本部2
怖い話始めました
「スナちゃんならおらへんよ」
本部の奥にあるソファーで会長の新谷さんが、新聞に目を通しながら声をかける。
そうなのである。僕が入学から文芸部に入部し本部付きになって一月以上たってるのにもう一人の鉄人さんじゃないほうの副会長を見たことが無い。
少し奇妙な話であるが、これだけキャラクターの強い本部役員が揃っていて、しかもこの後鉄人さんの次くらい関わることが多かった「じゃないほうの副会長」の姓を僕は知らない。
いや正確には聞いていたかもしれないが覚えていないのである。社会人になって何年もたっているがいくら思い出そうと思っても思い出せない。下の名前が特徴的で皆そちらのほうで読んでいたのが理由だと思っている。じゃないほうの副会長、「暇人さん」の名前は「直線の直」で「すなお」と言った。
「すみません。いま直さんいなくて‥‥」
「そうですか‥‥いつ来られます?」
僕は会長のほうに振り向く。会長が新聞をとじて顔だけこちらを向けた。
「スナちゃん、今教育実習行っとる。今週末じゃないとおらへんよ」
訪ねてきたのは女性であった。軽く緩んだショートボブにワンピースという見た目にも華やかで、誰が見ても可愛らしい。文化会に所属する女性陣は千差万別、可愛いのも不細工のも沢山いたが、基本的にこんな可愛らしいモテそうな服は着ない。
ジーンズにカジュアルなシャツという機能的かつ貧乏学生とうスタイルか、オタクそのもののファッション。あと猛者ならばゴシックロリータなんかもいた。つまり暇人さんを訪ねてきた人は文化会っぽくないわけだ。
その方が暇人さんがいないということを聞いただけで少し暗い表情になる。
僕ももう一人の副会長の顔を見ない理由に納得した。そりゃ実習行ってたら出会うわけがない。
「そうですか。すみません」
そうつぶやくと彼女は課外活動連から出ていく。後ろ姿をぼんやりと眺めていたのだが。俯き加減の彼女の背中に何か嫌なものが張り付いているのを感じた。
‥‥悪意‥‥
彼女の首筋から右肩にかけてどす黒い悪意の塊がべったりと張り付いている。嫌なものを見て少し背筋が冷える。
課外活動連は駐輪場の奥にあったがそこに見慣れたアメリカンが止まり、鉄人さんがヘルメットを外してこちらへ歩いてきていた。
ショートボブの子とすれ違うと、むっとした顔で彼女の背中をにらむ。明らかに鉄人さんも何かを感じていた。
本部に近づき僕を確認する。
「おはようさん」
「あ、おはようございます」
「うちの学生? さっきの?」
「ええ。そうみたいです」
「いややなぁ。ああいうんは」
「見えたんですか?」
「見るな言うほうが無理や。何の用があってきてはったん?」
「なんか直さんに用があるって」
鉄人さんは底意地の悪い表情になっていた。どこか楽しそうだ。この人はトラブルが大好きでその最大級なものが心霊現象なのである。
「わかるんですか?」
「ん? まぁお客さんが直さんのほうに用があるってんなら俺はわざわざ感知せーへんけどや」
鉄人さんは暇人さんのほうに敬語を使う。
これは理由がある。暇人さんは実は年齢が他の先輩方よりも二つ上だからであった。なぜなら暇人さんという方は、一度京都というか近畿地方というか、もしかしたら日本で一番か二番に難しい大学に在籍していた経験があった。
その大学を現役で合格し、二年間在籍していたのだが何か違うというわけのわからない理由をつけて我が大学に入り直してきたのである。暇人さんの専攻は古代史であった。
変な話だが歴史学の間では日本古代史は忌避される。物的証拠も文献も少ないのが理由でやってる人はちょっと変わってる人という見方をされがちになるのだ。
昼休憩を半分近くも費やし僕は文芸部の部室に戻った。どこからか持ち込まれたのか奥にはボロボロの畳が二畳敷かれてある。
当時の3回生は3人、全員男である。部長を神谷さんといった。典型的な残念コースを歩んでいるしミリタリーと映画マニアでそういう話しかしない。部室にはモデルガンが何個か飾ってある。
文芸部らしく立派な本棚が鎮座しているが、僕よりも高齢で表紙もなくなりものすごくボロボロになった純文学の文庫本を一列どかし、そこに学園もののライトノベルがずらりと並び始めている。僕は結局一度もこの棚から本を手に取ったことが無かった。
テレビもあり最新のテレビゲーム機もある。しかし僕が文芸部に入って一番驚いたのは、執筆のためと称してパソコンが接続されていることであった。
数年前に課外活動棟が「倉庫」から「正式な課外活動棟」に昇格した時、大学がインターネットも接続したそうで、体育会本部と文化会本部、大学祭実行委員会、そして大学自治会には環境が整っていた。文芸部は文化会本部のルーターから無断拝借してネットをつないでいる。
24時間誰かがいる環境で使い放題、ある意味オタクにとっては天国のような場所といえた。しかし部活に入ったら入ったで一般学生からは「残念な人」とレッテルを張られるわけではあるが‥‥気にしなければどうということもない。
神谷さんが愛おしそうに特徴的な丸いドラムの付いたサブマシンガンを磨いていた。‥‥目が気持ち悪い。
「アス君いいだろう? 美しいフォルムだろう?」
いい加減にしてほしい。基本的に文化会にいる住人はこういうタイプが多いのである。僕はその特徴的な名字をさらに短くされ「アス」とあだ名されている。
神谷さんは確かもう三日位家に帰っていないはずだった。この人はバイト以外ではずっと部室にいる。見た目も言動も残念なことこの上ないが、実は結構良識がある。だからこそ鉄人さんから部長を引き継げたわけなのであるが・・・・。
「ええ・・・そうですね」
適当に合わせて僕は畳の上に散らばっている漫画を片付ける。昨晩酒盛りをしていたらしく瓶や缶が転がっているのを一通り片付けていると、鉄人さんが戻ってきた。
「アスちゃん授業あらへんの?」
「ええ四限目まで空いてますね」
鉄人さんはパイプ椅子に腰かけ神谷さんの前にすわる。神谷さんは変わらずモデルガンを少し汚れた布巾で磨いていた。何もない普段と変わらない昼休み‥‥。
ウナギの家のような形の部室で、奥の窓側に顔を向けて片付けをしていた僕の背中で勢いよく扉が開け放たれた音がする。重い引き戸で普通こんな派手な音はさせない。
驚いて後ろを振り向くとスタイルの良い女性が立っていた。
七分丈の細身のジーンズにディズニーのキャラがついたTシャツ、アメリカ空軍の薄手のジャケット。肩くらいまである髪を束ねて団子を作っている。赤い縁取りの眼鏡をしているが、優しそうな眼とちょっと大きめの口元‥‥。美少女とまではいかないが、十分に可愛らしい人だった。
「童貞諸君おはよう!」
「うっせぇババア! 何しにきやがった!」
「昼飯だ。公介ババアとは何だババアとは!」
インパクトのあるやり取りに僕はその女性に目を奪われていた。神谷さんはちらりとそっちを見たような気がしたが、何食わぬ顔で銃身を磨いていた。