202 アバター同化
ふわりと、目覚める。
まだ痺れが残る腕を上げると、繭の結界が霞に溶ける。
同時に手の動きをセンサーが拾い、暗い部屋に明かりがつく。
「……あー」
なんか恥ずかしくなるような夢を見た気がしたが、忘れてしまった。
怠い。でも、起きなければ。
突貫工事で仕立てられた転生部屋は、空調が効いていた。真っ裸で転がっていても寒くはないが、どうにも心許ない。
気だるさを押して、上体を起こすと人影が見える。
ぎょっとした。
固まりかけたが、壁張りにしてある鏡だ。
一瞬、誰だと思った。っはー。……起き抜けの心臓に悪い。
ぺたりと素足のままベッドを降りた。鏡のカバーに触れ、蝶番を開く。
この姿見は自分の後ろ姿を確認出来るように、三面鏡になっていると聞いていた。
鏡はリアルをそのままに映す。
裏表、首の後ろ、足の間や足裏まで、全身をくまなく視認した。
そこでようやく『体内倉庫』から、服を取り出す。
下着を身に付け、ジーンズに足を入れる。そしてシャツを羽織れば、人心地がついた。
………良かった。きちんと男のままだ。
安心した。
虚脱から足が縺れそうになったのは、安堵からか、それとも気だるさが抜けてないからか。
座り込みたくなる体を押して、ベッド脇に放置していたサンダルをのたのたと引っ掛ける。
転生にあたり、『体内倉庫』の容量はMP量にも左右されるので荷物はなるべく減らしてあった。
だけどまあ、服の数着くらいなら問題なかった。靴下を入れ忘れたのは単なるうっかりだ。
少し残念に思うのは、転生システムの素っ気なさだ。
もちろん研究所の一室ともあれば、清潔であっても味気ないのはむべもない。
転生機構を仕込んであるベッドだって、機能優先なシンプルなものだ。
……なんだかなあ。
転生は、苦労して上げたレベルを派手に消費し尽くす人生の一大イベント、新たな船出だ。
結婚式まではいかないにしても、もう少し荘厳だったり華やかだったりしても良い。
ズルしてパワーレベリングしているオレですら、どうよと思うくらいだ。
実直に自分を磨いてきた層なら尚更、がっかりしてしまう。
民間に転生施設を解放する際には、中二回路に火がつくような特別な演出でも欲しいところだ。
ゲームでの転生神殿は晴れの舞台だと感じさせてくれる、非常にロマン溢れる造りだった。あれくらいの特別扱いはあっていい。
よし、具申書でも上げとくか。
冒険者のモチベは大事。
【お前たちは期待されている】と、承認欲求がマシマシで充たされた、晴れの門出であってもらいたい。
ぐーっと背伸び。
手をぐっぱと握っては開く。
ようやく体の強ばりがとれてきた。
まだ覚束ない指で、シャツのボタンを慎重に留める。
ゲームでこういうものだと知らなければ、体の硬直に焦っていたかもだ。
次第に力が入るようになってきた指を見る。
とーさん譲りの手の形はそのままだけど、ペンを持つ中指の変形や剣ダコが治っている。
腕を9針縫った皮膚の窪みも、足の甲の火傷痕も消えてしまった。
…あ。小指付け根のポチりと目立った黒子もない。
腕捲りすれば、肘や手首のも消えている。
自分の腕じゃないような違和感だ。
あと、肌が白い。
部活は流石に引退してるが、冬でも畑仕事の手伝いやらで外には出てるタイプのオレだ。
こんなに日に焼けてない肌になったのは、きっと赤ん坊の頃以来だ。
転生して染まった爪先は、リュアルテくんよりやや淡い金白色だった。
この表面に散るチラチラしたホロの游色効果は、魔力の発露だ。
これは前世の色に近い。
ステータスを改めて呼び起した。
スキルチェックがてら時計も見ておく。
午前11時に転生処置を受け始めて、終了したのは午後の7時過ぎ、か。
リュアルテくんは転生に半日ほど掛かったが、オレはそれよりやや短くて8時間といったとこだ。
やはり内臓の再生は、時間が掛かるもんなんだな。
意を決して、頭に触れる。
鏡に映ったとおりだ。両側頭部に1本ずつ硬い塊が生えている。
特に冷たくも重くもなし、手触りはつるりと滑らかだ。
オレのなにが変わったかというと、外観的には角が生えた。
そして『変化』も覚えている。
…………。
ハァ。
そっちの特徴が出ちゃったかー!
内臓が増えたりしたらどうしようって、それだけしか考えてなかったわー!
新しく生えた角はタツミ姫と同じく小振りなものだ。
右上あがりの台形で、淡い黄色のファイアオパールのように内側から煌めいている。
これはタツミ姫と色あいが違う。大人になったら色変わりする形質だったんだろうか、この角って。
いや爪の色からして魔力の色によるものかも……それとも、アバター混雑のキメラ効果の副作用か。どれだ?
『変化』を使うと角が消えた。
これはタツミ姫のボディで体験済みだが、ほっとする。
そして『変化』をOFFにすると角が現れる、と。
…おし、違和感なく使えるな。
大人の水麗人はデフォでもっているのがこの『変化』だ。
これは生まれつきの姿のままでは生活に支障が出る種族が、持っているスキルの印象だ。
タツミ姫でも思ったけど、この角って日常生活では邪魔になるくらい、長く伸びたりするのかな?
それは面倒なんで困る。これくらいなら『変化』を使わなくても平気だから、下手に成長しないで欲しい。
なにせ角は力の象徴だ。『変化』で消すと、新しく出た『頑健』や『威圧』らのスキルもグレーアウトしてしまう。
中でも『頑健』は、常に出しておきたかった。育てて多くの冒険者に配布すべき。
これを持っていると、いざという時の踏ん張りが違う。紙一重の鉄火場で、人の命を救うスキルだ。
『変化』がデフォにはないヤギタイプの獣人なんて、彼ら寝っ転がれなくて座った姿勢で寝るんだぜ?
立派な角はステータス。モテ男の証とはいえ『変化』は邪道とか、やせ我慢にも程があるだろ。
オレはオフトン大好きっ子なんで、そうなってたら悲しすぎた。いざという時使える『変化』が対で出てくれて良かった……!
改めて鏡を見る。
顔は、まあ。ベースがオレのままプチ整形したの?って無難な感じだ。
目元が心なしかくっきりしたような気がしなくもない。
でも、かーさんの詐欺メイクほど、劇的な変化というわけではないんでどこが変わったかよくわからん。
強いて言えば顎のラインがしゅっとしたのは、分かりやすい変化だろうか。
エルブルト系はレベルが上がると骨が生体金属化していくんで歯も丈夫だ。
当然噛む力も素で強いから、遺伝的にも顎はそれほどガッシリとした作りじゃなくてもいいよとされているようで骨格的にも省エネされがちだ。
他に特筆することは目が完全な金色に染まったことと、この先一生、寝癖のつかない髪になったことくらいか。
リュアルテくんは転生時に髪の毛の魔力が抜けていたけど、オレの場合、魔力消費は月花石から賄えたようだ。
こちらは空っぽになっていた。
2回ほど転生して、立てた推論がある。
魔力回路を頑丈に作り変えるのに、自分の魔力が必要になってくるのではないか?
ううむ。月花石を満タンにしてから転生に挑んだ方が良かったかもだ。
月花石ブーストがあるエルブルト的には成人直後の転生は、あまり想定されてないと見た。
部屋の機密ロックを外し、外に出る。
廊下を挟んだ先の広いメディカルルームでは、先に処置が済んでいたらしいサリーが医療スタッフたちと立ち話をしていた。
「お疲れさまです、流士さん」
「サリーもお疲れ、っていっても転生を受けたばっかりだから元気だろうけどさ………って。
なんか、あちらのサリーは影響力強いな?
キラキラしている」
転生後のサリーは当社比120パーセント綺羅らかだ。
麗しく華やかなサリーの要素と佐里江さんのしなやかな女性美が融合して、どえらいイケメンに仕上がっている。
男にしては美しすぎるし、女にしては凛々しすぎだ。
男か女かわからんなコレ。転生しても相変わらず性別が迷子だ。
「そうですね。動きやすい体格こそ私の要望ですけど、あいつは妙に自己主張が激しくて。
他の歴代アバターが分別ある年長者揃いで、おっとりしているだけかもしれませんが。
流士さんはいい感じに混ざりましたね。素が引き立って気品があります」
眩しげに目を細められる。
「そりゃ、いいとこ生まれのアバター3人掛かりなんで?」
それに尽きる。
唯一荘園出のリュアルテくんですら『礼法』持ちだ。
「ええ、バランスがよくてお美しいです。魔眼の発露たるアイラインはタツミ姫の影響ですね」
「アイライン?」
そんなのあったっけ?
首を捻ると手鏡を渡される。
「瞼から目元に掛けて細く赤いラインが入ってますでしょう?
竜族の魔眼を彩るそれが、攪拌世界の戦化粧の由来らしいと聞きました」
言われて見れば目尻が赤くなってる。痛くないんで気づかんかった。
「サリーもちょっと背が伸びたな。オレも伸びたのに目線が近い」
「やはり上背と体重があると力が出しやすいですよね!」
そうかもなー。
嬉しそうな顔をしちゃって。可愛いなあ、もう。
今のオレが、どの歴代アバターに似ているかとしたらやはり前世だ。
使っていた時間が一番長いし、年が近いから骨格も同じくらいだ。
でもジーンズを履いた感覚からしてあいつ、オレより足が長かった。
これは素直に嬉しい。オレのアバターの中で一番器用なのは前世だし、走り易くなるだろう。なにより佐里江さんより背が高いのはいいことだ。
こちらのサリーは今までサイドに黒のメッシュが入っていたが、髪が完全なプラチナブロンドに染まっている。
サリーの妹と言われたら納得してしまう美人ぶりだ。
「佐里江さん、お話中済みませんが『転変』の確認をお願いします」
『診断』やらでデータを集めているスタッフさんに声かけされる。
「はい」
え。サリー『転変』を覚えたの?
ジャージ姿のサリーは、少し離れてスリッパだけを脱ぐ。
あ、珍しく裸足だ。
ぶるり。
サリーの姿が揺れて、ブレる。
そして顕現したのは白銀の天狼。
勇壮たる体格は、サラブレッドも優に勝る。
手足はがっしり太く逞しく、なのに腰は締まって俊敏そうだ。
青い瞳は冴えざえ輝き、毛皮は星の煌めきを宿している。
……綺麗だなあ。
惚れ惚れとしてしまう。
久しぶりに見たこちらのサリーは、やはり格別に美しい。
転生したせいか、その姿はゲームで見た時よりも一回りほど大きくなったようだ。
そしてモフ成分も上がっている。
胸元のゴージャスなふわふわなんて、触ったら絶対に気持ちいい。
世界にサリーの質量が増えるのは、とても素晴らしいことだ。
基本は犬形なのに、毛並みの密な滑らかさは別種の……おそらくは木竜の系統由来のものだろう。
地上の生物とは思えない、ホロの煌めきが宿っている。
手足は上品なことに、極薄いグレー。これが靴下を履いているようで可愛いらしい。
脇腹の、青み掛かってきた真珠色の鱗も、お洒落をしているようでチャームポイントだ。
大人しくスタッフの『診察』を受けている姿を食い入るように見てしまう。
ついふらふらと近寄って、抱きつきたくなって困る。
特にふさふさな襟から胸元は、堪らない誘惑だ。
あそこに指を突っ込めたら、どれだけ幸せなことだろうか。
……くっ。ここが人前じゃなかったら…!
「佐里江さん、どちらの姿も本当にお綺麗ですよねえ」
オレの『診察』をしてくれるスタッフさんが感嘆の吐息を漏らす。
「わかる」
同意しかない。
「サリーは細かいコントロールが苦手でサボっていましたが、『転変』時、衣服の収納、着脱は、簡単なものなら出来たようです」
『転変』し直したサリーは先程と同じ、すぽっと着れるジャージ姿だ。
靴下を脱いでいたのはそのためか。
そういやあちらのサリーは『転変』後、潔くもヌードだった。
「あちらのサリーは男だから、脱ぐのに躊躇いはないのかな?」
「ですね。女性はなにかと拘束具が多いですから。
サリーに影響されるとあれらが面倒になって困ります」
いや、その拘束具は大変素晴らしいものだと思うぞ。美しいからフル装備でお願いします。
「サリーは他に変わったか?
オレはタツミ姫の角と『変化』が出た」
『変化』をにゅっと解いて、角を晒す。
「……これは、なんて美しい」
触れようと伸びた手が、ふと恥じらうように下ろされる。
おっ。なかなか好ましい反応。サリーは角はOKな人か。
角とか鱗の異形種は海外だと偏見が強いし、日本人でも好みもある。
まあ、アバターにリンタロウさんを選んだくらいだし、そうだよな。
………。サリーなら角を触ってくれても嫌じゃないのに。
「わあ、素敵!宝石みたい!」
「『変化』をダンジョンマスターが覚えてくださると、尻尾や角持ちが助かりますね!」
サリーだけではなく、スタッフさんも諸手を挙げて喜んでくれる。
転生後の姿に、好意的なスタッフさんが祝福してくれるのは嬉しいな。
今までにないオプションがついて、案外オレも怯んでいたようだ。
「他に変わったことは……そうですね。
いかがわしいスキルを沢山覚えてしまいました。
戦闘スキルと、MPHPも過去と比較すれば増えています。レベル1になったので現在の最大量こそ減ってはいますが」
サリーにそっと耳打ちされる。
……ああ、うん。それはオレも覚えてしまった。
ちょっと声に出すのは、恥ずかしいような秘密のスキルが出てしまいましたよ。あふん。
キヨラカに生きてきたリュアルテくんやタツミ姫とは違い、前世は血風とエロと伝奇成分マシマシでしたね!
前世ご先祖さまたちったらフケツよ!
ありがとう!お偉いさんの血筋、えげつないぞ!
そのうち必ず役に立ててみせます!
「オレも『夜目』と『威圧』が出た。…他にもちょこちょこ。
タツミ姫のお陰か、HPはレベル1としては良い感じ。MPはかなり多いかな?」
ステータス情報を送ると、送り返してくれる。
………おーう。サリーのステータス、強者感が半端ないわー。
そして大変エッチだ。ドキドキしてしまう。
生産は薬学に寄っているけど、新しく書士スキルも生えている。サリーさんてば、文武両道。
昇殿資格に、薬士免許、飛行士資格に、えっ。禁書許可証もあるのか。凄いな?!
「流士さんは適正アバターがエルブルト男子と竜族の姫ですからね。
エルブルトは魔女で有名ですが、真に優れた魔法使いは、骨格に恵まれた男であるという話でしたか」
「エルブルト女は釜戸の魔女で、気が強くても家庭的だから。
戦闘魔法はガサツな男の役割なんだろ。ジャンルが違うだけじゃん?」
若い頃は跳ねっ返りの魔女子さんだが、年を取ると貫禄のババア魔女になるのがエルブルト女だ。
家政を取り仕切ることが得意な、確り者の印象が強い。
大規模魔法の行使に限り、生体杖である骨格が重要になってくるっていうのは、まあ、一理あるかなあ。
「篠宮くん。佐里江さん。はい、こちら健康診断のデータね。
お二人とも花丸満点の健康体です!
もう、服を作りに行くなり、ご飯を食べに行くなり、レベル稼ぎに行くなりしてもいいですよー」
「あれ、スポーツテストは?」
他の人はやったって聞いたのに。
「只今計測機械が故障中です!そういうことになってます!
だから仕方ありませんよね!
ダンジョンマスターのデータなら全く関係ない部署でも覗き見したい変態が多いのって本っ当にキモいです!
そこら辺をなんとかしてくれるまで、故障は長引くことになるでしょうね。
あ、そういうわけで佐里江さんはとばっちりです」
スタッフさんは小さな拳を握って、怒ってますよ!ポーズを取った。
年上の女性に対してアレだが、小動物めいて和む。
「なんで調べているのか、分かったら教えてください」
「駄目でーす!
それは調査部のお仕事なんで。
佐里江さんはいつまでも情報公開前の人が足りない感覚のままでいて貰ったら困ります」
「どうしても、駄目ですか?」
おおっと。
尋ねるだけで色仕掛けになるサリーのポテンシャルよ。
「駄目ですよ?
どこで情報漏洩が起きたのか調べたいんで佐里江さんはステイです」
つおい。
無意識に篭絡してくるサリー相手に鉄壁だ。
このポニテの医療スタッフさん、笑顔でやりおる。
オレだったら、直ぐにうんと言ってしまった。
………いや、オレがサリーに惚れたナニソレで弱すぎるのか。
なんかいらんことに気付いてしまったぞ?
コメント、いいね、評価、誤字報告ら、ありがとう御座います。
そういやですね、登場人物紹介にフリガナがあるといいという意見を頂きました。
なるほどと思ったので、漢字名だけ簡易の方でフリガナをつけときます。
語り手の名前が謎なのは、うん、良くないですよね。
そんなわけで流士くんは、リュウシくんです。