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私の心は金の波  作者: 日野真春
本編
11/34

十一







 晩餐会と呼ばれるものに、オリヴィアが出席した回数は、そう多くなかった。

 事実上の大人とみなされる、成人の儀を迎える前に、両親は断罪され、オリヴィアは研究所へ籠りきりになった。

 よってせいぜい、両親の主催する会の始まりに、挨拶に伴って最初だけ顔を出したことがあるのみ。自分の誕生日は盛大に祝われていたけれど、あれは日中だった。


 もともと、あまり好きではなかった。

 大人に囲まれ、大体同じ事しか言われないからだ。

 賢く、母に似て美しい。大人しい、聡明な子供。

 人形のように黙っていることが美徳だと、いやがおうにも悟った。


 まさしく最後の晩餐となったのは、十五の時の、サイラスの生誕会だった。かつ、事実上の襲名式。爵位の継承こそしていないが、彼こそが後継だと周囲に知らしめた、晩餐会。

 役目を終えたオリヴィアは、侍女たちの手を逃れて、一時の休息を取っていた。本当なら、すぐにでも着替えて寝台へ行かなければならない。


 明日の朝は、早い。すでにこの日のために一週間も屋敷に留まっているが、その間に三回も学院から伝令が来てしまった。朝一番に馬車に乗って戻らなければ、遠慮のない研究者たちから、何を言われるか。


 公爵家で小麦の改良を始めてから二年。惜しみなく財と人手と時間を割いた結果、オリヴィアの小さな村で始まった研究は、国中から注目の集まる一大事業となっていた。他領も、国も――引いては国王も――手を貸し、知恵を出し、導かれる結果とその恩恵にあずかろうと、手ぐすねを引くなか、公爵家は研究を「学院」に委託することを決定した。


 国の立場と国王の意図を図りつつ、十分な人材と研究施設の確保を狙っての事だ。もちろん、出資者である公爵の意志が、十二分に反映されることを見越している。

 その中で、小さなオリヴィアは、学院の入学年齢である十一歳を超えていたことも相まって、是非と請われ、上位貴族の子女としては例外的に、学院への在籍が許されていた。


 もともと次世代の育成とはいえ、学者、官吏、軍人の排出を目的とする以上、表舞台に立つことの少ない女性の入学は、ほとんどない。

 形式上は生徒であり、実際に授業にも参加しているが、課外の時間はすべて、研究室へ籠りきりだ。実質は、研究者としての立場の方が大きかった。


 そこで、十三になったオリヴィアの世界は、劇的に広がっていた。

 年齢も、身分も。斟酌されない実力主義を目の当たりにした。苛烈な争いも垣間見た。

 同時に、誰にも平等な面もあった。結果を出せば、オリヴィアが子供であろうと、男児でなかろうと、周囲の評価は順当に上がっていく。


 だから、十五という年齢と、成人の儀を迎えていないという縛りの中で、ひたすらに子ども扱いをされると……かつて以上に、オリヴィアの中で心労が溜まっていった。


 人ではない、と。そう指差す人間に、囲まれている。

 人形であれ、と。無言の圧力がかかる。

 人いきれに疲れて、とにかく今は、一人になりたかった。

 選んで忍び込んだ――自分の家ではあっても、入るのに躊躇う場所は多くある――暗い部屋には、絶対に誰も来ないと踏んでいた。


 大きな窓からは、闇に浮かぶ丸い月が、たおやかでも遠くまで届く光で部屋を照らしていた。

 飾られていたラベンダーの鉢植えをそっと隅によけて、カーテンを支えに、腰かける。薄い黄色のドレスはきっとしわが寄って台無しで、礼儀作法の先生がいれば、行儀が悪いと叱られるだろう。


 けれど、一人なら。誰も何も言わない。


 月光を浴びながら、オリヴィアは目を閉じた。このまま、光に溶けて消えてしまえそうな気分だった。

思考は靄がかかる。鈍痛を感じる頭が重くて、こつん、と窓の格子を支えにした。


 その時。

 がちゃりと扉が開いた、音がした。


 驚いて、目を見張る。

 無造作な足音が、すぐに止まった。

 信じられない思いで……オリヴィアは振り返る。何度目を瞬いても、ありえない人がそこにいた。


 晩餐会は今、この時が宴のたけなわだ。

 そんな時に、この部屋の主が戻ってくるとは、さすがのオリヴィアにも、完全に想定外だった。


 目のあったサイラスは、何があったかわからない、という顔で、少し呆けていた。が、すぐに明るくオリヴィアへ笑いかける。


「やあ。妖精かな? それても月夜に浮かれて舞い降りた天使?」


 ……いえ、ただのオリヴィアです、と答えられるほど、まだ冷静になっていなかった。むしろ余計に混乱して、体が硬直した。

 躊躇いなくサイラスは近づいてきた。ささやかに花の髪飾りを差しただけの、オリヴィアの金の髪――結い上げるのは、成人の時と決まっている――を掬い取って口づけた。

 ひどく浮かれていて、独特の香りからは酔っているのだとすぐに分かった。


「窓辺にいるのは、月の光がないと死んでしまうから?」


 オリヴィアはただ首を振った。頭の隅では、離れて逃げようと急かす自分がようやく動き始めたところだ。まだ、体が金縛りにあったみたいに動けない。


「いい贈り物だ。信じられないけれど、素晴らしいよ。君に会えて……ようやく今日、生まれてきてよかったと言える」


 つん、と手にしたままの髪を引っ張る。子供のように無邪気に、オリヴィアの反応をうかがっていた。

 痛くはないけれど……放してほしくて、オリヴィアは長い髪を自分の方へ引っ張った。途端に、毛先は握りこまれてしまう。

 困惑して、サイラスを見上げる。


「もう少し、いてくれないかい?」

「……」

「美しい、月の妖精。気まぐれな天使。私はまだ、君だけを見つめていたい……」

「……」

「白いドレスも、銀色の髪も、見終えるのには時間が必要なんだ……綺麗すぎて、目が足りないくらいだよ」

「……」

「放したら、きっと君は光の粒になって消えてしまうんだろう?」

 

 首を振る。そんなことは出来ない。オリヴィアはただの十五歳の少女なのだから。

 スミレよりも濃い紫の目が、さらに近づく。


「嘘つきだね」


 決めつけて、サイラスはもう一度髪に口づけた。

 何も言っていないのに、とオリヴィアは途方に暮れる。


 一体、どこまで本気で言っているのか。それとも完全に酔っているのだろうか。自分のドレスは白でもなければ、髪の色だって銀色ではない。サイラスが酒に弱いとは、聞いたことがなかったのに。

 くすくす笑うサイラスに俯くオリヴィアを、兄は上手に気を引いて顔を上げさせた。可愛いといって、顔を背けさせ、こっちを向いてと頼み込む。なんだか騙されている気分になりながら、オリヴィアはサイラスを拒絶できなかった。


 どれくらい、そうしていたか。

 不意に響いたノックの音に、サイラスははっとして体ごと振り返った。


「サイラス様?」

「バード?」


 手から髪が離れ、オリヴィアは自由になった。隙は、逃さなかった。一歩扉の方へと踏み出した兄とは、距離を取るように壁際に移動し、近くにあった掃き出し窓のカーテンの陰に隠れる。

広い部屋は、毛足の長い絨毯が敷き詰められていて、足音はしなかった。


「お戻りください。そろそろ、ご両親がいぶかしんでいます」

「あ、ああ……」


 唐突に引き戻された現実に、サイラスは戸惑う。そして振り返って、さらに驚いた。


 だれも……いない。


 月明かりが照らすのは、出窓の真ん中に置かれたラベンダーの鉢だけだった。

 もし部屋が明るくて、サイラスが酔っていなければ、カーテンの下からのぞくオリヴィアの小さい足に気付いたかもしれない。

 もしくは冷静に、室内を見回したかもしれない。

 だがどちらも、この時には当てはまらなかった。


 黙って歩き、そしてバードとともに扉の向こうに兄が消えても。

 オリヴィアはしばらく身じろぎもできなかった。






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