本部1
怖い話始めました。
四月の新入生歓迎コンパから帰った次の日から、しばらくどころか一カ月近くも原因不明の熱で僕は寝込んでしまっていた。無理を押して通学したりしなかったりを繰り返し、とうとう四月の後半から実家へ帰ってしまったのである。
その年は少し長めのゴールデンウィークだったと記憶している。
実家に帰って三日ほどひっくり返っていたがだらだらと続いた体のだるさと熱が嘘のようになくなり、大学に戻ろうとしたが母親のもうすぐ連休だからいっその事休んだらいいという言葉に、唯々諾々と従って惰眠を貪ることにした。
休んでいたときに大学では『文化会フレッシュマンキャンプ』なる一大イベントが終わっていた。四月の最終日に文科系クラブの新入生を三重県との県境にある大学所有の林間施設に連れて行って、一泊二日のキャンプを文化会本部主催で行うのである。
いわゆる新入生同士の大型懇親会で、このイベントがあるため他クラブとの横のつながりが生まれるわけだ。
この行事に参加できなかったり、参加しなかったりすると少し乗り遅れたような存在になってしまう。
僕が身体を癒して連休から大学に戻ると、すでに一回生同士のカップルがいくつもできているような状態になっていた。
僕の代の文芸部は最初4人入部していた。半年後には12人になるのであるが、この四人は全員が男でコミュニケーションが中々取れない感じのやつらばかりで、当然彼女などできなかったのであるが‥‥。
不思議なもので最初目も合わせれなかったこいつらも卒業するころには、飲み会で鍛えられ人並みに喋れるようになるのである。大学生活とアルコールというのは不思議なものだ。
僕はこの日の昼文芸部の部室にいなかった。どこにいたかというと「文化会本部」という通常の部室の2.5倍くらいある文科系クラブの統括組織の本部で電話番を仰せつかっていた。
休んでいる間に本部付きという誰もやりたがらない役につかされていたのである。通常二回生がするのであるが、「本部はイタイやつが行くとこ」だのと言われているため避けがちになっているのである。
我が大学のイタイ人・残念な人のテンプレートというのが、
一回生の文化祭である行事に参加する。
二回生で本部付き
三回生で部活のどの役職にもつかないか、部長にさせられる。
四回生で本部役員入り
卒業できずに留年
という流れを経験すると誰もが認めるな残念なやつと認定していただけるのである。とくに文化会会長というのは一般学生にまでそういう目で見られるというおまけがついている。
僕に至っては一回生から本部付きという残念なやつのエリートコースに乗っているわけだった。おそらくこの認識は僕が一回生の時には暗然と存在していたと思う。
しかし僕が本部付きをしていた代は、後々考えるとこの色々な意味で、文化会ぽく無かったように思う。それは当時の会長、名前を新谷さんというのであるがこの人が会長をしていたからだ。
新谷さんは天文部の部長から文化会会長になった人だった。
そもそも新谷さんは残念テンプレートから大きくかけ離れている。まずフレッシュマンキャンプにすら参加していないそうで、ある行事にも本部付きもしていない。
鉄人さんが「俺よりもずっとやばいヤンキー」と言っていたのであるが、実際本職のほうに両足の膝くらいまで浸かり道を極めようとしていたことがあるらしい。
鬱陶しいほど面倒見がよく、常に気合いとアルコール臭が漂ったような人だった。
後々武勇伝として聞かされることになるが、部のほうではその鬱陶しい性格から日陰も日陰、外様も外様の扱いを受けていて、他クラブの同回生からも白い目で見られるようなところから部長になり、そして嫌々だったそうだが各方面から頼まれて文化会会長になったそうだ。それだけ皆に信頼されているということでもある。
まぁ嫌われるのもわかるような気がする。だって口癖が「こんな文化会は変えなあかん!」だもの。
会長が何をしたのかは何となくこの時の本部役員を見ていくとわかるのだが、十二人の役員のうち四人が天文部の人で、渉外局長と書記局長そしてもう一人の副会長がそうだった。
この人達も残念テンプレートからはずれている。
鉄人さんは同回生が文芸部におらずたった一人の部員だったため本部付きをしていたが、その他の人は企画局長と文化祭実行局の二人以外は、全員が残念テンプレートから外れた人達であった。つまり会長が信頼できる人を中心に集めていたわけである。
過去の残念な人達からは相当に不満がでたらしいが、会長とイケイケで見ていて一番おもしろかった議長の大岡さんという方二人で適当にあしらって、僕たちが入学したころには風通しもすっかり良くなっていた。
僕は初めて「俺の酒が飲めないのか!」という人を見たがそれが大岡さんだった。背が高くビックリするくらいイケメンで女性関係にだらしがなく、アルコールを水のように飲む。会長と波長が合う人で三回生の時は軽音楽部の部長だった。
大岡さんが何かにつけて本部や部に顔を出し、あれこれと説教してまわる残念な文化会の残骸どもを見つけると、すぐに酒を飲ませにかかるのである。
入学したころにはまだそういうOBが結構いたが、大岡さんの姿を見ると小さくなってしまうのである。まぁウワバミ相手にしたら体幾つあっても足りないだろう。
大岡さんは怪談エピソードこそ無いが、それ以上にエキセントリックな話の宝庫で渾名が「サタン」である。議長には副の付く方もいて、副議長を永谷さんといった。こちらのあだ名は「副サタン」。
酔っぱらうと二人とも超が何個も付くほど面倒くさくなる。まぁそれ以上に面白い人達ではあったのだが。
忘れていたが、鉄人さんの本名は青山という青山公介。みんな「公介さん」とか「公ちゃん」とか「青山さん」とよんでいた。もちろん「鉄人」と呼ばれることが一番多いのではある。
会長とサタンのの不始末をキチンと処理できる人で、常に冷静上からも下からも同回生からも信頼があつい。
この副会長にはよく来客がいた。一般の学生まで色々と頼ってくるのである。よくあるのが授業ノートのコピーでしっかり授業に出ているという変わり種だった。単位も三年の時点で卒論とその学年しか受けれない必修だけでよかったのに
「授業料無駄やん」
の一言でマックス履修していたはずである。
多い日だとそれこそ20人近くお客様が本部に来て「鉄人さんいます?」となるわけである。
しかしその20人のうち一人いるかいないか、それくらいの頻度で「暇人さんいます?」という人が現れる。
僕はこの時まだ青山さんじゃないほうの副会長を知らなかった。