238 ぺぺろんさん家のエッグタルト
5レベルきっかりUPしたところで、狩りは終了。生産に入る。
ジョブあり組はそちらにも経験値を流せるけれど、本日のターゲットのアレグリアくんに合わせた形だ。
移動した区画はオノゴロダンジョンタワー内商業エリア、艶子さんの借り工房だ。
ソワリと心が浮き立ってしまうのは今居る軽作業部屋のお隣から、バターが熱で炙られる香りが忍び込んでくるそのせいだ。
キッチンスペースでは働き者のオーブンが腹に抱えた菓子を育てている。
「アレグリアくんの文字は綺麗ねえ。
今日はお試しにって紹介してもらったけど、これからも時々文字書きのバイトお願いしてもいいかしら?」
彼が書いているのはホープランプ向けの販促のポップだ。
外国の文字は読めなくても、美しさの良し悪しは判るもの。
飾り文字の出来映えに、小さく手を叩いて喜ぶお姉さんはご機嫌だ。
……檀さん、女の人に夢を見ているんだな。あざとい仕草にてらいがない。
オレもたつみお嬢さんには、いつも素敵な娘さんでいて欲しいので演出にも拘りたいが、どうしても中の人がはみ出てしまう。
その点、艶子さんは百点満点だ。
体つきこそ豊満だが、しっとり柔らかな物腰で、選ぶ服も清楚系。男の理想が詰めこんである。
そうだよな。この大地の女神さまのような麗しさで、野郎臭い言動をされたら悲しいもんな。
自慢のアバターにミニスカを履かせたいTSプレイヤーは、せめて脚をかぱーっと開いて座るのだけはやめて欲しいものである。
なんだろう、アレ。つい見ちゃうけど、ラッキーとは思えん複雑な気持ちになるのは。
【※でも男だ】。って脳裏に注釈が出るのがいかんのかもしれん。
「アレグリアくんが許してくれるなら、信用できるお友だちにも紹介したいわ。
商品の説明書の翻訳をどうしようって困っている生産仲間が多いのよ」
大学生って授業出ないの?
ゲーム開始して間もないのに、現地にすっかり馴染んでいる生産職の浸透ぶりには驚かされる。
今回のゲストのアレグリアくんは、オレの配信を視聴してティン!ときた艶子さんの【紹介して!】との要望だ。
日本人はロケ語もホープランプ語も弱いから、個人商店向けのお品書きや翻訳の仕事は山ほどあるんだとさ。美文字は武器だ。
《確かに佳い文字》
《少し手癖があるが、いい味をしている》
《手元が怪しくなる成人前なのに、こんな文字を書ける子もいるんだな。地元者も侮れん》
「ホープランプ語はまだしも、タイプライターでロケ語は打てますけどね」
アレグリアくんが照れて自分を下げる軽口を叩いてしまうのは、ぐいぐい距離を詰めてくる艶子さんのせいだろう。
ロープだ、艶子さん。ステイ。
健全な青少年には横腹をつつきたくなるハミ肉のボディは悩ましすぎる。
他意はなくとも、十畳ほどの作業部屋は大きな一枚板の机と5人も入ればいっぱいだ。
「あら、アレグリアさま。タイプライターは翻訳をしてくれませんのよ?」
現代の賢い端末器機ならいざ知らず、タイプライターとはつまりは活版印刷だ。
翻訳は自力でやらなくちゃいけないし、誤打ちしたら一枚まるっとやり直しだ。
おばちゃまの専属秘書がレポートを清書するのに和文タイプライターを使ってたけど、あれは専門職の風格だった。
打ち間違えしないように、ピリリと気を張り巡らせての真剣勝負だ。
《タイプライターってまだ現役なの?!》
《そうか。ワープロが出てきたのが1970年代の後半だ》
《ギルドにはごっついワープロが置いてあったぞ。簡単には持ち運べない重量のあるやつ》
《……昭和って、もう歴史なんだなあ》
「ね。お願いよ。お勉強の邪魔にならないよう、長時間にならないように申し送りするし、『コピー』の類いはこちらでやるから」
「ええと、はい。俺で出来ることだったら」
「お前さん、仕事の条件悪かったら物分かりのいい子ちゃんにならんでキッチリ切れよ。
どんなとこにも悪いヤツはいるんだからな?」
アレグリアくんは真っ直ぐな育てられ方をしたという意味でお育ちのいい子だ。
なのでちょっと待ったのインターセプト。
茉莉花くんがピューと兄貴風を吹かしてくる。
体は小さくなっても、変わらんな。
潮ノ目兄弟といい、こういう素直で健やかな年下の子の面倒見るの好きだろお前。
「悪いことは、しーまーせーんー!
うちはお給料こそ普通だけど、おやつボーナスつきのお店でプラスアルファよ。
これでたつみちゃんも一本釣りしたんだから!」
されました。
「ええ。今日のおやつはエッグタルトですわよ?
冒険者たるもの行きつけの食事処は幾つあってもいいですものね」
ぺぺろんのエッグタルトは巷で有名らしいので楽しみだ。
《www》
《配信外の交流も興味ある》
《姫さま、おやつに釣られちゃったのかー》
《ぺぺろんさん家のエッグタルト!》
「本を読むなら整った印字のフォントはありがたいよね!
でもオーダーメイドも受け付ける小物屋のポップなら、手書きの文字のが断然印象いいよ」
中学生にしてしっかり店のコンセプトを固めている月子ちゃんは、オレが『錬金』した素体に細かい『彫金』を入れて仕上げている。
会話が1テンポ遅れたのは、一定の作業が終わるまで手元に集中していたそのせいだ。
スキルの導きにより少女の手は、まるで機械の正確さだ。
シンプルなペンダントトップの裏面に斧と切り株の意匠が浮き出し、次いでブランドモチーフとNo.が刻まれる。
これらのアクセサリは節分祭の出店の花となる予定だ。
ペンダントトップの素体を作り終え、時間が余ったオレは更にチェーンの生産を進めている。
歩合制。1本幾らのお仕事なので、ここは気合いを入れて成果を出したい。
チェーンは小さく細かい作業の繰り返しだ。錬金レシピの難易度は低いが根気はいる。スキルの練習にはもってこいだ。
たつみお嬢さんも魔力の出力が高いので、パワーの制御は喫緊の課題である。
健康体になってから怒涛のように魔力が増えた、リュアルテくんで慣れていなければもっと苦労しただろう。
こうした品々を作るにあたっては、最初にレシピに忠実に作れているかどうかの検品を受けている。
オレ的に生体金属は、魔石との親和性から馴染みの素材だ。
うん。生体金属の『錬金』なら、仕事には厳しい月子ちゃんにもOKが出た。
つまり他の『錬金』したブツは店売り不可の烙印を捺されてしまった。
一見きちんとしているようで、見本と比べればその差は一目瞭然で。
スキルという同じ旋盤を使っても、熟練工とそれ以外じゃ出来上がりの差は大きかった。
ぐぬぬとなったが納得だ。
「艶子さん、指定された『伐採』の『エンチャント』は終わったけど後は?」
「魔力に余裕があるなら、精石がある分だけ付与をお願い」
茉莉花くんが裸石を入れたケースを返すと、すかさずお代わりの石が出てくる。
「ふふふ、本職の樵で星5まで鍛えているなら『エンチャント』で目減りしても星ひとつは確定よね。ありがたいわあ。
『伐採』はこれから売れるもの」
そうだな。ガンガン発布されている発展クエストで金を稼ぐんだったら『採取』、『伐採』、『採掘』あたりはマストだ。
初期投資をしても、その便利さには代えられない。
「貸し出し品で便利さを知ってしまえば、自分用に欲しくなりますものね」
発動体を無料で借りようと思えば毎回、申請書が必要だ。
そして数が足りない時は借りられない。これが一番困る。
予約を入れられたらスムーズなのに、現状そんなサービスはない。
賢いAIが気を回してくれるパソコンがないと備品管理の手続きも人力だ。受付のスタッフさんは老若男女その誰もが忙しそうなので、とてもじゃないが余力はなさそうだ。
昭和世界はゲーム塔が建っていないので、ロケットの管理人がどういう扱いなのかまだ不明だ。
そしてステータスにはワールドウォークが入っているものの、便利な機能は軒並み死んでいる。
ひとまず依頼の予約くらいなら取れるが、本手続きは受付でやらなくちゃいけない。面倒だ。
妖精さんがいるんだから隠れて内働きをしているAIもいるのだろうに、【発展クエストを消化しないと便利な機能は解放しませんよー!】と、GMのそんな誘導が透けて見える。
「うんうん。顧客のハートを掴むには需用を満たすサービスが重要だよね。
かといって星がつかない発動体を作ると正規品の基準が取れなくて、余分に税金掛けられちゃう。
個人商店は困っちゃうよね。
昭和のアクセの税金は異常だよ」
「仕方ないわよ。政府ちゃんも粗悪品を氾濫させたくないんでしょ。
質の悪い発動体はスキルを覚え難いだけじゃなくて、効果が落ちるし魔力を多く使うしでいいことないもの。
今はまだ規制が弛くてお目こぼしされているけど、商店が扱うアクセサリ水準規格の締め付けは上がることはあっても下がることはないと思うわ」
まーね。
オレもスキル石を作るのは最低でも星がついてからだ。
コーチの良し悪しで生徒の上達も違うから、身内で【自主練】を都合し合うのはともかくとして。
お国としては、はなから良い指導者を宛がって早く育てたいのはわかるなあ。
このままだとアクセサリのブランド化が加速しそう。
ブーッ!
「あら、ちょっと席を外すわね。『洗浄』っと」
話の途中だが、艶子さんはオーブンに呼ばれて作業室から出ていった。その三角巾とエプロンの後ろ姿を見送る。
オレも『美肌』とかの発動体は作り始めた最初のうちは練度がまだ低かったから、かなり税金を掛けられた。
作るだけ赤字ってことはなかったにしても、あれは社会貢献の仕事だった。
篠宮ダンジョンの目玉として扱ったから、全く見返りがなかったとは言わんけどさ。
《冠スキルに加えて『エンチャント』を鍛えてあると小遣いは稼げる》
《えー……。発動体、工業製品守るための税金がえげつないじゃん。わざわざ付与具を作る気が失せる》
《昭和世界の発動体、妙に高いよな?》
《禿同。冒険者からごっそり搾り取ろうとするの、昭和政府ちゃんやめろ》
《せやかてお前ら、この時代で一気に工業が発展しないとパソコンや端末が出てこんのやぞ》
《あー》
《それは困る》
《インフラは撹拌世界基準で良くても、娯楽の成長ばかりはなあ》
《……奇跡的なタイミングでロケット到来したんだな俺らのところ》
艶子さんが出ていってから、それぞれ集中することしばし。
しかし無言で作業する時間は、そう長く続かなかった。
「みんなー、少し休憩しましょ。『洗浄』を掛けてからいらっしゃい。
試食のお菓子でお茶にしましょ」
ミトンを嵌めたままの艶子さんが手招きをする。
そういうことになった。
「うっま」
「美味しい!」
「本当に。わたくし、これ大好きですわ」
「ふふん、艶子さんのお菓子は最高でしょ」
湯気の立つ熱々エッグタルトは絶品だった。
濃厚あつトロ卵クリームと、香ばしいパイ生地に皆揃って無心になる。
これは看板商品になるはずだ。
褒められてニコニコの艶子さんは、こんな時だけ檀さんの面影がある。
しかしなんでエッグタルトってたった2口で消えるんだろう。
儚すぎる。
「作るのは大変でしょうに、こうして食べるのは一瞬なのですわよね…」
舌に残る名残を、惜しんでしまう。
「作るのも食べてもらうのも楽しいものよ?
ただ冒険者じゃなかったら、材料の運搬だけで腰をやってしまったかしら。
家庭用とは作る量が違うもの」
艶子さんは入荷したばかりの小麦粉の大袋を示す。
華やかなイメージに反し、菓子屋は過酷な重労働だ。
だから昭和世界でも男向けの仕事らしいが冒険者上がりなら力があるし、艶子さんのような女性パティシエがこれから定着するかもだ。
「それではこれから、お願いします!」
育ち盛りのアレグリアくんがぺぺろん堂のアルバイターになる誘惑に逆らえなかったのは自然の理。
胃袋を掴まれると食いしん坊は弱いな!
冬は星空が美しい。
日本の上空にはジェット気流が流れていて、この強い風がレンズの役割を果たしているそうだ。だから星がまたたいて見える。と、外町のおでん屋で打ち上げをした帰りしな、艶子さんが教えてくれた。
ダンジョン内に輝く星空はないのだけど、凍える夜道を歩かなくて済むのはありがたかった。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさいませ。聞いた通りのお時間ですね」
夜番の妙子さんが出迎えてくれる。
「ええ、今日は大学生のお姉さまと一緒でしたので屋台に連れていっていただきましたの。
おばさまは?」
「まだ、お帰りになっていません」
だからか。
夜の司城邸は、いつもより静かだった。
今日のおばちゃまはお偉いさんに招聘されての式典があり、お出かけすると聞いている。
ドレッサールームにおばちゃまの色留め袖が衣桁に掛けてあった。
オレの婆さまは着道楽の気がある。それで知っているが、ああいう三つ紋の留袖なら準礼装。
近しい親族の結婚式におよばれする程度の格式だ。
あのクラスの装いが求められる式典ってなんだろうな?
ううむ。気になる。
テロへの情報漏れの用心からおばちゃまの外出予定は聞かないようにしているが、家族としては心配だ。
夜のお茶はおばちゃまとの寛ぎタイムだが、いない時は家政婦さんたちが付き合ってくれる。
「もう!姫さまのせいで私、太っちゃいます!
一般人は冒険者の皆さんと違って、食べたら肥えてしまうのですよ?」
エッグタルトを2個食べてしまった妙子さんはプンスカしている。
ひとつはプレーン。ふたつめはオレンジピールを練り込んだものだ。
ひとつ食べたら最後、美意識高いお嬢さんでも我慢出来なくなるのがぺぺろんさん家のエッグタルトだ。恐ろしい。
「だったら食べるのをおよしなさいな」
薫子さんは呆れ顔だ。
こちらは4個をペロリと平らげている。
薫子さんは佳代子おばちゃまより年上で上品そうなおばさんだ。
若く見えるがその実、戦争を直撃した世代のご婦人でもある。
だからか他人にも自分にもそこそこ厳しく、一般人なのにレベル40まで上げていた。人の3倍働いて、重い荷物も軽々なハイパー家政婦さんだ。
だからエネルギー消費も激しいので、食事量に反してほっそりしている。
「だって、薫子さん!
悔しいですけど姫さまの持ち帰りのおやつって、すごく勉強になるんですもの!
佳代子さまもいつもより沢山召し上がって下さいますし…!」
こっちのショートヘアに前髪ぱっつん。若くておきゃんな妙子さんは、せんべい屋の娘さんだ。
レベルは『洗浄』には困らない程度。
薫子さんのお眼鏡に叶うくらい働き者だが荒事は苦手なので、ほぼ素人さんである。
「ああ、うちの厨房は割烹からの引き抜きで、洋菓子は専門外ですものね。
餡子ぐらいなら私も炊けますけれど」
主大事な薫子さんは、妙子さんの指摘に思案顔だ。
ダンジョンマスターは独りでは行動しないので、おばちゃまが家にいる時は秘書や護衛の人らもごちゃごちゃっと増える。
なので食を賄う専門の料理人も司城邸にはいたりするのだ。
ただ、おばちゃまやお客さまに供するお菓子などは家政婦さんの采配なので悩みどころであるらしい。
「おばさまは餡子もお煎餅もお好きでしょうけど……たまには違ったものも目先が変わって楽しかったのではないかしら?」
お客さまをもてなすのはいつもの和菓子屋が安定でも、ポテチは心の栄養だ。
オレがお土産に持ち帰るものはハイソな司城邸では出ないようなチープな駄菓子だったり、学食で奪い合いになる人気のプリンとかだったりする。
おばちゃまの実家、中流より上でも庶民寄りの家なんじゃないかなあ。
職業柄、ハッタリをかますために外商の御用聞きがいたりで贅沢に暮らしているけどさ、使い古しのタオルで雑巾を楽しそうに縫う人だ。
食事も庶民的なもののほうが舌に馴染んでいると思う。
「ダンジョンマスターは食べるのもお仕事なのですから、出来るだけ良いものをお出ししなくてはという思いが窮屈になっていたのかもしれませんね」
薫子さんが物憂げに吐息をつく。
島にお店もまだ少ないからなあ。
上品な味つけの和食は身体に良さそうではあるけど毎日だと飽きるかもしれない。
かといって割烹の板さんにジャンクなハンバーガーやカップ麺を作れとはいい辛いのもわかる。現代ならまだしも昭和だし。
ジリリリリン!
黒電話が鳴って、薫子さんが取りに行く。
司城邸の電話は3台。
一台はお仕事用で、一台は私用、もう一台は勝手口に置かれた使用人への連絡用だ。
「佳代子さまが10分後に帰宅されます。お若い女性のお客さまが同行されるそうですよ」
「まあ、大変!ご馳走さまでした!
客間の確認をしてきますね!」
ガタン!
勢いよく席を立った妙子さんが台布巾片手に居間から出ていく。
へー、お客さんか。オレも挨拶に出たほうがいいのかな。
おやつ前に風呂を頂いて夜着姿だったけど、一応着替えておくべきか。
「たつみさん。紹介するわね。こちら妖精王女見習いの明里さんよ。
しばらく家で礼儀見習いをすることになったの」
うん。着替えてきて正解だった。
紹介された美しい妖精が菫のように微笑み咲く。
いつか見たパレードの王女より一回り小さい。
小学校の高学年女児くらいのサイズだろうか。
軽やかな銀のドレスはふわりと膝丈。
紫の瞳がキラキラ輝く。
とても可愛らしいロボットは、まさしく機械の国のお姫さまだ。
「どうぞよろしくお願いいたします。お姉さま」
鈴鳴るよう、紡がれるのは合成音声。
わあ。
これはどうしよう。
コメント、いいね、評価、誤字報告等、ありがとう御座います。
檀おじさんは、お肉たぷたぷなTS美女です。
いつ反抗期が来るかヒヤヒヤしているそれは可愛い姪っ子が【叔父さん美人!】と大喜びしてくれたので味をしめたクリスマスでした。おかげで自信たっぷりです。