Case1:第一王子の場合
宿の庭を出ようとしていた第一王子に、ブラックローズは追いついた。
「第一王子様!」
広い背中が立ち止まり、振り向く。
帯剣こそしているものの武装を解いている為、別人のようとまではいかなくとも、普段とは全く印象が違って見えた。
「ブラックローズか、どうした」
「姿をお見かけしたので声をかけました。あの、どちらへ?」
「必要な物資の買い出しだ。今日中に済ませておきたい品物も多いのでな」
「第一王子様お一人で、ですか……?」
「問題ない、軍で一通り経験して慣れている。故に私が行うのが最も早い。
この町に来ている数も多く、店の場所も把握しているからな」
必要な品物と店の場所が記されているのであろう革張りの小さな帳面を、第一王子は繰ってみせた。
どことなく第二王子を思わせる仕草だった。軍人と文官では方向性が正反対だというのに、ふとした拍子に、何気ない仕草に共通点が浮かぶ。
やっぱり兄弟なんだなと思いつつ、それならとブラックローズは申し出る。
「私もご一緒させてください、第一王子様。
荷物持ちくらいでしたらお役に立てると思います」
「君が? しかし……」
「ご心配なく、これでもそれなりに頑丈なんですから!
それに、単純な疲労なら私が皆さんの中で一番少ないですし」
「……そのようだな」
そこに何を見て取ったのか、ブラックローズを暫し凝視していた第一王子は、やがてふっと視線を和らげると言った。
「では行こうか。町を半周する形で順に回っていく」
「はい!」
ブラックローズは、第一王子の後について通りを行く。
まだ早い時刻だが、既に多くの店が門を開けていた。人の往来が盛んな町だけあって、宿を出ようとする人々に向けてだろう。
遅くまで呑気に待っていたのでは、絶好の商機を逃す事になってしまう。
二人がまず初めに訪ねたのは、旅行者用の糧食を取り扱う店だった。
一日分の小さな包装から10日分近くをまとめた団体用のものまでと、量でも種類でも商品の幅は広い。
聞けば、こうした店は大抵がどこかしらの宿の近くに店を構えているという。
個人の旅行者から大規模な商隊まで、どんな旅人であろうと必ず立ち寄る店にしてみれば、宿泊所に近いか否かは客入りに大きな差が生じる死活問題なのである。
てきぱきと無駄のない動きで商品を積み上げながら、第一王子はそのひとつひとつを指差してブラックローズに説明する。
「一口に保存食と言っても、その種類は多岐に渡る。
よって乾燥した日持ちの良いものと、早めに食した方が良いものと、用途別に分けて買う。城から持ってきて古くなっている分も入れ替えねばな」
「第一王子様、このレンガそっくりな塊は何ですか?」
「水で戻す粥だ。最悪そのまま口の中でふやかす事もできる。携行性ではかなりのものだ」
「買わないんですか?」
「……携行性だけだ」
「……まずいんですね」
食料店を出てからも、店巡りは続く。燃料、寝具、薬……旅をする上で必要になってくる品はとても多い。
だが手荷物の数は、訪問数と比較してさほど増えなかった。第一王子が、注文品をほとんど宿に届けてもらう形にしたからだ。おかげで、今に至っても荷物は膨れた紙包みがひとつだけ。ブラックローズに至ってはずっと手ぶらである。
「もしかして、気を使って頂いてます?」
「……さてな」
素っ気なく答えてから、思い直したように第一王子は付け足す。
「いや、私のこういう所が良くないのだろうな。確かに気を使っている。
私もその程度の教育は受けているという事だ。無論、当初の予定通りに届けさせた分もある」
「ふふ、ありがとうございます」
「礼を言われる程でもない。それよりも次だが……。
おそらく、君の興味を引く場所ではないと思われる。私と別れ、別行動に戻りたいならそれで構わない」
「そう仰らずご一緒させてください。私には、この町のどれをとっても珍しいお店なんですよ」
「……装備屋でもか?」
そう呟いて第一王子が立ち止まった店の看板には「装備一式。調整承ります」と書かれていた。
「剣と短剣を見てくれ。緩み等があれば全て任せる」
第一王子は応対に出てきた店主らしき男に手持ちの武器を預けると、勧められた椅子に座って腕組みし目を閉じた。
薄暗い店内には、所狭しと金属製の篭手や革製の鎧などが陳列されている。安全性の為か、手に取れる場所に武器は無かった。
一体どこで使うのかも不明なタワーシールドを物珍しげに眺めているブラックローズに向かい、第一王子は言った。
「点検及び調整の完了までには時間を要する。やはり面白くないというなら……」
「いえ、ここで待ちます。それに新鮮で楽しいですよ?」
「そうか……」
第一王子は再び押し黙った。
二人の他に、客はいない。店内は数の多い金属よりも、艶のある革製品の匂いが強く漂っていた。
確かに女性連れで遊びに訪れる場所ではないのかもしれないが、必要品の買い出しで立ち寄ったなら取り立てて不自然でもない。
だが彼なりに思う所があるのか、第一王子はこの店でブラックローズを待たせる事を多少気にしているようだった。
「……ここはもう何度も世話になっている店でな。
王家の宝剣であろうと問題なく任せられると、私は考えている。
我々軍人にとって装備品の状態は生命に直結するからな、信頼できる職人は何にも代え難い存在だ」
「第一王子様は本当に強いですよね。
私たちが安心して旅を続けられるのも、第一王子様がいつも守ってくださっているからです」
「必要な強さなのか、と思う事はあるがな。
罪人はいる。おかしな獣や魔物が時折各地に姿を現す。
しかし言ってしまえばそれだけだ。わざわざ国で大食らいの軍を抱えている必要などないのではないか、とな」
「第一王子様、そんな事は……」
「だが、今は必要なくともいつか必要になる時が訪れるかもしれぬ。
そういった時に、民を守る力がなかったでは済まされんのだ。
そんな来てはならない日が来ないよう祈りながら、来てしまった時の為に我々は日夜励んでいる。……不毛な話、ではあるがな」
「既に王の目をお持ちなんですね、第一王子様は」
「ただの心配性だ」
話が途切れるのとちょうど入れ違いに、奥の作業場から店主が顔を覗かせた。
「ほとんど問題はございません。これならそう時間はかからず終わりますよ」
「そうか」
「それにしても、今日はよくお話しになられますねェ。いつもは部下の方がいてもずうっと黙ってらっしゃるのに」
「そうか……?」
実に珍しいものを見たとばかりにゴワゴワの髭面を綻ばせる店主に、自覚がなかったのか第一王子はやや首を捻る。
思いがけない仕草を見たブラックローズが可笑しそうに笑い、取り扱う品には似つかわしくない華やいだ空気が店内を満たした。