18 変化
朝の目覚めは悪くなかった。
夢も見ないくらい深い眠りで、体が軽く感じるほどだ。ぐっと腕を伸ばし、脱力すると程よい気持ちよさに包まれる。いつもより、ふかふかふわふわベッドだからだろうか。慣れ親しんだ仮住まいの部屋ではないが、部屋が変わったから眠れない等という繊細さはない。
「おはようございます、巫女様」
「おはようございます、エマ」
挨拶をしてくれたメイドのエマは、ニッコリと温かな笑顔を向けてくれた。貧乏貴族ゆえにメイドになったらしく、他のメイドたちよりも姉御肌だった。新人メイドに成りすました私に制服やら仕事を与えてくれた先輩メイドでもある。巫女であることを隠し、騙していたことを謝罪した時には「仕事をしたいだなんて奇特で頑張り屋な人を嫌ったりしませんよ」と許してくれて。本当にいい人である。時折、低価額高評価のスキンケア商品などについて語り合ったこともあった。
ただ、ひと月ほど前。聖女が「巫女に苛められているの」という言葉から炎上した事件から少しして、家族が流行り病に侵されたと実家に帰っていたために会うのは久しぶりだ。顔色も暗くないし、「家族はもう大丈夫?」と聞いたら「元気すぎるくらいよ」と笑ってくれた。何事もなく完治したようで、私も安堵から自然と笑顔になる。
「さあ、起きて下さい。時間は有限ですよ」
シャッとエマが開けてくれた窓から差し込む光が眩しくて、ギュッと目を細める。外は快晴、気持ちのいい風が頬を撫でていくので眠気はスッと消えていった。鳥の可愛らしい声だって聞こえるし、本当に恐ろしくなるほど気持ちのいい朝だった。昨夜の事件など無かったかのように平和さである。
「さあ、朝食の席に着く準備をいたしましょう」
今日の朝食には、シヴァも同席するらしい。いつものような普段着では絶対駄目だと言われ、着るのにも時間がかかる面倒なドレスに着替えなければならない。嫌だなぁとは思うが、それは百歩譲って許せる。だが、エマが取り出したのはピンク色の可愛らしいドレスだった。子供が着たら絶対に可愛いが、大人が着れば痛いだけだ。
何故これを選んだんです、メイドさん?
エマのセンスは悪くなかったはずなのに、何の嫌がらせなのか。どこから入手したものなのか尋ねると、エマは意味深に笑うだけで答えてくれない。着たくない、別のものがいいとお願いするが、エマはさっさと私のパジャマを剥ぎ取る。忍者のように見事な早業であった。
下着一枚となって寒さに震える私に、エマは無言の笑顔という圧をかける。結局、私は白旗を上げるしかなかった。髪もドレスに合わせて、ツーサイドアップにピンクのリボンの髪型に整えてもらう。
「ふふ、可愛らしいですわ、巫女さま」
エマの言葉に、閉じていた目を開ける。目の前の鏡に映り込む自分の姿を見て、私はスゥっと目が細くなった。どう見ても似合わない。元から顔立ちは可愛らしいタイプではないのだ。元の世界の両親だって、大人びた格好を着せてくれていた。物凄く恥ずかしい。小学校低学年の時、パンツにスカートが巻き込まれたままで登校した黒歴史を思い出してしまうくらい。
こんな姿、誰にも見られたくない。でも、それは所詮叶わぬ願いだった。レディーの準備を覗き見するなとエマに追い出されたナルキスが大爆笑する未来が見えて、私は不敬だろうが何だろうがナルキスの足を踏む決意をした。
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皇帝が食事をする場所だけあって、使用人食堂とは大違いのロイヤリティーさだった。多くの使用人が部屋の隅に控え、鎧を着ていない騎士が護衛で立っている。無駄に長いテーブルに天井にはシャンデリアが。そこを利用するのは、シヴァとナルキスと私の三人だけであるというのだから恐れ入る。
「ミコトさま、おはようございます。少しはお眠りになられましたか?」
シヴァが心配そうに声をかけてくれた。
その顔に昨夜抱きしめられた時のことを思い出して、ドキッと鼓動が跳ねる。恐ろしい光景を見ないようにと私の目を塞いでくれて、護るように庇ってくれた。まるでヒーローのようなカッコよさだったと思い返し、顔が赤くなりそうになる。だが、そんな乙女な感情など私には邪魔なだけ。密かに深呼吸をし、改めて客観的に超絶美形のご尊顔を朝から拝むことが出来て、眼福ものであると思いなおした。
「はい。おかげさまで、ぐっすりと眠ることが出来ました」
それはもう、お休み三秒の気づけば朝であったので。あんなことがあったというのに、図太い神経をしているなと自分でも引き気味になる。だが、優しいシヴァは心から良かったと微笑んでくれた。
「それよりも、巫女。その恰好…」
ナルキスの言葉に、私は身構えた。笑うなら笑えばいい、覚悟はできている。床に付けた足にぐっと力が入る。ナルキスは足が長いので、十分に届く距離だ。だが、結果として私の覚悟は無駄となった。シヴァとナルキスは、揃いも揃って似合っていると言ったのだ。私を気遣ってのお世辞かと邪推するが、嘘を言っているようには見えない。
シヴァは輝かしい笑顔で満足そうに私を見つめ、ナルキスは少し悔しそうでありながらも揶揄ってくる様子はない。…まさか、本当に似合っていると思っているのか。その時の私の衝撃たるや凄まじいものがあった。失礼ながら、二人ともセンスが悪い。もしくは幼女趣味でもあるのかと、疑念が湧いた瞬間でもあった。
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なんにせよ、特に問題なくこの日は過ごせた。
あの事件について誰も話さないし、私も聞かない。親しかった使用人たちが戻ってきて、顔見知りぐらいであった何人か見当たらないことに気づかないふりをする。彼らがどうなったかなんて、考えようとすると激しい痛みを覚えるため自分でも触れられない部分だった。
自分が薄情な人間であることに失望しながらも、その日もぐっすり眠ることができて翌朝がきた。バッと勢いよく起き出した私は、エマが来る前にクローゼットから庶民服に近いドレスを選んで着てしまう。遅れれば昨日の二の舞だ。
遅れてきたエマはガッカリとした様子ではあったが、無理に着せ替えることはしなかった。だがクローゼットの中に可愛らしいドレスがぎっちりと詰まっていることを確認してしまった私は、この日以降エマと私の攻防戦が始まる予感に私はすでに気疲れする。一体、誰の趣味だ。はた迷惑な、と誰に言うでもなく私は文句を零した。
この日の朝食は、私が一番最初だった。
昨日よりずっと早い時間に身支度を整えたのだから、当然といえば当然だろう。シヴァがいなくとも、昨日から私を嫌うあからさまな態度をとる使用人がいなくなった。むしろ好意的であったり申し訳なさそうにしている人が大半である。
私が席につくと、執事が食事まで時間があるので珈琲か紅茶のどちらがいいかと尋ねられた。ミルクティーをお願いすれば、温かなポットと温められたカップを用意してもらえた。仲が良かった使用人たちが戻ってきたとはいえ、何か裏があるのかもしれないと疑う心はある。だが、精神の安寧のためにも深く考えることは止めにする。
私が一杯目の紅茶を飲み干した頃、ふらりとナルキスが現れた。食べなくても問題はないのに、何故来るのかといえば食事を覚えた今は疑似的に空腹感を感じてしまうようになったらしい。朝からステーキとかボリュームのあるものを好む傾向がある。お城に居候せずにいたら、あっという間もなく破産して貧乏生活を余儀なくされただろう。
だが、私が破産せずにいられるのも国民のおかげ。今の私は仕事もしていないニート状態なのだから、つくづく思うにこの国全てに私は頭が上がらないだろう。このご恩、どうやってお返しすればいいのか。そんなことを考えながら、二杯目三杯目と紅茶を飲み干してしまった。飲み過ぎたせいで、ご飯を食べる前からお腹は一杯になってしまう。私はお腹を宥めながら、首を傾げた。
もう、とっくに食事の時間は来ているはずだ。けれど時間に厳しそうなシヴァがまだ姿を現さないので、何かあったのではと不安になる。どうしよう、誰かに聞いてみる?でも、国の有事に関わることだったら私なんかが関わっていい問題じゃないし。真剣に悩む私の髪を、暇を持て余したナルキスが三つ編みを作ったり解いたりと遊んでいた。
「遅くなりました!お待たせして、申し訳ございません!」
少し息を切らせたシヴァが食堂に入ってきた。慌てた様子だが、特に怪我をしたとかそんな雰囲気はない。食事をした形跡がないのを見て、シヴァは落ち込んだ様に僅かに肩を落とした。
「謝られることはありませんよ。美味しい紅茶を頂いていたので、お気になさらないでください」
「…お気遣い、ありがとうございます」
シヴァが来たことで食事が運ばれてくる。
ナルキスは山盛りのパンと肉厚ハンバーグ、シヴァはパンと肉類と野菜のメニュー。二人とも、朝からよくそんな重いメニューが食べられるなと見ているだけでお腹がいっぱいの気分だ。私の前にはロールパン一つとベーコンエッグと野菜という、これぞ朝食という内容である。本当は白米と味噌汁が恋しいが、果たしてこの世界に日本食はあるのだろうか。言えば無理にでも用意してくれそうで、口には出せないけれど。
「この後、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
各々の食事が終わった所で、シヴァが私にお伺いを立てる。もちろん暇であるので、特に何も疑うことなく即答で了承した。なんでも話したいことと渡したいものがあるから、執務室に来てほしいとのこと。何だろう、と思いつつも特に詮索はしない。どうやら、私はシヴァを信用し始めているようだった。
その結果まさか念願の国外脱出になるとは、その時の私は夢にも思っていなかった。