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 真夜中の森に、三人の子どもたちがかくれていました。

 みな、十をこえるかこえないかの男の子たちです。

 三人は日の暮れるころ、夕闇がちょうどあたりを一番みえにくくするころあいをみて森にはいりました。

 空にはちいさな銀の月がでていましたが、森の中にはいくすじかの光がとどくのみです。闇になれた目に、どうにか周囲のもののりんかくはわかりましたが、ほとんど真っ暗でした。

 けれど三人は、誰にもみつからないように明かりももたず、しげみのかげにじっとしゃがみこんで、森の入り口をみはっていました。

 三人のうち、いちばんちいさな男の子がいいました。

「ねぇ、まだかな」

 泣き出しそうな声です。だってすぐとなりにいるはずの友達の顔さえみえないのです。これまで我慢していたことが奇跡といえるかもしれません。

 ヴァンは手さぐりで小さなステファンの背にふれると、ぽんぽんとかるくたたいてやりました。

「だいじょうぶだ。おれがついてる」

「……」

「だいじょうぶだって。それにもうすこしのしんぼうだよ」

 ヴァンのことばに、しかしステファンはうつむいたままです。さっきから、もうすこし、もうすこしと、ヴァンはそればかりでした。

 自分でもおなじことばをくりかえしているとおもっていたヴァンは、ステファンにばれないようため息をついて、こんどはべつのことを口にしました。

「こわいかい?」

「……うん」

 すぐにかぼそいうなずきが聞こえました。

 ヴァンはくすりともらすと、なるべく明るい声をだしました。

「そうだよな。おれだってこわいよ。こわくてふるえてる」

 ステファンがびっくりしたように顔をあげる気配がありました。ヴァンはステファンにつたわるようおおげさにうなずいてやります。

「うん、こわいよ。ほんとうさ。おれだけじゃない。こいつだってこわくてたまらないんだ」

 次の瞬間、「ふわっ」とあわてた悲鳴がきこえました。

 ステファンの反対側にすわっていたもう一人の少年シィンです。ヴァンがシィンのうでをつかんで急にひっぱったのです。

 ふだんのシィンからはかんがえられないような高い声でした。よほどおどろいたにちがいありません。

 ヴァンとステファンはおもわず顔をみあわせ(といっても暗闇でおたがいの顔はみえませんでしたが)、クスッとわらいをもらしました。

 それを耳にしたシィンがブスッとむれるのが気配でわかります。それがさらにわらいをさそいました。

 シィンはますますむくれたようでしたが、ヴァンもステファンも、シィンがほんとうにはおこっていないことをしっています。シィン自身も、ふたりの、とくにステファンのためにわざとふくれっつらをしたようなところがあります。

 ヴァンたち三人は、孤児院のなかまでした。そのなかでも、とくに仲がよく、おたがいを本当の兄弟のようにおもっていました。とりわけヴァンとシィンは、いちばん小さなステファンを守るのは自分たちの役目だとかんがえていました。

 だからこんなときは、ステファンを元気づけられるようなことならすすんで、ちょっとおおげさなくらい反応してみせるのです。

 もちろんヴァンはいちばんの兄貴分でしたから、シィンのことも守ってやろうときめていました。

 ほう、ほう、とどこからかフクロウの鳴き声がひくく、とおくきこえてきます。この森にいきものはいないはずなので、きっと町の東の森でしょう。

 少年たちがだまると、夜の森はしずまりかえり、ずっととおくの音さえつたわってくるのです。

 やがて、その声もきこえなくなりました。

 沈黙になれたころ、ふいになまぐさいような土のにおいをかんじました。地面にすわっているのですから土のにおいがするのはあたりまえです。けれど、その濃さが急につよまったような心地がしたのです。からだをはいのぼってくるようないやな気配です。

 いつのまにか、さわさわ、さわさわと葉ずれの音が森の奥からひびいていました。風はありません。ただ小さな音だけがこだまします。

 とおもえば、つめたい空気がほおをかすめ、ぞくっと体がふるえました。みえない手に、いきなりつかまれたようでした。しかし、それは一瞬のことで、いつのまにか森はふたたび静まりかえっています。

 そうしてまた、足元からひたり、ひたりと土のにおいがはいあがってくるのです。


 ――クルアの森には魔物がすんでいる。


 町のだれもがしるおとぎ話です。

 昼間はただの森のようにふるまいながら、日がくれるにつれ闇がけぶり、そのいちばん奥に闇よりもなおくらい影がたまりはじめます。

 影はすこしずつあたりの木々をそめていきます。影に支配された枝葉はざわざわとうごめいて、ちかくの生き物におそいかかるのです。ありえない長さまでのばした枝をむちのようにまきつけ、獲物の全身の血をすいとります。ひからびた体は、根と根のあいだに生えた歯でたべられてしまいます。

 むかしはクルアの森にも鳥や獣といった生き物がいたといいます。けれどいまでは虫の音ひとつきこえません。もっとも濃い暗がりにひそむ魔物は、だからもうながいことお腹をすかせているのです。

 いうことをきかないとクルアの森においてくよ。

 わるい子にしているとクルアの魔物がさらっちまうよ。

 町の子どもは、みな親にそういわれてそだちます。だから大人になって、こんどは自分が子どもに同じことをいうばんになっても、どこかびくびくしたちょうしがまじります。大人のそんなようすは、かえって子どもたちをふるえあがらせることになりました。

 そうして、町の人間でクルアの森に近づこうとするものがだれひとりいなくなってから百年がたつといわれています。

 森の奥からりゅうとかぜがふきました。

 さびた鉄のようなにおいに、ほんのすこしあまいかおりがまざっています。

 その正体をなんとなくしっている気がして、ヴァンたちはぎゅっとマントをひきよせました。

 クルアの森には魔物がすんでいる。

 おとぎ話のはずなのに、なぜか背筋をぞくっとさせるものが、たしかにこの森にはありました。

 ヴァンたちだって、できればこんなところ、きたくなんてありませんでした。

 ただでさえ夜の森は真っ暗です。

 おたがいの顔さえみえない闇のなかで、ヴァンたちはみな、ふみとどまるために、ありったけの勇気をかきあつめなくてはなりませんでした。

 それに、いまではもうひとつ、だれもこの森に近づきたがらない理由ができているのです。

 ヴァンはおそろしさをかきけすように頭をふると、弟分によびかけました。

「シィン、あとどれくらいだ」

 すぐにごそごそ身うごきする音がきこえました。やがてカチンという小さな音とともに小指のさきほどのちいさな、ほんとうにちいさな、あわい光がうかびあがりました。

 シィンが首からさげている時計という道具です。

 手のひらにおさまる大きさの箱にぜんまいでうごく針がついていて、箱のふちには十二個の数字がきざんであります。針がその数字のどこをさすかで時刻をしることができるのです。

 ヴァンたちは一日が十二個もの時刻にわけられているなど、まったくしりませんでした。大人たちだって時計などもっていません。王都とか、もっとうんと大きな町へいけば、つかう人間も多いとききました。

 時計がなくても生活にこまりはしませんが、たしかに時刻がわかるのは便利です。とくにいまのような場合には。

 シィンのもつ時計は、針が蛍光石でできた特別なもので、暗い場所ではぼうっと光をはっしました。目盛りまではみえませんが、シィンはそれぞれの数字の位置を正確におぼえていて、針さえみえれば時刻をよみとることができました。

「あと十五分」

 短いこたえがかえります。

 ヴァンはうなずき、腰につけた荷袋から小瓶をとりだしました。

「シィン、ステフ、手を」

 蓋をあけると、ヴァンは手さぐりで二人の手をひきよせ、瓶の中身をすくわせてやりました。ヴァンが先生からゆずりうけた三つの薬のうちのひとつです。

 自分もひとすくいすると手のひらでのばして、両のまぶたにうすくぬりつけました。すぐにじぃんとしてきます。

(いち、に、さん……)

 まぶたを手でおさえたままゆっくり十秒かぞえます。かぞえおわるころには、じぃんとした感じはなくなって、すっと冷たいような気持ちがしていました。手をはなして、けれど目はつむったまま、今度はゆっくり三十をかぞえます。だんだんと冷たさもきえていきます。

(……二十八、二十九、三十)

 ヴァンはそっとまぶたをひらきました。

 目の前には、青い光の世界が広がっていました。

 地面からつきだした根、木の幹、下生えの葉の一枚一枚。みあげれば、頭の上にひろがる枝のひとつひとつ。その輪郭や葉脈が、青白い光でえがかれたように夜の闇に浮かびあがっていたのです。

 それはシィンのもつ時計の針の光とにていましたが、もっとずっとはっきりしていました。ヴァンの視線のうごきにあわせて、ひかるところ、ひからないところがいれかわります。ヴァンがみている中心のものはしっかりと形をうかびあがらせ、視線をはずすと、はずした先から闇にきえていきます。まるで森全体が脈うっているような不思議な光景でした。ついさっきまで何もみえなかったというのに、いまでは十数メートルはみとおせます。

 ヴァンはきちんと視えるようになっていることを確認すると、二人の弟分へ目をむけました。二人の顔も、青白い光でふちどられています。

 目があうと、シィンはにやっとわらい、ステファンは歯をくいしばったようにうなずきました。

 ヴァンは小瓶をしまい、もういちどシィンに視線をおくります。

「送り鐘まで、あと五分」

 シィンがこたえます。

 送り鐘は、その日に死んだ罪人の死体を獄吏がはこびだす合図でした。

 シィンが時計の箱を閉じるかわいた音がしました。

 三人はもう一度うなずきあうと、マントを頭からかぶりなおし、口に布をつめこみました。けっして声を立てないための用心です。

 クルアの森には魔物がすんでいる。

 いまではもうひとつ、だれも近づきたがらない理由ができています。

 おとぎ話が真実であれつくり話であれ、だれも近づかず、だれも所有したがらないこの森は、いまでは死刑囚の死体をほうむる場所になっていたのです。

 ヴァン、シィン、ステファンの三人は、獄吏が死体をはこんでくるのをまっているのでした。

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