白い列
怖い話始めました。
どっから話し始めたらいいだろうか?四国のど田舎から近畿地方の大学に入学した時、多少こじらせていた僕が勢い勇んで入った文芸部にとんでもない奇人がいた。まぁこの大学の課外活動棟という建物の中にはちょっとずれている人達が溢れかえっていたが、その中でもその先輩は群を抜いていたと思う。
ガキの頃から勉強もせずにサッカーボールばかり蹴り飛ばしていた僕が、大きな挫折を経験して一浪し何とか入れた私立大学。
受験で通った予備校でストレス発散のために受験戦争を戦い抜いた戦友たちとかなり語り合ったためか、その当時僕はオカルトや心霊話にどっぷりとつかっていた。実際何度となくそういう経験もしていたこともあり、話にリアリティがあったのか僕の話は評判も良かった。
大学に行くとその手の先達はそれこそ売るほどいるわけだが、そんな先輩たちの中に『鉄人』『暇人』という渾名を付けられた人がいた。ちなみに僕が入った文芸部の先代の部長で、僕が入学した時に『文科系課外活動部の統括団体の二人いる副会長の一人』というなんだかとってもややこしい肩書をしていたのが鉄人さんのほうで、もう一人の『そうではないほうの副会長』が暇人さんであった。ちなみに暇人さんのほうは天文部の会計をされていたという話。
新入生歓迎婚コンパという大層な地獄を経験させられた僕は、コンパの途中でふらりと現れた鉄人さんと共に三次会にはいかず帰路についた。話をしているとどうやら僕が借りている学生マンションは、鉄人さんの借りている一万円の一軒家というわけのわからない物件の目と鼻の先にあるという。
そういうわけで慣れないアルコールに足元がおぼつかない僕を送って帰ると言ってくれたのである。
桜の時期もとうに過ぎて寒さも和らいだころだったと思う。鉄人さんという人は結構大柄で、いつもライダースを着ているような人であった。400ccのアメリカンでだいたい誰かを後ろに乗せて通学していた。噂によると十代の頃は結構名前の知れた不良だったらしい。
大学から二駅離れた繁華街を二人でのろのろと歩いている。新入生、新社会人、新学期と何かにつけて「新」という字を用いて酒を飲む口実にしているような街になっていた。
鉄人さんは大学で近世史を学んでいて、その後大学院まで僕との関係はつづくのであるがその時はそんなことを想像もしていなかった。
「ええとこだろ?」
鉄人さんは自分のことのように言った。まだ大学に入って一週間も経っていないのに僕もなんだかこの町のことが全部分かったような気がして少し誇らしかった。
「そうですね。気取ってなくて」
鉄人さんは赤い丸がついたラベルのタバコを口にくわえながらつぶやいた。
「空には星、足の下には歴史がゴロゴロ‥‥まぁそういうことや」
ニヤリとした笑顔をこちらに向ける。歳は二つ、学年は三つも離れているが気さくな人だなと感じていた。
ふいに僕の視線の先に青白いもやが立ちのぼる。アルコールで火照った体が一瞬で覚めていくのがわかった。JRに続く商店街の一画である。僕たちのマンションは大学の最寄りの駅の方角へ一駅行った駅あったためとあえず私鉄へ向かってこの商店街を歩いていた。商店街は何件も居酒屋やBARが開いていてまだまだ人通りも多い。商店街の終わりには古くからそれこそ奈良時代から存在する池があった。
その池の反対側、池を囲む勢だまりにその白い靄が掛かっている。左手に曲がりアーケード街を抜けると私鉄へ向かうのであるが、僕はその靄が気になり足を止めてしまった。鉄人さんも足を止める。じっとそちらの方角を視認するとだんだんと靄がはっきりと象っていくのがわかった。
‥‥人だ‥‥それも一人二人ではない。煙のような人が何人も何十人も勢溜まりになっている池の対岸から右手の大通りのほうへと続き歩いていくのがわかった。
「見えてんの?」
何気ない鉄人さんの一言。僕は正気に戻された。
「見えんねやな」
鉄人さんの顔は笑っていた。
「付いてってみる?」
僕はおそらく驚いていたと思う。実際その光景が正直怖かった。思いがけない言葉に喉が渇く。
「ええやん。行ってみよや」
ずいぶん楽しそうに鉄人さんい誘われ。どうしていいかわからなかった。僕をしり目に鉄人さんはその青白い人達の列に加わった。
池を右に折れた先はまだ商店街が続いている。大通りで二車線の道路には客待ちのタクシーが数台止まっている。道沿いには居酒屋や食べ物屋の明りが道を照らしている。明るいところでは白い人達ははっきり見えないのであるが、確かにそこにいるのがわかった。
鉄人さんは笑顔を絶やさず真っすぐ歩いている。
店と店の間、ほんの一瞬の境に暗がりが生まれる。そこで真横にいる白い人の表情がはっきりと認識できた。どことなく悲しそうで救いを求めるような顔。どの顔もそんな風だった。そして彼らの間を歩いていると何とも言えず肌寒さを感じていた。
一体彼らはどこへ向かっているのかと疑問に感じたその時、商店街の真ん中に小さな四階建てのビルがあった。その先は古い旧家が続いている。ビルの一階は喫茶店かBARかわからなかったが明かりがついていて『ロフト』というシックな看板がかかっていた。
その喫茶ロフトを白い人達は遠巻きに囲んでいる。白い人達は店の前でたたずみ入口を取り囲んでいるのである。
鉄人さんがその光景を見て納得したのか踵を返した。
「帰ろや」
戻る時には白い人達はもう影も形もなかった。
池まで戻るとようやく僕は鉄人さんにつぶやくように質問した。
「あれは何だったんですか?」
「怖かった?」
「はい‥‥地元ではたまに見ましたけどああいう風には」
「百鬼夜行やね。ここは古都やから」
そういうと鉄人さんはまたのろのろと歩きはじめる。僕もすぐに彼の後を追った。駅のプラットホームに続く行基像の噴水の前で彼は煙草を道に投げ捨てた。
次の日から僕は熱を出した。新生活の最初から躓いたような気がしてやるせなかった。