251 『笹の葉の君と夜露の方』
旅の一座の公演は本日2回目。夕方5時からの当日券が取れた。
豪奢な着物に、上がる緞帳。舞台の上は異次元だ。
軽々と時間や世界を飛び越える。
能は小さい頃、婆さまに連れられて何度か観に行ったことがある。
当時はちんぷんかんぷんで、途中から寝てしまっていたけど……発見だ。
台詞が分かると退屈しない。
いつかの舞台も知識があれば楽しめたのかも。勿体ないことをしていた。
でも子どもってそんなもんだよなー。
オープニングの掴みとしては、当時の階級社会の解説が、悪人を捕まえる検非違使と、その報告を受ける蔵人の体で入る。
『御用改めである!神妙にお縄につくといい!』
『くっ。なぜ露見した!』
伝統芸能の型に嵌められた美しさと、耳馴染みのある時代劇調子の台詞回し。
冒険者の身体能力で繰り広げられる殺陣は、華やかな衣裳と相まって迫力のエンターテイメントだ。
《詐欺の知能犯なのに、逃走とステゴロに走る俺らが草》
《よく勉強されとるww》
《とてもありそう》
《甲殻人コスの上に狩衣コスで動きにくそうなのに、役者さん、ぬるぬる動くな》
《歌舞伎なんかのお衣裳って、元々が重いからにゃあ》
《慣れているにゃん?》
『古代王朝時代、王族の秘書を務める近衛たち、蔵人はこのように甲殻を黒く染めていました。
華やかな甲殻こそが異性を惹き付けるアピールである、今では考えられないことですが、当時はこの黒塗りこそが限られたエリートの証だったんですね。
【蔵人の黒揃い】は特殊な染料を用いられたので、独特の芳香がありました。
この香りは古代王朝の王族たちに格別に愛されていたという日記が戦火を免れ今日にも残されています』
《お歯黒とか、理屈は分かるけどどうして流行ったかわからん文化あるよね》
《皮膚呼吸できなそう》
《伝統の祭りとかでは、今でも黒く塗りますよ》
《スプレーだけどなー》
舞台セット変更などの折々に、チョーンと拍子木を打ち鳴らしては講談師が出てくる。そしてホープランプ史の豆知識が入れられた。
この時間、場に残る組の役者たちは美しくも苦しい姿勢のままピタリと時を止め、微動だにしていない。
工夫を凝らした舞台の造りだ。
《役者さん、体育系のスキル沢山もってそお》
《『体幹』、『バランス』、『アクロバット』あたり?》
《蔵人たちの冠についている飾りよき》
《洒落ている》
《殿上人の頭飾りですね》
《今で言う部隊証です》
物語の語り手になるのは、呑気者の少年である。
この少年、抜群に耳がよくて目は悪く、笛の名手で……アホだった。
…………主人公のプロフィールに大文字で【アホ】としか書いてないパンフって珍しくない……?
曰く、天に一物を与えられたゆえに、他のことはろくに出来ない落ちこぼれ。
大人が少し目を離したとたん蝶々を追いかけ迷子になるし、親兄弟の顔も名前も覚えられない。
そんな主人公をもて余した親族が、特殊な治療院に少年を預けたことから物語は動く。
笛を吹く少年と、出会ってしまったのは【笹の葉の君】。
笹の葉の君は、父君はよしなしごとの争いを避け王位継承権こそ返上してはいるものの、祖父は国の主という高貴な身分の若君である。
チョーン。
『当時の救済院などの福祉施設は、全て王族の持ち物でありました。
高貴な者の嗜みとして、折々につけこのような施設への喜捨や慰問が行われていたとされています』
パパン!
講談師が舞台を語り終えると、当たっていたスポットライトが消えて、舞台の上の時が動く。
『今、笛を吹いていたのは君か?』
少年期の笹の葉の君は、髪を雲のように結っていた。
だからか綺麗な女優さんが演じている。
《笹の葉の君 キタ━(゜∀゜)━!》
《童子水干姿いいですね!!》
《上げみずら、気品あります!》
『小さいの。おまえ、だれ?』
《ハ?》
《ちょ、おま》
《主人公?!》
そして主人公は裾絞りの小袴に、白っぽいヒーロースーツを合わせている。
脳ミソ晴天の少年と幼い貴公子の出会いは、文化ホール内、甲殻人たちの声なき悲鳴からはじまった。
『わたし?
わたしは笹の葉という』
『変な名前ー』
《ヘ(゜ο°;)ノ ?!!》
《こいつ、気は確かかよ?!》
《主人公?こいつがマジで??》
《こ、これはアホだ。間違いない カタ: ( ;´꒳`;):カタ》
『おれ、頭のビョーキで人の顔と名前がわからないんだ。
小さいの。すごいな、小さいからおれにもわかる!はじめましてだ!』
《おあー》
目も悪く、物音でしか人の違いがわからない主人公は、己の目で人を判別できたことにきゃっきゃと喜ぶ。
主人公が息を吸うように無礼を重ねるものだから、従者たちや病院関係者の卒倒した演技をする役者と重なり、客席の甲殻人たちからも悲鳴が漏れる。
それが妙に可笑しい。
これがライブの面白さか。
主人公も子どもなら口が悪いってほどじゃないけど、現代日本でも皇族にタメ語で話しかける日本人はいないもんな。たぶん。
ましてや王権が神と等しい時代ならいわんや。
そういう救済院に暮らす子どもというメタファーがなければ、この時点で既にツーアウトだ。
『君が人の名前を覚えられないのなら仕方ない。
特に小さいのと呼ぶのをさし許そう!』
華やぐ声は、面白いものを見つけた!と言わんばかり。
それまで上品一辺倒だった笹の葉の君のテンションが跳ねる。
それに主人公が首を傾げた。
『おまえ、小さいのに偉そうだな!』
『ぶ、無礼者ー!!
そこになおれ、叩き斬ってくれるわ!』
《あああああ》
《とても順当》
《笹の葉の君ったら、好奇心でいっぱいですね。カワユイ》
《未知との遭遇だろうしね……》
《蔵人さん可哀想》
《ガチ切れしてる大人が側にいるのに、なんで主人公は蝶に気を取られるん??》
そしてあっという間のスリーアウト。
側近の血管もブチキレるというものである。
『折しも今から850年ほど昔。古代王朝時代のころです。
不敬罪も現役だった時代でありました。
王族の【時代に逆行しているし、そうゆーのは、やめにしない?】という穏やかに諌める趣旨の文書と【規律を守るためですから】という内侍司のやりとりの手紙が国立美術館に所蔵されています。
仕事などの通達は今となっては喪われた古代王朝のテクノロジーでなされていたようですが、このように日記や手紙という個人的なものはとみに紙に書くことが好まれていた時代でもありました。
芸術のように美しい文字こそ、王族やそれに仕える殿上人の教養だったわけですね。
ホープランプ紙とインクの寿命は、和紙と墨の組み合わせと同じように時を重ねることに長けております。
まこと、幸いあれかし。
おかげで往時の文化の香りの一欠片を、現代に生きる私たちも嗅ぐことが許されます。
元々、星の海を渡る調査団だったという王族は科学者の集まりで御座いました。
ホープランプに入植してから数世代。
甲殻人の人口が爆発的に増えたこの時代ともとなると王族たちは自らの本分にたちもどり、政治の場から離れるようになっておりました。
官僚団が政を取り仕切るようになってから、それまでなかった不敬罪等、幾つかの法律は成立しています。
国宝に指定されているこれらの手紙は、新人類である甲殻人の台頭に対し、王族たちが困惑していた様子が伺えるエピソードとなっています』
《ぐふっ》
《好奇心を押さえきれず王族のプライベートエリアに侵入とかしちゃった俺らな件とか?》
《ストーカーよくない》
《お手紙を保存○ 使い終わった箸を保存✕》
《気持ち悪いわ!》
《ストーカー規制法 → 横暴だ!
不敬罪 → ……それなら仕方ないよね。
そーいうメンタル?》
《不敬罪は必要でしたね!》
『そこになおれ、打ち首だー!』
『どうかお慈悲をお役人さま。この子に悪気はないのです。
ただ、足りず生まれついてしまっただけでして!』
『お待ち。この子は私の専属の楽士にするよ。
先祖が住まう星の海でも、音楽の天使は心を空に住まわせるそうだ』
主人公の首チョンパの危機を回避する笹の葉の君の機転に、いたるところで呻きが上がる。
『嘘だろ。こんな頭の弱い子を躾けなくちゃならんのか』という従者たちの困惑。
そして『いつあの子の首が届けられてしまうだろうか…』との、病院関係者モブらの絶望っぷりが半端ない。
『あ、ちょうちょが番になった。仲良しだなあ』
主人公はわかってないからこそ最強だ。
これはコメディ。
劇の前半は主人公あまりの天衣無縫ぶりに慄く大人を置き去りに、子どもたちは順調に仲良くなる姿に重きを置いている。
お互いに宝物を交換したり、火起こししてナッツを焼いて弾けさせたり、大人に内緒の基地を作ったりだ。
そこで当時の風俗や、食べ物を分かりやすく取り扱っている。
《好きな女の子のプレゼントにホープランプと珍しい蝶々を交換しちゃう、笹の葉の君ったらマジ王族》
《ホープランプも王族的には手作り工芸品なノリなんだな。…そうか》
《わーい、キレイ!……じゃねえんだわ、主人公ぉ!》
《笹の葉の君が嬉しそうなので、邪魔できない……!》
《虫籠を受けとった夜露の方の、はにかみで全てが浄化される》
《かーっ甘酸っぺえ!》
《少年少女のピュアな恋愛でしか摂取出来ん栄養素があるんじゃ》
『あなた。蝶のハッキリした模様は見えていないんでしょ?
どうして好きなの?』
『いつも【こっちにおいで】って呼ばれてる!』
『……聴こえないわよ?』
『そっかー』
《主人公、何気なくホラーだよな》
《聴こえちゃいけないものとか聴いてそう》
『私は虫なら鈴虫が好きよ。あなたたちの声に似ているわ』
《 ( 〃▽〃) 》
《夜露の方は昆虫学者であられたから、虫関連は納得のエピ》
《ホープランプの【鈴虫】は若草色で綺麗だよね》
《生物って世界は違っても収斂進化していくのが神秘》
《ただし一部の魔物を除く》
ヒロインの夜露の方も出てくるけど、この時代はまだお稽古ごとに飽きて脱走してくるお転婆ぶりで、笹の葉の君たちと一緒になって虫を捕まえたりもしていて無邪気なものだ。
劇中の時間進行は、尼削ぎをしていた夜露の方の髪が長く伸びることで表されている。
成人してからは纏う着物も優雅なだけに重くなり、裾を流して歩くようになった。
夜露の方はもう無邪気に走り回ることはないのだと、まるで暗示するかのようだ。
それまで王朝雑学コメディだったのでバックミュージックもコミカルだった。
しかしそれから一転、曲調が重くなる。
後半に突入だ。
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