9 エスコート
部屋に入って来たのは、美青年という噂にたがわない美丈夫だった。
身長は百九十を軽く超えているんじゃないかというほど高身長で、足が恐ろしく長い。程よく梳かれた藍色の髪に、切れ長の瞼から覗く紫の瞳。冷たそうな印象を受けるが、端正な顔立ちの二十代後半と思しき男性だ。
片目だけ視力が弱いのかモノクルをしていて、それが知的な色気まで醸し出している。ナルキスは人外の美しさだが、彼もまた異次元の美しさを持つ魔性だった。
ナルキスに続いての、正統派イケメンの登場。今まで培われてきた美意識が狂って、バグを起こしそうだ。
え、彼にエスコートしてもらうの?無理じゃない?
現実とは思えぬ美形っぷりが怖すぎる。私が超絶美人で、彼と並んでも遜色のない姿なら問題はなかったかもしれない。だが、現実は十人並みの外見である私だ。
脳裏をかすめるのは、過激なドルオタの餌食になる自分の姿である。物凄くチキンなハートを持つ一般人なので、まさに身も心も萎縮して梅干しになりそうだった。
「………」
私も彼を見ながら停止していたが、彼もまた私を見て目を見開いたまま硬直している。メイドたちも身動き一つせず、この場にいる誰一人として口を開かない。謎の重苦しい空気に耐え切れず、私は目線でメイド長へ救助を要請する。だが、悲しいことにメイド長は頭を下げたままだったので目が合わなかった。
「………」
なるようになれ、と自棄になった私は空気を変えるため口を開いた。
「こんばんは、ミコトと申します。今日はどうぞよろしくお願いいたします」
私の声にハッと我に返ったのか、彼は微かに体を揺らした。
「あ…失礼致しました。私はシヴァ・サジタリウスと申します。美しいレディーをエスコートできる栄誉を賜りまして光栄です」
声も低くて、声優であれば必ずイケメンキャラの担当になりそうだ。気障ったらしい台詞も、彼が言えば笑う者はいないだろう。まさに完璧すぎて、本当に人間なのか疑わしくなる。
「私も、光栄に思います」
「ドレスもアクセサリーも、とてもお似合いです。使徒さまの美しさには、誰もが目を奪われてしまうでしょう」
「あ、ありがとうございます。伯爵様も、とても素敵です」
賛辞など聞き飽きているだろうに、シヴァは意外にも嬉しそうに頬を緩めた。
「そう言って頂けて恐悦至極の思いです。ですが、どうか私のことはシヴァとお呼びください。私は伯爵の地位を剥奪された、ただのシヴァなので」
「分かりました。シヴァ様とお呼びさせていただきますね。私のことも、どうぞ名前でお呼びください」
名前で呼び合うことを了承したシヴァが、照れた様に顔を赤くする。絵画のような美しさに人間味がプラスされて、私はその眩しさに浄化されてしまいそうだ。
まあ気になるワードがあったけど。伯爵の地位を剥奪されたなんて、闇が深そうな話題を出されたが私は突っ込まない。なんで伯爵じゃないのに伯爵と呼ばれているのか、苛められているのか愛称になってるのか分からないけど黙殺する。
「ミコトさまのように素晴らしいお方に出会えたことは、私の人生で最大の幸運でしょう」
そんな大層な者じゃありません。とりあえず愛想笑いで誤魔化すが、もう何と返せばいいのか皆目見当もつかない。先ほどからの褒め言葉の数々に、私はたじろぎっぱなしだ。イタリア男性のように女性は褒めなければならないという、紳士的な何かなのだろうか。申し訳ないが押されると引く性質である。このまま褒め殺しが続くと、私の精神が摩耗しきってしまいそうだ。
こういう時、どういう反応をするのが正しいのだろう。とりあえずお礼を言っておけばいいだけか、当然のことと胸でも張っていればいいのか。だがお礼を言いすぎても変だし、当然と受け入れるだけの度胸もない。なんだか自分が何も知らない幼い子供のように感じて、恥ずかしくなってきた。
「私はマナーや礼儀作法を知りません。そのせいで、きっとご迷惑をおかけしてしまうと思います。今も沢山の言葉を頂きながら、シヴァ様にどのようなお言葉を返せばいいのか分からず…。申し訳ございません」
「何も気に病まれることはございません。ミコトさまのありのままの姿こそが、一番魅力的ですから」
思いやりのある、優しい人だ。感動しつつも、言い回しが苦手すぎて泣けるけど。シヴァは私の前で跪き、見上げてきた。私との身長差は三十センチくらいだろうか。膝をついても顔が近くて、思わず少し後ずさってしまった。
「どうか、手をお貸し願えませんでしょうか」
言われるままに、恐る恐る利き手を差し出す。シヴァはその手をそっと握り、手の甲に口づけるふりをした。ビャッっと思わず変な声が出そうになった。
変な意味がないことは分かるが、馴染みのない習慣は怖い。元の世界でも、海外ではよくある挨拶の一種だという知識はあるけれど。たしか手の甲の口づけは、尊敬や敬愛という意味があったんだっけ?この世界でも同じかは知らないけれど。
「行きましょう。ミコトさまをこれ以上独占しては、恨まれてしまいますから」
もう少女漫画に出てくるイケメンにしか見えなくなってきた。チキンハートには荷が重い。
「はい、シヴァ様。よろしくお願いします」
内心が瀕死状態であるのを、微笑みで隠す。優しく手を取られた私は、頭を下げた。
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部屋を出て、シヴァに導かれるままに歩いていく。
ビリーバーズ帝国だった時はパーティーが開かれることは日常茶飯事だったが、その際に会場となる場所はいくつかあった。なんとかの間、というようにダンスを楽しんだり食事を楽しんだりコンセプトによって分けられていたからだ。
数千人という規模が収容できるほどの広さを有しているこの王宮は、元の世界でも類に見ない規模なのではないだろうか。よく東京ドームを広さの単位とするが、この王宮の端から端まで図ったならばとんでもない数になることは間違いない。
…そろそろ手を離してくれないかなぁ。シヴァを横から覗き見るが、薄っすらと微笑んでいるだけの顔からは感情が読み取れない。強くはないが、自然と取れることのない絶妙な力加減で手を握られたまま私はシヴァの隣を歩いていた。
まあ、パーティーのパートナーといえば女性が男性の腕を抱えているイメージもあるが。歩きにくいことこの上ない。私の気持ち的に、これではエスコートされているというよりも二人三脚でもしているかのようだ。
「ギンロから、ミコトさまが使徒になる前は孤児院で働かれていた聞きました」
突然話しかけられて、私はビクッと震えてしまった。シヴァは驚かせたことを謝罪したが、首を横へ振って大丈夫だと伝える。話の続きは?とシヴァの目を見上げると、大したことではないと前置きをおいた。
「きっと子供たちから慕われる、素敵な先生だったことでしょう。やはり子供が好きだから、その職種を選ばれたのですか?」
「確かに子供は好きです。どんなに大変でも、子供たちの笑顔を見ると気力がわいてくるような気がしますし」
今では、孤児院での出来事も懐かしい思い出となっていた。毎日が小さな戦場のような大変さではあったけど。子供たちが私のために花を摘んでくれたり、歌を歌ってくれたことの感動は一生忘れられそうになかった。
あの子たちは、院長先生は元気にしているだろうか。もう悪い人に騙されず、幸せに過ごしていて欲しい。そう願う気持ちは、紛れもない本心だった。だが、そう思う気持ちは結果論でしかない。私は、孤児院で働きたくて働いていたわけではなかった。
「巫女になったのと同じ。それ以外の選択肢が、なかったからです」
シヴァが動揺したのを、繋いでいる手から感じた。訳の分からない状況になっているが、シヴァはおそらくこの事態を招いた原因に関わっているだろう。敵か味方か。どちらかはまだ判別はつかないが、私のことについて少し話しておいてもいいかなと思った。
「私は、孤児院に行く前はスラムにいたんです。食べ物がなくて、飲み水ともいえないようなものを口にしながら生きていました。とても人には聞かせられないようなことをして生き残ってきた、意地汚い人間だったんです」
俯いて話した私に、シヴァは静かに耳を傾けていた。
「運よく孤児院の院長に拾われて、その場所にいるために働いていたにすぎません。巫女になったのだって、孤児院の経営が危ぶまれていたからこそ成り行きでなっただけにすぎませんし。そのおかげで、生活はかなり楽になったので悪いことではないですけど」
シヴァを見上げ、ニコッと笑いかける。だが、彼は悲し気な痛みを堪えるような顔をしていた。
「ミコトさまは優しいお方です。孤児院での生活が、お好きだったんですね」
「そんなことないですよ。ここでの生活の方がご飯も食べられるし、王宮で生活できるなんてまさに夢のようですから」
「ですが孤児院のことを話すミコトさまは、とても寂しそうな顔をされていました」
私はとっさに自分の顔を触った。寂しそうだなんて、そんな顔をするはずがない。だって一日一食食べれるか分からなかったのに、肉体労働をさせられていたのだ。女子高生がそんなこと、好んでするはずがないではないか。結局は借金の肩に売られたようなものだし、散々である。
「ギンロが、たまたま孤児院に行くことがあったそうです。彼らの生活は昔よりもずっと良くなったそうですよ。ある貴族が支援を申し出て、子供たちの衣食住だけではなく教育面も面倒を見てあげているそうです」
その貴族は、才能のある人間を探していたらしい。勉強でも芸術でも、分野を問わず役立つ人間を探していた。今回の孤児院支援は、子供の内から才能を育てることにしたからにすぎない。善意からではないが、ギブアンドテイクが成り立つならば悪い関係ともいえないだろう。
そっか、と私は胸の内で呟いた。心にかかった重りが、少し取れたような気がする。勉強が好きな子もいたし、本を読むことが好きな子もいた。食べられる草を見つけたり、探し物を発見するのが得意な子もいた。きっとあの子たちは、立派な大人になれるだろう。シヴァは優し気に目を細めて、そんなことを思う私を見下ろしていた。
「会場まで、あと少しです。このまま二人きりの時間が続けばいいのにと願ってしまいますが」
いつの間にか足が止まっていたらしい。私は少し考えて、繋いだ手とは反対の手で繋がりを解いた。そして、シヴァの腕にそっと手を添えた。
「ふふ。そうですね。残りの時間も、エスコートをよろしくお願いします」
笑いかけると、シヴァは慌てて顔を背けた。口元には手をあてがい、耳は赤く染まっている。シヴァは見た目に反して、意外と恥ずかしがり屋なのかもしれない。自分よりも取り乱す人がいると、冷静になれるものだ。
シヴァとは、いい友達になれるかもしれない。私の足取りは先ほどまでとは違って、かなり軽くなっていた。