244 見習い王女
10時のおやつにはまだ早いが休憩だ。
寛ぐのは、司城邸の縁側である。
これから出掛けるのに、汗臭いのはよろしくない。シャワーを浴びてさっぱりしたところだ。
隙あらばよその土地まで侵食しようとする地植えの薔薇は不動のレギュラー陣であるが、庭のあちこちに置かれた鉢植えたちは盛りのものが折々に入れ換えられていた。
ステータスを出した指の先にも、三色菫の鉢寄せが重なる。
さて、どうしようか。
マッドスライム千本ノックを終了したら、ピロリと授業クエストクリアのご褒美が出た。
貰えたのは25点分の功績ポイント、及び初級盾術講座の証明書・優の成績。それにスキル石ひとつプレゼントのカタログギフトだ。
カタログギフト、これは悩むぞ。
今すぐ欲しいスキルなんて十指に足りるものではない。
ダンマスとしてはまだ取れてないMP系のスキルを確保しなくちゃいけないんだろうけど、たつみお嬢さんのパワープレイが楽しすぎた。
……攻撃スキルいっちゃうか…?
いやまて、クールに。クールになるんだ。
ああでも、ブーストスキルぶっ放で暴れまわる蛮族ツリー構成も、このボディなら十全に生かせる。……下支えの体育系スキルは腐らんし。
学業クエストをこなしていき、アクセサリのチケットを3枚集めることでもこのカタログは貰える。
付け替えられるアクセサリは便利だけど、今回は常在スキルを増やしたい。
それだけは決めているがその先で迷う。
「お姉さま」
ステータスを展開したまま迷っていると、鈴のような声音が降ってくる。
腰を掛けた縁側に、咲きそめの薔薇の影が差す。
「石を入れるのに迷っていらっしゃるのなら『揺り籠の護符』をお勧めします」
銀の少女は、その腕に甘く香る白薔薇を抱えている。
これから花を活けるのだろうか。
妖精王女見習いの明里ちゃんはレディとしての教養を磨くべく【良いところのお嬢さん】な趣味をおばちゃまから伝授されている。
お茶と華道と縫い物のうち、菓子の食えるお茶と、訓練を続けている縫い物はオレも参加だ。
華道はわからんので逃げている。
美的センスを問われるものは鬼門だ。
細く華奢なその筐体は機械工学の粋を極め、硬質でありながら可憐である。
きらきら輝く紫の瞳は、無条件の親愛に満ちてくすぐったいほどだ。
反射的に微笑みが浮かびそうになるが、ここは心を鬼にする。
「明里さん。いくら簡単に【見える】からとはいえ、ステータスの覗き見は感心しませんわよ。
立場上、必要なことかもしれませんけど礼儀として一言断りを入れるものですわ」
他に人影がないことを確認してから、めっ、と叱る。
人を叱る時は人目がないところで、褒める時は人前でだ。
見習い妖精王女ちゃんは、まだ幼く人の心の機微に疎い。
「ごめんなさい、お姉さま。
近くでステータスが開かれていると私、無意識に読んでしまうんです。
いけないことをしてしまったのですね」
「まあ、職能としての仕様ですのね。
でもそれならば明里さんは、見えた情報に口をつぐみ、そして見たことを相手に悟られないようにしなくてはいけません。
一方的に名前どころかスキル情報や私信を抜かれて、面白い者はいませんのよ」
プライバシーを守る姿勢は重要だ。……彼女が人の間で暮らすのであれば。
年端もいかない少女の姿をしていても、明里ちゃんの本性はAIだ。
まして膨大な情報のやり取り特化している妖精王女候補。
その能力ならばGMがサポートアプリで関わっているステータスの閲覧程度は、息を吸う程度の容易さなのだろう。
だけど人間は悲しいかな、疚しすぎる生き物だ。
データの抜き取りを大っぴらに示唆するのは、バッドコミュニケーションでしかない。
なまじ言葉が流暢だから惑わされるが、この明里ちゃんは生まれたてぽやぽや。生後数日のバブちゃんだ。
彼女が悪意なく人に嫌われる、そんな事態は潰しておきたい。
「レイドだとヒーラーは初対面の相手だとしてもHPなどを『鑑定』しますし、ステータス管理をするものですけど、それにだって必要なもの以外は見ないという暗黙の了解がありますわ」
確かに職によっては一秒も争う判断がいる。無断の『鑑定』も赦されよう。
HPMPの監視が必要だった過去のリュアルテくんなんて、常時教官たちの監視下にあったぐらいだ。
しかし別に悪いことはしてなくたって、内緒にしておきたいこともある。
女の子は特に砂糖菓子のような秘密でいっぱいだ。
知られたら恥ずかしくて、息が止まりそうなのは、スリーサイズや体重、取った覚えもない特殊スキルにエトセトラ。
本体ならば知られてもなんてことないデータであっても、たつみお嬢さんでプレイしている時に他者に開示されるのは怯んでしまう。
たつみお嬢さんはおおらかだけどやはり女子だ。
スレンダーな鶴ちゃんや、小柄な花ちゃんに比べられたら太いし重い。それが妙に恥ずかしかったりするものだから、女の子にはささやかだけど深刻な秘密が多くなるわけだ。
明里ちゃんが小さな女の子の姿じゃなければ、【えっち!】と危うく張り手が出ていたところ。
撹拌世界ではステータスを隠すスキルはない故に、ピーピング野郎は絶許だ。
趣味で悪質な『鑑定』を嗜もうものなら、スキル封印を余儀なくされる。
「そうでした。人間さんは恥ずかしがり屋さんなんでしたよね。うっかりしてました。
ええと、こういう時は…【なにか、お悩みごとですか?】…と、問いかけたらお嫌ではありませんか、お姉さま?」
おっ、いいな。
そうやって気遣われるのはポイント高いぞ。
「それでしたら【ええ、新しくスキルを入れようかと迷っています】とお応えしましてよ。
ふふ、もちろん不快じゃありませんわ」
応えると、安心したようにはにかんだ。
明里ちゃんは少女型のドールだ。
華やかなドレス姿で、愛らしいが人と間違うことはない。
これは設計の妙だ。
プライバシーの侵害は、人間ならば許されなかった。
育児や介護に『鑑定』や『診察』持ちにカスタマイズされている妖精さんは多い。
【妖精は人を害さない】。
そのパブリックなイメージに彼女が守られていなければ、もっときつく忠告していた。
「意地悪で言ったわけではありませんのよ。口煩くてごめんなさいね」
たつみお嬢さんにあまり偉そうな素振りはさせたくないけど、これも人付き合いの勉強だ。
多様な個性を育てるために出荷されたばかりの妖精さんは、あえて色々迂闊でスキばかりだ。
しかし学習手段と量が違う。
彼女に訓告垂れる機会なんて、今この時ぐらいかもしれないな。
「いいえ、お姉さま。生まれたばかりで物知らずな私がいけないのです」
花を抱え、恥じらう仕草の手弱女ぶりよ。
撹拌世界の高貴なレディは基本バリバリの武闘派揃いだ。
スカートの下に武器を仕込むようなのがデフォだから、こう淑やかな小貴婦人は新鮮だ。
「わたくしたち、淑女としてはこれからですもの。お互いにお勉強することは多そうですわよね。
ところで『揺り籠の護符』が明里さんのお勧めなのは何故かしら?」
それって女性側の避妊スキルじゃん?
オレには必要なくはない?
多分サリーはコンプラ的に、リュアルテくんやたつみお嬢さんに手を出してはくれんよなあ。
リアルのオレで彼女的にはギリギリっぽいし……安心なような、残念なような。
「はい。スキルをオンにすれば生理が止まりますので、毎月、血が流れないぶんだけ体への日常ダメージが減ります。
自然回復力が上がるので、女性冒険者には特にお勧めです」
……なるほど?
病気じゃないにせよ、その期間中はうちの女性陣もしんどそうにしていた。
じわじわ流血しているって考えれば、調子を崩すのも当然か。
怪我人なら怠くて、イラつくよな。
やっぱり女の人は大事にしないと……って!
「そう……ですわね。野良ダンジョンで遠征するなら必要そうですわ。
これに決めてしまおうかしら」
やばい。頭からすっぽ抜けていた。
まだ今のところはなかったけど!
アレって月に一度は来るものだよな?!
無性に焦る。
たつみお嬢さんほどの恵体なら、来てないってことはないだろう。
なのに全く心構えをしてこなかった。
顔がぽうっと熱くなる。
あっ、あっ。急になんだかとっても恥ずかしい!
流石に女の血の道のアレソレを経験したくはないんだが!!
学業クエストのご褒美品。最初のスキル石が取りやすいのは、GMのTSプレイヤーへの温情だったかもしれない。
危ういところだった。
明里ちゃんの入れ知恵がなければ、普通に他スキルを取っていた…!
「それではこちらが『揺り籠の護符』です」
ことりとジュエリーケースが置かれる。
入っているのはピンクの石だ。
学校事務のお姉さんが、在庫を確認しに行った時は緊張した。
あって良かった。本当に。
スキル石にアクセサリ、手間隙掛かる一点物の装備品。
これらのストックはなかったら、【そこになければないですね】なのが撹拌世界の流儀である。
「ありがとう御座います。助かりますわ」
野郎には、女の苦労は恐ろしい。
想像だけで精神ダメージを受けたので、さっさと石を交換した。
《お、姫さん新スキル入れるんだな》
《『揺り籠の護符』?》
《知らんスキルだ》
「女の子は若いうちは不規則だったり症状が重かったりするものですから、いい判断ですよ。
冒険者クラスは体を動かすことも多いですしね」
《え、あ、そーいう》
《毎月の地獄が消えるの嬉しいよねえ》
《リアルもこの手のスキル石の供給あると嬉しいんだけど》
《求む女性ダンマス!》
《欲しい女性向けスキルいっぱいあるよねー》
《肌に跡がつかない、胴部を保護する『コルセット』とか切実に欲しい》
《やっべー。忘れてた。急いで入れないと…!》
《俺はもう入れた。女はよくアレが平気だよな。初回で懲りたわ》
《←平気じゃありませんけど?!》
《男どもは生涯一度はTSして、この苦しみを味わうべき》
《専用休暇はいらんからこのスキルが欲しい》
《禿同》
スキル石を挿入する専用チェアに腰掛けて、『揺り籠の護符』をインストールする。
ジョブストーンと違うんで台座の補助がなくても入れられるけど、あるなら使えば負担が少ない。
ごそごそと服の下に手を突っ込み、ライチの実ほどのスキル石を腹の上に押し当てる。と、一瞬、パリッと衝撃が走る。
「っ」
スキル石のインストールはすごーく痛いってわけじゃないが、注射針を向けられたように緊張してしまう。
「終わりましたか?
人によっては筋肉痛のように2、3日ほど微熱が出るかもしれません。熱や頭痛が酷いようでしたらお医者さまにかかるように。
スキルを定着させるのに、経験値も浴びるよう心掛けてくださいね」
ステータスでスキルが無事ONになっているのを確認して、息をついた。
《スキル石は入れると少しの間、気だるくなるのだけは億劫》
《でも日本人さんのスキル石は質がいいですよ?》
《甲殻人はもっと自分を大事にしよう!》
《怖いから、未『精製』の魔石をそのまま体内に入れるとかやめようぜ?》
「はい。お手数をおかけしました」
これでよし。
ゼロのつく1月30日の今日は、海浜公園に蚤の市が立つ日だ。
時計を見れば午前の11時半。
いけない、もうこんな時間だ。
午後の約束に間に合うように急がないと。
コメント、いいね、評価、誤字報告等、感謝です。
妖精さんはとってもふぁじー。
王女ちゃんも見習いのうちはゆるゆるです。




