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旅路の果てに - 1

「魔女様……起きてください、魔女様……」

「ふああ」

「おーい、朝だぞー」

「起きてよ魔女様ー」

「ふごご」


迎えた翌朝。日の出を告げる鳥の声はない。

全員とっくに起床し身支度を整えているというのに、前夜の深酒がたたって魔女はいまだ深い眠りの中にいた。

あられもない姿一歩手前で、何故か横倒しになった座椅子を抱いたまま床に転がり鼾をかく魔女を前に、全員途方に暮れる。

危うく捲り上がりそうなスカートを元の位置に戻しながら、ブラックローズが困ったように呟いた。


「どうしよう、魔女様が眠りっぱなしじゃ森の奥には進めないし……何か刺激を与えれば目覚めるかしら……刺激……」

「起きろ! 起きるんだ暗闇の魔女! そのあんぐり開いた口に可燃性のブツを突っ込まれたくなかったら!」

「……はっ! な、何かしら……今とてつもなく熱いのに背筋の寒くなる夢を見ていたような……」

「黒焦げの魔女にならなくて良かったね」


生存本能が警鐘を鳴らしたのか、すんでの所で魔女は目を覚ました。

痛むらしく頭を振りながら体を起こす。魔女でも二日酔いになるという事実にどこか感心している王子たちを、下半身はいまだ床に座り込んだままの魔女が腫れぼったい半目で睨み回す。


「あいたた……お前たちはほとんど飲まなかったから平気なのね。たくさんあるんだから遠慮しなくて良かったのに」

「そうですね」


第二王子が深追いはしようとせずに流した。確かに樽はたくさんある。

昨日と同じ薬草の茶と、宴会で出された料理の残り物が盛り付けを変えて朝食として出され、一同は黙々とそれを片付ける。

食事を終える頃には魔女もすっかり覚醒していた。きっとお茶を二杯飲んだからね、と頻りに王子たちへ目をやるが、やはり誰も茶には手を付けようとせず、最後には諦め顔となった魔女が全部飲み干していた。

そうこうしながらも、皆の視線はどうしてもブラックローズに集まる。唇を湿らせる程度の水しか口にしないのは相変わらずだが、今はその腕に静かに寝息を立てる赤子を抱いているのだ。出自はともあれ、見る目は今までと変わってくる。

第一王子が軽い咳払いをして聞いた。


「その子も、やはり現場まで連れて行くのか」

「現場って殺し合いやってんじゃないんだから。そりゃそうよ、赤ん坊ひとりでここに置いとく訳にもいかないし。お前たちの誰かが一緒に留守番するなら別だけど、そうするとブラックローズとの死に目……じゃない別れ目には会えなくなるわね」

「そうか……いや、道中の長さがどのくらいかは聞いていないが、負担になるのではと思ってな」

「歩くのは半日程度かしらね。母子どっちの心配してるのかは知らないけど、妖精相手に体調の心配なんてしなくても大丈夫よ。気になるなら代わりばんこで抱っこしていったら? 父親かもしれない候補その一王子」

「そうするが番号付きで呼ぶのはやめてくれ」


いろいろ心にきている顔で第一王子は言った。戦争の方がまだ気が楽そうな顔をしている。

対照的に第四王子は早く赤ん坊を抱きたそうにしているが、こちらはこちらでどこまで事態を理解しているのかが分からない。

ともあれ時間だ。魔女に促されて、王子たちは一日ぶりに家の外へ出た。昨日と変わらず飛び交う蛍の緑色の光に照らされた庭は薄暗く、さりとて暗すぎるという事もなく、時刻の判断がつきにくい。あるいは一日中、外界では小鳥の囀る朝から、月明かりの照らす夜まで、ここは何ひとつ変わらない光景であり続けているのかもしれない。

馬車の方へ向かおうとする王子たちを、魔女が止めた。


「馬は置いていきなさい。ここから先は妖精界に一層近くなる。外から来た獣だと惑わされる可能性があるわ」

「俺たちは?」

「お前たちは大丈夫よ。その体を流れる妖精の血が守ってくれるから」


では獣ではなく人でもなく妖精でもない魔女はどうなのか。魔女は何も答えなかった。考えてみれば妖精以上に最も謎の多い存在である。

おとなしく待っているよう、第三王子は馬の首を撫でた。馬は落ち着いていて、むしろ城を出てから今が一番調子が良さそうに見える。これほど清浄な領域もないだろうから、奥へ入り込みすぎなければ獣にとって最上の過ごしやすい環境なのだろう。

魔女が馬に近付き、留め具を外す。逃げてしまわないか尋ねる第四王子に、大丈夫よと魔女は答えた。

その言葉通り、馬は自由になったからといって駆け出す事もない。

足元の柔らかそうな草をのんびりと食み始めた馬を横目に見ながら、ブラックローズと王子たちは先を歩く魔女を追った。

魔女の家の裏手。途方もない大樹をぐるりと回り込んだ先は、果てしない深さの海にも似た樹海へと続いている。まるで獲物を招き入れるようにぽっかりと大口を開けた樹々のトンネルは、あの森で魔女が作ってみせたものと似ていた。

遠くから、子供の笑い声にも似た虫の囁きがちりちりと響いてくる。






どのくらい歩いただろうか。

見上げても空の断片すら伺えない森の中では、時間の感覚すら融けてしまったように感じる。


「ちょっと休憩しましょ。まだまだ先は長いからね」

「うん、僕疲れちゃった……」


魔女の提案に、口々に賛同の声があがる。

特に、これまで弱音らしい弱音を吐かなかった第四王子が真っ先に足を止めていた。馬車との交代が出来ない事を除いても、疲れるのが早すぎるように思える。道が悪い、という事もない。舗装こそされていないものの、樹木と草のトンネルはやろうと思えば馬車でも進める程だ。道が原因ではない。

心なしか、第二王子の記録を取る手も鈍っている。この森などはまさに外では決して見られない動植物の宝庫だというのに、目に付くものを書き留めてはいても、どことなくペン捌きに精彩を欠いている。

口にこそ出していないが、気が咎めているのは間違いなかった。目下の状況で、己の興味関心を第一に優先するという事に。目立った素振りを見せていない第一王子も第三王子も、内心は似たようなものだろう。

目指す旅ではなく送り出す旅という事が、全員の心理面に重くのしかかっているのかもしれない。

しかも、遺される者までいる。

とんでもない展開続きで忘れていたが、この赤子は産まれて一日で母親と別れなければならないのだ。

たとえ当人は覚えていないとしても、心情を慮り同調する事はできた。


横へ向かって伸びた大蛇のような根に、一同は並んで座る。

地面の方が落ち着くのか、第四王子は根を背凭れ代わりに使って地面に直に座っていた。草の露が服を濡らすが、不思議と染みとなった側からどれも塗り潰すように乾いていく。

周囲の何もかもが幻に思えてきた。あるいはとうに、ここは人の世界でありながら人の世界を離れつつあるのかもしれない。

こんな光景を目の当たりにすれば、かき消されていく露に自分の姿を重ねて身震いしてもおかしくはなかったものの、王子たちは一人ではなく四人で、案内役の魔女もついている。そして何より今は、自分たちの身の安全よりも気を配るべき対象がいる。こうした気構えが王子たちの不安を払拭していた。

たとえ存在としては彼らよりも強く、本来この領域に属する者なのだとしても、赤子を抱えた母親という絵の前には、狼狽える姿を見せられないという意識の方が表に出てくる。


「……あのさ、ブラックローズ」

「はい、どうしました?」

「昨日はあんまり急な展開で俺たちもついていけてない所があったのと、そのまま宴に突入しちまったから話せなかったけど、その子の事は安心してくれよ。城なら育てる環境は整ってるし、きみがいないからって不自由させたりはしないさ」

「ああ、なんの心配もない。気にせずに行くがいい」

「もう少し違った言い方はできないんですかね、私が言うのも何ですけど」

「む……」


口を挟んだ第二王子に、第一王子がむっつりと眉間に皺を寄せて考え込む。

子供は途中何人かの腕を経て、今は再びブラックローズの元に戻っていた。

干した果物を食べていた第四王子が、思い出したように言う。


「ねえ、名前は決めた?」

「あっ、そうだ名前……」


花の妖精との間に産まれた子には、父と母から名を与えるしきたりになっている。

慌てる第三王子を、ブラックローズが遮った。


「名前は、私が消えた後で皆さんがつけてあげてください。

この先皆さんは、私たち妖精と切り離された世界で生きていきます。この子もそう。でしたら、いずれ人に戻るこの子には、人としての名前を」

「……ブラックローズは、それでいいの?」

「はい。どうか私の事は忘れて、幸せになってくださいね。

王子様たちがいつかご結婚される方に、この子も可愛がって頂けたらいいですけど」

「そんな寂しいこと言わないでよー」


半べそになっている第四王子を、ブラックローズが困ったように慰める。


「存外に胸の痛むものですね、いなくなった後の話を当人とするというのは」

「ああ」


だいぶ前から、第二王子は完全にペンを置いていた。第一王子はいつにも増して口数が少ない。

魔女はひとり離れた位置の大茸に腰を下ろし、やれやれという顔で一同を眺めつつ革袋に入れてきたワインを呷っていた。






到着したのは夕暮れ間近だった。

枝と葉に覆い隠された空から時刻を推し量る事はできなくとも、ここまでの旅で培った体感が間近に迫った落日を伝えている。

旅立ちから日の入りを迎えるまでを、王子たちはかつてなく早く感じた。

時の経過を、終わりの訪れをどこか恐れる気持ちが、彼らにそう感じさせたのだろう。まだ始まってほしくないと思えば思う程、時間というものは瞬く間に過ぎ去っていく。


「これが……」


誰かが慄くように呟く。

僅かにあった疲労も、その光景を前にしてはたちまち忘れ去られる。

それは華やかな王都に暮らしてきた王子たちでさえ、初めて目にする光の饗宴であった。

鏡だ。透き通った水晶の台座の上に、光の鏡が浮かんでいる。

大きさは先だっての町で見た外門にも等しく、王都の正門にも引けを取らない。縦に引き伸ばした楕円の光が、その眩い銀光に相応しい彫金細工の枠をあてがわれる事もなく、ただ宙に浮き続けている。

世界に開いた銀の穴。森に穿たれた光の洞穴。

魔女が手にした杖を一振りすると、鏡の周囲を守るように飛んでいた赤い蛍たちがふわりふわりと散っていく。

さあ、と魔女が道を開けた。それが出発と、別れの合図だった。


「ここでお別れです。

皆さん、病気や怪我にはお気をつけて。妖精とは違いますからね、うふふ」

「ブラックローズ……」


第四王子が、泣きそうな顔でブラックローズの袖を引く。

その手にそっと自分の手を重ねると、ブラックローズは抱いていた赤子を大切そうに差し出した。

第四王子は拳で目を拭い、両手でしっかりと赤子を受け取る。もう涙は見えない。

並んで見送る王子たち。

もはや誰が父親なのかという些末な問題は頭になかった。まったく些末ではないかもしれないが。

前に立つブラックローズが、ひとりひとりの顔を見ていく。また王子たちも。


「ブラックローズ……僕、ずっと忘れないよ」

「はい、第四王子様。一緒に魔女様を燃やせなくなったのは残念ですけど、私もいつまでも忘れません」

「待って燃やすって何? え、え?」

「……ここまで共に来たというのに、あれだけ運んできた火薬も無駄になってしまったな」

「はい……申し訳ありません。許されるなら私も、第一王子様と一緒に森と棲み家と魔女様を焼きたかったです」

「あの、ちょっと、ねえ」

「あなたとの旅は、私にとってなかなかに興味深い……いえ、得難い体験でした。心から感謝致します、ブラックローズ」

「第二王子様……その記録帳に魔女様が爆殺される光景を書き留めさせてあげられなかった事が、少し心残りですね……」

「何を書き留めるの? ねえ何を書き留めさせようとしてたの?」

「俺はあんたに色々うるさく言っちまったけどさ……こうなるならあの火薬、全部使わせてやれば良かったなって思うよ。ごめんな」

「いいえ第三王子様、この森を丸ごと焼き尽くした時のようなあなたの明るさは、常に私の支えでした」

「さっきからお前たちは何の会話をしてるのよ!?」


何か怒鳴っている魔女を余所に、ブラックローズは全員との思い出を振り返り、別れの言葉を交わした。

時間だ。

ブラックローズが一歩を踏み出す。

そのたった一歩が、王子たちとの間にもう二度と追いつけない隔たりを作る。

花妖精の接近に応じて、巨大な鏡が一層輝きを増した。

まるでブラックローズに向けて腕を伸ばすかのように溢れ出した光が、薄暗い森の中に一時真昼の如き明るさをもたらす。


「あっ……待ってくれブラックローズ!」


呼び止める第三王子に、光に包まれたブラックローズが振り返る。


「そういえばこの子供どうやって育てるんだ!? 特別な食べものなんかはあるのか?」


昨晩から今朝まで、これといって何かを与えている様子はなかった。

ブラックローズは銀色の輝きと半ば溶け合いながらも美しく、そして優しく微笑む。


「心配いりません……生後二年目前後までは……だいたい水なんかに漬けておけば……球根みたいな感じで育ちますから。その後は……ええと、そう、ミルク! ミルクです! あれっ、もう離乳食でしたっけ……?」

「雑すぎる!!」

「ブラックローズ!!」


もう少し何とかしろと口々に王子たちが叫ぶが、流れ出した時間が止まる事はない。

適当にも程がある育児方法を最後の言葉として残し、ブラックローズは輝く光の向こう側へと消えていった。


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