表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/18

はじめての村にて - 2

村と山との境界線には、件の獣が入ってこないようにする為なのか、杭を打って縄を渡した簡易な柵が作られていた。

王子たちは互いにはぐれてしまわないよう声をかけ合いながら、それを潜って林の中に入っていく。それほど奥まで行くつもりはなくても、用心するに越した事はない。


「すごいね、お城には咲いてなかった花や、立派な木がたくさんあるよ!」


余程物珍しいのか、どこにでも生えていそうな雑草にまでいちいち感動している第四王子からは、特に目を離せない。

第一王子と第二王子は困ったものだという顔で、第三王子は苦笑交じりにそれを眺めている。


「ふふっ……楽しいですか? 第四王子様」

「うん! どの花がどの名前で、みたいなのはあんまり知らないんだけどね。僕は兄様みたいに勉強や研究するのは苦手で、こうやって眺めたり植えたりするのが好きなんだ」

「まあ私の記録もほぼ趣味の領域ですので、さして違いはありませんよ」


そう呟く第二王子は、足こそ止めていないものの、山に入ってから片時もペンを手放していない。

山というよりは傾斜のある林という程度の地形で、樹影もさほど濃くないため進むのに迂回を強いられる事もないのが幸いして、山林内を歩き回るという意味では第四王子より向いていないように見える彼にも、これといって疲労の色は伺えなかった。

地面に張り巡らされた太い根につまづかないよう注意すれば、平地を歩くのと大きな差はない。ここまで楽だから、地元の人間も気軽に薬草などを採りに入っていたのだろう。


「結局全員来ちゃったな。二人は宿で待ってても良かったのに」

「えー、そんなのつまんないよ!」

「村より山の方が調査も採取も捗ります。旅の目的を考えたら留守番はあり得ませんよ」

「目的は魔女な、魔女」


気を抜くと忘れ去られる魔女に時々言及しながら、一行は進む。

しかしいくら浅い森とはいえ、ここまで進むと振り返った先にもう村は確認できない。帰り道に蓋をされたような状況は、これだけ人数が揃っていても静かな不安を掻き立てる。

踏んだ小枝が折れるか細い音も、どこか不吉な響きとなって耳を打つ。


「第二王子様、問題の獣は見付かるのでしょうか?」

「野山の獣は警戒心が強く、自ら積極的に人間には近付こうとしません。食料不足といった止むに止まれぬ事情で人里に降りてくる事はありますが、この緑の濃さからすると実りが薄い訳でもなさそうです。それなのに繰り返し姿を現すからには、偶然の遭遇とは考え難いですね。となると今回も……」

「あっ! あそこにまた珍しい花がある!」


歓声をあげて、第四王子が駆け出していく。

皆またかという顔で微笑ましい光景を眺めている中、不意に第一王子の鋭い声が空気を裂く。


「第四王子、動くな!!」


叫ぶよりも早く第一王子は地を蹴っていた。

えっと目を見開いて第四王子が振り向いた時には、もうその肩を押し退けて第一王子が立っている。


「グオオオオオオギャアアアアアア!!!」


奥の藪を割って熊ほどもある巨獣が姿を現した、と思う間もなく第一王子に斬り付けられた。

獣はそのまま、元の藪に飛び込んで逃げていく。

追おうとした第一王子だったが、数歩進んだところで藪に阻まれて足を止めた。

一旦追跡は諦めると、剣を鞘に収めながら、第四王子の手を引いて戻ってくる。


「仕留められなかった。

隣の木に邪魔されて思ったように振り抜けなかったとは。不覚」


第一王子の言葉通り、藪の近くにあった木には大きく抉れた傷が付いている。

あれが障害物となったせいで、剣は獣の肩から胸にかけてを浅く掠めた程度に留まっていた。


「躊躇なく斬りに行ったな兄上」

「咆哮と悲鳴がひと繋がりになるの初めて聞きましたよ私。

野生の獣を剣で斬るのは相当無茶な筈ですが、まあ無茶な人ですからね」

「び、びっくりしたあ……」

「お怪我はありませんか? 第四王子様」

「う、うん、大丈夫……ごめんなさい兄様……」

「確かにあれが頻繁に現れたのでは、山に入って薬草を集める気分にはなれないでしょうね。ふむふむ、体長は熊の成獣に近く……毛の色は濃い黄色で、長さは……」


第四王子の不注意をまるで気にせず、第二王子は目撃したばかりの獣の特徴を書き留めている。

さて、という心持ちで、彼を除いた四名は顔を見合わせた。

やむを得ない面もあったとはいえ、肝心の獣に傷を負わせた上に、見失ってしまったのである。

手負いの獣にしてしまった以上、このまま引き返すのは危険だった。

命を落とすほどの深い傷ではないとなれば、生き延びて凶暴さを増した獣が、今度こそ村に直接被害を出す可能性もある。

当初の予定を変更し、追い掛けるという結論を出した一行は、土や草に付着した血痕と足跡を辿りながら林を進んでいく。

やがて、王子たちは山肌にぽっかりと開いた洞窟に行き当たった。真っ暗な入口が、丸く口を開けている。入口手前の地面に、まだ固まっていない赤黒い血が線を引いていた。一同は頷き交わす。


「この奥に逃げ込んだのか……深すぎたらさすがに追えないよな」

「その心配は不要です。ほら、入口付近に生えている斜めに伸ばした櫛のような苔を見なさい。あれはどうしてか浅い洞窟付近でしか観察できず、その奇妙な法則性から探検家たちが目印に用いていた希少な種類です。まさか王都の近くで見られるとは……これは改めてスケッチしておかなければ……」

「兄上って苔ばっか記録してないか?」

「行くぞ、足を滑らせるな」


第一王子が携帯式の簡易松明に火を灯し、彼を先頭にして奥へと進む。

第二王子の読み通り、穴は深くなかった。洞窟というよりも、奥行きのある窪みという構造をしている。

進み始めてすぐに、闇の向こうから低い唸り声が聞こえてきた。

松明を向けた先、ぼんやりと照らし出された光景に誰かが息を呑む。

あの獣がいた。荒い息を吐きながら全身の毛を逆立て、今にも飛びかかってきそうに四肢を曲げている。肩から流れた血が黄色い毛を汚し、足元に小さな染みを作っていた。

その背後に、小さな動く塊があった。

親とそっくりの姿をした、しかしずっと小さい一匹の獣が。


「子供を守ろうとしてたんだね……」


第四王子がぽつりと呟く。

全員が、全ての事情を理解した。獣は我が子を守る為、一定範囲まで巣に近付く人間を追い払おうとしていたのだ。

しかし事情が分かったからといって、ではどうすれば良いのか。

獣がこの巣で子育てを続けている限り、山に入る者の安全が脅かされるのは変わらない。仔が巣立つまでの期間も不明となれば、当然その間、薬草や山菜、木の実といった山の恵みには手を出せなくなる。あの宿屋の主人のように、村人の中にはこれまでの生活を変えなければならない者も出てくるだろう。


その時、立ち尽くす一同の中から、すっとブラックローズが前に歩み出た。

先頭に立つ第一王子の横を通り抜け、尚も前へ。軽やかな足取りは、花咲く春の草原を進むかのよう。

誰かの発した制止の声には、美しい微笑を返す。

無遠慮に接近してくる人影に、獣は一層唸り声を大きくした。今にも相手の喉を食い破らんばかりに、太い牙を剥き出す。

第四王子が、悲鳴に近い声でブラックローズの名を呼んだ。


ブラックローズは――今度は振り返らなかった。

恐れもせず、逃げもせず、怒り狂う獣に向かい、穏やかに語りかけ始める。


「大丈夫よ……そのままでいいわ。怖がらなくていい……そう、いい子ね……」

「……まさか……会話してる……のか?」


野生の獣に言葉が通じるなど、普通であれば信じまい。

しかし目の前の光景は、それが嘘でも偽りでもない事を証明していた。

獣はそれ以上の襲ってくる気配を見せず、それどころか、あれほど荒かった呼吸が徐々に鎮まってきている。

逆立った毛は少しずつ寝ていき、赤く血走っていた眼から怒りが失われていく。

ひとつの奇跡に言葉を失いながら、王子たちは宿の主人の話を思い出していた。

そうだ、獣はあくまで威嚇するだけで、決して逃げ去る村人を追ってこようとはしなかった。

元より、人に危害を加えるつもりはなかったのかもしれない。

花の妖精ブラックローズ。彼女の美しき唇より紡がれる言葉は、人のものでありながら、人ではないものにも届くのだ。

その耳に、その心に。


ブラックローズがゆっくりと屈み、獣と目を合わせた。獣の目が戸惑ったように揺れて、持ち上がりかけた腕が下がる。

充分に接近したのを確認すると、ブラックローズは取り出した紙巻き火薬に手早く火をつけて放り投げた。

ヒュボウと太い音がして、たちまち獣の背後で炎が燃え上がる。

洞窟にはもう奥がない。そこに火を放たれては前に逃げてくるしかない。

ギャアと悲鳴があがった。全身を火に巻かれかけた親子が、ブラックローズの脇をすり抜けて転がるように走ってくる。


「はっ!! ふんっ!!」

「ギャアアアア!!」

「ギャアアアア!!」


突進してきた二頭の獣を、正確に二回の剣撃が斬り裂く。

邪魔な木が無かったおかげで今度はスムーズに終わった。

第一王子は倒れた獣にそれぞれ何度か剣を突き刺し、完全に動かなくなった事を確認すると言った。


「よし、害獣の駆除は完了した。速やかに帰還し明日に備え休息を」

「そうだな。お互い共存できる方向目指して説得するのかと思ってたら適正な投擲距離測ってただけとは思わなかったけどな。で、この獣はどうするんだ?」

「皮を剥いで持ち帰る。駆除の証になり、かつ魔女への手土産としても使える。なかなかの品質だ」

「喜ぶんかなこれ……」


五人で獣の手足を持って、引きずりながら洞窟から出す。

こうした作業にも慣れている第一王子が、短刀を使って手際良く親子の皮を剥ぐ。肉と内臓と骨は持ち帰れないので、洞窟の奥でまだ燃えている火に投げ込んで焼いておく事にした。

取れた毛皮はくるくると丸めて運搬しやくする。しっかりした処理は村に戻ってから行えばいいだろう。

大きな毛皮と、そっくりな毛色をした小さい毛皮が並んだ。僅かに焦げた箇所はあるが、品質に影響を及ぼす程ではない。


「この子も、こうやってお母さんと一緒にいられたら嬉しいよね」

「毛皮にされてるのに嬉しいも何もないだろ」


疑わしげな目付きでいた第三王子が、ふと気付いて辺りを見回す。


「そういえば、この二頭って母親と子供なんだよな。父親はどこにいるんだ? もしかしたら後で戻ってきて復讐を……」

「復讐なんてする思考持ってる訳ないでしょう。つがいが死んだならまた新しい雌を探すだけですよ」

「切ないな……ま、自然なんてそんなもんか。これで一件落着っちゃ落着だし帰ろうぜってうわああああああ!! あんたはあんたでなんでまた火つけてるんだよ!!」


いつの間にか解体現場から姿を消していたブラックローズが、洞窟の入口に立って中へ向かって追加の燃料をくべていた。一度は鎮火しかけていた火は前以上の勢いを取り戻し、いまや洞窟内部は赤々と輝く火の海と化している。

ブラックローズに駆け寄った第三王子が、うわっと叫んで身を引く。思わず後退る程の熱気が風に乗って押し寄せてきた。

なるほど、と第二王子が珍しくはっきりと感心を声に出した。


「仮に同種がまだ山にいれば、生態からして再びこの洞窟に巣を作る可能性があります。こうして徹底して焼き尽くしておけば、当分は営巣地に選ぼうとはしなくなるでしょう」

「にしたって燃えすぎだろこれ!!

感心してないで止めてくれよ兄上! このままだと全部燃やされちまうぞ! 貴重な苔とかが!」

「観察と記録は済んだのでもう焼いても構いませんよ。

焼け跡に新しく何かが生えてきたら、その時また記録しますので」

「駄目だこの人書き留める事にしか興味がねえ」


既に炎は洞窟の天井部にまで届いていた。離れた位置に立っている王子たちでさえ、皮膚が痛む程に熱い。

一向に衰えない火と煙は蛇のようにうねりながら、洞窟の外へ這い出ようとしつつある。


「あーあー! 若干外にまで火が広がってきてる!」

「山火事になるのはまずいな。皆、周囲の草を刈って燃え広がるのを防ぐぞ」

「あちち! 熱いよ兄様!」


火傷をしないよう距離を取りながら、王子たちとブラックローズは洞窟入口周囲の草を急いで抜いていく。

奮闘の甲斐あって、どうにか火の勢いは辺りをやや焼いただけで食い止められた。

内部ではまだ燃え盛っているが、ひとまず取り返しのつかない大惨事は防げたといって良い。

第三王子が顎の下の汗を拭う。


「結構焦げたな外の草も……危なかった……」

「草木が燃えた後には灰が残ります。それを糧として、いずれ元気な芽がこの大地に顔を覗かせるわ」

「わざわざ糧作るまでもなく元気に茂ってたよな?

そもそもどうして焼くんだよ……最初に獣を追い出す時だって、火薬ぶち撒ける以外にも方法あっただろ」

「……私には第一王子様のような剣の腕も、第二王子様のような知識と探究心も、第三王子様のような民から慕われる人望も、第四王子様のような草木への深い愛情もありません」

「いや最後のは持っとけよ花の妖精として」

「でも、私も役に立ちたいんです。少しでも、姉様たちの呪いを解く力になりたいんです! そんな今の私にできるのは機会があるごとに火を放つくらいしか……」

「折に触れて放火するぐらいなら無力なままでいいから! 君の力には俺がなるからおとなしくしててくれ!」


と言ってから、にこにこと微笑んでいるブラックローズと、ひとところに集まって自分を見ている兄弟の視線に第三王子は気付く。


「あ、いや、俺がじゃなくて俺たちが……」

「いずれは結ばれる相手だ。親睦を深めるのは構わないが、本題を忘れぬようにな」

「やれやれ、男女の仲の記録調査というのは未経験なのですがね」

「兄様、ブラックローズと仲いいんだね。僕ももっと仲良くなりたいな!」

「待ってくれ、なんですかさず全員息を合わせて既成事実作ろうとしてくるんだよ! ここぞとばかりに俺に押し付けようとしてない!?」


詰め寄る第三王子に、いやまさか、と他三名が声を揃えて言った。第四王子も言った。

風が吹き、焦げ臭さと共に危機感を運んでくる。なんとしてでも魔女の呪いを解かなければと、第三王子は改めて誓った。






毛皮を持ち帰った一同は、村人から歓声をもって迎えられた。

巣も焼いたから当分近くに住み着く事はないと伝えると、とても感謝された。山火事を起こしかけた事は黙っていた。成り行きで関わったほんの小さな事件とはいえ、王族として民の期待に報いられたのは誇らしい結果である。

留守中にようやく王子たちの正体に気付いた宿の主人が、ぺこぺこと何度も頭を下げながら謝罪と感謝を伝えてくる。

これで、この診療所も変わらず村人の健康を守り続けていけるだろう。

ブラックローズの胸に、あたたかな感動が満ちていった。


「みんな、あんなに喜んでくれてる……良かった。人々の笑顔あってこその国だものね」

「一連の経緯をまとめられましたので、私も満足です。取るに足らない事件とはいえ、賑やかし程度には……おや?」


村外れの方からわっと響いてきた声に、第二王子が喋るのを中断した。

ブラックローズもそちらを見る。声は既にやんでいた。


「何かしら? 今の歓声……」

「あー、どうも数えたら馬車に積んどいた予備の路銀がちょろまかされてたらしくて、あっちで兄上が馬丁を吊るしてる」

「まあ」


相変わらずの迅速な仕事ぶりに、ブラックローズが目を丸くした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ