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私の心は金の波  作者: 日野真春
本編
10/34







 サイラスは多忙だ。分かっていても、無理を押して会わねばならなかった。

 王命には逆らえない。けれど、身一つで王宮に行くことなどできはしない。それこそ、その場で首をはねられたっておかしくない。オリヴィアは別に、死にたいわけではないのだ。


 ドレス、馬車、そして付添人。ありとあらゆる準備が必要なのに、たった二週間しか時間はない。かつてウィルコット家の令嬢として名義のあった財産は四年前に接収されるか、その前に研究に投じたか、どちらかの運命をたどっている。

 つまり、オリヴィアには今、手元にほとんど金銭がない。どころか、服も住居も学院の支給、または貸与品だ。


 王宮に呼ばれるということは、名誉あることだ。招待状――召集状、でも間違いはないと思う――には、これまでの研究の功績を称える旨が記されていたけれど、実は全く許す気がないんじゃないかと、一瞬本気で疑った。が、国王陛下がそんな一個人の細かい財務状況まで把握しているはずがない。そもそも、オリヴィアには一応、頼れる先がある。それを見越していたのだとすれば――やっぱり細かい配慮なんてないのだけれど――これは素直にオリヴィアの名誉を回復する機会なのだと捉えるべきだった。


 廃された家名は戻らない。ただ、オリヴィアは罪人の娘から、国に貢献した研究者となる。

立場は確かに、雲泥の差が生まれる。

 だからと言って、これからの生活が変わるか、というなら、おそらく否だ。

 いや、変わってはならないと、オリヴィアの賢い髄脳が告げている。


 研究所名義で公爵(サイラス)には事前に手紙を出していた。

 首都にある公爵の私邸に、定刻通りに訪問を告げれば、優秀な家令はすぐに応接室へオリヴィアを案内した。

 さらにそこから、従僕に先導された先の部屋は、どう見ても執務室だった。

 申し訳なさに、オリヴィアは瞑目する。

 けれど、机の前のサイラスは、前回と違って多忙さのかけらも見せなかった。


「やあ、久しぶりだね、嘘つきさん」


 飛び出したあいさつに、面食らう。すぐにはっと思いだした。

 目が覚めるまでそばにいる、と。恥ずかしげもなく約束したのだ。あの時は自分も多分、どうかしていた。


「それはその……」


 謝るべきか、弁解すべきか、迷っているうちに冗談だよ、と笑いながら返される。楽しそうな表情に、オリヴィアも安心した。


「そんな意地悪をなさるなんて、知りませんでした」

「そう? 私の冗談は、みんなよく笑ってくれるよ」

「……素晴らしい才能ですね」


 口下手で、議論はできても会話が苦手なオリヴィアとしては、羨ましい。

 なら、「あの事」覚えているだろうかとじっと伺うけれど、美しい兄は変わらずに微笑んでいる。けれど、オリヴィアから、私とキスをしたことを覚えていますか、なんて聞けるはずがない。


 不思議そうにオリヴィア? と名前を呼ばれて、はっとした。

 こんな調子では、日が暮れてしまう。

 彼は何も言わない。なら、覚えていないことにしよう、と決めた。何しろ眠る間際だったのだから、当然で……その方が、オリヴィアも助かるのだから。


「あの、本日は少々、不躾なお願いをしにまいりました」

「ああ。手紙に一通り書いてくれたからね。事情は理解している。私にできることなら、喜んで協力するよ」

「もしかして……ご存知でしたか」


 躊躇いなく断言されて、ちらりとかすめた疑問が口に出た。サイラスは王に近い。身分も、そして仕事でも。情報が他の貴族たちより早く手に入るのは当然だった。


「そうだね……話は、ずっと前からあったよ。ただ、本決まりになって君の所へ命令が下されるのは、正直もう少し先だと思っていた」

「陛下は、果断即決の方とお伺いしております」

「私が領地に引っ込んでいる間に、決めてしまったみたいでね。その上、ぎりぎりまで周囲に言うのを忘れたらしいよ」


 苦笑したサイラスに、美点でもあるだろうが、事前情報を兄にさえ通達してなかったのは、少々問題があると思わざるを得なかった。


「準備は心配しなくていい」


 迷惑は倍以上だと内心で顔をしかめたのを見抜いてか、サイラスがもう一度きっぱりと告げる。


「ですが」

「君はもっと自分の功績を誇っていいんだ。私の所領が、ずさんな管理から回復するまでに、餓死者を出さなかったのは、間違いなく君の研究のおかげなんだから」

「……」

「私は……君には返せないほど、沢山の物をもらっているんだ」


 すっと向けられた紫の視線。何を指しているのか、身に覚えがない。そういう顔を――言葉にはしなくても――出来ていればいいと願いながら、オリヴィアはそっと首を振った。


「研究は……単に罪滅ぼしにすぎません」

「領地を管理すべきは君の父上であり、横暴をいさめるべきは母上だった。成人もしていなかった、君じゃない」

「……」


 それでもその父母の娘だったのだといい募ったところで無駄と悟って、口を閉ざした。

 どうであれ、サイラスを頼らなければならないのだ

 こまごまとした日にちや手順を決める。実務の話になれば、躓くこともなくするすると話は進んだ。

 時間を取らせるべきではないと、一通り確認が終われば、では、とオリヴィアは立ち上がる。

 お昼過ぎから来て、日暮れにはやや時間がある。お茶を飲むくらいは許されるだろうけれど、長くいればいるだけ、研究所へ戻れなくなるような気がしていた。


「オリヴィア」


 呼ばれて、別れの挨拶が喉元で消えた。ひどく真剣な表情と、ぶつかる。


「あの話を……もう一度考えてくれないか」

「え……」


 もう一度、ということは、サイラスは遠回しに断ったことを覚えている。

 いったいどこまで記憶あるのだろう、ともたげた疑問を、今は駄目だとねじ伏せた。


「あの、お忘れかもしれませんが、私はそろそろ二十歳になります」

「そうだろうね。私ももうすぐ、二十七になるから」


 オリヴィアは何とも言えない顔をした。年齢を聞かされると、余計に前回のことが気まずい。深呼吸で、気を取り直す。


「もう、子供ではありません」

「知っているよ」


 通じそうで、なぜ通じないのか。はぐらかされる、とはこういうことなのだろうか。きっぱり断ろう、という決心が、だんだん揺らいでいく。


「ですので……庇護は必要ないのですが」

「……」


 紫紺の目がかげった。そう思った。ゆっくりと立ち上がったサイラスが、横から差し込む光のせいか、別人のようで……ありえない幻に首を振る。


「オリヴィア」

「はい」

「君はそうやって一人で生きていくの? あの研究を続けながら、学院の中に閉じこもって?」

「閉じこもって、いたのは……」

「そうだね。今までは、君のせいじゃない。あれは命令だった。王命で、逆らえばだれにどんな被害があるかわからない。だから君は決して表には出てこなかった。必要な実験と検分の時以外は、絶対に」


 よく知っている。やはり兄は、妹の事をずっと気遣ってきていたのだろう。

 忘れようと、ひたすらに研究に没頭した、オリヴィアとは違って。


「でもこれからは違う。これからは、きっと自由だ。研究をするもしないも、あの学院のとどまるかどうかも。すべて」

「……」

「自由だよ。それはつまり……君は今、一人になるんだ」


 ぐっと迫ったサイラスがいる。知らないうちに、大きな手が両肩をつかんでいた。繋ぎとめるように、力を入れた手が、少しだけ痛かった。

 夕日に照らされるサイラスの金髪は、赤い光に輝いてきれいだった。完璧な形に弧を描く口元も、微笑を浮かべている。


 なのに、どうして。


 泣き出しそうだと思うのか。


「でも……君は平気なんだろうね」


 自嘲の響きがある。どうして、こんな言葉を吐き出すのか。苦しいのは、オリヴィアがいるからだとずっと思ってきた。

 間違っているはずがないのに。


「お兄様」


 そう呼ぶとぐしゃりと表情が崩れた。なにかを堪えるように、オリヴィアから顔が背けられる。つかまれていた肩から、手が外れた。


「あの……?」

「ずっと……君に。そう呼ばれたかったはずなのにね」


 意味を問い返すには、勇気が足りなかった。







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