではある。
しかし同時に彼らには、ひとの命の根元を弄んだ我らの外道を突きつけられる』
『でも、それは!』
『わかっておる。先達が生き延びる為には仕方なかった。
災厄に立ち向かい、一生懸命生きたのは悪ではなく、まして彼らには罪はない。
弱きは醜き我が心ではあるな。
だがしかし、姫よ。我らがなんの為に生き長らえたのか。
その大義まで失えば、我らは獣に劣る畜生も同じぞ』
『おとうさま……』
政略結婚にもなんらかの理由がありますよと匂わせだけ。
尺の都合か、恋愛のドロドロは潔くカットだ。
なので昼ドラだったら大活躍しそうな雪芽の宮も名前だけしか出てこなかった。
《蝶を追ってただけなのに、イベントにあたるのが主人公っぽい》
《他はへっぽこなのになー》
《笛と火起こしは巧かったよ》
《炎の声が聞こえるとかなんぞ?》
《デビルイヤーすぎる》
《屋敷と主人公の距離、すごい離れてる演出入ったじゃん?》
《盗聴機もなければ聴けんだろコレ》
《彼氏、『探索』系の先鋭ナチュラルスキル保有者なのかしらん?》
《あー。ワンチャン超能力分類の天然スキルならアリか》
《いいなあ。オンリーワンのスキルって憧れる》
講談師によると、当時より数を減らすばかりの王族だったが、近親婚は強い種族のタブーとのこと。
特に5親等以内の血族との結婚は、けして許してはいけない禁忌だそうだ。
……近親交配の弊害が、出やすい種族だったのだろうか?
ホプさんを創生した技術といい、それをタブーとしていることといい、そんなニュアンスを拾ってしまう。
《解説ありがたい》
《講談師さんは頼りになるわあ》
《主人公には難しいことはわからんので》
《きっとあいつ、話の内容理解してねーぞ?》
《耳コピ録音機能は優秀だから》
《これで頭さえまともなら、優秀な御庭番やれたのに》
巨大な家系図が講談師の解説に伴い、黒子の手により捲られていく。
『つまりです。笹の葉の君と夜露の方が、もし結ばれてしまえば次々世代には婚姻可能な血統がいなくなってしまう組み合わせのお2人でありました。
残された恋文の相関図から推測するに王族は血が遠い相手に惹かれやすいジンクスがありましたから、そういう意味でも運命の恋だったのかもしれません』
ここで1拍、溜めを作る。
『正史では、それ故に仲の良かった幼馴染みは引き離されてしまいます。
しかし恋は障害が多いほどに燃えるもの。
遂に若さゆえに頑なな2人は手を手にとって、祝福されない駆け落ちを選ぶことと相成ります。
そして悲劇が訪れました』
幕が上がり、夜露の方の侍女が手紙を開く。
香炉に火を入れたり、夜露の方の髪を梳ったり、と。
静々と、場面の背景として侍っていた女御だ。
『先に主流となる学説を紹介致しましょう。
彼女は夜露の方の覚えもめでたく、長く側に仕えた女御のひとりでありました。
認められた別れの手紙は、おそらく今までの感謝が綴られていたのでしょう。
しかし彼女は裏切りました』
『誰ぞ!誰ぞある!
姫が出奔なされもうした!』
『……名前も残されていない彼女がどんな思いで叫びをあげたか。
資料は残されておりません。
しかし王都から下野すれば、勇ましい甲殻武者でも危険な山野に暮らすことになります。
苦労するどころか、尊き命さえ失うかもしれないと冷静に判断したのかもしれません』
《【夜露の方の側使え】の語源なー》
《この侍女、悪気なき災厄の代名詞になっているけどさ。やってしまった気持ちも分かるんだよな》
《一説によると夜露の方の訃報を聞いてから、すぐ失踪してんだよね。この人》
《あっ》
《後追いしてしまったか》
《忠誠が裏目に出ちゃったもんな》
《ままならない》
『王都を抜けて西へ、西へ。
検非違使の追跡に追い詰められた笹の葉の君と夜露の方は、もはやここまでと暗い河に身を投げました』
ターン!
拍子木が鳴り響く。
『春は雨。水の流れは囂々と。増水していた河は、あっという間に2人の姿を飲み込みました。
従う舎人や蔵人たちも慌てて追いましたが、その殆んどは河に呑まれて帰ってきませんでした。
その河の名前こそ【血涙河】』
《うわあ。自然災害さんは、どの世界もお強くてらっしゃる》
《どんな理不尽もまかり通すのが奴らの所業よ》
《増水した川に近寄ったらあかん》
オレらがこの度渡ることになった大河の名の由来である。プギャー。
遠足が雨天延期になるわけだな!
『しかし、今より語るのは新説にて御座りまする。
さあ、時間をしばし巻き戻しましょう』
投降するか心中か。
その流れをぶった斬ったのは、あらゆる意味で空気の読めないことに定評のある主人公である。
まずは劇中、悲劇より。時間が3日遡る。
侍女に渡る筈だった夜露の方の別れの手紙は、こいつの悪気ないうっかりのせいで紛失した。
黒子がパタパタうちわを仰ぐ。
人目を忍ぶ恋文のように、戸板に滑り込ませたその手紙は、主人公が重しを忘れたせいで悪戯な春風に浚われてしまう演出だ。
《本当に、こいつはいつも》
《存在自体がギャグ》
《黒子さん、グッジョブ!》
《でもこの侍女さん、架空の人物だったって学説もあるよね》
《今回の手紙ナイナイは許される》
《正史バージョンの配達人は、笹の葉の君の一般舎人だったもんな》
『【もしも】このように手紙が渡ることがなかったら、事態が発覚し、追手が掛かるまで数日あるいはもう少しの時間が必要とされたやもしれません。
笹の葉の君は成人王族として新都の造営に携わっておいででしたし、夜露の方は一角の昆虫学者として才を顕しておりました。
数日に渡るフィールドワークの申請は、とりたて珍しいものではなかったでしょう』
《だよねー》
《そういや800年ものなのに、西香は新都の名称そのままなんだよなあ》
《それから都の造営失敗してるからじゃん》
《王族が造った都以外を打ち壊しまくったご先祖が悪いよー》
《地下に火攻めとか頭おかしい》
《大暴れにも程がある》
《>都の打壊し。ロケットの到来と蟻の大氾濫が同時だったのも悪かったよね》
《蟻の氾濫は大概妖精の仕業にされてたもんな》
《魔蟻大氾濫VS権力闘争←ロケット到着》
《悪神がかったタイミング》
《妖精とアリンコ襲来は、皆政争相手の陰謀だと思われているの'`,、('∀`) '`,、》
《人口95パーセント減はどう足掻いても悪鬼の所業》
《疑心暗鬼にも程があるだろ当時の俺ら》
《族滅しないで良かった良かったww》
《笑えんのだが?!》
駆け落ちとはいっても王族だ。当然ながら随行はいる。
供回りは特に笹の葉の君の信頼の厚いものを集めたが、その中には主人公もいた。
『都の外、森の先の世界ってどんなだろー?』
倒木に腰掛けて一曲、笛を吹き終えた主人公が首を捻る。
笛を吹く姿はいっそ典雅だったのに、口を開くと覿面に弛い。
後半になってずっと重いBGMだったが、彼の笛の音だけは昔と変わらず天から零れるように軽やかだ。
『さて。わからぬが、楽しみだ。私たちのご先祖は、宇宙を旅する探検家だったらしいぞ』
それは青年らしい強がりだったかもしれない。
『へー!【綺麗なもの】があったらいつものように教えてくれな!
おれは小さいのの言葉が一等好きだ!』
しかし彼は人の言葉の裏を読めるほど、上等なおつむをしてないのだ。
だからこそ心に響くこともある。
『うん、そうだな。いつも通りだ』
笹の葉の君は、破顔する。
夜露の方の真っ直ぐな黒髪や、ホープランプ原生の花の妙なる形。
石の都。検非違使たちの一糸乱れぬ訓練に、夏空の染みる青さ。
目が弱く、白と黒の世界に生きる主人公が知る、ホープランプを象る美しいものは、笹の葉の君の言の葉から作られている。
友情を築く工程と同様、ここら辺は丁寧に描写されてきた。
……パタパタと物語が閉じられていく音が聞こえる。
『ここで歴史のミステリーです。
駆け落ちの随行は推定ながら200名ほど。
血涙河にて相対した追っ手である蔵人、検非違使は合わせて84名と記録にあります。
追っ手は意外に少ないと感じられるかもしれませんが、四方八方に軍を散らして捜索したゆえの数字のことで御座いましょう。
さて。宮廷に上がるような殿上人は、文武両道の選良揃いです。……ごく少数の例外を除き』
《主人公のことかー!》
《贔屓の人事ww》
《楽士としては天才だから》
《一芸突破枠デスネ!》
『果たして王族の側仕えがこれほどいて、数に勝る追っ手から主君を守りきれないということがありますでしょうか?
それが新説の起点となります。
記録では血涙河に到達した追っ手たちも、報告に帰参した者の数名を除き、河に呑まれて帰らぬ人になりました。
証言するものは少なかったのです。
後日一縷の望みをかけて大規模な捜索があったとされますが、笹の葉の君と夜露の方、そして供の者たちは同胞たちのもとに2度と帰ることはありませんでした。
しかし果たして、駆け落ちは成功しなかったのでしょうか?
本当に?』
タタン!
拍子が打たれ、背景が河辺に変わる。
『聞きしに勝る。これほど雄大な河があったとは』
『河さえ越えてしまえば安心だ。追っ手もよもや、舟の用意まではないだろう』
『さあ、休憩しよう。明日もまた移動だ』
『姫さま。お辛うございましょうがもう少しの辛抱です。只今寝所を整えますゆえ』
河を渡って一息をつく随行たち。
袿に虫垂れ姿の女性が周囲のものに気遣われている。
それにトテトテついていく、ひとつの影が立ち止まった。
後ろを振り向き、しばらくして首を傾げる。
そして、もと来た道を引き返す。
いつもと同じく蝶を追うよう、気まぐれに。
それが永の別れになった。
コメント、いいね、評価、誤字報告等、感謝です。
心配なさってくださること。構ってくださること。ありがたいです。
劇中劇は後1話続きますのじゃ。……終わらなかったー!




