辞令
数日後
小さな下町の町工場に隣接する二階建ての小さな事務所
入り口には株式会社TOC 本社 の看板
この事務所には本社の役員全員がそろっている
会長、社長、専務、常務
会長と社長は親子で専務は社長の奥さん
そして全員が元・立花工務店従業員だ
「小鷹君、ちょっと大事な話がある。」
社長がそう告げると同時に会長と専務も立ち上がる
「え?」
幸明が雰囲気にたじろぐ
「そんなに警戒しないでいいよ。
小鷹君が入って十数年、この会社は大きくなった。
世界中に多くの事業を展開している企業の中でも上位にいるほどに。
小さな町工場の工務店から始まったなんて、うちの従業員ですらほとんど信じないだろう。
それもこれも、すべて小鷹君のおかげだ。」
「いや、そんなことは…みんなで頑張ったからこその…」
「それでも、だ。
君の働きは到底、普通の人にできるものじゃない。
我々は最初から家族経営でやってきていた。
君は新入社員で言ってしまえば部外者だった。
そんな君が誰よりも本気で、時には給料が払えなかった時も、会社の為に働いてくれた。
今の学歴社会、大手企業の取引先には高卒というだけで馬鹿にされたこともあった。
中卒の小鷹君がどれだけ罵倒され、侮辱されてきたか…私の耳に入っているのなどごく一部だろう…。
それだけこの会社に貢献してくれた君に我々は何か返したい、そう考えたんだ。」
「いえ、十分に良くしてもらっていますから…」
「君にこの辞令を受けてもらいたい。
異動命令ではあるが、小鷹君の判断に任せる。
嫌なら断ってくれていい。
私たちが考えた余計なお節介なんだ。」
「異動…
小鷹幸明
上記の者を鳳城学園 高等部1年A組への出向を命じる。
…。
学園?
高等部?
これは…?」
「4月から高校生として、鳳城学園に入学してみないか?
青春というものを我々からプレゼントさせてほしい。
3年後には高卒になれるし、その気があるなら大学も大学院も…」
「ちょ、ちょっと待ってください。
そんな先のことはともかく…
そもそも、入試とかも受けてないし…」
「推薦入試は面接のみだ。
理事長が私の知り合いでね。
小鷹君を推薦してくれるというので頼んで特別推薦枠に入れてもらった。」
会長が言う
「あ…この前の…
でも、会社の業務は…」
「それは引き続き、常務として働いてもらいたいが、そろそろほかの者にも任せてみたらいいんではないかと思っている。
これから入学までにある程度引き継いで、在学中はフォローに徹してもらう。
そうすれば、戻ってきたときに部下が育ち、小鷹君は新たな事業を展開できる。
一石二鳥だろう?」
「確かに、引き継いで別のことに集中できるのはありがたいですが…」
「まったく、これだから二人で話なんかさせられないのよ。」
専務が口をはさむ
「小鷹君、高校に行きなさい。
新しい世界、未知の世界は必ずあなたに何かを与えてくれるわ。
それに、もうすぐ三十路でしょ?
ふつうは経験できない経験なんだから、行く価値はあるわよ。
そして、何より…
私たちがあなたに恩返しがしたいのよ。
私たちは高校で出会って、青春を過ごして、それは宝物だから。
ね?」
専務がまっすぐと幸明を見つめる
「小鷹君、この辞令を受けてくれるかい?」
社長が言う
「はい。
謹んで御受け致します。」
こうして、幸明の高校生活が始まる