227 犯人はお前だ
甲殻世界は寒の戻りだ。
昨日はうららかだったのに今日は野良ダンジョンから出た途端、小雨が肌に当たって涼しい。
強い魔力を使った後で逆上せてなければ、寒いくらいだったろう。
剥き出しの広い背中を見てしまう。
綺麗だな。
色取り取りの甲殻に雨粒が飾られ宝石のようだ。
雨が弾かれ珠と零れ落ちる。ホープランプ人は傘要らずだ。
「それではこれより班ごと順次休憩に入る!1、2班以外は解散!」
「お疲れさまでした!」
「っしたあ!」
「休みに入る班は、後片付け免除でいいからなー」
解散を宣言されて空気が弛む。
ダンジョンレベル2。星砕きを成したアタックで火照った体には、迎えの雨は心地よく感じる。
濡れた土。若い命の匂いは春だ。
薄日差す西の空を見上げる。
山の向こう。サリーの居る空は晴れているだろうか。
風呂は命の洗濯だ。
適度に湯でほぐれた体に、ベリー酢ジュースは妙薬である。
「大仕事の後、お寛ぎのところ申し訳ありません」
風呂を浴びてホカホカしていたら、書類が遅れて届いてしまった夜の入りだ。
もう今日はダラダラするつもりだったが仕方あるまい。夕方遅くはいつもバタつく。
おのれブッチー。
あいつらのせいだ。
「いや、いい。時報は変わらず正確だな」
「定時上がりの精神は見習いたいものですね。
それにつきまして、ご報告が。
ゼリーを探検していたスカウト部隊が、彼らの氾濫原因とおぼしき野良ダンジョンを発見しました。
探り堀りを試みたところ、恐らくレベル5クラスのダンジョンだとの伝達です」
天を仰ぐ。
レベル5か。えげつないな。
攻略にエレベーターが必須の規模だ。
ゼリーはゼリー山脈の名のことである。
東京グループとこちら側を遮る、件の天険だ。
……霊山には、地脈が通っているのが相場にしても、だ。
パラリ、渡された書類を捲る。
「ゼリー山脈の裾野。そこの産土から溢れた魔物……にしては、いささか距離が離れてはないだろうか?」
これは、あかん。
散歩圏内が250キロを越えてくるのは、ないよなあ。
あまりよろしくはない報告だ。
完全に氾濫するステージから、繁殖が拡大するステージに切り替わってしまっている。
ブッチーのレベルは20程度で揺れがある。
そのレベルの魔物が魔力濃度の低い野良ダンジョンの外で子を産むということは、その身を養う魔物もどこかで繁殖しているということだ。
雑食の豚はこれだから!
「ええ奴ら、繁殖をしてますね」
富士山が辛うじて見える場所にお住まいの方は、大きな山とそれが拝める距離の感覚があるのではなかろうか。
なんてことだ。
ネモフィラダンジョンから遥かな西の山裾まで。あいつらブッチーの楽園になっているのか。やめて欲しい。
食いでのある魔系の豚が繁殖すると、肉食の大型魔物も繁殖する環境が整ってしまう。
山向こうのサリーたちが心配だ。
今日のような悪い天気じゃなければヨコハマダンジョンからも霞み見える山脈は、ゼリーを皿にプルンと盛ってその脇をホイップクリームで装飾したような形をしている。
ただし、このゼリー。可愛く見えるのは遠いからだ。
直線距離だと250キロは優に離れている。
そしてブッチーは感染症のキャリアだ。広範囲に広がった豚の群れに渡り鳥が加わると、ろくなことにならんのはおわかりいただけると思う。
「氾濫先は見つかりましたが、これだけ広範囲に繁殖してしまえば、絶滅は困難になるでしょうね」
夏草少佐は口惜しそうだ。彼はいたって穏やかな男に見える。
これでいざ部隊を指揮する時には鉄の男になるのだから、人間は多面性のある生き物だ。
野良ダンジョンは潰すべし。
本日はお日柄もよく、星砕きに至ったダンジョンウォー。
そんな人の身勝手を打ち砕くべく、野良ダンジョンが生み出したのはボスに相応しい強敵クラスだ。
本来は広いはずの大洞窟が、狭く感じてしまうほどの巨躯。
出現したるは魔蟻の女王だ。
彼女は甲殻人の本性の、その片鱗を引き出した。
肥大したその腹から、ぼとぼとと白く零れ落ちるものがあり。
卵が割れる。虫が孵る。
兵を従え、悪夢のような中心は『テラー』の鳴き声を響かせたれり。
心あるものなら、そのおぞましさに震えるだろう。
女王級の魔物とは、いつも災害の形をしている。
が。
出落ちですまない。
【総員、抜剣!】
夏草少佐の右腕が振り下ろされると、明るく柔和だった彼らの雰囲気が一変した。
本気の戦闘のスイッチに、マントが一気に着脱される。
りりりり!
高らかなウォークライ。
上げて突貫するは個ではなく群体。
死神たちの集団戦は効率化の極みだった。
一騎当千のヒーローが脚光を浴びる冒険者とは違う、群れの、軍隊の暴力だ。
殺戮の機械群。そんな言葉がちらついたのは、彼らの動きがあまりに揃っていたからだろう。
用意されていた歯車がきちんと嵌められ、指揮通りに規律正しく動く。
それらの洗練されたシステムは、ある種のマスゲームを観ているような気にさえなった。
魔蟻女王のウリと言えば組織力だ。
なのに得意分野でマウントを取られる、もののあわれよ。
もう、ボコボコのボコだ。
ずっとオレのターン!を早々に決め打ち、展開する立ち回りの妙は鳥肌を通り越して、乾いた笑いしか漏れんかった。
ピンでは雑魚扱いされる魔蟻とはいえ、女王がいると危険性は跳ね上がる。
そんな常識が崩れそうだ。
やあ、専門家とは凄まじいな!
道中戦後はまだしも、女王戦で日本人グループがやるべきことはなにもなかった。
精々が後始末の手伝いをしたくらいだ。
明言するがサボりではない。
だって高速回転している業務用扇風機の中に手を突っ込む阿呆はいないだろ?
そういうことだ。
……まあ、察するものがある。
これほど効率を極めるなんて、彼らも余程、【いつも】魔蟻に苦しめられているんだろうな。
魔蟻は石しか採れない魔物なので、冒険者には忌避される。
女王やその親衛隊の取り巻きは、魔物を増やすし、女王のバフのせいでちょっと強いし、なのに金にならんしでの負のトリプルコンボを決め込んでいる。
滅ぼしたい野良ダンジョンランキングがあったら、魔蟻は上位陣として健闘しそうな水準だ。
ただレイドの訓練には良いのかもしれんので滅していいか念のために確認をとったが、都市の南側は蟻ん子ダンジョンが多いらしい。道理で慣れている。
尋ねた甲殻人たちに共通してゲンナリした雰囲気が漏れしていたから、余程苦労をしているようだ。
ダンジョン氾濫は、開けてはならぬ災厄の匤。
小まめに掃除をしているとあんな集団戦を組めるようになるのか。そうか。
人間って、凄いな。
しかしだ。良かった探しをするなら、彼らのイキイキとした姿を見せてもらえたことだ。
人伝に聞く話だとお調子者で陽気な種族エピソードがわんさかと出てくるのに、謹厳実直な顔しかしらんのはつまらんもんな。
「ヨコハマダンジョンへ入植する志願者リストの追加は以上です。
急な増員で申し訳なく」
ヨコハマダンジョンの運営は冒険者ギルドに任せているが、オーナーはオレなので連絡は来る。
「いや。転生神殿を建てる人員を融通してもらえてありがたい。
しかし熟練工をそんなに引き抜いてしまっていいのだろうか?」
ハリネズミのギルド長は、こちらに着任する前にガッツリ人手を手配してきた。
彼は妖精さんらしい妖精で、可愛い顔して年の功の辣腕だ。
「腕利きを揃えたとはいえ、後継者を育て終え、後は引退をいつにするかという年齢のものばかりです。
なにせ転生神殿の新規建立は、500年ぶりの慶事。
敬われる高給取りから公務員になってでもやりたいという大工が多く、これでも絞ったところです」
おう、お祭り男はどこにでもいるもんだな。ありがたい。
「そちらの負担にならなければ良い。
従業員宿舎を建てるダンジョンはこちらで用意しよう。ただ大まかなサイズは知りたい。そちらの建築士に設計図を出してもらえるよう、連絡を頼む」
なにせオレから直接話しかけると、大騒ぎになる。なった。
最近のオレはパンダの気持ちがよくわかる。
なので一過性のブームが去るまで民間人の交流は控えていた。
職務外の仕事をしているのだろう夏草少佐には申し訳ないが伝言をお願いしておく。
「了解しました」
「これからの時間はわたしも休む。
余暇にそちらのプレイヤーのゲームの配信を視ようと思うのだが、夏草少佐、涼風少尉。
この後に予定はあるだろうか?」
明日の予定を確認し、報連相も終わったタイミングで誘ってみる。
民間人は我慢するから、身近なところから距離を詰めさせてもらおう。
今夜はカレー。
檀さんはカレーの星からやって来たスパイスの求道者だ。
それを見込んでデリバリーをお願いしていたが、案の定、魅惑のビーフカレーはあっという間に売り切れになった。
だって星砕きした後なら、ささやかなお祝いに美味しいものが食べたいじゃん?
【料理は趣味の範中で、そう大したことはないかなあ】
そうやって本人は謙遜していたけどさ。
スパイスを調合するところから始まって美味しいカレーが出されたら、大したことはあると思うな。
トウヒさんの庭には人待ち種のスパイスも植えてあるけど、それを駆使して料理しろって言われても素人には無理がある。少なくともオレにはムリだ。
『採集』と『乾燥』まではやっておくから、あとは全てお任せしたい。
ちなみに『乾燥』は幸の作の発動体だ。スキルが出てくれたら嬉しいんで頑張っている。
なんにせよ旨い料理は人の心を和らげる。
好評だった夕飯を終えて、ステータスを操作しモニターに繋げた。
チョコレートとホープランプコーヒーを用意しての上映会だ。
生物は収斂進化をするもので、極めて良く似た動植物は三千世界に散見する。
ホープランプのコーヒーは果肉が厚くて甘くて渋い。そのタンニンが美味しいワインになるらしく、こちらでコーヒーと言えばワインのことだ。
実際に見た豆は普通の大きさなのに、果肉は小ぶりなトマトくらいあった。
なので夏草少佐と涼風少尉には「コーヒー?」と、不思議な顔をされてしまった。
そうか。種子を煎って挽いて飲み物にするって、割りとどうしてこうなったか謎な変遷を辿っているのかコーヒーって。
他の人類種の観点で思考実験すると、好奇心旺盛で危なっかしいな地球人類。
なんでも口に入れたがる幼児か。
良い香りの葉を摘んで飲む、お茶は進化の過程がまだ見える。
しょっぱい気分になりつつトップ画面だ。オレへのお勧めに上がっていたのは、学校行事のライブ配信、そのアーカイブだ。
「このシリーズを、ご覧になられているのですか?」
夏草少佐の声が震えている。
翻訳機さんは日々多芸になるようだ。
困ることなんてなにもないよな?
力いっぱいに学生たちがアホやっててさ、楽しそうじゃん?
弾けた企画をする前には法律をきちんと調べてきて、違法か合法か論議しているのも好感度高い。
とても真剣に馬鹿をやっていて、見ているこちらも元気になる。
「いつも楽しく拝見している」
ファンです。
「………それはお目汚しを」
「大丈夫です、少佐。マスターは一般の学校に通われておりました。
男子学生の無邪気さはどこの世界も変わるものではありませんよ」
平賀さんがフォローを入れる。
「 」
見詰められたので、にっこり笑う。
ノー箱入り。太陽の下ですくすく育った由緒正しき百姓の出だぞ?
配信がはじまると、ホープランプ国歌が短くキャッチーに1フレーズ流れた。海を背景にタイトルが出る。
公式留学生チャンネルversion12【異世界の海に潜ってみた!】。
このタイトルはホープランプ語とロケット文字、日本語が併記されている。
なので画面が賑々しい。
【ほにゃららしてみた!】シリーズは毎日2、3本公開される留学生有志による配信動画で、授業風景や学校行事をアップしているドキュメンタリーだ。
メインで映るのは学生なので、スチャラカで軽快な悪ノリがウリだ。
はしゃぎすぎてホープランプ人の教師に正座で叱られるまでが1セット、様式美のお約束。
彼らは正座というヨガスタイルを反省のポーズとして広めてしまった戦犯だ。
そして『昭和異変』で最もリスナーが多い配信でもある。流石は公式。最大手だ。
……多分こーゆーことをしたら叱られますよって、啓蒙の目的もあるんだよな?
元気な学生たちも全部が全部のアレソレを素でやらかしているって訳ではないと思う。多分。
『はーい。後がつかえてしまうので、どんどん行きましょうね!
はい、どんどん!』
『うわあぁぁ!』
背面から海にエントリーしていく生徒の叫び。
なんていうか今回は絶叫回だ。
いつも体を使うことには滅法肝の座っている、ホープランプさんたちの口から絹裂くような悲鳴が迸る。
あ、翻訳機って完全防水なんだな。
雨の日もあるから、そりゃそうか。
冬の海でスキューバダイビング教室をしているのだが。うん。
海にドボン!とする度に、寒い、怖いと悲鳴が上がる。
「…………よりによって。どうして冬の海に潜ることになったのだろう?」
首を捻る。
釣りならわかるが、だって冬だぞ?
海中の映像は日本のネイチャー番組でも鉄板だから、そりゃ絵としては美味しいかもしれないけれどさ。
「事前に行われたアンケートでは、海遊びにはしゃいだ解答をしてしまったものが多かったらしいです。
だから私共の自業自得かと」
涼風少尉は苦笑した。
彼は鈴蘭の彫金を施された銀のティーポットから漆の茶器に優雅に茶を注いでいる。
ううむ。決まった形式のお作法でもあるのかな?
茶を淹れる仕草が妙に洗練されておる。
コーヒーの評価は彼ら的には微妙だったので、口直しの半発酵茶だ。
香りはいいが、苦いってさ。
手の中の器を眺めた。
ぽてりとした白い器は漆器である。
茶器は小ぶりで水色が映えて美しい。
日本では漆といえば黒か赤か地肌を生かした透明かといった印象だが、こちらではぬくみのある白い漆器も人気がある。
少しばかり解説をしよう。
ホープランプの食器の類いは、木製か生体金属の器がメインだ。
そして皿の上でナイフとフォークを使う文化はなく、木製の匙や箸を使う。
どうも彼らは冷たい金属が口に触れる、ということ自体を嫌うようだ。
プラのフォークはこの発想はなかった!と興味ありげだったのに、ステンレスのフォークはないわーって顔だった。
まあ、食器とカトラリーが金属同士だとお互い傷がつく。
金属のナイフの相方として便利なのは陶器だが、こちらで特に愛されている器は漆器になる。
これはロケットの罪だ。
彼らが丈夫な磁器類の文化を発達をさせるよりも先に【落としても割れない】、【熱湯を注いでも大丈夫】、そんな生体金属製の硝子などが伝来してしまった。
それら幾つかの理由が噛み合って、彼らにしてみれば割れやすい焼き物は大衆向けのコンテンツにはならなかったようだ。
ただ、装飾タイルや花瓶なんかは陶器のものも散見するので、食器としてはとの但し書きがつく。繊細な美術品は別腹らしい。
成長期の彼らは天然凶悪なクラッシャーだ。
食事はビクビクしないで寛ぎたいって気持ちが食器に現れていたりな?
想像の翼が羽ばたく。
「内陸育ちの我らに海は、永遠の憧れです。
動画ではあれだけ寒いと騒いでいますが、スキューバダイビング学習教室は実のところ争奪戦だったんですよ。
留学生の基本プログラムなので順ぐりにやってくれるということでしたのに、俺が俺がと、それは醜い争いでした」
「おや、他人事みたいな口ぶりですね。
少佐だって先陣切ってその争いに参加したでしょうに」
「それはもちろん。参加するに決まっている。
海だぞ、海。
魔物でもない魚があんな無防備に寄ってくるとは今でも信じられん。
凍えたことを含めて、忘れ得ぬ体験だ」
からかいを乗せる涼風少尉に、ゲームでははしゃいでいたことバラされた夏草少佐は照れを見せる。
楽しく過ごして貰えてなによりだ。
「辛いだけの記憶になってないなら安心した」
スキー教室や、マラソン大会。炎天下でのクリーン作戦。
リアルのクラスメイトの一部は、しんどいとしか鳴かないオブジェになっていたのを思い出す。
やってみたら楽しかったこともあるんだろうが、苦手なものでも強制参加なのが学校行事というものだ。
海水温は気温より穏やかなものだが、冬だしなあ。
《冬の海って寒くなかった?》
『寒いですよ!当たり前じゃないですか?!』
だよなー。
海の生き物に親しんで、船で島に帰るまでの空き時間。それを利用して突発で始まったのは、リスナーの質問者コーナーだ。
質問を受け付ける生徒たちが、毛布にくるまり画面に団子になっているのはほっこりする光景だ。
《寒いって、ドライスーツの下にインナー着てるやん。それは?》
『ないとあるのじゃ全然違う。ヒートベストがなければ即死だった』
「わたしはダイビングの経験はないのでわからないが、そういうものだろうか?」
話題を2人に振ってみる。
「ヒートベストは冬に欲しいものでした。陸用があったら買います」
「ドライスーツは甲殻のラインが浮き出てしまいみっともないことになりましたが、想像以上に重要でした。
私どもは暑さ寒さには弱いので、体内魔力を使わないですむ道具が充実しているのは助かります」
《海って水の中なのに、わりと見えたね》
『冬はプランクトン?が少ないので透明になりやすいそうです』
『ダンジョンタワーの外壁は流石に距離があって見れなかったけどなー』
《海に潜った感想を一言》
『海の世界、美しくて感動するのと悪夢で見たようなおぞましい生き物が生息するのとで情緒を殴ってくるんですが。
あれって魔物じゃありませんよね?』
『普通の生き物だよ』
質問されたインストラクターさんは笑って手を振る。
『………違うそうです。
普通の生き物だそうですよ。
普通とは一体。
興味深いですが、寒いです。耐えられません。
次は夏にやらせてください』
『確かに!』
『温水プールでの練習は温かったのに裏切られた!』
「魔物?
どれのことだろう」
ウミウシとかヒトデとかかな?
「シャコの脚はおぞましいものかと」
「蛸って本当に海にいるんですか?」
両方とも美味しいよ?
《なー。俺たちって水に浮くの?水泳ってどうよ?》
『人間努力だけじゃ出来ないこともありますよね?
ダイビングスーツは地球人類の叡知です。
装備もないのに海に潜るのはやめましょう』
《諦め早っ》
『だって、今ならまだしも完全な大人になったら装甲重くて溺れますよ。
え。
昔は鉄の鎧を着て泳ぐ泳法があった。
また、ご冗談を。……本当に?
日本鎧って兜が立派で、腰スカートが華やかなアレですよね。いくらなんでも騙されませんよ』
インストラクターさん、信頼ないな。学生たちにめっちゃ疑われてて草。
尻込む彼らを超楽しそうに騙し討ちで、どんどん海に落としていったりするから。
【大丈夫だよ!海は噛んだりしないから!】
ってそりゃそうだけど、噛む生き物はいるし、寒いじゃん?
不慣れな素人には優しくしてあげて。
昭和準拠でインストラクターさんもガバガ…大らかだな!
《マジやで。有名どころだと、アーティスティックスイミングの立ち泳ぎで、巻き足とかも古式泳法のひとつ》
《アーティ……ってなんです?》
《水中ダンス競技会みたいなもん》
《???》
治安がいいなあ、異世界のリスナー。
編集AIが許すギリギリを攻めてくる書き込みがない。
そして泳げんのか、甲殻人。
身体能力からして意外だが、甲冑着ているようなもんだから、んなもんか。
そうだよな。装甲だけで2、30キロはあるから……って。………あれ?
エルブルト人種も生体金属骨格だから、それぐらい体重プラスされるよな?
ひょっとして、今のオレって泳げなくなってたりするんじゃないか。
うわ、怖っ。
確かめないと、他人事じゃないぞ。これ。
泳げるつもりでいたら、沈みそうだ。
「まだ2日目だが、VRゲームは楽しめそうだろうか?」
GM直結のトウヒさんが近くにいるので、これはサービス質問だ。
大人しく魔石を『精製』していた小さな体が、手を止めこちらにスススと寄ってくる。
「はい。童心に帰るようでした。
ロールプレイを推奨されていて戸惑いましたが、没入感がありますね。
装甲が薄い体は軽くて頼りなくて、やはり大人とは違います。
自分自身の体なら子どもになんて戻りたくありませんが、瑞々しい心のアバターに寄り添うのは新鮮で、応援したくなりました」
真面目な夏草少佐でも黒歴史があるんだな。
「想像よりも素晴らしかったです。ずっと。
部下にも色盲がちらほらいるのですが、鮮やかな世界に感動していました」
「ああ」
感知センサー類をガン積みしてるせいか生来の色盲が多いんだっけ、甲殻人って。
「ゲームで色を見る感覚を掴めば、レベルアップのさいに視覚が改善するのではないかと本人も意欲的ですよ。
色が見えなくても別段困りませんが、色彩ある世界は豊かだと」
涼風少尉が補足を入れる。
「それは良かった。GMが聞いたら喜ぶだろう。
ゲーム自体はまだ制作中の場所が多くて不便だろうし、シナリオ展開にも戸惑うだろうが」
「ああ、やることリストですか?」
「罠でしたね。早速強制送還者が出ましたよ。
国の威信を背負って留学したのに、密航して本土を目指そうとしたので順当ですけど」
………。
やることリストの洗礼を受けるの早くね?
そしてアグレッシブさんが混じってやがるな。
「もう?
ヒール志願のβプレイヤーではなく?」
βテスターは一般プレイヤーが参入する前の穴潰しだ。
したがってGM公認の悪役で、正規のアバターにはカルマ値が引き継がれない特殊キャラクター枠も存在する。
もちろんオレは誰がどんな役をしてるかなんて、教えて貰ってない。そこら辺はネタバレ厳禁だ。
「どうでしょう?
ただ、寮は大騒ぎになりましたよ。ボート手前でふんじばって捕り物をし、大使館に通報したそうです。
彼は親が【危篤になった】そうで、ホープランプに帰ったとか。
リアルと同じくゲームの世界も油断なりませんね」
「AIとプレイヤーの区別がつかないのも驚きました。
これってプレイヤーのフリをするAIだって居ますよね?」
夏草少佐は鋭い。
「そんな都市伝説もあるな。
少なくとも撹拌世界の現地民は、プレイヤーの中身が彼方からの客であることも承知していた。
よからぬことを企む嘘つきなら、それも巧く利用するだろう」
近くでめっちゃニコニコしているGM。お前のことだぞ?
「それと食事が美味しいのが嬉しいですね!
私たちの種族もかなりの食道楽ですが、上には上がいるものです。
特に卵を安定して提供出来るのは、羨ましいです」
「ホープランプは家畜を飼わないのではなかったか?」
聞き捨てならない。
養鶏しているんだったら、卵を輸入したいぞ。
「そちらでは牧畜は盛んでしたね。
私たちは体の大きな四つ足は動物園でしか飼ったりしませんが、養鶏はしていましたよ。
魔鶏卵も一昔前までは、不安定ながらに流通していました。
結婚式の菓子の定番といえば、卵を使った焼き菓子です。
ただ、昨今のインフルエンザの流行りが厄介でして、長年飼育していた魔鶏は殺処分するしかなくなってしまいました。
そこでバタバタ養鶏場が潰れて、再建したところでまたインフルが確認されての鼬ごっこです。
今では卵は本当に手に入らなくなってしまいましたね」
鶏とインフルか。………まてまて、それは。
「……養鶏場は地上の都市で?」
「はい。子育て空間である地下で魔物を育てるのは禁止されておりますので」
繋がったな。
溢れて広域で野生化したブッチー、渡り鳥、魔鶏、人間の魔の変異株養育ルートだ。
養豚をしてなきゃ、変異株の厄介さに気付き難いよなあ!
あああ!問題は貴様かブッチー!
都市が感染症に弱いってそーいうこと!
「夏草少佐、涼風少尉。ギルド長やモグラの商人殿と合わせて早急に相談したいことが出来たのだが、同席を頼んでもいいだろうか?」
動画では、丁度船が島についたところだ。
席を立つ。
ヨコハマダンジョンに看護士さんと医療事務のグループが混じっていたよな?
ちょっと誰か呼んできて!
これは早々相談しないと。
コメント、いいね、評価、誤字報告等、ありがとうございます。
ヒント ブッチーのお肉は美味しい。
好感度が高かった豚とそうではない蟻の差が、災厄を招いたようですよ?
管理も出来てない魔物が氾濫すると基本は悪いことしかおきません。
ええ、外来種とは恐ろしいですよね (-ι_- ) 。