本部3
怖い話始めました。
‥‥‥いい加減に生きたい・・・・・
勢いよく入ってきた女性はぐるりと部室内を見渡す。男が三人しかいない。しかしその目は急に鋭くなった。ズカズカといった感じで奥まで入ってくる。
びっくりして振り返っている僕にその女性は近づいてきた。少し体を引いて畳に尻もちをついていた。それでも彼女はかまわず僕の上まで押しかかるように体を近づける。
ふわりといい香りがした。緩い胸元が目の前にあった。しかしすぐに身体を離し後ろを振り返る。
「どうしてだ! 公介なんでこんな状況でほっとくんだ!」
声に怒りが籠っている。綺麗な顔が鋭く鉄人さんを睨んでいる。部室の空気が一瞬で冷えていく。神谷さんは全く気にした様子もなく手の動きを止めない。
「そりゃ無理やろ。俺一人じゃ家についてんのか、人についてんのかも分からへんもん。いま直さんもおらへんし」
「なんで私に相談しない!」
「そないなこと言われても無理なもんは無理。アスだって今日久しぶりに学校来とんねんで」
どこまでも鉄人さんは冷静だった。どうやら僕の何かが問題らしい。
「君、ちょっと来い!」
そう告げると、この可愛らしい顔の人は僕の手を引き文化会本部に舞い戻った。中には会長が横になって新聞を読んでいる。
「新谷。場所借りるよ」
「ええよ。でも無理って話やで、公ちゃんがスナちゃんおらんと解決せーてんってさ。もう試すことは全部ためしてるさけーな」
彼女の顔が曇るのがわかった。何が何だかさっぱりわからない。しかし彼女は諦めが悪かった。
「いいか。君よく聞くんだ。君の身体にはいまとてつもなく悪い者がついてる」
「は、はぁ」
「おそらくそう簡単には取れないだろうが、このままだとおそらく君はそれほど長く持たない」
「そうなんですか?」
「私の力ではちょっと状況がわからない。だから今晩‥‥」
鉄人さんが本部に姿を現した。溜息をついている
「なんで言うかねぇ。慌てすぎやでババア」
「でも!」
「大丈夫。お墨付きや。わしが何もしてないと思うか? 直さん戻ってきてからでも大丈夫って言ってもらってる。それにおそらくアスの実家に帰らんとわからんこともあるらしいでな」
まったく会話についていけていない僕を置いて二人は神妙な顔で見つめあっている。女の人は心底心配そうに僕と鉄人さんを見比べていた。
本人を無視して話を進められ僕は、なんだかむかっ腹が立ってきていた。
「どういうことなんですか? ちゃんとわかるように話してくれませんか?」
鉄人さんが頭をかいて誤魔化そうとしているが、いらだったように頭を振った。本部のパイプ椅子にすわり僕の前に二人で並んで座る。
「まぁ直さん帰ってきてから聞こうと思ってたけど、まぁええか。ババアの早とちりでバレちまってるし」
鉄人さんは女性の顔を恨めしそうに睨む。どっちかというともっといい場面で告げる気だったのだろう。
「アス。お前にゃ犬がついとるんよ。随分長い間憑いてるみたいでな。色々悪さしとる」
僕はその言葉に冷たいものが背中に流れるのを感じた。そして心当たりも若干ある。
「犬‥‥ですか?」
「そや。狗神様や。まぁ狗式のほうやろうな。お前色々あったろ」
「ええ‥‥まぁそれなりには」
女の人に優しそうなそれでいてどこか同情するような顔が浮かんでいる。
「話してもらえる? 嫌だったらいいんだけど。なんでもちょっと気持ち悪いなって思える事とか、上手くいかなかったこととか」
僕は少し考えて、やはりちょっと気味が悪かったこともあり二人に話すことを決めた。それは僕が大きな挫折をしたこととも関係があった。それはこんな話だった。
中三の終わりだったろうか、僕の実家は農家が並ぶ古い住宅地にある。そこにサッカーの練習帰り畑や田が並ぶ中を自転車をこいでいた時であった。
冬になり陽が沈むのも早く、辺りはすっかり真っ暗だった。そこに二つ白い影が走っているのを見てしまった。最初犬か何かだと思って遠巻きに見ていたのであるが、その二匹が楽しそうにじゃれあいながら水のない田畑の中を走っているのである。結構幻想的な感じなのであるが、その時ふと違和感があった。
‥‥でかいのである‥‥。
二匹の犬は明らかにでかいのである。普通の犬のおそらく四倍くらいあったろう。遠目に見ても巨大な獣が二匹走っているのである。それに気づいたとき僕は普通に野生動物に対する恐怖を感じた。
二匹は僕に近づいたり離れたりしながら畑の中を走り回っている。そして一匹がこちらを向いた。その時右足に気色の悪い何かに撫でられたような感じがした。そしてその犬の顔が‥‥明らかに人であった。
僕は恐怖のあまり一気に自転車をこぎ家まで戻った。家に着くとボロボロと泣いている僕を母親が出迎えたのを覚えている。
「うーんなんでしょうね。こんな経験はありましたけど」
「その後、どうだった? 上手くいかないこととかが多くなったとかなかった?」
「そうですね。僕ね実は高校はサッカーでユースに行くことが決まってたんですよ。神戸のプロのあのチームだったんですけど、それが直前で無くなって、それでも県内の強豪チームに推薦で入れたんですよ。でもその後何でだろうなぁ。監督と反りが合わなくってねぇ。チームで使ってもらえなくて、結局高校でサッカーやめちゃったんです。それでこの学校に一浪で入ったんですけどね。上手くいかなかったことって言ったらそれくらいですかね」
思い出すと少し泣けてくる。すべての情熱をかけた時間が、監督の独善的な判断で否定され続けた高校生活は結構つらかった。何よりも結局僕らは選手権にもインターハイにも一度も出れなかったのである。ベンチで何もさせてもらえず、目の前で数々のチャンスが逃げていくのは僕にとっては大きな挫折だった。
鉄人さんが腕を組んで考え込んでいる。女の人は少し目に涙を浮かべていた。そんなに同情されると、こっちが気をもんでしまうくらいだった。
「おそらく、アスについとるなこれ。でもなんでここまで大事にならなかったんだろう。この前の具合が悪かったの、あれ狗神様がお前の頭噛んどったからやねんけどな」
鉄人さんの言葉に冷や汗が止まらなかった。明らかに僕に敵意を出しているではないか。
「ほらな。やっぱり直さんおらんとわからん事になるやん」
女性は深いため息を吐いた。鉄人さんがポケットから何かを取り出す。どうやら手作りのミサンガだった。
「これ右足に巻いとけ、狗神様右足にずっとついて来とるから」
「それって‥‥」
女性がミサンガを見つめ何か言おうとした。鉄人さんが口に人差し指を立てた。
「まぁ。この狗神様、他のに比べたら随分可愛らしい顔しとるし大丈夫やろ」
あっけらかんと鉄人さんが断言した。
この僕についている狗神様は、結局夏休みまで僕の右足についてきているのであるが、それはまた別の話になる。僕はこの一件で幽霊よりも生きている人の思いのほうがはるかに恐ろしいと実感させられることになるのであった。
女性が右手を差し出した。僕は反射的にその手を握った。ひんやりとしたその手は細くて柔らかい。
「私は上杉、上杉麻衣子。よろしくね」
麻衣子先輩の目は少し潤んでいる。なんだかとてもその涙が綺麗だと思って少しドキドキしてしまった。




