表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/61

2.しっぽとキスの重み。

 私は今、地下鉄七隈線・天神南駅まで歩いて15分ほどの春吉地区の二階建てアパートに暮らしている。


 香椎から警固。

 一応、通えない距離ではない。

 けれど私は篠崎さんの勧めをありがたく拝受し、一人暮らしを始めることにした。


 大学も職場も実家から通って暮らしていたので、これまでの自分から一皮剥けるためにも、ちょっと自立して生活してみたいと思っていたから。


 カンカン、と縞鋼板の階段を降りて、駐輪場から自転車を出し、私はアパートを振り仰ぐ。


 築40年ほどのアパートだが見た目は可愛らしい。

 令和になる直前に一度リノベーションの手が入っているとか。


 ここは篠崎さんが昔から懇意にしている地主さんの縁故で提供されている場所という。


「あやかしで住む奴がいたらと思って用意してんだけどな。案外皆好き勝手に自分で住処を上手に選んでくるもんだから、部屋が余ってたんだよ」


 と、入居時に篠崎さんが説明してくれた。


 道路にでた瞬間、眩い5月の日差しが頭頂部を焼く。

 私は地面を蹴り、ペダルを踏む。会社までの道のりは自転車通勤だ。


ーーー


 今日も私は今泉の細い裏路地を何度も曲がり、駐車場の脇の誰も見ないような場所にある、小さな社の前に立つ。二礼二拍手一礼すると、ぐるりと視界が反転。目の前に雑居ビルが出現する。


「相変わらず慣れないなあ……」


 一回には古風なカフェ。二階より上は篠崎さんの会社。カフェは飴色のレトロなガラス窓に覆われて、今日も開店しているのかしていないのか、よくわからない風情をしている。


 2階に上がってドアを開き、私は元気よく挨拶した。


「おはようございまーす」

「おはよう、楓ちゃん」


 尻尾をぱたぱたさせながらお茶の準備をしているのは、黒柴の姿にOLの制服を着た、もふもふの可愛い経理総務担当羽犬塚さん。事務所の鍵を開けてくれている彼女も、私のことを「楓」と呼ぶ。


「菊井って呼びたくねえから、楓」


 理不尽な篠崎さんの命令により、皆さん私の事を楓さん、とか楓殿、とか呼んでくれている。菊井は滅多にない名字だから、友達もだいたいそっちで呼んでくれてたので珍しい反応だと思う。


「井戸の嫌なこと、ねえ」


 篠崎さんの発言に対して、羽犬塚さんは意味深に笑う。

 何か知っているのかもしれないと思う。社会人になって下の名前で呼ばれるのってなんかくすぐったいけど、篠崎さんに下の名前で呼ばれるのは、嫌いじゃないから受け入れている。


「……」

「ん? どうしたの、楓ちゃん」


 羽犬塚さんが黒柴の黒黒とした、ひとの良さそうな顔で首を傾げてくる。私は慌てて首を振る。


「いえ。……霊力が溢れてた時は、なんとなく色々()()()()()いたんだなって実感しちゃって」

「視えすぎていたの?」

「はい。例えば……なんとなく掛け時計の電池残量後二週間分くらいだなーとか。昨日寺社仏閣に行って来たんだろうなとか。トナーの残量とか」

「えっ! すごいわ!! それ、事務の才能すごいじゃない!!!」


 尻尾をぱたぱたしてはしゃぐ羽犬塚さん。私は肩をすくめる。


「見えちゃいけないことも見えちゃうんですよ。聞かされてない人の秘密もなんとなく気づいたりして、それで周りに気持ち悪がられたり」

「それは大変ねえ。でもまあ、それくらい普通よ普通!」

「普通ですかね!?」

「私だって結構長生きだけど、そういう人たくさん見てきたわよ〜。大丈夫よ」


 なんだかそう言ってもらえると落ち着く。ほっとしたところで、外のモップがけに出ていた夜がオフィスに入ってきた。


「あ、いけない」


 私はタイムカードを打刻してジャケットをハンガーに吊し、袖を捲りながらカバンを机に下ろす。


「机拭き、やりますね!」

「助かるわー」


 羽犬塚さんは色っぽい大人の女性の声と、見た目の可愛い柴犬っぷりがなんとも言えないあやかしだ。彼女はこの会社の一番の古株で、篠崎さんとは長い付き合いらしい。

 机を拭く流れでふと篠崎さんの椅子を見ると、尻尾のところあたりに毛がふわふわとくっついている。


「篠崎さん……」


 背が高くて眉目秀麗。柄が悪い風貌さえも美貌の彩りに変えてしまう美男子の篠崎さん。そんな彼も、耳はふかふか、尻尾ももふもふ。

 思わず頬が緩んでしまう。そして私は、机の横にコロコロが吊るしてあるのも見つけてしまう。ああ、この職場絶対必要よね……換毛期、すごそう。


「なんだか実家の犬を思い出すなあ……」

「何が犬だって?」

「ひゃっ」


 篠崎さんが後ろから声をかけてきて、私は思わず声を裏返す。


「おはようございます、篠崎さん」


 彼の視線が椅子の抜け毛へと向かう。私が見ていたのがバレたらしい。


「なあんだよ。俺の尻尾の毛がそんなに気になるか?」


 ぱたぱた。誘うように尻尾を揺らしながら椅子に挟まった毛をむしり、篠崎さんはにやにやと見下ろす。


「すけべ」

「す、すけべってなんですか! 篠崎さんこそ」

「「篠崎さんこそ?」」


 夜さんと羽犬塚さんがこちらをじっと見る。はっと我に帰ったところで、篠崎さんがぱんぱんと手を叩く。


「ほら、朝礼だ」 


 彼にとってはやっぱり、食事でしかないのだろう。私も気持ちを切り替えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
画像の説明
【連載開始しました!リメイクのご当地あやかし異類婚姻譚です!】
身に覚えのない溺愛ですが、そこまで愛されたら仕方ない。―福岡天神異類婚姻譚

+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ