その心を飾るのは - 1
減った水を補充し、携行食の状態を確認し、その日の道中で食べる分の食事を買う。
出発から10日以上が経過しているとあって、王子たちの旅支度も手慣れたものになりつつあった。街道を行けるうちは携行食も必要ないといえばないのだが、今回の橋の崩落のようなアクシデントに見舞われる可能性を考えたら、何事も備えておくに越した事はない。
睡眠はたっぷりと。朝食も時間をかけて。食後の休憩も忘れずに。
本来なら一泊で通過する予定が二泊になってしまっていても、一行に焦りはなかった。遊び呆けていた訳ではなく、やれるだけの事をしっかりやっていたなら、時間にあまり神経質になるのは逆効果である。森を抜ける手間が省けたおかげで、疲労もさほど蓄積していない。
「1!」
「2!」
「3!」
「4!」
「5!」
「点呼完了。各自、今一度所持品を確認せよ」
「はーい兄様! 忘れ物はありません!」
「……毎朝のこれ何とかならないのかね……軍隊にいる気分になってくる」
第一王子の号令のもと最終確認を終えた馬車が、カラカラと車輪を鳴らして静かに滑り出す。
村の混乱は昨日よりも更に収まっていた。交通手段を急に失ったとしても、暫くの間はそれまで行き来していた分の備蓄があるから、そうそう日常生活に支障はきたさない。事態の深刻さがじわじわと効いてくるのはむしろこれからである。今頃は、両岸の村で工事や設計の専門家を大急ぎで招集している最中だろう。
王子たちは、北の森を抜けてきた事をあえて村人に話さなかった。
真似をする者が出て遭難されては事だし、魔女もそのたび助けてはくれまい。
元の情報が村人から得たものなので、同じ情報を手に入れて実行する者はいずれ出てくるかもしれないが、それは各自の責任である。
馬車は村の門を出て、引き続き東を目指す。
この旅における最後の町に着くまでは、また当面の休憩所生活だ。
とはいえ休憩所があるという事は、環境に多少の問題はあっても移動や寝泊まりに不自由はしないという事である。
もう暫くは、平和な旅をしていられそうだった。
馬車の背後をじっと見詰めている、ひとつの視線があったとも知らずに――。
王子たち一行は、日が沈み切る前に無事その日の休憩所に到着した。
村や町に隣り合った休憩所は、基本的にどこも設備が整っており、食事の質や自由に使える水の量でも他を上回る。この休憩所もなかなかの規模と見栄えで、河から捕れる魚を売りにした大食堂を備えていた。
理由は単純に物資の輸送面である。補給ラインが安定しているというのは強い。
しかしここも移動の要である大橋が崩れてしまった今、一人当たりの使用制限や代金の値上げが起きるのは避けられないだろう。
ひとまず今はまだ深刻な影響は出ておらず、休憩所に集まった人々は酒を口にしつつ思い思いにくつろいだり、橋の件での情報交換に勤しんでいた。案外、この中から優れた解決手段を生み出す者が出てくるかもしれない。
「は? 尾行されてるって?」
そんな大食堂の片隅にある席に、ブラックローズと王子たちは集まっていた。
第一王子がおもむろに告げた事実に、第三王子が目を丸くする。
「兄様、ビコウってなに?」
「後をこっそりとつけられ、周りに人のいない場所で口を押さえて暗がりに連れ込まれ、身ぐるみを剥がされた後で殺されて片耳を切り落とされ、まだ生きているかのように偽装して家族からも搾り取る卑劣な行為です、第四王子様」
「それもう尾行の域をぶっちぎってるからな。で、確かなのか兄上?」
問う第三王子に、第一王子はああと答えると目線を食堂内の一点に向けた。
全員がそちらを見る。一行からテーブル三つを挟んだ席に、紫色のフードを被った一人の男が座ってグラスを傾けていた。背は低く、肌の状態から年齢はそれなりにいっている。足元に大きな長方形の鞄が二つ置かれ、盗難防止か鎖で結ばれているのが人目を引いた。
相手を確認すると一同は顔を前に戻し、やや声を潜めて話し合う。
「兄上が断言するなら間違いはないんだろうけど、じゃあどうするって話……待ってくれブラックローズ、その取り出した火薬をしまってくれ。
いっそこっちから切り込んでみるか? ほっとくのも気持ち悪いし……待ってくれ兄上、そっちの斬り込むじゃないから剣をしまってくれ」
「相手の目的をはっきりさせるのは賛成ですが、どう切り出すつもりです? まさかあなた尾行していましたねと聞く訳にもいかないでしょう」
「あの、失礼します。私たちを尾行していた方、少しお話をしてもよろしいですか?」
「いきましたね」
「いったな」
いつの間にか席を立っていたブラックローズが、既に男と会話を始めていた。
仕方なく王子たちも立ち上がり、ぞろぞろと男のいるテーブルを目指す。
雰囲気は、険悪だったり緊張してはいないようだ。
王子たちの接近を確認すると、男はブラックローズと話すのを一旦やめて振り向いた。いかにも貼り付けたような笑顔で、手を振りつつどうもどうもと愛想良く挨拶をする。
「これはこれは、こちらの方のお連れですかな? いやはやこれはお美しい姫君に相応しく凛々しい……」
「つまらぬ世辞は要らぬ、尾けていた理由を言え」
「はあ、尾けていた。何故そう思われるので?」
「慎重に距離を取ってはいたが、慎重すぎた。村からここまで我々の馬車との距離がほぼ変わっておらぬ。街道を使う以上目的地が重なるのは自然としても、道中、馬車を止めて休む間隔まで全て重なる筈がない」
「いやあこれはこれは。ご立派な馬車ですから休憩時間の目安にしていた、という訳にはいきませんかね。あいや冗談ですとも。ええ、確かに皆様についていかせて頂いておりました。わたくしとしては、途中で咎めて頂いても良かったのですが」
悪びれもせずに男は言う。
しかもこの口振りでは、まるで王子たちに気付いてもらうのを目的にしていたようにも聞こえる。このまま立ち話で済ませるにはどうにも不穏な雲行きを感じた為、王子たちは席を移して話を続ける事を提案し、男も了承した。
最初に王子たちが座っていたテーブルへ、男を連れて戻る。隅の席であるから、声を潜めての話もしやすい。
さて、とばかりに両手をテーブルの上で組んで、男が相変わらずにこやかに話を再開した。
「無粋な口を利くのをお許し頂けるなら、皆様は尊き身分のお方では? なんでも王都の方では、魔女の呪いを解かんと四人の王子が旅立たれたと噂に聞いております」
「そうだよ。半分お忍びみたいになってるけど、隠してる訳でもないからな」
第三王子が気楽に肯定する。
最初の村の宿では遅れたとはいえ気付いてくれたし、道中でも何人か話しかけてくる者もいた。
男は大きく頷き、思わせぶりな目をブラックローズへと向ける。
「……そしてその旅には、唯一開花した花の妖精も同行しておられるとか」
「そりゃまあ、それも別に隠してないからな」
「はい、私がその花の妖精ブラックローズです。姉様たちは残念だったけど、そのぶん私が生きなければと思っています」
「まだ死んでないよブラックローズ」
「それで、我々が王子で彼女が花の妖精であったとして、それがあなたにどう関係してくるのでしょう?」
「ええ、わたくし実は……」
「………………」
「商人なのです! それはもう素敵な品をたくさん取り扱ってございますよ!」
両腕を広げての一言に、肩に力を入れて聞いていた第三王子が前につんのめる。
他国からの密偵といった類の物々しい事実が飛び出してくるかと思いきや、ただの商売目的ですときたその落差は激しい。
商人?と第四王子が聞き返すと、男はここぞとばかりに勢い込んで営業を開始する。
「慌ただしい出立、そして馬車での旅となれば何かと不都合もございましょう。とりわけ愛でられるべき姫君にとっては、心を和ませ潤す一品も必要であるかと。いえ必須であるかと!」
「つまりブラックローズに贈れそうな品物を揃えてあるから買ってはどうだ、という事ですか?」
「いやさすがは王家の御方です話が早い!
先代の花妖精が誕生したのはわたくしが生まれる前ですが、絵でのみ今に伝えられる御姿はそれはそれは美しかったそうです。本当ならあなた様も何不自由なく過ごしておられたでしょうに、このような過酷な旅に出ねばならないとは不憫で不憫で……よよよ……」
「いいえ、私は自分が不憫だと思った事はありません。とても恵まれていると思っています。皆さん私などよりずっと苦労していて、私にお手伝いできる事なんてちょっとした後始末だけだもの……」
「ああ! そのうえ心根までもが奥ゆかしくお優しくていらっしゃる!」
ひたすら持ち上げに徹する姿勢はたいしたものだった。
実態を知っていると、恵まれているの意味も後始末の意味もまるで変わってくるのだが。
しかし商人の提案は、王子たちの間に一石を投じた。
第一王子から第四王子まで全員が、プレゼントか、と考える。ブラックローズが誕生してから、そうした類の品を贈った事は一度もない。それどころではなかったというのもあり、当人が放火ばかりしているので完全に忘れていたというのもある。
真っ先に賛成の声をあげたのは第四王子だった。
他の王子たちもこれまでを振り返った事で、賛同する方向でまとまっていく。
「僕はいいと思う! ブラックローズにプレゼントしてあげようよ、兄様!」
「……まあ、言われてみれば全然何もないってのもなあ」
「現状唯一の后候補ですからね。存在としては」
「行程に支障をきたさぬ範囲ならば許可しよう」
「あ、あのっ、私なら本当に結構です。節約旅行ですから出費は控えないと」
「まず節約旅行じゃないんだブラックローズ。あんたの心に占めてる姉さんたちの割合何割なんだ?」
「まあまあ、まずはご覧になってみては! さあさあ!」
良い流れだと読んだ商人が、足元にあったあの鞄を順にテーブルに乗せて開いた。
ビロード張りの厚い仕切りの向こうから、じゃらじゃらと重い音がする。宝石だろうか。
「そうですな、わたくしの見立てですと、お美しい姫君にお似合いになりそうなのは……ふむ、このあたりでしょう! まだまだ入手困難な新式の火薬です。従来の半分の燃焼速度で四倍の破壊効率を実現しておりまして。あるいはこちらですと……」
「顧客を見る目は確かみたいだなこの人」
「ど、どうしよう……いけないって分かってるのに、こんなの目移りしちゃう……」
「全体に黒いばかりで記録映えしませんね。こちらの鞄には宝石やアクセサリーもありますよ」
「でも宝石は燃えませんし……」
「プレゼントは燃えなくていいんだよブラックローズ」
結局ブラックローズが火薬以外の品には首を傾げるばかりだったので、王子たちはそれを買って連名で贈った。いっそ植木鉢や支柱の方がまだ興味を引けたのかもしれない。
いそいそと火薬をしまいながら喜ぶブラックローズを前に、最初に商人を燃やそうとしていた時に止めて良かったと誰もが思った。燃やしてしまっていたら、この輝くような笑顔は見られなかっただろう。休憩所ごと吹き飛んでいたという意味で。