21 閑話~会計課のアイドル~
王宮の敷地内にある、財務大臣直下の会計課。
平均年齢四十代のオジサン達が日夜、提出される領収書や予算の管理に追われていた。
なにせビリーバーズ帝国では、支出がとにかく桁違いなのである。週に二度三度とパーティーに、王族たちは自身の高級品だけではなく愛人や友人たちへのプレゼントを全てツケ払いだ。次々と衣食住問わぬ舞い込んでくる領収書と、国庫予算でどれだけ支払えるかの計算。領地から運ばれてくる税収や賄賂の管理。使用人たちの給与計算や、その他諸々のとにかく仕事の量が尋常ではない。
しかも仕事場は王宮であるが、家があるのは城下町だ。
城門は日が沈むころに閉じられ、家に帰れなくなることなど日常茶飯事。交代制で早番で帰れるようにしているが、二週間も妻子の顔を見ていないと泣き崩れる者も多い。男たちの阿鼻叫喚で溢れる仕事場は、まさにブラック極まりない職種だった。
「こんにちは!今日は差し入れも持ってきました」
可愛らしい少女の声に、オジサンたちの顔がパッと輝く。
まさに地獄に湧いたオアシス。彼女は艶やかなブロンドの髪に宝石のような碧の目を持つ、美少女だ。手には書類の入ったカバンと、沢山のドリンクが入った籠を持っている。
一番下っ端の者が、出入り口に近い。そのため新婚の三十代若手が役得とばかりに荷物を持ってあげ、お礼を言われていた。
「いらっしゃい。とても助かるよ、ありがとうミコトちゃん」
「そう言って頂けて、私も嬉しいです。ご迷惑なことがありましたら、遠慮なく言って下さいね」
ニコッと笑う顔は、可愛らしいというよりも美しい。こんな優しくて美人な子が、あの財務大臣の新しい秘書だというのだから驚きだ。
セクハラされているのでは、と心配するオジサン達に彼女は心配ご無用と笑って流していた。そこには暗さなど微塵もなく、ただ冗談を言われただけと思っているようにしか見えない。
今は先輩秘書に夢中だということだろうか。
確かに、年増は若い子には敏感で攻撃的な所がある。大臣も先輩秘書と浮気を楽しんでいるのなら、下手には手が出せないだろう。だが、もしも会計課のアイドルに手を出そうものなら。オジサンたちは暗黙の了解で、闇討ちの準備だけは進めていた。
「あと、前に言った判子が出来上がったので一緒に持ってきました」
一人ずつにドリンクを配った後、所長のデスクの上にいくつかの変わった判子が置かれた。今まで真っ白な紙に文字や数字を書き、適当な場所に領収書を貼り付けていた。だが彼女が持って来た判子は、用紙に線を引くことも紙を貼り付ける場所も整頓しやすく使えるという便利な物だ。汚いぐしゃぐしゃの書類になることが普通であったが、これならば簡単に見やすく書きやすい書類を作ることが出来る。
「おお!これは本当に便利だ。一体どこでこんな素晴らしいものを手に入れたんだい?」
目を輝かせながら所長が聞くと、彼女は言葉を詰まらせた。
「ナルキ…こほっ。いえ、知人に作ってもらったんです。こういうのに滅法強い方でして」
もしかして、彼氏なのかもしれない。オジサンたちに衝撃が走るが、聞かない方が精神上良いことも共通認識だった。
だってアイドルの彼氏なんて、品定めして悪ければ攻撃してしまいそうなんだもん。そんなことをすれば彼女に嫌われてしまうので、ぐっと堪える。
「もしかして、ミコトちゃんって彼氏がいるの?」
空気を読まないヤツが一人。
新婚ほやほやで頭のネジが緩んだ若手くんである。やめろ、何を聞いてるんだ!俺たちを殺す気か!無言の叫びが部屋に轟く中で、彼女は目をパチクリと瞬かせた。
「いませんよ。仕事に忙しくて、そんな余裕もないですしね」
無難な回答をあえて口にしたらしいが、彼氏がいないのは本当そうだ。オジサンたちはホッと息をつく。
「あ、じゃあ嫁の…」
弟か友人か、そんなことはどうでもいい。とにかく男を紹介しようとすることは断固として阻止しなければならない。若手がこれ以上余計なことを言わぬように、近くのオジサンがすぐさまドリンクを若手の口に突っこんで口を封じる。ドリンクの口は柔らかく、小さいので怪我などしないので大丈夫だ。
ほどなくして、会計課のアイドルミコトちゃんは帰っていった。黙々と仕事を続ける中で、予定よりも早めに仕事が終わる。
彼女が大臣の秘書になってから、作業効率は格段にアップした。期限間近だと焦るようなことがなくなったし、今日のように便利アイテムを惜しげもなく渡してくれる。彼女が来るまでは、オジサンたちも腐っていたのだ。
どうせ、適当に処理しておけばバレない。横領などで無茶苦茶になる税収も、どうだっていい。そんなクズな考えを、オジサンたちも確かに持っていた。
王宮に出入りする貴族とはいえ、下級貴族の三男や四男ばかり。爵位も継げず、平民に近い。だから、政略結婚組み以外は未婚者が多かった。結婚していても夫婦仲が冷めきっている者ばかりで、仕事にも家庭にも身の置き場のなかったオジサン達なのである。
けれど、そんな絶望の淵にいるオジサン達の元へ彼女が来た。最初は地味な子だな、と誰も気ににも留めていなかった。だが、彼女は意外と熱血であり書類の不備に関して熱弁を振るい何度も所長と衝突していたのだ。
最初は、仕事の何が分かるんだと馬鹿にしていた。
だが段々と、女の子に駄目な仕事を指摘される自分たちを恥じるようになっていく。一人二人と、少しずつまじめに仕事をする人間が増え始めて。
彼女の協力があってこそ、仕事が効率的に進められることで全員が定時にあがれる。そして、ついに所長が今までのことを謝罪すると、彼女は花が開くように笑ったのだ。物凄く美しかった。オジサンたちの心が浄化されるような、素敵な笑顔だった。今まで見えていなかったことが信じられないほど、彼女は顔立ちが整った美少女だったのだ。
彼女はすぐに会計課のアイドルになった。もちろん、本人には内緒の非公式ファンクラブである。
今までのことを反省し、心にゆとりも持てるようになると人間変われるものだ。悪い夫だったと妻に何度も土下座で謝罪し、許してもらった者。未練を引きずっていた元彼女に、土下座して心を入れ替え幸せにするからよりを戻して欲しいと乞い願い叶った者。素敵な女性と出会って、そのままゴールインした者。
何もかもが上手くいくようになった。
愛し愛される家庭を持てたオジサンたちが抱く、彼女への感謝は計り知れない。だから、禁忌とされているジギル村へ関与する書類も作成した。発見されれば、厳罰に処される。下手をすれば死刑になるかもしれない。
だが、彼女から受けた恩を返すには丁度いいさとオジサン達は笑った。家にいる妻にも、危険なことに手を出したことは許しを貰っている。何があってもずっと一緒にいるわ、と妻から言われたオジサンなどは武勇伝のように何度も語った。
今日も会計課のオジサンたちは働く。
愛する家族と、恩人であるアイドルのために。
国が終焉を迎え、新たな国になろうともオジサンたちの仕事は変わらない。
だが。
アイドルが実は巫女であり、新皇帝を就任させた立役者である事実を知ったオジサン達の激震は計り知れないものだった。