嵐の先の暗き森 - 3
そうして進んで暫く、一行は思わぬものを発見した。
道からやや外れた脇に、伸び放題の草木に隠れるようにして、結構な大きさの小屋が建っていたのである。外見は古いが、屋根も落ちておらず壁も破れていない。この環境に放置された廃屋として見れば、保存状態は良好といえた。
手早くスケッチしながら、第二王子が呟く。
「昔、この街道が使われていた頃の遺物でしょうね。休憩所か、管理小屋か、資材置き場か……」
「ここに泊まったりしてたの? 怖そうだなあ……」
「今は使われていないから不気味に感じるだけですよ。頻繁に人通りがあった頃は、森の中に建つ小屋というのはさぞ安心できる光景だった事でしょう」
「――待て」
話しながら横を通り過ぎようとした時、第一王子が馬車を止めた。
理由を問う間もなく彼は馬車から降りると、油断なく剣を抜きながら言う。
「今、小屋の中で動くものの気配を感じた」
「まさか! だって長年使われてないんだろ? ここ」
「隙間や壊れた窓から入り込んだ獣では?」
「獣ならば良いが、逃亡した犯罪者が潜んでいては問題だ。直ちに捕縛し、手近な木に吊るすか首を刎ねねばならぬ」
「お待ちください第一王子様、何が待ち受けているとも分からない建物に入られては危険です……! ここは逃げ場がないよう建物を囲んで火薬を配置した上で火をつけるべきでは?」
「だからなんであんたは周りが燃えやすい環境で火を使おうとするんだよ」
「ま、待って兄様! 僕も行くよ……怖いけど……」
第一王子が早くも入口の扉を開けてしまった為、一人で行かせる訳にもいかないと残りの者たちも続く。
第二王子は剣の代わりに記録帳を構えて、第三王子はまあ何とかなるだろうと、第四王子はおっかなびっくりブラックローズの袖を握って。
小屋の中は表から見えていた以上に広く、奥行きがあった。家財道具は使われなくなった時に片付けられたのか、あるいは後に持ち去られたのか、机や壁にかかったロープ程度しか残っておらず、前が何の為の小屋だったのかは不明である。
だが、ここで王子たちは奇妙な点に気付いた。
あくまでも外と比べたらだが、中は比較的綺麗な状態だったのである。
がらんとしていて薄暗いものの、窓から飛び込んだ落ち葉の山が腐っている訳でもなく、床板を割って草が伸び放題という事もない。ゴミの類がほとんど見当たらないのだ。第二王子の言うように獣の隠れ家になっていたなら、これはおかしい。
入口の扉も錆で軋みこそしたが、蝶番から折れて外れるような事もなく開いた。
そう、まるで今でも定期的に使われているかのように。
その時だった、明らかな床を踏む音が聞こえてきたのは。
窓や、開け放たれたままの入口から差し込む光が、暗い室内に光の柱を作り、舞い散る埃を照らし出す。
幾筋もの光の柱の向こう側、奥の部屋の暗がりから、ひょこりひょこりと、体を左右に揺らす独特の歩様で小柄な影が歩み出てきた。
シルエットだけなら小さな子供。しかしそれは短い手足にぴんと立った長い耳、まん丸の黒い目玉と尻尾、ややくすんだ茶色の毛の上からリボンの付いたベストを羽織った、紛れもないウサギのぬいぐるみだったのである。
「だれ……あれ? おきゃく、さん……?
……わあ! お客さん、なの? おはよ……じゃなくて、こんにちは! ぼくは」
「ぬん!」
ぬいぐるみが喋り始めるや、鋭く踏み込んだ第一王子が真横に剣を振るった。
一撃で切断されたウサギの首がぽぉんと宙を舞い、床に落ちてころころと転がっていく。
頭部を失った胴体はぐらぐらと左右に一度ずつ揺れた後、ばったりと仰向けに倒れた。
「頸部を両断、活動の停止を確認。しかし血は出ない、と……」
「ちょっとおおおおおおおおおおお!!?」
耳慣れぬ女性の叫び声が廃屋内に響き渡る。
記録中の第二王子を押しのけるようにして唐突に出現したのは、なんという事か、王子たちの旅の目的である魔女その人であった。
「暗闇の魔女!」
誰かが叫んだ。
ぬいぐるみに駆け寄ろうとする足を止め、魔女は驚愕する王子たちを振り返ると目を吊り上げる。
「お前たち何やってるの!? 正気!?」
「ぬん!!」
その首目掛けて第一王子が斬り掛かる。
だがまさに刃が届こうという瞬間、見えない壁に当たったかのように剣は弾かれた。
不可視の力に初撃を防がれた第一王子は、だが眉ひとつ動かさず剣を構えたまま距離を取る。
「危ないじゃない何するのよ!?」
「城では空中にいたから手出しが出来なかった。今は間合いにいるとなれば斬るのは当然だ」
「間近に現れたからって相手が喋ってるのにいきなり斬り掛からないでしょ!? どういう頭してるのよあなた!!」
「そんな事よりも本題に移りましょう。ここにきて再び我々の前に姿を現すとは、何の意図があっての事です?」
「これ割と本題なんだけど!? そんな事で片付けないで、ってねえ何やってるのよおおおおお!!?」
魔女が第二王子との会話に気を取られている間に、ブラックローズが倒れたぬいぐるみに火薬を添えて点火していた。
天井まで吹き上がりかねない勢いで火が燃え上がった。ぬいぐるみの丸い頭とずんぐりした胴体が、たちまち真っ赤な炎に包まれる。
「なんで燃やすのよ!! というかなんで建物の中なのに火をつけるのよ!!」
「でも……こんな喋る恐ろしいモンスターが巣食っている建物は灰になるまで焼き尽くしてしまうべきだと……」
「喋る恐ろしいモンスターってそれ鏡見てから言ったら!? あつっ! これ熱っ!」
魔女は顔を庇いながら、その大きな帽子を脱いで何度もばんばんと火元に叩き付ける。
何がしかの魔法の力も込められていたのか、努力の甲斐あって間もなく火は消し止められた。
室内には焦げ臭さが充満している。ほぼ炭化してしまったぬいぐるみの残骸を前に、魔女が嘆かわしげに首を振った。
「ああもう、こんなにしちゃって……」
「魔女様……そのぬいぐるみは……?」
使い損ねた予備の火薬を元通りにしまいながら、ブラックローズが尋ねる。
「この子はね! まだここが主要な交通路だった頃、もういらなくなったからって隊商の子供が捨てていった子なの。それからだいぶ経って、たまたま見回りにきたあたしが草に埋もれてボロボロになってたのを見付けて、命と言葉を与えてあげたのよ。ちゃんと話せばその辺の事だって教えてくれた筈なのに!」
「ほう、そういった経緯だったのですか。その後は?」
「その後はこの小屋で暮らして、人の手が入らなくなった森の見回りをする役目を与えられて! 時々あたしも様子を見に……」
「ふむふむ、それで?」
「……お前さっきから帳面だけ見たままペンを走らせてるけど、ちゃんと意味考えながら聞いてる?」
「は? 記録が取れれば良いのに言葉の意味まで考える必要がどこにあると?」
「キー!!」
地団駄を踏む魔女の脇に第四王子が屈み、ぬいぐるみの燃え残りを抱き上げる。
「魔女様、これって直らないの?」
「ここまで燃えてしまったら無理よ……」
「そうなんだ……かわいそうだね」
「身内がやったのに可哀想だねで済ませるお前も割といい根性してるわね……」
といっても、やってしまったものはどうしようもない。
魔女は大きな溜息をつくと言った。
「ああもう、この子なら森をスムーズに抜ける案内だってしてくれたでしょうに。
いい? これからは行動する前に一回考えなさい。特にそこのお前とお前とお前とお前とお前。全員。ホントいい?
それじゃあたしは帰るから……」
「あの、魔女様……お帰りになる前に、私たちと馬車を森の外までお連れになって頂けませんか? 来てみたものの道が酷すぎて」
「どれだけ図々しいのよあなた!? 殺そうとした相手に頼む事!?」
「ですが、このままだと途中で馬車を放棄しなければいけない事態に陥りかねませんし、見るだけでも見てもらえたらと。馬車は外に停めてあります。こちらです」
「あっこら待ちなさい! 私は見てあげるなんて一言も……ねえ待ち……ああもうっ!!」
ぞろぞろと出ていく王子たちを追って渋々ながら小屋を出た魔女は、外に停めてあった馬車を見て少し機嫌を良くした。
「ずいぶん大きな馬車ね」
「ほとんどは積荷です。樽を積めるだけ積もうとしたら、このくらいはないと収まりきらなかったんです」
「そ、そう。こんなにたくさん持ってきてくれたの? いえ持ってきたの? 悪いわね。い、いえ謝罪の証としては当然だけど!」
抑えようとしてそのたびに唇の端が持ち上がるという表情を披露している魔女は、樽が全てワインであると信じているようだった。
全員その場の空気を読んで沈黙で応じる。
「ま、折角のワインが無駄になってしまうのも惜しいし?
いいでしょう、森の外までならこの暗闇の魔女が特別に導いてあげる。ついてきなさい」
宣言すると、魔女は道を外れて南に歩いていく。
だがそちらには、隙間を探すのも大変なくらいに、樹木と背丈のある草が密集している。
一体どうするのか、という懸念はすぐに消えた。
魔女が手にした杖を振ると、木々が一斉に飴でも曲げるようにぐにゃりと両脇に分かれて道を開けたのである。地面の窪みは、波打ちながら伸びてきた草が埋めて平らにしていく。これならば馬車が通るのにも支障はない。ブラックローズが橋で行ってみせた事と似ているが、規模が全く違っていた。
「ほらさっさと来なさい、遅れると戻った樹木に呑まれるわよ」
「はい魔女様。皆さん、行きましょう」
「はーい」
第三王子とブラックローズが馬車に戻り、第一王子が馬の手綱を取る。外の光景を見たがった第二王子と第四王子は徒歩だ。
一行は、先を行く魔女から遅れないように馬車を進めていった。
充分に魔女と距離を取れている事を確認してから、第三王子が小声で呟く。
「本人燃やす為の火薬を本人に運ばせるってどうなんだろうな」
「処刑用の穴を処刑される当人に掘らせるのと本質的には同じです、第三王子様。既に実行された例があるなら問題はないのではないでしょうか」
「ないのかなそれ」
木のトンネルにはしゃぐ第四王子の歓声が、幌の外から聞こえてくる。
まっすぐに南下する一行の前で、樹木は次々と避けては道を開け、通り過ぎれば元の姿を取り戻していく。
ある種の神聖さすら感じさせる、なんとも不可思議な光景がそこにあった。
魔女の先導により、橋を目指していた時とさほど変わらぬ時間を使っただけで、王子たちは無事に森を抜ける事ができた。
遮るもののない青空が、輝かしく一行を迎える。
北上していた時にも見えていた山が、来た時とは逆手に確認できた。
河の姿は確認できないものの、森に入ってからの移動距離から逆算すれば、たとえ離れていたとしてもそこまでではない。
南西方面に南下していけば、すぐに行き当たる筈だ。
「さ、案内はここまで。
村まで戻るか先に進むかはそちらで勝手に決めなさいな」
告げる魔女の背後で、森は既に元通りの姿を取り戻している。
橋から続く道はそのまま森の奥へ、東の方角へと続いていた。
道なりに抜けようとしていたら、途中から直に南へ直進した今と比べてかなりの時間を取られていただろう。自分達がどこにいるのかも定かではない森の中で野宿となるのも避けられず、森を抜けた後も、現在地を把握し正規の街道へ戻るのにまた一苦労していた。時間の面でも安全の面でも、魔女の助けが得られたのは一行にとって非常に大きかったのである。
「ありがとうございます魔女様、おかげで積荷も無事に運べそうです」
「……何かしら感謝されてるのにこの疲れる気持ち。
いい? いつもこううまくいくとは思わず、今後はもう少し慎重に行動しなさい。特に森の中で見境なく火を使うのはやめなさい。
それじゃ今度こそあたしは帰るから……」
「待つのだ、暗闇の魔女よ」
「次は何よ」
半ば体を黒い光に変えながら、魔女が胡乱そうに目を細めて第一王子を見た。
「いかに貴様が邪悪なる存在であろうと、為された貢献への正当な返礼は行われねばならぬ。出会い頭に首を刎ねるべく斬り掛かった事は、こうなった以上無礼として詫びねばなるまい」
「言っておくけど無礼の括りを大幅にはみ出してるからねそれ。まあ次から気を付けてくれればいいわよ……」
「それと、帰るのなら一緒にこれを持っていけ。追加の手土産にと確保したものの、思った以上に場所を取って邪魔だった」
「え、っとと、これお土産?
そ、そう、ありがとう……え、なんで二枚あるの? この小さいのは? え?」
一度移動を始めると中断はできないらしく、第一王子が手元目掛けて放った親子の毛皮と共に魔女は消えた。
再び、その場には王子たちとブラックローズだけになる。
村と町、どちらへ進むかは迷わず村に決まった。森をすんなり抜けられたとはいえ、今から先を目指してもすぐ夜になってしまう。
南へ引き返していく馬車の中で、ふとブラックローズが呟いた。
「それにしても……捨てられてひとりぼっちだったぬいぐるみに命と役割を与えてあげるなんて……。
ひょっとしたら、暗闇の魔女は皆が思ってる程の悪い人じゃないのかしら……」
「ひょっとしたらって前置き付ける程の疑問でもないというか、たった今世話になったばかりでよくそういう事が言えるよなあんた」
やがて見えてきた河沿いに移動し、一行は遅めの夕刻には対岸の村へ辿り着いた。
そこでもやはり橋の件は騒ぎになっていて、修復が終わるにはかなりの時間がかかりそうだという事だった。
しかし兎にも角にも、王子一行は対岸へ渡りきるのに成功したのである。