20 エトワール王国の改革(ギンロ)
ミコトが国を出るという話をギンロが聞いたのは、ミコトが既に馬車へ乗り込んで国境へと向かっている頃であった。情報も扱う商人として出遅れたことに些かプライドが傷ついたが、そもそも主君の行動が早すぎるというのも問題であった。ほんの数時間の間に、一体何があったというのか。
元々、ミコトが国を出たがっていたことはギンロも知ってはいた。亡命したいから手伝ってほしいと依頼を受けたこともあるし、何かは分からずとも切実に探し求めている物があるということも。聖女のこともあって、その時はお断りしたが。
(まったく、主君の嫌がらせがどんどん幼稚になっていくなー)
常に殺伐とした雰囲気を漂わせていたシヴァが人間味を取り戻したことは喜ばしいことではあるけど、とギンロは胸中で呟く。たった一人の存在でこれほど変わるものかと、純粋に驚く。革命を成功に導いた救世主、神々の中でも最上級の位を持つ五大神将を召喚した特別な巫女。彼女がもう居ないと知りながらも、ギンロは馬車に乗って王宮へと向かう。
(主君だけじゃない。たった一人の存在に、ボクも変えられた)
クスクスと笑い、流れゆく街並みを眺めながらギンロはいい機会だとこれまでの人生を回想する。
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ギンロはかつて、毎日酒浸りで暴言暴力を振るうか寝ているだけの父親との二人暮らしだった。
物心ついた時から父親はろくでなしであったが、家を出ていった母親によると昔は真面目で気のいい人間であったらしい。親友に騙されて莫大な借金を背負わされ、質の悪い借金取りのせいで仕事もクビになったことが切っ掛けとなり自暴自棄になったのだとか。
母は夫の変貌に耐え切れず、早々に息子を生贄として置いて行方をくらませた。そのせいでより過激となった暴力に耐えなければならなかったし、借金返済のために幼い頃から命がけで働かなければならなかった。
そんな最悪な状況にも関わらずギンロが逃げなかったのは、ろくでなしの父親を独りにしないためでも、行方知れずとなった母親のためではない。母親が家を出ていく前、そのお腹の中には弟か妹がいた。見たことさえない相手へ芽生えた、偏に兄としての矜持である。
もしギンロさえも父親のもとを去れば、あの男は妻であった女を探すだろう。見つかれば、弟妹の命も危険に晒される。だから、盾としてその場に立ち続けた。父親からの虐待、借金取りの手先として悪事を働く日々。気づけば、ギンロは十八歳となっていた。
転機が訪れたのは十歳で伯爵位を継ぎ、利権を奪おうとする親族や政敵などを淡々と排除していったシヴァ・サジタリウスが十六歳の時に行った掃討作戦。領地に蔓延っていた犯罪集団を一斉検挙した時のことだ。
ギンロはその頃、組織の幹部にまで上り詰めていた。特殊詐欺グループを率いて貴族から金を巻き上げ、組織に莫大な資金を提供し続けた結果そうなったのだ。ギンロもまた掴まり、処罰を待つ立場となった。
もう、いいだろう。父は酒に酔って事故死した。密かに援助していた母と弟妹も新しい家族を持ち、幸せに暮らしている。自分がいなくとも、問題はない。死を覚悟したギンロではあったが、シヴァは「お前はこれから俺の元で働け」と手駒として傍に置いた。
敵には一切容赦しない恐ろしい獅子が、役に立ちそうだという理由だけで死にたくなければ手駒になれと言ってきたのだ。予想外過ぎる話に疑うよりも呆れの方が強かった。生意気なガキだと思いつつも、自殺志願者ではないギンロはその提案を呑んだ。そして他の幹部は全員処刑された中で、唯一の例外として生かされた。
それからはシヴァを主君と仰ぎ、容赦なくこき使われるようになった。
シヴァが国外追放となった原因について、ギンロも詳細は知らされなかった。ただ心を病んだシヴァの父親が妻を甦らせようと悪魔を召喚する儀式を行ったことが発端であったらしい。シヴァはそれを止めようとしたが、共に悪魔と関わった罪の証である黒に近い藍色の髪に染まった。
聖女が黒髪黒目であるのは、世界の穢れを吸収する者だからという説がある。穢れそのものである悪魔と関わることで髪が黒くなるのは、そのためだと。聖女には穢れを浄化する能力があったが、人間にはそのような能力はない。異端として排斥されるのも致し方ないことだった。
シヴァの変異に喜んだのは、皇太子である。容姿も能力もシヴァの足元にも及ばなかった皇太子は、それを酷く妬み憎んでいたらしい。皇太子自ら教会に働きかけ、鞭打ち刑の上で国外追放とする処罰を与えた。シヴァが王都の外へ捨てられた時、ギンロもついて行こうとしたが許しは得られなかった。シヴァが国に残れと命じたから。
その後は、どのようにして主君の汚名返上を図るかを悩んでいた。当時のビリーバーズ帝国は皇族も貴族も、揃いも揃って腐っていた。政治に関わる者で、まともな人間などほんの一握りのみ。まともな人間も、皇族に目をつけられぬよう中立という沈黙を貫いていた。
多くの公国を抱え、植民地を増やすビリーバーズ帝国は世界でも他の追随を許さぬほどの強国。その裏では戦争に明け暮れ、国民たちを圧政により搾取する恐怖政治を行う悪逆皇帝としても国内外で名高かったが。貧富の差は広がり、戦災孤児は増え続ける。王都にまでスラム街が出来る始末であった。
この国には、新しい指導者が必要だ。敵には容赦なく、国民を守る新しい皇帝が。その人物に相応しいのは、シヴァであるという確信がギンロにはあった。だが、行き場を無くしたシヴァが身を寄せたジギル村には容易に関わることが出来ない。どうしたものかと策を練るギンロの耳に入って来たのは異質な使徒、ミコトという少女の話だった。
王宮に潜入させている密偵から、一風変わった人物がいると報告が届いたのだ。優秀な部下にしてはらしくない、支離滅裂な情報。それも必死で書いたのであろうことが分かる、走り書き。どうやら、その使徒に関することを長く考え続けることは出来ないらしい。しかも、送ろうとした直前になると手紙を燃やしてしまい何枚も無駄にしたと。
神の力が働いていることは間違いない。だが、王宮全てにそのような特殊な力を使える神が果たして下級神といわれる存在だろうか。最初は、そんな謎に興味を惹かれただけだった。
ギンロは、すぐにジギル村からの嘆願書を装った手紙を作成した。その手紙を使徒に届けさせ、反応を窺う。予想よりもずっと早くに返事は来た。大臣の印章つきの、国内全土にわたる通行許可証。交通路を作るための申請書と食料が豊富にある小さな村との取引書。その他必要と思われる書類の他に、予算の見積もりまでが添付されていた。
謎の使徒は、かなりのやり手のようだ。いつものギンロならば、相手の素性を全て洗い出して弱点を握りつつ仕事に望む。だが、そのような手間を省きつつ迅速に行動を始めた。容貌や予算の見直しを提出すれば、使徒は素早く対応する。
お目通りが叶ったのは、三度目の手紙のやり取りをした時のこと。報告は直接した方が効率が良い。日時が書かれ、王宮で待つという言葉を見た時にギンロは浮足立った。これほどまでに心揺さぶる人間がいたなど、想像だにしていなかった。以前のギンロに話したところで、過去の自分は信じなかっただろう。それほどまでの青天の霹靂であった。
初めてお会いした時、使徒のミコトさまは美人ではあったが気が強そうな顔立ちをしているなと思った。実際に話をしてみれば、そんなことはなかったが。高等教育を受けたような知能、優しさが滲む丁寧な言葉遣い。使徒という特別な身分を持ちながら、商人であるギンロを見下さず対等に接した。美人で、優しくて、謎と不思議に満ちた魅力的な方。
だが、ふとした時に消えてしまいそうな儚さも感じていた。お会いすることに慣れてきた頃、ギンロはミコトさまに聞いたことがある。ミコトさまの故郷はどこですか、と。
ミコトさまは「この世界にはない場所」と答えた。そして今の自分は夢の中で生きているみたいなものだと。「それはギンロさんも一緒ですよね」という言葉に、ギンロはそうかもしれないと思った。いつだって現実味のない場所で生きてきた気がする。衝動的に動くことはなく、いつだって頭で考えてから行動していた。自分の気持ちよりも客観的意識の方が強かったのだと、初めて認識した。
ドキドキと胸が高鳴る。ミコトさまが、ギンロの世界に色も熱も与えてくれた瞬間だった。恋でも愛でもない、ただギンロの心に初めて他者が入り込んできた衝撃と興奮。きっと、この気持ちは誰にも理解できないだろう。
心が芽生え、まるで生まれ変わったかのようだ。誰よりもお役に立って、誰よりも傍にいたい。ミコトさまが降臨させたナルキス神には敵わなくとも、人間の中では一番になりたい。そんな欲が芽生えた、ギンロはより一層仕事に打ち込んだ。
その内にミコトさまの紹介によりギルドマスターまで接触してきて、ジギル村も王都で発生した問題も解決。主君たるシヴァの手により、革命は成功を果たした。その後すぐに聖女という邪魔が入ったが、それも今は解決してミコトさまは羽ばたいていったというのが、これまでの顛末である。
彼女の全てを知りたい。
ギンロは部下に一切任せることなく自分の足を使い、目と耳を使って調べ始めた。そして知った事実では、意外にもミコトさまは元々はスラムで暮らす孤児だった。スラムの人間に話を聞いたところ、何の気配も予兆もなく、気がついたら変わった服を着た人間が倒れていたと証言した。
スラムに来る前は何処にいて、どんな生活をしていたかは全く分からなかった。当時スラムの門を守る警備兵にも話を聞きに行ったが、侵入者はいなかったという。まさか天から降りてきたのではないか。冗談のような考えだが、ギンロは割と真剣に疑っていた。
一年後、スラムからミコトさまを連れ出したのは孤児院を経営する院長の女性だった。保育士として雇われ、貧しいながらも充実した日々を送っていたらしい。よく遊びに付き合い、絵本を読み、子守唄を歌い、愛情深く接した。子供たちは皆、母のような姉のような優しい彼女が大好きだった。
そんな生活に終止符を打ったのは他でもない、ミコトさまを拾った院長だった。莫大な借金を抱え、元々売り飛ばすためにスラムから拾ってきたのだという。どのような環境であっても、どのような事情があったとしても酷い裏切り行為でしかない。父親のことを思い出し、ギンロは院長に対して殺意を覚えた。
だが、ミコトさまは優しすぎた。院長の事情を汲み、自分の足で売られていったのだ。ならばギンロが後から手を出すわけにはいかない。その時のミコトさまの気持ちを、踏みにじる訳にはいかなかったからだ。
王宮へ行った後は、無事に神を降臨させた。ただし巫女の仕事ではなく、メイドに成りすましていたことには驚いた。賢いミコトさまのことだ、情報収集をするためだろうとすぐに得心がいったが。その後、ある程度の情報が集まったからか大臣を利用して意図も容易く印章を手に入れた。
まるで最初から決められていたことのようだ。シヴァもギンロも、彼女の手の平で転がされていたにすぎないのだと思い知らされる。その頃にはもう、ギンロは底なし沼のようなミコトの魅力に溺れて沈んでいた。
そういえば、と思い出す。ミコトさまがいた、あの孤児院は奇特な侯爵が天才を作ると援助を始めた。一応は経過観察したが、上手くいくはずないと思われた教育は予想に反して功を成しそうだった。用意された様々な分野で、子供たちはそれぞれ才能を開花し始めたのだ。
文学・哲学・数学などの勉強から、絵画や音楽といった芸術。子供たちはひたすら努力し、自分を磨くために大人顔負けの姿勢を示した。その意欲は何処から湧くのか。ギンロは正体を隠し、記者としてインタビューをした。すると「ミコト姉ちゃんを養ってあげるため」と男の子たちは言い、女の子たちは「もう誰にもミコトお姉ちゃんを傷つけさせないようにするため」と言った。それぞれが惜しみなく与えられた愛情を返すために努力を怠らなかった。感動話だが、ミコトさまはボクが幸せにするのでお構いなく。子供たちはギンロの不穏な感情の動きを感じ取ったのか、ギンロを厳しく睨み付けた。邪魔者になりそうな気配がしたので、どう対処するかを考え中だったのだが。
ガタン、と揺れて馬車が停車した。王宮についたらしい。ギンロは回想を止め、馬車から降りた。
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「お見送りくらいさせてくれればいいのに、ケチだね」
「主君は意外とせっかちなので仕方がないですけど、色々と残念ですねー」
皇帝の執務室に集まったギンロとギルドマスターは、コソコソと文句をつける。明らかに聞こえるように言っているが、シヴァはそれを意図的に無視した。
「愚か者たちの報告を」
ほんのお遊びにも付き合わずに、すぐに主題を突っ込んでくる。つれないなぁ、とわざとらしく嘆いて見せる二人にシヴァが握っていたペンが折れた。
「元皇族たちは、無事に脱獄したようですねぇ。バジル公爵家の別邸に入ったことは確認しました」
「馬鹿な反乱分子ばかりで助かるよ。わざわざ結託して、分かりやすく行動してくれるんだから」
ギンロの報告に、ギルドマスターが馬鹿にしたように笑う。ビリーバーズ帝国時代の皇族たちは、王宮の地下にある拷問部屋の牢屋へと入れていた。処刑はしないが、一生を労役刑に科すと判決もすでに下されている。それが昨夜、バジル公爵の手の者によって脱獄したのだ。それは元から予定されていたことであるので、この場にいる誰も驚きはしないが。
「子が出来れば正統なる後継者とするとか、よくそんな馬鹿なことを信じられますよねぇ。烙印をつけられた時点で、犯罪奴隷だというのに。まあ、高熱が続いたせいで皇太子のアレはもう使い物になりません。すぐに見放されることでしょう」
役立たずと分かれば元皇族の三人は暗殺される恐れがあるため、すでに公爵邸はいつでも突入できる状態になっている。捨てられたと分かれば、三人の口はさぞ軽いだろう。元皇族の犯罪に関わった者たちの名を記録する準備もできている。
「巫女さまのいる間に始末すればいいのに。蚊帳の外だなんて可哀想じゃない?」
ギルドマスターには、大掃除をする前にミコトを外国へ送ったことが理解できないらしい。ギンロは笑いながら、意味深にシヴァへと視線を送った。
「ミコトさまには知られたくないんですよねー」
「過保護だね。皇帝陛下も可愛らしい所があるんだ」
もちろん、ミコトが全て承知の上で出ていったことは三人とも分かってはいる。優しい方だから、汚いものを見せたくないという意図を汲んでくれたのだと。ミコト本人が聞けば「そんなこと気づく訳なくない?!」と半泣きで泣きそうなことを、過大評価している三人が知る由もない。
「貴族の選定も大変ですけど、大きくあいた政治の穴はどうされるおつもりなんですか?」
「辺境伯の後継者が勉学を理由に王都にくる。ジギル村の優秀な青年も組み込むつもりだ」
原初の神を信じず、それどころか別の神を信望するジギル村の人間は教会にとって異端者だ。そのような者が神聖帝国の政治に関わることに、猛反発することは予想に容易い。
「教会がうるさそうですね」
「黙らせるさ。そのために、不正の証拠を集めたのだからな。教会の総本山であるこの国で起こった不祥事だ、身内の罪は内々で処罰させて恩を売る」
「あはは、世界が騒ぐだろうな。そういえば、あの聖女はどうしてます?」
「幼児返りした演技をしている。いつまで続くか、見物だ」
シヴァは薄く笑みを浮かべ、殺気を含ませた視線を窓の外。教会の建物へと向ける。
「皇族も、教会も、聖女も。何処へ行っても生き地獄だ。せいぜい長生きさせてやる」
「おー、こわいこわい」
エトワール帝国の中核を担う三人は嗤う。国の大掃除は、まだ始まったばかりだった。
王宮からの帰りの馬車で、再び窓の外を眺めながら物思いに耽る。
皇帝やギルドマスター、かつて部下であったメイドのエマ。その他多くの人間たちから愛されているミコトを思い、ギンロは瞼の裏に彼女の姿を浮かべる。
(主君とミコトさまが結ばれる可能性が高そうだ。となれば、子が出来て孫が出来てもずっと傍にいられる)
シヴァの懐刀は、ほの暗い歪な感情を大切に仕舞い込む。友人だの恋人だのといった関係に価値は見いだせない。ただ望むのは、唯一ギンロの心の中に住む彼女が笑っていること。その顔をお側で一生見続けられたら、それで幸せだと思う。
(ボクだけはミコトさまの道具だ。盾にも矛にも、道化の玩具にだってなろう。友人でも恋人でもなく、その場所だけはボクの物にしてもいいですよね)
なかなかいい響きだとギンロは笑う。恋だの愛だのより、ずっと確かなものだ。