14 殺意(キィラ)
「あの女、どうして死なないのよ!」
アンティークや宝石類に溢れた豪華な部屋で男たちを侍らせ、楽しんでいたはずのキィラは突如甲高い叫び声をあげた。衝動的に沸き起こった怒りのままに無抵抗の男たちに暴力を振るい、物を投げては部屋中の物を壊していく。
一通り暴れ回ったキィラは息を切らせ、ベッドに横になった。けれど背中に刺さる小物にまた腹を立てて、近場の男に「ちゃんと片づけときなさいよ!」とヒステリックに叫ぶなり白磁の水差しを投げつける。男は水に濡れ、割れた破片によって血を流したが、この場にいる誰もそれを気に留めることはない。
「この私が汚らしい人間にも愛想を振りまいてやって、邪魔者を殺すように努力してるのに。何であんな女一人殺せないのよ」
ブツブツと物騒なことを呟くキィラは、常日頃から人に見せる聖女の姿とはかけ離れていた。まさに鬼女の姿であり、増大していくミコトへの憎しみに歯ぎしりする。
「シヴァも、くだらない言い訳を並べて結婚してくれないし!あの女が現れてから、私のストーリーが滅茶苦茶だわ!」
せっかく異世界に来たのに、上手くいかないことばかり。こんなはずではなかったと、爪をかじる。
キィラは元の世界では女子大生だった。本名、出海 綺羅は勉強も運動も平均レベルで、趣味の合う数人の友人たちと行動を共にする特に目立たない存在だった。
中学の頃から両親に買ってもらった乙女ゲームは、本棚がいっぱいになるほど。ゲームの主人公に感情移入し、ある日謎の本を拾ったり、誰かが迎えに来てくれることを待ち望む夢見がちな少女だった。
作品ごとにいる推しのキャラクターに関しては完全に同担拒否で、友人たちからも痛い考えだと非難されることもあったがキィラは鼻で嗤っていた。好きな人を誰とも共有したくないというのは、誰だって思うことなのに。
そんな綺羅が、夢にまで見た異世界への扉に興奮したのは仕方がないことだろう。ある日の学校の帰り道で、ぽっかりと開いた穴があった。底の見えない、真っ暗な穴。
あそこに入れば、もう二度と家に帰れないかもしれない。だが綺羅には迷うことなく、穴へと飛び込んだ。
気がつけば、何もない田舎の教会の前で倒れていた。神父に助けられ、しばらくの間は修道女として生活することになった。最初は言葉が通じず、苛立ちばかり募ったものだ。スポンジが水を吸収するように、すぐに習得したけれど。
でも修道女生活は、まさに最悪。肌は荒れるし、筋肉がついてスタイルが悪くなるのを防ぐことに必死になった。野菜料理ばかりで肉なんて滅多に出ないし、まさに最低最悪なスタートだった。
それでも綺羅が耐えられたのは、神父が綺羅を聖女様じゃないかと教会の本殿に問い合わせをしていてくれたからだ。黒髪黒目の女性は、何でも魔をはらう力を持った聖女の特徴なのだとか。異世界で聖女になるなんて、どう考えたって乙女ゲームの内容だ。綺羅はこれから起こることに胸を膨らませ、思いを馳せていた。
──異世界から来た聖女は、田舎で慎ましやかに暮らしていた。だが聖女として祭り上げられて王都に行くことになり、そこで様々な男性たちと出会う。
最後はもちろんハッピーエンド。そんなストーリーが綺羅の頭の中にはあって、そのために自分を偽る努力は厭わなかった。
ちなみに綺羅が、キィラとなったのは単純に神父の耳が悪いからだ。綺羅は可愛いからいいや、と両親から貰った名前という贈り物を簡単に捨てた。
キィラが思い描いていた通りに、程なくして聖女と認定され王都の教会に移り住むことになった。王家にも挨拶して、数々の貴族の人たちとも交流を繰り返した。
王太子、騎士団長の嫡男、教皇の次男、大貴族の若き当主。彼らに優しく甘やかされ口説かれたキィラは、やっぱり私はヒロインなんだと幸せの絶頂だった。
そんな中でキィラが気になっていたのは分かりやすい攻略対象ではなく、話でしか聞いたことのない男性だった。伯爵家の長男であるシヴァは、金髪の美青年だったらしい。怖い人だという一面もあるらしいが、クールで何事もスマートにこなす姿は数多くの令嬢たちを虜にしていたのだという。
だが、父親が狂っていく姿を見ていられず、母親を蘇らせようとしてしまった。悪魔の甘言に乗せられて、罪を犯そうとしたのだ。思いとどまったらしいが、罪の証として髪が藍色にまで暗く染まってしまったらしい。悪魔と契約することは大罪だ。事態を重く見た王家と教会によって鞭打ち刑の上に王都を追い出され、立ち入りを固く禁じられたのだという。
なんて可哀想な人なのだろう、とキィラは深く同情した。そして彼のような人の心の傷を癒すことで二人は深く結ばれるという展開に、愉悦を覚えて笑う。きっと、サブキャラクターか隠しルートの攻略対象なのだろうと決めつける。
出会いはどのように演出しようか。妄想は膨らむばかりで、選ぶことが難しい。キィラが幸せな悩みを抱えている間に、ビリーバーズ王国はシヴァによって乗っ取られた。肝心な時に関われなかったのは残念だが、確実に会えるのだからいいかと良いように捉える。お気に入りであった皇太子が地下牢に閉じ込められていることなど、キィラにとってはもうどうでもいいことだった。そんな風に軽く思っていたキィラに、思いもよらぬ邪魔者が現れた。
巫女のミコトだ。ミコミコになってて笑いそうになったが、現実はその女もヒロインポジションだという目障り極まりない存在で。シヴァにエスコートされてパーティーに参加したあげく、彼の優しさを我が物顔で受け入れる姿に殺意は留まることを知らなかった。
どうやって貶めてやろうか、と考えるためにお手洗いへと向かったキィラに語り掛けてくる声があった。ミコトを殺さなければ、キィラが死ぬことになると。キィラこそメイン主人公なのだから、そんな結末を迎えぬために力を貸すと声は言った。
キィラは直感で、システムの声だと思った。ゲームの趣旨にそぐわぬ乱入者を排除するため、キィラに力を貸してくれるのだ。キィラは迷わず協力を求め、人を意のままに操る能力を得た。洗脳に近い能力だが、キィラの都合のいいように相手は思い込むので、その後の行動を管理しやすくなったという方が正しいが。
そしてミコトの排除に取り掛かったのだが、これが上手くいかない。キィラがミコトに苛められている、彼女にいつか殺されてしまうという内容を王宮の人間に思い込ませて殺意を高めても、王宮に帰った頃には忘れてしまってしまうようだった。
何とかしなければと、洗脳を強めてもミコトへの嫌悪感が残るだけ。ミコトに味方するような使用人たちは人質を取ったり、家族を洗脳して軟禁させたりすることで少しずつ遠ざけてはいるが、一気に片付けられないことが歯がゆい。理想としては、壮絶ないじめを受けて自殺もしくは他殺されることなのだ。
ならば、まずはシヴァだけでも手に入れようと教会側から新皇帝であるシヴァに圧力をかけさせた。
けれど就任したばかりで地位も盤石ではなく、聖女に負担をかけるので保留にして欲しいという返書が返って来た。どれだけ圧力を強めても同じような返事しか返ってこないし、教会側も聖女に負担を強いるのは望まないとして仕方がないと片づける。
何で思い通りにいかないの。私は特別な存在なのに。ああ、イライラする。
「許せない、許せない、許せない!私は聖女、ヒロインなのよ。ああ、忌々しい!」
「キィラ、そんなに心を乱して可哀想に…」
赤色の髪と目を持つ元騎士団長の息子が虚ろな目で呟く。キィラは煩いといわんばかりに髪を振り乱し、彼の顔を叩いて長い爪で皮膚を傷つける。
だが、ふとキィラの動きは止まった。中空を見上げ、耳をすませる。しばらくして、キィラは嬉しそうに邪悪な笑みを浮かべた。
「そうね。私自らが殺してあげるのも、慈悲深い感じで悪くないわ」