13 最近の日常
引き籠もり生活を始めて、一か月。
仕事に忙殺されていた時が嘘のように、私はニート生活を送っていた。汲み上げ式のお風呂がついた豪華な部屋に住まわせてもらい、三食おやつ付きの美味しい生活だ。
好きなだけゴロゴロして、そのまま寝てしまっても仕事をしろと怒る人はいない。本を読みたいなと思えば許可がすぐに出されて、王宮で保管されている本を貸し出してくれた。ちなみにこの世界の動物図鑑とか歴史小説にドハマりしている。
ただ暇なんじゃなくて、暇だからこそ遊んだりダラダラできる時間があることが幸せだ。もう、生涯こうして生活できたらなー。宝くじとか一発当てて、ニート生活したいという人の気持ちが今なら分かる。
「でも、なんか変なんだよねー…」
親切にしてくれた使用人たちが、一人二人と辞職したり無断欠勤しているという。良くないことが起こっているのは間違いないだろう。そもそもパーティーの日から、聖女の敵として多くの国民から命を狙われる立場となったらしいし。
パーティーの翌日、まだ朝焼けが広がり始めた早朝の時間。シヴァも聖女も怖いから、さっさと国外脱出しようとメイド時代に発見していた秘密通路から脱出したまでは良かったのだ。
だが王都の外へと通じる道は塞がれており、正門を目指すしかなかった。外に通じているはずの場所に家が建っていて、壁をよじ登れるわけもなく仕方なしだった。まったく、非常脱出口ならちゃんと管理しておいて欲しい。
まあ、私の顔は知られていないし連れ戻される心配はないだろう。そう簡単に考えていたのだが、結果としては「聖女にあだなす悪魔め!征伐!」とか叫ぶ男性たちにいきなり襲われて泣く泣く城へ逃げ帰ったのだ。聖女の敵と認識されるのが早すぎるし、何で私だと分かったのかも謎である。服装だって一般的なものだし、土地勘がないとはいえ不審人物に見えるほど怪しい動きはしていなかったはずなのに。
すぐに保護された私は、教会の信徒が私個人を敵認識しているということを聞かされた。信者たちは国の大半にも及ぶため、市街地に出るのは危険であるという。私の人生、厳しすぎない?異世界転移の特典として、もっとイージーモードにしていいんだよ?そうナルキスに主張してみたのだが、鼻で笑われて終わってしまった。
無駄な願いを持つなという意味か、馬鹿にされただけか。たぶん両方なので、丸一日は書籍化の能力は貸さなかった。何故一日だけかというと、物凄く駄々っ子のように煩く騒がれたため諦めたから。世のお母さん方は子供の我が儘を我慢もしくは上手く言い聞かせているなと感心しました。閑話休題。
「ダラダラするのにも、段々と疲れてきたなー」
私の独り言に、最近調子の悪そうなナルキスが伸びをしながら言葉を返す。今日もだるそうだな、と心配は日に日に増していく。美貌に影が差して、更に薄幸美人感が出てきたナルキスに「どうしたの?」と直球に聞いても、のらりくらりと躱すばかりで理由はを教えてはくれなかった。
「別にいいじゃないか。いくら休んだって、君の好きにしたらいいさ」
「ナルキス様はいいかもしれないですけど、人の好意に甘え続けるのって結構疲れるんですよ」
最近は王宮内も安全とは言い難い気がするし。
「難儀なものだな。役割がないと不安になるか?」
「うーん。与えられたら、お返しするのが当然だと思うので」
私の言葉に、ナルキスがフッと笑みをこぼした。
「目には目を、歯には歯を。人を呪わば穴二つ。悪意も送られたら、お返ししないといけないってことだな」
いや、今の話の流れで何でそんな捉え方になるんです?
復讐物のホラー作品から変な影響を受けたのだろうか。その内、ホラー漫画ばかり読みたいと言われたらどうしよう。そう多くは読んでいないから、レパートリーがない。日本昔話でも納得してくれるだろうか。変な心配をしつつ、私はとりあえず曖昧に頷いておいた。
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美味しいご飯を食べて、お腹が満たされた状態で私の記憶を元に作られた本を読む。百巻を超えるお巡りさん漫画をナルキスが先行して読み進め、私がその後追いしている状態だ。内容は知っているのだが、やはりイラストがあって丁寧に読み進めると楽しいので夢中になってしまう。
緩やかな時間を過ごす中、コンコンと軽快な音が響いた。来訪者を告げるノックに、私は慌てて漫画をナルキスが積み上げた山の上に置いて居住まいを正す。どうぞ、と声をかけると待っていましたと言わんばかりに勢いよく扉が開いた。
「どうも、久しぶりにお会いできて光栄です。お元気ですか?」
「お久しぶりです、ギンロさん。元気ですよ。ギンロさんもお元気そうで何よりです」
扉をチラリと見ると、ネジが緩みはしているかもしれないが壊れてはいないようだ。いつものニコニコ笑顔であるギンロに椅子に座るよう勧める。とりあえずお茶を淹れようと立ち上がると「お構いなく~」と言いつつも座って待機している姿は少し可愛い。
「でも、珍しいですね。御用がないのに私の所に来るなんて」
「そんな寂しいことを言わんでください。ボクはいつだって、ミコトさまにお会いしたいと思ってますよ」
「それで、何があったのですか?」
ギンロがイヌ科っぽい見た目をしていながら、野良猫のような人だということは分かっている。餌がないのに、わざわざ来ることはないのだ。釣れないなぁと泣き真似をするギンロに、早く教えてくれと催促するとケロッとした顔で私が淹れたお茶を飲む。
「陛下が怒り心頭で手が付けれんくなったので、逃げてきました」
「いえ、本当に何があったんですか。もしかして、聖女が何かしてきました?」
「ご名答です。教会側から使者が来て、陛下と聖女の結婚を打診してきました」
うわっ、と顔が引き攣りそうになる。
何も知らなければ、おめでたいことだと喜ぶべき所だろうが。恋愛に発展しなさそうだった二人のことだから、政治的な判断だと思う。新しい皇帝と教会の関係を深めるためとか、最悪の展開としては私を引き合いに出して何らかの脅しをかけているのかもしれない。
「私に出来そうなことはありそうですか?」
「ミコト様は話が早くて助かります!とはいえ、貴女が無事でいることが最善なので現状維持コースですねー」
「私の国外逃亡には手を貸してはいただけませんか?」
「そんなことした日には、ボクが死んじゃうので却下です」
思わず舌打ちが漏れたが、表情は笑顔固定なので問題ない。まあ、亡命先も保護機関もない状態で国外に行っても身の危険は変わらないだろう。だから当然といえば当然なのだが、面白くはない。
ニート生活の継続というのも、嬉しいと心苦しいで半々だし。
「そんなことより、ミコト様!ナルキス様の読まれている書籍は一体なんでしょうか?」
悩む私を気にも留めず、ギンロはキラキラと目を輝かせながら積み上げられた漫画を見ていた。まあ、商人だし気になるかと私は溜め息交じりに説明する。
「小説を絵にしたものです。絵本とは違い、情景やキャラクターの動きなどを細かく表現したものです」
「ほう!技術が凄そうですね、とても興味があります!」
「量産は出来ないので諦めて下さい」
キッパリと断ると、ギンロは目に見えて落ち込んだ。趣味がモロバレするのも、どうやって作られているのかを説明するのも嫌だし。
「なら、せめて一部をお貸し願えませんか。研究するので」
「それは無理な相談だな」
諦めきれないギンロに答えたのは、意外にもナルキスだった。
「この漫画は、私の巫女の傍でしかこの世に存在できない。よって持ち帰ることは不可能だ」
そんなことは初耳だ。驚く私に、ナルキスは当然だというような顔をする。私の聖力を元にして作られているので、一定距離から離れれば自然消滅するのだという。関心する私とは違い、ギンロは納得できないようだった。
「なら、ここで読ませてもらえませんか?」
「長居されるのはお断りだ。潔く諦めろ」
「なら、ミコト様!一晩でいいのでボクの店に遊びに来ませんか?必ずお守りしますし、店の物で気に入ったものがあれば何でも差し上げるので!」
「それも却下だ。俺の物は俺の物。一時たりとも貸すことすら許さない」
ギンロは悔しそうに頭を抱えた。流石に神様相手にごね続けることはできないらしい。というか、私の意志は無視なんですね。元から断るつもりだったので、いいんですけど。それからは、何気ない内容の話をいくつかしてからギンロは帰っていった。
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夜半過ぎ、ミコトは幸せそうに眠りについていた。運動不足が気になるからと筋トレとストレッチを行ってからなので、心地よい睡眠を堪能している。
静かな夜。
黒い靄は外より飛来して、窓をすり抜けて侵入してきた。ふわふわと綿毛のように飛んできたそれは、嫉妬や妬み、憎しみや怒りといった負の感情と多くの生贄を元にして練られたものである。
対象を呪い殺さんと、数多の苦痛の末に死を与える邪悪なものだった。
ミコトへと向かう黒い靄は、傍まで寄ると大きな口を開けるようにミコトへ覆いかぶさろうとする。だが触れる間際。一筋の銀閃が黒い靄を一刀両断し、そのまま振り払った。格の違う圧倒的な力に触れ、呪詛は一瞬で霧散していく。
音もなく刀を抜き、そして鞘へと納めたナルキスは無表情であった顔に壮絶な笑みを浮かべた。
「さて。そろそろ頃合いだろう」