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私の心は金の波  作者: 日野真春
番外編2-昔話と後日談ー
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5







お嬢様が特注させたカンテラは置きっぱなしなのに、部屋の主は不在だった。作業用のそれではなく、ごく普通の手燭とともに、庭に向かえば、案の定、ジルは花壇の前に座り込んで背中を丸めていた。


 目の前には、何もない。ぽっかりと空いた場所とむき出しの土が、つい昨日までの面影を匂わせているだけ。

 灯りが影を作り、ジルが振り返った。


「……薬草師様」

「風邪をひきますよ、とあなたに言っても、あまり意味がありませんね」


 頑丈さだけが取り柄だと自慢していたことを引き合いに出せば、微かにジルは口元を上げた。だが、目の奥は暗く沈んだままだ。

 大きな手が、土を掘る。掘り返されたばかりでやわらかく、あっさりと手首まで沈んで、大きな穴が出来た。


「……黄色いバラは、お嫌いなんだそうで」


 誰が、と聞き返す必要もない。植わっていたのは、オリヴィアの好きだった花だ。彼女が、かつてジルとともに手ずから植えて、水をやって育てた。


「またお嬢さんに……言えねえことが出来ちまった」


 土から抜いた手を、無造作にズボンで拭ったジルが、いけねえ、と慌てて手を止める。


「まぁたやっちまった……怒らねえでくだせえよ、つい癖で」

「次からでいいですよ」


 恐らくは、きっと同じことをするだろう。だが、必死に取り繕おうとするジルに、掛ける言葉がそれしかなかった。はは、と乾いた力無い声に、そっと目を細める。

 オリヴィアが、学園へと行って二年。変化は至る所にあった。

 庭師の自慢の花は、半分があえなく失われた。温室のハーブも然り。薬草師は、このところ不調を訴える奥方の相手ばかりをしていた。


 数多い使用人達は、決して一枚岩ではない。立場を利用して奢る者、弱者の振りをして寝首を掻く者、はたまた、さらに小さな集団を作って他を排斥する者。様々だ。

 つまらない足の引っ張り合いは、珍しくない。だが同時に、ゆるくつながる連帯感も確かにあった。特に、無慈悲で一方的な搾取があれば。


 それでも、以前よりは事態を楽観できるのは、次期公爵と目されるサイラスが、屋敷内の統制に関わり始めたことが大きい。

 大げさな甘言を告げるものをさりげなく遠ざけ、理不尽に罰することもなく、だが手を抜くことは許さない。

 冷徹な印象のあるサイラスだが、あの公爵の跡継ぎであっても、公明正大だと薬草師は判断していた――今は、まだ。


 ああ、でも、小さな少女を思い出す。

 オリヴィアは、ただ一心に、あの背中を遠くから慕っていた。

 接点はほとんど無いにも関わらず、その関心が小麦に向くまで、変わらなかった。


 どうして、と聞こえて、とっさに口元を押さえていた。心と同じ疑問がこぼれたのかと思ったが、声はジルの物だった。


「どうして……お嬢さんは……あんな、なんもかんもお好きだったんですかね」

「は、い?」


 不思議な質問に、珍しく薬草師が問い返した。地べたに座ったまま、ジルが体の向きを変えた。手には刈り取られたバラが残した、緑の葉っぱがあった。


「花も、おかしも……俺たちのことも、サイラス様のことも……あの方は、全部お好きだったでしょう?」

「……」

「奥様や旦那様は、お嫌いな物ばっかでさ……花は赤、酒はこれ、ってなものだ、他には見向きもしねえし」


 それさえも、気分一つでころりと変わる。間違った(・・・・)ワインを出した給仕が打たれたのは、つい昨日のことだ。


「土が手に付いたら、これは何だって訊くんですよ。お茶の色が変われば、どうしてだってお尋ねになる。丸きり正反対なのが……なんかえらい不思議で。親は子に似るって、言うじゃねえですか」

「ジル」


 咎める響きに、分かってまさ、とジルがうなずく。


「ダメだってのは、俺が一番身に染みてます」


 嘘のつけない性分だ。誤魔化すすべも持たない正直さのせいで、何かしらの失敗は、あったに違いなかった。

 戻ります、とジルが立ち上がる。手燭を薬草師からそっと受け取り、散らばった道具を片手に収めた。たとえ一つでも隅に転がっていようものなら、誰に何を言われるか分かったものではない。

小道に出て、屋敷の方へと別れようとする薬草師を、ちょっと、と引き留めた。目線で作業小屋を示された。灯りの方を一瞥してから、付いていく。

 小屋の中に道具を置き、空いた手には、代わりに――ふわふわとした、薄い黄色の花を携えていた。


「名残りの花で、華やかさは無えですが……」

「私に、ですか?」

「俺が持ってたって、しょうもねえでしょう? 棘はとってありますし、切ったあとの花持ちもいい……お嬢さんの最後の花ですから、薬草師様のおそばで枯れるなら、本望ですよ」


 元気出してくだせえ、と続けられて、今度こそ呆気にとられた。

 この男は、鈍いのか鋭いのか、本当に読めなかった。ため息を気付かれないように飲み込む。


「元気がないように見えますか」

「薬草師様は、いつも怖いくらいピシッとなさっているのに、今日はお優しいんで」

「ではそのズボンを、一度ご自分で洗濯なさってはどうです?」

「ははは……そうでなくちゃ」


 はい、と手渡されたバラは、本当に棘がなく、麻紐でゆるく縛ってあるのに目を瞑れば、売り物の花束にも負けない美しさだった。香水よりも儚い香りは、けれどこの花だけが持つ唯一のもの。


「怖い私に、あなたは優しくするんですね」


 憎まれ口を叩けば、途端にジルがいやその、と狼狽える。

 屋敷の光はほとんど届かない、暗い庭。手燭の灯りは頼りなくても、戻る一歩が惜しかった。ジルの手元から注ぐ光に、花は金色に輝いて見えた。


「……優しくするのに、理由はいらねえでしょう?」


 声が、掠れて低く聞こえた。爪の先に土の残る指が、花びらを散らさないように、触れる。


「花が咲いたら嬉しい。手塩にかけたならなおさらだ。だけど、野に咲く花だって綺麗だ――萎れてりゃ、水をやりたくなるし。人だって……おんなじじゃないですかね」

「……」


 なるほど、と腑に落ちた。

 どちらかと言えば粗野な庭師と、大人しい少女が、不思議と気の合った仲の良さを垣間見せていた理由が、今になってようやくつかめた。


 ――この二人は、根本が似ているのだ。


 好奇心旺盛で、全てに目を向けるオリヴィアと。

 自然を愛するがゆえに、全てを受け入れるジルは。

 正反対のようでいて、とても良く似ていた。


 対極にいるのは、薬草師自身だけだ。


「あいにくと私は、優しくするには理由のある人間ですよ?」

「はあ……そうですか?」


 優しく振る舞うのは――優しくされたいから。

 花に触れるのに慣れた指を持つ男は、人への触れ方も似ているのと、知っているからだ。

 あえて笑みの形に唇を象れば、面白いくらい、ジルの落ち着きが無くなる。


「そりゃあ、薬草師様みたいな美人にゃ、ちっとばかし贔屓したくなるもんですが――て、どこ行くんです。灯り持っておいていかないで下さいよっ」


 カンテラを奪って踵を返した薬草師を、慌ててジルが追いかけた。

 口元を押さえて笑いださないように必死に抑える。衝動はそのまま足を速めた。


 まだ大丈夫だと、確信した夜だった







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