白き町、束の間の休息 - 2
二日目は瞬く間に過ぎ去っていった。
宿の自室に戻ったブラックローズは、椅子に背を預けて今日の思い出を振り返っている。
外は既に暗くなりつつあった。階下の食堂はほぼ満員で、当分客足が途切れる事はない。来賓室に泊まっている王子たちの食事は部屋まで運ばれてくるが、第三王子や第四王子はあの雑多な雰囲気が好きだと言って、むしろ他の宿泊客に混ざりたそうにしていた。今夜もこっそり宿を抜け出そうとして、第一王子に捕まる光景が容易に想像できる。
明日は、いよいよ滞在最後の日。たった数日間で全部を見て回れる町ではなく、名残惜しくはあるが、いつまでものんびりしている訳にもいかない。無事に旅の目的を果たした暁には、また心置きなく訪ねられる日も来るだろう。
「今日は楽しかったな。明日はどうしようかしら……」
満ち足りた一日に、ブラックローズはひとり物思いに耽る。
だがその時、町の平和な静寂を凄まじい轟音が打ち破った。
建物の外で轟いた爆発音に、ブラックローズが椅子から飛び上がりかける。あまりの衝撃に、僅かに壁が揺れさえした。
急いで窓に駆け寄り、外へ顔を出して見回す。といっても、この部屋の位置からでは通りの方を眺められない。
音は遠くから響いてきたように聞こえた。それであの大きさという事は、かなりの規模だった筈だ。どこかで事故でもあったのか。ブラックローズはもう一度窓の外を伺ってから、扉を開けて部屋の外へと出た。
この階は高い部屋が集まっているとあって部屋数は多くないものの、廊下にはブラックローズと同じく、音を聞いて出てきたと思わしき宿泊客の姿がある。その中には第一王子の姿もあった。
「何事もないか、ブラックローズ」
「はい、私は何ともありません。町の中央の方で何か起きたようです……爆発でしょうか? 誓って私ではありません」
「うむ、手持ちの火薬ならこの宿ごと消滅しているからな」
じきに他の王子たちも集まってくる。
皆、一様に不安そうな面持ちをしていた。
「さっきの聞いた? 何が起きたのかな……?」
「爆発音のようでしたが、はて、この町に爆発を起こすような施設はなかったと記録されていますよ」
「第二王子様、ひょっとすると王都に反旗を翻すべく製粉所に偽装して秘密裏に稼働していた火薬製造所かもしれません。だとすると爆発事故はこの国と私たちにとって好機です、今すぐに跡形もなく関係者諸共焼きに向かうべきでは」
「あんたの個人的な願望は置いといて、どうする兄上? 確認くらいはしに行くか?」
「ああ、私が行く。お前たちは部屋で待機していろ」
「いや、これは兄上だけに任せっきりって訳にはいかないだろ。半お忍びったってうちの国の町だぜ」
結局は全員で向かう事になり、外に出た一同はまたしても驚いた。
町の上空が、一面の黒く濁った雷雲に覆われていたのだ。
空からは道に当たって跳ね上がる程の雨が降り注ぎ、ひんやりとした冷気が肌を撫でる。一同が呆然としている間にも雷が一閃し、頭を庇いながら通りを走っていた親子が悲鳴をあげた。
黒い雲の間をひっきりなしに閃光が縦横に走り抜けていく様は、世界の終わりを思わせる不吉な光景であった。
「そんな、ついさっきまで晴れていたのに!」
「あっ、なあそこのおじさん! 呼び止めて悪い、何があったんだこれ?」
「あ!? ああ、急にとんでもない雷が落ちて、中央広場にある時計塔がボッキリ折れちまったらしい!
怪我人はたぶん出てないみてぇだが、火もあがってるって話だ!」
危ないから近付かない方がいいぞと言い残して、通行人の男は駆けていく。
詳細を知った王子たちは顔を見合わせた。
「どうする……?」
「放っておく訳にはいかぬ。私は様子を見に行き、必要ならばそのまま救援に加わる。お前たちは今度こそ宿で待機していろ」
「いえいえ、そういう訳にはいかないでしょうこればかりは。善良な民に実害が出ているとあっては。私の体力ではたいして役には立てないでしょうが、部屋でただ待っているというのはこの国の王家の者として無しです」
「僕も行くよ! 行っちゃ駄目って言われても行くからね!
ぼ、僕だってケガしてるかもしれない人を誘導するくらいはできるし……何もできなくても見ておかなきゃ!」
「ま、そりゃそうなるか……みんな仲良く風邪で寝込むなんて事になったら笑えないんだけどさ、こればっかりはなあ。
よし、パッと行ってパッと終わらせようぜ。ちゃんとした人手が集まってきたら任せる方が正しいから、それまでは俺たちも……」
「その必要はないわ」
まるで先程の轟音のように、唐突に声が降ってきた。
この声も、そろそろ聞き覚えのあるものになりつつある。が、思ってもいなかった時に聞くとやはり驚く。
当たり前のように宿の庭先に佇む魔女は、振り返った一同の視線を意にも介さず、やや細めた両目で暗い空を仰ぎ見た。
「……もうこの辺りにも影響が出始めるなんて、思ってたより進行が早いわね。
やっぱり一人とはいえ消耗が続くのには変わりないからかしら」
「暗闇の魔女!」
「しー。静かにしなさい。あんまり騒ぐとお前たち以外にも見えちゃうでしょ。
それからお前はその懐に入れた手を出しなさい今すぐ」
にじり寄ってくるブラックローズを牽制しながら、魔女は落ち着き払った口調で言った。
第一王子が油断なく剣を構えて問う。
「この天候は貴様の仕業か。時計台を砕いたというのも」
「違うわよ。信じるか信じないかはお前たち次第だけど、あたしは様子を見に来たの。この程度なら空もすぐに収まるわ。今はまだ、ね。あ、時計台の方はほんとに怪我人出てないから安心していいわよ」
「すぐに収まるって感じじゃないぞ、これ」
「半日から一日くらいは荒れるでしょ。この町は救援体制も整ってるから大問題にはならないわよ。よっぽど酷い事にならない限りは、あたしからあんまり過剰な干渉もしたくないし」
「……どうも何かを知っているようですね、あなた」
問いかける第二王子に、知ってるわよと否定もせず魔女は答えた。
両の視線をいまだブラックローズに注ぎながら、この雨の中にいて濡れもしていない魔女は続ける。
「本当はお前たちが来るまで待つつもりだったんだけど、あたしの見通し以上に消耗が激しいみたいだから予定変更して出てきたの。
ほら、ついて来なさい。部屋に置いてある荷物があるなら取ってきて。あ、馬車も出せるようにね。それ肝心だから」
「ついて来いって……どこへだよ?」
「来れば分かるわ。そうね、お前たちの行くべき場所ってとこかしら」
そう言うと魔女は杖を横に一振りし、それから続けて縦に二度振り下ろした。
すると、何という事か。杖の軌跡をなぞるように空中に線が走り、黒い四角形の穴が出現したのである。
魔女が現れる時の黒い光をそのまま四角形に引き伸ばしたような、真っ黒な穴。大きさは、王子たちの馬車でも余裕を持って潜れる程。
まるで、空中にぽっかりと空いた洞窟の入口のようだった。他には何もなく、ただ向こう側の見えない穴だけが宿の庭に直立している。
異様な光景だった。にも関わらず騒ぎにならないのは、先程言ったように魔女が何らかの細工をしているからだろう。
「早くしなさい、維持したままでいるの結構疲れるんだから」
入れと魔女が促してきても、誰も動かない。
それはそうだ。大切な花妖精の蕾を呪った相手が作った、得体の知れない入口においそれと飛び込めるものではない。
激しい雨が全員の服を濡らしていく。停滞を破ったのはブラックローズの一言だった。
「皆さん、ここは信じてみてはどうでしょうか」
「ブラックローズ?」
「安全って言い切れる根拠はありません。
でも今までの印象から、暗闇の魔女様には、私たちを騙して罠にかけるような頭はないんじゃないかって思うんです」
「頭はないじゃなくて気はないとかつもりはないって言いなさいよ!」
「ごめんなさい、まだうまく人の言葉が使えなくて」
「もうだいぶ経ってるわよね!?」
怒った魔女の動きに合わせて杖が揺れるたびに、黒い扉の輪郭もぶるぶると変動した。ますます見ていると不安になる。しかしブラックローズが言うように、ここで魔女が王子たちを罠にかけたとしても、何の得もしないのだ。それなら森の時に放っておけば良かったのだから。
町の異変を感じ取って様子を見に来て、怪我人はいないと教えてくれてまでした魔女を信じてみる価値はあるように思える。
「荷物は私と第四王子が取りに戻りましょう。宿の者にも一旦出る事を伝えてきます。兄上はここを」
「応」
「じゃ、俺は馬車をやる。荷物よろしくな第四王子」
「うん、任せて兄様」
第一王子をその場の守りとして残し、第二王子が第四王子を連れて動いた。
間もなく、各部屋から回収してきた全員分の荷物を抱えて戻ってくる。
その間に、第三王子が宿の厩舎から引いてきた馬車の準備を済ませている。
手伝ってくれた馬丁は、こんな大雨の中に出ていくのかと何度も確認してから去っていった。
魔女や扉には一言も言及しない。やはり見えていないようだ。
「忘れ物はないわね? それじゃ行きましょ」
全員揃ったのを確認すると、まずは魔女が黒い入口へ消えた。
王子たちは顔を見合わせて小さく頷き合い、まずは第一王子が。次に第二王子と第四王子とブラックローズが。最後に第三王子が、馬車を連れて入口を潜る。橋の時には若干の怯えを見せていた馬も、特に抵抗する事なく前へ進んでいく。
全員がその場から消えると、袋の口を閉じるように黒い扉は絞られていき、やがて点になって消えた。
すぐ前の通りを駆けていた者も、窓から豪雨の庭を見ていた者もいたのかもしれないが、誰一人それに気がつく事はなかった。
視界が暗闇に閉ざされるのは一瞬だった。
例えるなら瞼をぎゅっと閉じてまた開いたような断絶が過ぎると、冷たいくらいの清涼な空気が全身を包み込む。
舗装された道路とは違う柔らかい土を踏む感触への違和感よりも先に、目の前に広がった光景に王子たちは驚かされた。
雨は止んでいる。いや、ここでは最初から降っていなかったのだろう。
森の中にぽっかりと空いた巨大な空洞内を、飛び交う蛍の燐光がぼんやりした緑色に照らしている。
空間の向かって左手には小さな畑があったが、茂っている花はどれも見慣れない、奇妙な形をした種類ばかりだ。袋を逆さまにしたような形の花が、近くに来た蛍の動きに合わせるようにして、ぱくり、ぱくりと花弁を動かしている。
奥には、ひときわ巨大な樹木。一体どのくらいの樹齢を経ているのか想像もつかない。
その手前に、小ぢんまりとした家が建っていた。樹のうろを利用しているのだが、半ば大樹に飲み込まれかけているようにも見える。突き出した細長い煙突が一角獣の角のようだ。玄関扉の横の壁に寄り掛かっていた暗闇の魔女は、唖然とする一同を見渡すと言った。
「とりあえずはようこそかしら。ここがあたしの家よ」